こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
56
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2007
07,24
22:52
プレゼント
CATEGORY[未選択]
今日はあやかのアパートで仕事。
お客様は皆若く、エネルギーに溢れ、今日も私はお客様にエネルギーを分けてもらえたのだ。
なんか、枯れてるおばあちゃんみたいだな・・・。
でも今日も楽しい出会いが出来てよかった。
そんな良い気分で居たら・・・。
「はい、お母さんにちょっと早い誕生日プレゼント!」
と、あやかからプレゼントが!
「わあ!ありがとう!」
嬉しかった。
明日は私の誕生日。38歳になるのだ。めでたくない・・・。
ソウルメイトに会う前に、また一つ年を取っちゃったよ~!!!
でも娘に祝って貰えるなんて幸せなのだから、それで「良し」としよう。
あやかがくれたのは、洋服2枚だ。
あやかの少ない生活費の中から捻出するのだから、あやかにとっては痛い出費だっただろう。
それが分かるのでなおさら嬉しい。
あやかの生活費なんて、せいぜい4万前後というところだ。
それでも無駄遣いせず、肝心なところには「投資」が出来るので、そこがあやかの良いところだ。
そんなあやかやかずま、すぐるといった子供達の成長こそ、私にとって最大のプレゼントだ。
好きな事を仕事にし、良い気分で仕事を終え、子供達は成長し、私には何の心配事も無い・・・。
私はなんて幸せなんだろう・・・そう、思う。
昨日も書いたが、今まで必死になって生きてきて、あの時苦し紛れにヤケにならなくて良かった。
「子供達を私が幸せにする!」
そう決意してから「母親業」に専念してきてよかった。
私がそうしたかったから、そうしてきたのだ。
今までの自分に一片の後悔もないのだ。
でも、きっと忍耐が足らなかったら、きっと投げ出していただろう。
もっと自分に甘かったら、子供達に当り散らしていただけで、自分を省みなかっただろう。
たくさんの挫折を味あわなかったら、たくさんの人に「無理」や「我慢」を強い、「もっと頑張らないとダメよ!」なんてアドバイスをしていたかも。
私もそんなに強くないし、奇麗事ばかりではない。
彼氏がいたり、適当に遊んでいる時もあったしね。
でも必ず自分の中の「母親像」が、「子供の前では毅然とした母親でいたい。」と思わせ、必ず軌道修正をしてくれたのだ。
目先の楽に逃げなくて良かった。
私がもっと楽々、今のところまで来ていたら、ご紹介してくださるお客様や来てくださるお客様に、今ほど感謝が出来なかっただろう。
忘れてしまうからだ。
忘れてはならないからこそ、数々の示唆を自分自身に舐めさせたのだろう。
今なら分かる。どうしてあの苦しい道を、わざわざ選んだのか・・・。
お客様の中には、私が霊感を持った特別な子供が居たから「導いてもらえたから」ここに居る、と思っている人もいるだろう。
確かに私は子供達に導かれ、支えてもらったもの。
でも、ただ頼ってるだけの「依存」の母親に、子供達は素直について来るだろうか。
どんな子でも、親が生き方をそれなりに見せなければ、馬鹿にされる。
あやかなら、なおさらだろう。
エゴも欠点もすべてお見通しだからだ。
本当はどの子も純粋で無垢で、だからこそ誤魔化しは利かないのだ。
でも誤魔化して生きてきた結果、大抵の方が「子供」にツケがまわるのだ。
自分に素直に生きましょう。
自分に正直に従いましょう。
それを選んだ自分自身で責任を取りましょう。
私もこれからも、そうして行くつもりです。
これからも宜しくお願いします!
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コメント[8]
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2007
07,23
19:19
変化
CATEGORY[過去]
今日は暑かったですね。
やっと夏らしくなって、よかった、よかった!
長男を勘当して、早一年。
思わず「勘当一周年!」と、かずまにメールで送っちゃった!
どこが勘当?って感じだけどね。
しかし一年なんて、あっという間だ。
この一年で、かずまが家を出て、あやかも出、ネコを7匹保護し、4匹里子に出した。
相変わらず、目まぐるしい変化だったのだ。
私にはどの年も印象深く、はっきりと覚えている。
一年たりとて、同じ状況の所は無かったからだ。いつも変化に富んでいた。
それぞれの年には、住む場所も働いていた場所も違うしね。
特に離婚後の数年は、状況がコロコロ変わった・・・というか、変えた、というか・・・。
私はいろんな仕事をしてきた。
結婚していた頃はセールスを8,9年していたが、離婚後の転職の数は凄いものがある。
離婚してすぐには、生活苦からスナックとかパブに勤めていた頃もあったのだ。
でもお酒が飲めない私は、シラフでお客の対応をするのが辛くて、結局2,3ヶ月しか勤まらなかった。
結果、一年半の間に6軒、勤めては辞め、を繰り返したのだ。
それからコンパニオン、居酒屋、ファミレス2軒、本屋、整骨院の受付、コンビニ、カタログ配布、ボーリング場受付、食品工場・・・など、色んな事を4年間の間に経験した。
すべて、喰っていく為である。
3人の子供達を食べさせる為に、必死になって働いてきたのだ。
だからどんな仕事であろうと、私は今までしてきた仕事を恥じた事はない。
どんな仕事だろうと、それは立派な仕事であり、社会にとって必要な仕事なのだ。
それにしても、貧乏だった。
本当に子供には何も買ってやれなくて、自分が情けないと思った事もしょっちゅうだった。
そんな中で年に一回は「子供をどこかに連れて行ってやろう」と思い、時間やお金を無理矢理やり繰りして、連れて行ったものだ。
先日も移動の車中であやかと話していた時、
「私はいつも居なかったのに、どうしてあんた達は反発しなかったんだろうね。」
と、聞いたら
「そうだね。本当にお母さんと団欒なんて、この仕事を始めてからだね。でも事ある毎に抱きしめてくれたり、ちゃんと話を聞いてくれたり、お金無いのに無理してでもディズニーランドに連れて行ってくれたり・・・。
だから愛されてるって分かってたよ。子供でも分かるよ。必死になって約束を守ろうとしてくれてたのは。そういう事を通して、お母さんを信頼してたし、その信頼関係が今のこの仕事にも繋がっているよね。」
そう、言われ、嬉しかったのだ。
私は仕事だけでなく、住む所も随分変えた。
その4年間に4回引越しをした。
以前は分譲マンションに住んでいたが、実家(一戸建て)、アパート、団地、今のテラスハウス・・・と転々とした。
で、色んな所に住んで、ある意味満足した。
その結果、今住んでる2間のテラスハウスが一番気に入ってるのだ。
なんでも経験すれば、気が済むものだ。
その所為か、うちの子供達に引越しや、知らない土地にいく、というのには全然抵抗が無い。
貧乏の経験が多すぎた所為か、「お金が無い」という恐怖心もあんまりないのだ。
無くてもどうにかなる、と経験済みだからだ。
「今300円しかないよ~。」
と平気で電車に乗ってくるあやか。
「あんた、大丈夫?」と聞くと
「大丈夫大丈夫!あと3日後には給料が入るから。冷蔵庫に食べ物が入ってるから、いいよ。」
と、ケロリとした顔をしている。
かずまも同じような感じだ。お金が無くても平気なのだ。
「伊達にお金ない生活をしてないよ。慣れてるし。でも絶対這い上がる!」
そうはっきり言う。
私のたった30数年の人生でも、ジェットコースターのような人生だった。
どんな人生にも上がったり下がったりはつきものだ。
ただ、一旦良い思いをすると、生活レベルをなかなか下げれないのだ。
でも這い上がれる人は、そのどん底をじっと耐えれる人だと思う。
みな、その「どん底」を味わいたくなくて、そこそこの妥協の人生を選ぶのだ。
しかし「どん底」を味あわなければ、「成功」や「幸せ」になんかならない・・・いや、分からないのだ。
何が「幸せ」で、何が「成功」か。
みんな、もっと欲深くなってもいいと思う。
貪欲に自分の人生を追求したらいいのに。
私も妥協せず、前向きに頑張ります!
コメント[5]
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2007
07,20
22:16
我が子達
CATEGORY[ネコ]
カイさんは、シャーシャー吹かなくなったものの、今度は怖いのか、おどおどビクビクするようになった。
手を伸ばすと、ビクッってする。
「そんなに怯えなくてもいいじゃん!」って思うけどね。
やっぱ隔離してるから、他の子達とも仲良く出来ないし、人間の子もそうだけど、社会性が育たないんだよねえ。
ちょっと先が心配・・・。
まあ、でも疥癬さえ治れば自由に出来るし、そうすれば少しずつ馴れてくれるかな・・・。
最近じゃあ、抱っこしようとしてちょっとお外に出すと、走ってゲージに逃げて行くよ。ありゃりゃ。
ご飯も子猫用フレークをしまじろうと共用していたけど、この頃キャットフードを上げてみたら、事の他喜んでくれて、よく食べるようになったんだ。よかった、よかった。
大分大きくなりました!
さて、困った事に・・・。
子猫一匹増えた事で、気の小さい男ライちゃんは、また家に来なくなった。
ご飯の度、帰ってくるんだけど、食べるとすぐ出て行っちゃうんだよね。
部屋に入ってくるのもビビリがちだし・・・。
「たかが子猫一匹に何ビビッてんだよ!」
って、つい言いたくなる。
まあ、これは新入りが増える度、そうなんだけどね。ライちゃんには、いつもの事だ。
シマちゃんは相変わらず元気だ。
何か太ってきたよ。顔が、まあるくなって可愛くなったしね。
でもきっと病状は進んでいるのだろう。
最近、口から出る膿がひどくて、ちょっと目を離すとダラーっと膿が口から垂れ下がっているのだ。
こんな事、拾って来た直後以来だ。
以前のような昏睡に近い状態は、もうないからホッとしてるんだけど。
それでも小康状態を保っているのが不思議なくらいだ。
だから安心はしてないんだけどね。
それでも、当初の私の予測を大幅に上回る生命力で、正直ここまで生きてくれるとは思わなかったので、本当にビックリしているのだ。
嬉しい裏切りだね。
「猛暑」という予測も外れて、予想外に涼しかったのも、きっと功を奏したんだろうね。
このまま秋まで持ってくれたらいいなあ・・・と思う。
でも、まあ・・・そこはシマちゃん自身にお任せしよう。
さて、前回カイさんの写真を載せた事が、何だか皆さんに喜んでいただけたようなので、味を占めたハシムラはまた載せてしまいました。
可愛い我が子を見てやってくださいまし。
コメント[9]
TB[]
2007
07,19
21:32
電話
CATEGORY[子供]
昨夜遅く、またかずまから電話が・・・。
「どうしたの?」
「もうダメ!退屈で死んじゃいそう・・・。契約取っても嬉しくないし、取れなくても悔しくないし・・・。」
「そりゃ!末期症状だね。ははは~!」
思わず笑っちゃったもんね!仕事が「終わる」時なのだ。さあ、私からの質問。
「友達になりたい人は、職場にいる?」
「いない。もう辞めちゃった。」
「尊敬できる上司や刺激を得られる人は?」
「いない。あのカリスマ上司も3日前に辞めた・・・。」
「そう。じゃあ、もう辞めたら?それ以上いても時間の浪費だよね?」
「ホントに?本当にお母さんもそう思う?」
「うん。」
「よかった~。実はもう辞めたかったんだけど、生活もあるし、不安だったんだけど、でも『生活の為』って割り切れないしさ。」
「じゃあ、出勤を半分にして、違うバイトを掛け持ってみたら?」
「オレもそうしようと思って、情報誌を貰って来た所だったんだ。ダブルワークもいいかな・・・と思ってさ。何せ今の所は時給がいいんだよね。」
「書きたくなる時が来るまで、適当に楽しんでやりなさい。それよりも深く付き合える友達を作る事!」
「そうだね。今のオレにはそれが仕事よりも一番の課題だね。」
そうなのだ。かずまは広く浅く付き合えても、本音を語り合える友達を作るのは苦手なのだ。
それはかずまが小さな頃、一人で留守番したり、本を読んだり・・・
気が付けば幼い私と同じような事を、私はかずまに繰り返させていたのだ。
私も忙しく、心の余裕がなかったからね。
先日かずまが帰省した時、それをテーマに癒したのだ。
人は皆、知らず知らず誰かを傷つけているものだ。
でもそんな傷も欲しくて、人生を選んでくるんだけどね。
かずまも私同様、「甘え方」を知らないのだ。
だから人の領域に踏み込んでいく「本音の会話」「本物の付き合い」というのが怖くて未だに出来ないのである。
私は結婚やセールスの仕事を通して、学んだのだ。
「あんたも本当の人間の付き合い、というものを学ぶ時だね。これが出来なければ、『文学』は書けないよね。」
「オレもそう思う。あ~!!!本当の友達が欲しい!」
「ははは~!」
「ありがとう。お母さん。やっとワクワクしてきたよ。頑張るね。」
そう言って電話を切った。
かずまもいろんな事にぶつかって行くだろう。
でもそれを自力で乗り越えなければいけないのだ。
私は少しヒントを与えるだけだ。
「私、お金は送らないからね。着物買っちゃってさ、余裕がないから、ごめんね。」
「大丈夫。分かってるって。自力で乗り越えなきゃいけないんだよね?でないと離れて自立する意味がないモンね。だからアテになんか、してないよ。」
「ははは。分かってるじゃん。」
かずまも自分の課題を思い出したようだ。
そうしたら、もう大丈夫なのだ。
きっと仕事に醒めるのも、次の場所に行かなければならないからだ。
もしかしたらそこで友達が出来るかもしれない。
きっと必要な出会いを引き寄せていくにちがいない。
私はそう期待している。
コメント[3]
TB[]
2007
07,18
21:43
6歳
CATEGORY[過去]
今日もまた、久しぶりに自分の幼い頃の事を書きましょう。
まあ・・・人の子供の頃なんて「興味ない!」と、仰る方もいるでしょうが。
しばし、お付き合いくださいませ。
この前の続き、6歳の頃の事を書きましょう。
この頃、大好きだった祖父もアル中は静かになり、末期の肺がんの為、自宅療養していた頃だった。
そうすると、ビクビクおどおどしていた私も、祖父の暴れるのを見なくなった途端、落ち着きと明るさを取り戻しつつあった。
卒園間近になると、やっと園庭で遊べるようにもなり、泥団子作りに精を出していたり、特定の2,3人の友達も出来るようになった。
それでも、ほとんど喋る事無く、過ごしていたけどね。
この頃には、一番下の妹が一歳になっており、母乳も飲んでいた為、いつも母を取られているような寂しさを感じていた。
年子の妹もそうだったのだろう。
だからか、よく熱を出しては、幼稚園を休んでいた。
これは・・・今だから分かるが、妹が親の気を引きたくて熱を出したのだ。
今じゃ、私より丈夫だよ!
で、寂しかった私を慰めてくれるのは、決まって祖父だった。
寂しいと祖父の部屋に行ったものだ。
でも段々病状が重くなり、それでも私が祖父の寝室に行くと喜んでくれ、その笑顔を見ると
「私を受け入れてくれる人がまだいる!」
という喜びが湧いてきたのだ。
でもお転婆の妹は部屋に入るのを、祖父から禁じられていた。
それを母は、後々まで妹に
「あんたはおじいさんから嫌われていた。ひでみばっかり可愛がっていたよ。」
なんて、言わなくても良い事まで言うものだから、妹は最近まで
「私は誰にも可愛がられてない!」
と、ひがんでいたのだ。
全く!母の言動は考えなしで、それ故、人を傷つけるのだ。
そして、妹は人生の目的通り「被害者」として、日々被害者意識を募らせてきたのだ。
ホント、うまくいってるなあ~って、思うよ。
やがて私は小学校に入学したが、入学も早々に、祖父は4月末に他界したのだ。
「おじいちゃん、死んじゃったんだ・・・」
と思ったが、まだ寂しいという実感はなかった。
それよりも滅多に来客のない家なのに、葬式の為、たくさんの人が集まったのが、子供心にもとっても嬉しかったのだ。
火葬場で遺体が焼きあがるのを親戚の人達と待っていた時。
祖父が私を可愛がっていた事を知っていた親戚のおばさんは、私を慰めようと思ったのだろう。
「今度、おばちゃんがお菓子を買ってあげる。たくさん持ってきてあげる。」
と言ったのだ。それを真に受けて聞いていた私は、どんなに喜んだか!想像つくでしょう。
私はそれを何日も何日も、アテにして待っていたのだ。
しかし、お菓子が来なかったのは言うまでもない。
どんなにガッカリしたか・・・。
それ以来30年経ったが、あのおばさんと顔を合わせるたび、その事を思い出す。
嘘をつくつもりはないのは分かるが、でも子供は本気にするものです。
ぬか喜びをさせるのはやめましょう。
こういう出来事に、子供は大人への不信感を募らせるのです。
慰め方も「お菓子で釣る」んじゃなくて、抱きしめたり、優しい言葉で受け止めるだけでいいのにね。
お金、掛からないしさ。
さて。それから私の寂しい時代に突入していくのだ。
祖父が亡くなって一ヶ月も経つと、自分を振り返ってくれる人はもういない、関心を寄せてくれる人はいないんだ、と嫌でも実感するようになってきた。
母は妹に取られ、手も繋いでくれなかった。
祖母は働くのが趣味で家には居ない。
父もマージャンばかりで不在。
よく熱を出す真ん中の妹と乳飲み子の一番下の妹の世話で、不器用な母には精一杯だったのだ。
だから暇さえあれば指しゃぶりばかりしていて、長い間、その癖が直らなかったのを覚えている。
学校では一言も喋らず、家で会話をしていない私には授業で先生が話している内容がさっぱり分からない。
幼稚園の妹より本を読むのが遅く、母は私が「知恵遅れ」なんじゃないかと心配したほどである。
5月に入っての家庭訪問で、母の私への関わりについて、母が先生からこっ酷く叱られているのを覚えている。
あとで母から「あんたの所為で私が怒られた!」とヤツ当たられたけどね。
でも同じ母親として、あのしっかりとした年配の先生からは、うちの母が私に「無関心」だったのが分かるのだろう。
今の私だって、たくさんの人を見れば、やっぱ、すぐ分かるモンね。
「この人、私達の前だから良い人ぶって座ってるけど、家の中では天下とって威張ってるんだろうなあ。」とか「子供を型にはめてるな。」とかね。
先生の「お母さん、もっと子供に関心を持ってください。」と言う言葉が私の胸を熱くさせたのだ。
厳しかったが、良い先生と言うのは、本当に子供をちゃんと見てるんだな、と思った。
子供心にも信頼できる大人か、利口な人か、臭いで分かるものだ。
なんか長くなっちゃいましたね。
劣等性の私がどうして「本の虫」になったか、次はそんな事も書いてみたいです。
またお暇がありましたら、お付き合いくださいませ。
コメント[5]
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