こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
56
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2008
07,11
23:42
すいません、また13歳です!
CATEGORY[過去]
今日もまた、私の13歳の時の事です。
私は美術部に入っていたが、同級生の男の子のS君は、かなりの問題児だった。
グレていた、とか、ツッパッていた・・・とかではなく、チョ~我が儘だったのだ。
気に入らない事があると、グズグズ言いだし、泣き喚いて教室の真ん中でバタバタするのもしょっちゅうだ。
美術部の先輩なんて、男も女もみな優しい人ばっかりだったから、S君はますますツケ上がる。
「この人・・・よっぽど甘やかされて育ったんだな」
と、当時の私でも思ったもの。そのくらい甘ったれていたのだ。
それまで小学校の時も同じクラスになった事がなくて(この中学校は、みな小学校からの持ち上がりです)、
S君なんて顔しか知らなかったが、同じ部活になり、「こんな人がいるんだ!」とビックリするくらい、私にとって強烈だったのだ。
S君はたいして勉強が出来なかった。
これは彼の能力と言うよりも、「根気の無さ」だろう。
それに無気力な子だ。何でも、言う前に親がやってくれる・・・そんな典型だ。
「~になりたい」という向上心も、持ち合わせていない。
そんなもの、無くたって親が全部してくれるからね。
過保護や過干渉で育った子というのは「自我」が奪われる。ある意味、可哀想な子なのだ。
卒業をする頃には、少し落ち着き、さすがにバタバタは無くなったが、「無気力」「我が儘」は相変わらずだった。
しかし、大人になって「ツケ」を払わされたのだろう。
噂によれば、彼は20歳の時、交差点事故を起こし、重傷を負った。
それからの5年間は昏睡状態で、植物人間だったのである。
しかし奇跡的に目覚めたが、脳にかなりの損傷を受けたのか、深刻な後遺症を残した。
彼はあれから毎日リハビリをしている。
今日もリハビリの為、歩いているS君とすれ違った。
私は車だったから、あえて声は掛けなかったけど。
彼はまだ左側に麻痺が残るのか、動かない左腕を振り、左足を引きずるように歩いていた。
彼のうちは、私の実家のすぐそばにあるから、見掛けるのもしょっちゅうだ。
S君は私を覚えていた。
何年か前、小学生だったあやかを伴って、歩いて買い物に行ったところ、S君とばったり会ったのだ。
「私の事、覚えている?」
彼は笑顔でうなずいた。言葉もうまく話せないようで、不自由そうだったが、一生懸命笑顔で話してくれた。
「子ども?大きいね。すごいね!」
って、言ってくれたっけ。
「リハビリ頑張ってね」と言って、別れたのだ。
でもそれからは、声を掛けていない。あまりにも痛々しかったから・・・。
何だか、自分の幸せを見せびらかしているようで・・・。
子供がいるって・・・自慢してるようで・・・。
五体満足な事、健康な事、働ける事・・・何でも持ってるでしょ?って、ひけらかしてるみたいだ。
自分の幸せを再認識もさせてもらったが、同時に「私、幸せでごめんなさい」と、申し訳ない気持ちにもなってくるのだ。
S君は私が離婚して、戻って来たのも知っていたのだろう。
「おまえ・・・大変だったな。」
と、言ってくれた。でもS君の大変さに比べたら・・・私のなんて「屁」みたいなもんさ。
だから私も笑って「そんな事ないよ!さっぱりした!」って言ったよ。
S君は笑って「そっか・・・。」って、言ってたけどね。
S君も、いろんな苦労や辛さを味わって、人の痛みや苦労を分かる人になったんだね。
お客様の中にも、大きな事故や病気を用意している方が、時々いらっしゃいます。
でも避ける事が出来ます。
避ける方法は・・・事故や病気になって、「理解」させられる前に、自分に「理解」させる事です。
「理解」させたくて、自分自身で引き寄せるのですから。
ですから、あえて「苦労」を買いに行く事が、最善の道なのです。
安易に苦労を避け、目先の楽を追いかける事は、一見「楽」そうに見えますが、実は自分を追い詰めている事なのです。
だから私達は「自立しましょう!」「動きましょう!」と、言い続けるのです。
でも、今まで「挫折」も「困った事」もない人ほど、意味が分からない・・・。
そこに私達はジレンマを感じるのです。
そして、自分達の仕事に意味がないのではないか?と、疑いたくなる瞬間なのです。
そしてこういう方ほど、経験がないから、自分の問題点にも気付かず、「褒めてもらいたい」と思っている・・・。
で、褒めればツケ上がって安心して動かないし、
「~しましょう。でないと~なりますよ。」
と、指摘すれば「何でそんな事言うんですか!」と、恨まれる。
本当に「伝える」というのは、難しいですね。
さあ、私の愚痴はそれ位にしましょう。笑 では、また明日!
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コメント[2]
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2008
07,10
22:18
担任
CATEGORY[過去]
最近、重い内容が続いているので、ちょっと休憩♪
今日は軽めの内容で行きま~す!
私が中一の時の担任の先生は、女性音楽教師だったが、6月に結婚し、翌年退職した。
それからすぐ妊娠したようで、次々子供が出来た事は噂で知っていた。
彼女は同じ町内に住んでいたからだ。
しかし私が二十歳の時に、先生と思わぬ再会を果たしたのだ。
当時の私は、結婚して浜松市(今は東区)に住んでいたが、久しぶりに実家に遊びにきた時に、一歳のかずまを連れ、赤ん坊だったあやかを抱いて、近所の公園へ行ったのだ。
そうしたら・・・。見覚えのある顔が!
「先生!T先生ですよね?」
「あれ?あなた・・・。橋村さんじゃないの!」
そうして私と子どもを一瞥すると
「もしかして、子供?」
「そう!」
「えええ~~~???」
彼女は仰天していた。まあ、そりゃあそうだろうなあ。ははは~。
先生も、3歳くらいの男の子を連れていた。
「お子さんですか?いくつなんですか?」
聞いたら、ビックリ!同じ一歳だった!体が大きかったのだ。
それに4人目だって・・・。それも男ばっかり!
「先生、頑張ったね」
って、笑って言うと
「あんただって!」
と言われてしまった。あははは~!
後に、私が離婚して、この舞阪町に帰って来た時、かずまと先生の4男は同級生になったのだ。
だから参観会では、いつもご一緒していた!クラスもよく一緒になっていたからね。
私が「先生」と呼んでいたので、
「もう先生はやめてよ~。同じ父兄なんだしさ。」
と、苦笑いしていた。それでも私は「先生」と呼んでいたけど。
先生のお子さんは、体が大きく、中学を卒業する頃には180を超えていた。
運動神経抜群で、勿論、勉強はよく出来た。学年で一番だもの!すごいね。
しかも10歳までアメリカにいたから、英語はペラペラだし・・・。
しっかりしていたから、生徒会長や学級委員長など「長」が付くものはみんなやっただろう。
でも驕ったところなんて無く、むしろ温厚で控え目、案外ノリもよく、かずまともよくいたずらしたり、喋ったり。
だからクラスでも人気があり、信頼を集めていたのだ。さすが~・・・って感じ。
先生も独身の時と違い、体も心も随分丸くなっていた。すいません・・・。笑
それはきっと、私もそうなんだろう。
母親になると、気持ちは丸くなるね。
子どもに振り回されたり、眠れなかったり、心配させられたり・・・こうして「親」になる事で成長させてもらった。
すでに大人だった先生ですら、変化していたもの。
参観会で先生と思い出話をすると、あの「いじめ」の原因になった大喧嘩の事を先生はよく覚えていた。
「キツイ子だと思ったよ。」
って大笑いされちゃった。ははは。
だって、あのいじめっ子を泣かしたのは、きっと後にも先にも私だけだろうから。
「今思うと、私って若かったなって思うのよ。随分思いやりがなかったよね。」
そういう先生。当時孤立していた私に対して、何もしてやらなかった、と責めていたんだろうか?
私はあえて「そう?しっかりした良い先生だったよ!」って言って、それ以上は聞かなかったけど。
でも、あの状況はきっとどんな先生でも救えなかったと思うよ。
だって、やっぱり自分が原因作ったと思うし、根本の原因は「家庭」だからね。
でもこの先生との再会は素晴らしくて、かずまの参観会は楽しみだったのだ。
先生、思い出を塗り替えてくれて、ありがとう!
コメント[0]
TB[]
2008
07,09
23:05
13歳
CATEGORY[過去]
さて、昨日の続き、13歳です。あんま、おもろくないかも~笑
学校で、クラスでも部活でも無視されていた私だったが。
家だけがオアシスだったか・・・というと、そうでもない。
家族内でも、私には心の拠り所が既になかったのだ。
まず、父は食卓で、よく私だけ除け者にした。
食べ辛い魚の身をほぐすと、「Mちゃん、食べるか?はい、Sちゃんにも・・・。」と、妹達にはこうして与えていたが、私はそんな事してもらえなかった。
この頃になると中学生だから、もういいんだけど、小学生の時にはもう無視されていた。
「お父さん、私には?」
と言っても、知らん顔だ。
酔って帰って来た父が、機嫌が良くて、お小遣いをくれた時があったが、
「はい、Sちゃん。あげる。」
と言って、すぐ下の妹に百円あげていた。いいなあ~と、思って
「お父さん、私にも頂戴!」
と言って、手を出したら。
「はい。」と言って、一応くれたが、それは十円。
また妹がねだったら、妹にはまた百円。なので私もまたねだったら、私にはやっぱり十円。
「なんでSばっかり!!!」
と父に抗議すると
「お前なんか、可愛くない!なんでお前にあげないといけないんだ!」
と、言われたよ。
悔しくて、母に「Sばっかりずるい!」と言ったら・・・。
多分、母は私に同情し、慰めるつもりで言ったのだろう。
「お父さん、酔ってるからねえ。しょうがないね。酔ってる時は本音が出るし・・・。あんた、よっぽど嫌われてるんだねえ。」
これを聞いて、私は「ガーン!!!」と、ショックを受けた!
わ、わ、わ、私って・・・そんなに嫌われてるのぉ~~~~???!!!
結果、母の言葉は、私を深く傷つけたのだ。
だから愚鈍な人って・・・。ホント、人を傷つける。
ある意味、父は私をバッサリ斬り、母は私にトドメを刺す役目を果たしていたのである。
・・・見事、果してくれました!ははは~。
他にも、食卓での父の「ブス」だの「バカ」だのと言う罵詈雑言は日常化し、母は見て見ぬふりをしていた。
私がテレビを見ていれば、そんな私のそばにわざわざ父は寄って来て、
「おまえ、毛深いなあ。そんなブスで嫁の貰い手なんかないのに、どうするんだ?」
と、言ってきたり。私が
「あんたに似たからでしょ?私の所為じゃないよ!フン!」
と、反撃すると「ブスのくせに生意気だ」とか何とか、因縁つけてくるのだ。
まあ、気にせずテレビを見ていたが。
妹だって油断ならない。
一番下の妹は、私に喧嘩を吹っ掛けては母に言いつけて、その都度、母は私の言い訳も聞かずに、一方的に叱責する。こういう挑発は日常的だった。
両親に溺愛されていた一番下の妹Mは、狡猾な笑みを浮かべて、私に勝利宣言!
それからは私はMに対して、どんな挑発を受けようと、一切の無視をした。
祖母はやたら口うるさいし、人の顔を見れば「宿題やったかね?」とグチグチ言う。
もうノイローゼになりそうだった。
働いていた祖母とは夜しか顔を合わさなかったのに、それでも一日30回は言われていたよ!
唯一、私の見方だったすぐ下の妹だが。
しかし翌年、この妹の所為で、私は学校で先輩に呼び出しを喰らい、いじめられ、後輩にまで悪口を言いふらされる羽目に。
どこにも私の居場所はなかった。ホント「八方塞がり」だった。
こんなに嫌われると、自分でも笑っちゃうよ。
よく学校に行き続けたと思う。これが後の自信にも繋がったけどね。
で、翌年はさらに過酷になって行くのだ。
まだ続くよ~!みんな!ついてこ~い!笑
コメント[4]
TB[]
2008
07,08
21:44
13歳
CATEGORY[過去]
今日は、昨日の続き・・・の前に、普通の日記を少々。
昨夜すぐるは3人友達を連れて来て、3人とも泊まって行った。
あやかもいて、この狭い部屋にみんなで雑魚寝。
朝までみんなで大騒ぎして盛り上がり、私もかなり楽しかった。
そのノリのまま、今日の昼、みんなでカラオケ行ってまた大盛り上がり!
若い子に遊んでもらってよかった!
「おばちゃんとまた遊んでネ!」
「は~い!」
なんて素直で可愛い子達。すぐるの友達を選ぶ目は、なかなかしっかりしている。
それだけは自慢出来るかも。
あーーー今日は楽しかった!!!
さて、昨日の続き。こんな重い内容、おもろいんかな?
まあ、いいや。自分のブログだしぃ。なんちて。
クラス内で無視が始まった頃。
私は美術部に所属していたが、部活も本格的に活動を始めた頃だった。
私のほかに一年生は二十人くらいいたが、4歳から絵の教室に行ってたり、自分なりに毎日お絵かきをしていた私だったので、きっと一年生の中でもうまい方だったと思う。
それで当時の顧問の美術の先生からものすごく褒めてもらえ、かなりひいきされた。
私でさえ自覚するくらい。ホント、ヤバイからあんま「ひいきしないで・・・」と思うくらいに。
で、案の定、みんなから
「あんたはいいよねえ」
とか
「さすが。先生にひいきされてるだけの事はあるよね。」
とか・・・嫌み三昧。
クラスでも無視され始めて、私を包む空気が悪くなってる事に便乗して、結局部活内でも無視されて、この後の3年間この状態が続いたのだ。
一時、空気が緩和した時もあったが、まあ、あまり変わらなかったかな。
自分も媚びたくなかったしね。
当時の私を霊視するあやかには
「先生!もう、私に構わないで!」
と、聞こえてきたようだ。
以前も「ひいき」について書いた事があるが、やはり「ひいき」は人を傷つける。
先生は好意でしてくれるんだろうが、やはり迷惑だった。
それ以上にショックだったのは、「先生に褒めてもらった」事を同級生達に喜んでもらえない私は、
「結局その程度の人間関係しか築けていないんだ!」
と、気付いてしまった事だ。自分の人望のなさに本当に打ちのめされてしまった。
今、冷静に振り返ってみれば、そうかもしれない。
私は優等生だったので、人が「トロく」見えていた。
だから自分が好意で「教えてやった」つもりでも、それが人を傷つけていただろう。
そもそも「教えてやった」事自体、偉そうで、人を馬鹿にした行為なのだから。
そこに13歳で気付けた私はラッキーだったね。
そのまま行ったら、どんな傲慢な大人になっていた事か・・・。
しかし、自分の「敗北感」は否めなかったのは、確かだ。
でもこれはまだまだ序の口。本当の孤独と辛抱、葛藤はこれからだったのだから。
と言う訳で、続きはまた明日!
あんまりおもしろくないと思うので、気が引けますが・・・。見たかったら見てね!
コメント[4]
TB[]
2008
07,07
21:52
13歳
CATEGORY[過去]
さあて・・・今日は久しぶりに自分の過去の事を書こうかなあ。
前回の続き、13歳だね。私の暗黒時代、中学生の頃の事だ。
う~・・・ん。書きたいような書きたくないような・・・。
書きたい事は山のようにあるのに、楽しい事は一つもないからなあ。
よく死ななかったなあと思うくらい。
はっきり言って、人生の中で最低最悪、「八方塞がり」とは、この時の私の為にある言葉なのか?と思うよ。
まあ、そんな重い前置きはさておいて・・・。
中学に入ると担任は、28歳の女性、音楽教師だった。
彼女は独身、気が強く、なんでもズバズバ言う人だった。
ま、そのくらいじゃないと、おバカ全盛期の中学坊主の相手は務まらないね。
私は担任との間にトラブルはなかったが、この一学期に、この後のいじめの原因になる「大ゲンカ」を、男子と繰り広げる事になったのだ。
私の斜め前の席に座るTは、小金持ちの息子で我儘、根性悪で卑怯者、親の財布から金を抜き取ったとか、そんな事を武勇伝にして語っていた器の小さい男だ。
私は昔からこの男が大嫌い。ていうか、この手の人間が、男も女もここら辺は多い。
甘やかされ内弁慶で、その癖一人じゃ何にも出来ない連中。こういうのがいつも固まっているのだ。
そのツルんでる連中の中でも、Tはボス格だった。
発端は、Tが横に座ってるEちゃんをからかっていた。
Eちゃんは私の前に座っており、小学校の時も割と仲良くしてくれて、中学では部活も一緒。
私の目の前では、しつこくEちゃんがからかわれているのだ。
Tの場合、それはEちゃんに限らず、私にもその矛先を向ける時もあったが、それは単にTが意地悪いだけなのだ。
それも毎日、1日何回も、嫌がるような事を面白がって言うのだ。
私はイライラしながら、いつも聞いていた。
でもあえて事を荒立てたりしなかった。そんな事をしたら、かえって反発を招き、事態を悪化させる事は目に見えていたからだ。
私も当時は今と違い、非常におとなしく、目立たない人だったからね。
でもさすがの私でも「プチッ」と、キレた時があったのだ。
ある日、とうとうEちゃんが泣き出したのだ!
そうしたら「こいつ、泣いた!」と指さして笑うT。それから同じ班で手下のKとO(こいつらも男)は、Tに媚びるようにニヤニヤ笑ってる!!!
もう我慢ならん!
私は立ち上がり「お前、いい加減にしろよ!Eちゃんに謝れ!!!」と叫んだ。
そしたら「なんだテメェ」とまだ馬鹿にして笑うから
「この卑怯者!」
と言って、Tの胸倉を掴んで座ってる椅子から投げ飛ばしたのだ。
勿論Tは椅子から転げ落ち、したたかに尻を打ったようだ。
そうしたら、なんとあのTが泣いたよ!!!よえええ・・・この男・・・。
私は馬乗りになって、「おまえ、どんな躾されたんだ!お前の親は何してるんだ!」みたいな事を言ったと思う。
まあ、そんな事言っても無駄なんだけどね。だってそいつの親も似たようなもんだからだ。
で、それから私はTの反撃にあい、結局私も泣かされたんだけど。
それから間もなく担任が割って入って来て、喧嘩を治めたのである。
担任には「あのTを泣かすとはねえ。あんたも気が強いよねえ。大人しいと思ってたら・・・。」と、呆れられたんだけどね。
だって、友達が泣いてても知らん顔してるって・・・私にはそんな事出来ません。
私はそんな卑怯者にはなりたくないもの。
で、それが発端で、あっという間に「あいつ無視しよう」的な命令が伝わったのか、その日から私は孤立することになったのだ。
そして驚く事に、庇ったはずのEちゃんは、なんと部活でも積極的に私を無視するようになり、教室でも部活でも私は一人ぼっちになってしまった。
部活はいろんな理由が重なってしまったんだけね。
中には慕ってくれた子もいたんだけど、私がうざくて遠ざけてしまったし。
そんな暗黒時代の3年間はこうして幕を開けたのです。
続きは明日。こんな面白くない内容、読んでくれる人、いるのか疑問だけどね。笑
暇だったら読んでねえ!
コメント[4]
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