こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
56
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2006
12,14
23:12
Kちゃん
CATEGORY[家庭内セッション]
昨夜あやかはバイト先での忘年会に行っていた。
もう、そんな季節なんだなあ・・・と思う。
営業時間後の深夜近くに始められ、遅い時間での解散だった為、私が車で迎えに行った。
あやかと仲良くなったKさん(うちの子猫を貰ってくれる予定の子)も一緒に帰宅。
家が遠いのと、家に居たくない事情があるようだ。
Kちゃんもまだ若いのに、苦労ばかり背負い込む、損な性分なようだ。
私もこの子とゆっくり話したかったので、泊まる事になり丁度良いと思ったのだ。
Kちゃんは朝早くの出勤だった為、早く起きねばならないが、風呂に入っても私達と朝方まで、お喋りしたりしていた。
いろいろ悩み事が尽きないのだろう。
私なりのアドバイスをすると、真剣な顔をして聞いていた。
そして「おばさんもね、昔はこうで・・・」と、Kちゃんが今している苦労をかつて私もしていた事、だから今があるという事、などたくさんの話をした。
この子もどこにも吐き出す事が出来なかったんだろう。
話しているうちにだんだん柔らかい表情に変わる。
Kちゃんは非常にいい子だ。若いのに非常に落ち着いていてしっかりとしている。
それは経験の深さから来るものだ。
しかし非常に自己評価が低く、不当な扱いにも慣れてしまって居た為、ついついしなくて良い我慢までしてしまうのだ。
かつての私も「我慢しなくて良い」事を知らなかった。
だから10年の結婚生活があったと思うし、それが無駄だったとも思わない。
その10年で随分人の気持ちが分かるようになったし、丸くさせてもらえたと思うしね。
しかし今、私の目の前に居るこの子は、十分すぎるほど人の気持ちの分かる子だ。
この先の苦労を分かっていて、知らん顔は出来ない。
苦労もやりすぎると、人間性を歪めかねない。
Kちゃんには真っ直ぐ伸びていって欲しい。
将来、きっとあやかとも良い刺激を与え合える友達で居れるだろうから。
それから、うちで居候すれば、という提案もしておいた。
いずれ私がしたい事は、そういう「里親」だからね。
Kちゃんがお金を貯めて自立出来る環境を整えてやりたい。
それに協力出来れば・・・と思う。
それをあの子は受け入れてくれるかどうかは分からないが。
それにしても10代の一番伸びる若い時って、いいなと思う。
その成長を見たいなあと思うのだ。
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2006
12,13
21:56
幼少期
CATEGORY[過去]
さあて、今日も書く事ないし・・・昨日の続きを書こう。
私はとにかく小さい頃の記憶がたくさんある。
だからみんなもそうなんだ、とばかり思っていたが、この仕事をやり始めたら、みんな大抵
「小さい頃の事はあんまり覚えてないんです・・・」
と言う。物凄くビックリしたものだ。
もしかして私って記憶力がいいの?と思ったくらい。
幼稚園に上がる前、私の家の玄関の脇に大きな青大将という蛇がとぐろを巻いて居座っており、それが一週間くらい居たのを覚えている。
それから祖父に庭先で小さなプールに入れてもらったのを覚えている。
祖父には物凄く可愛がられ、よく遊んでもらった。
しかし夜になると祖父は酔っ払っては暴れる・・・という事を繰り返すようになった。
原因は父だろう。婿養子の父は会社を終え、晩御飯を済ますと決まってマージャンをしに出掛けるのだ。
それがどうも真面目な祖父には気に入らなかったのだ。
でも面と向かって言えず、それを酒でごまかすように飲んでいたのである。
その酒量が日に日に多くなり、終いには家の中で暴れるようになった。
それでも決して私達には暴力を振るわなかったが、それでも毎晩のように聞こえてくる物音は怖かった。
やはり3歳くらいだったが、マージャンに行ってしまう父に、泣いてすがって
「お父さん行かないでよ・・・」と頼んだが、全く聞いてくれず、いそいそと行ってしまった。
この後、家の中がどういう風になるのか、知っていたからだ。怖かったのだ。
しかし父親は自分の不在中に何が行われているのか、知らされていなかったのだ。
父が祖父の酒乱に気付くのは、大分後になる。
しかし、私の必死の懇願も聞かずに行ってしまった父親の後姿と、その時の恨めしい気持ちは今もはっきりと覚えている。
どんなに落胆したか・・・想像つくと思う。
それから毎晩のようにガラスの割れる音、何かを叩き潰す音など聞いて育ったのだ。
これは小さかった私と妹に暗い影を随分落としたのだった。
こんな環境で育ったからか、経験がそうさせたのか分からないが、
「私がこうして覚えているように、子供は見ているんだ」
「我慢した事で、返って面倒が大きくなるんだな」
「うちの親ほど当てにならないものはないんだな」
など、いろいろな事を学べたのは間違いない。
当時、それでも祖父を嫌いにはならなかった。
昼間は優しいいつもの祖父だからだ。
母は妹に取られっぱなしだし、祖母は働き虫で自分の亭主が酒乱でも
「我慢、我慢」と言うだけで、何の知恵もない人だったからだ。
祖母は働く事しか能のない人で、情や心がない人だった。
だから当時の私に関心を寄せ、愛情や温もりという物をくれた人は、祖父だけだったのである。
きっと、これが私の男性観を歪めさせただろう。
だから前夫の嫌がらせのような言葉の虐待、無関心、非協力、そしてたまにくれる優しさを引き寄せた。
そして父と同じようにギャンブル好きときてる。もう最悪~!!!
私はよりによって、こういう形で最愛の人に、最悪の行為を引き出し、させていたのだ。
「でもこれが男だよね・・・」
と思っていたのだ。何せ私の周りの男のモデルが最悪すぎる!
でもこの環境を選んで来たんだねえ。今なら意味も分かるけど。
この環境をクリア出来なければ、最悪のピークである中学生時代を乗り越えられなかっただろうから。
その為の布陣でもあったのだ。
こうして試練を通して、懐の「間口」を開けさせているのだ。
その所為か、お客様の悩みを聞いても、何を聞いても、あんまり驚かない。
昔から「度胸だけはあるんだなあ」と前夫や前の職場でも言われたし、感心されたが、きっとたくさんの経験を積ませてもらったからだろうね。
それにしても上手く行ってるな、と思う。
経験を積みながら、カルマを返せる場所を選んでるからだ。
ちなみに幼少期の怖さは、山賊などの前世での被害者側の気持ちを味あわせたかったのだろう。
私だけでなく、どんな方でもこうして前世のカルマを返させたり、経験を積ませたり・・・と自分の人生の課題をこなせるようになっているのだ。
ホント!うまく出来てるよね。
だから大抵の人の、前世と人生の目的とが、意味が繋がってくるのだ。
意味のない人生なんて、一つもない。ただみんな、知らないだけだ。
折角生まれてきたのに、ただぼんやりと暮らしてるだけなんて、勿体無いよね!
さてさて。私が幼稚園に入ると家庭の状況はますます悪化する。
その事は、またの機会にしましょう。
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2006
12,13
02:13
記憶
CATEGORY[過去]
最近、変な時間に眠くなって、肝心な夜に全然眠れない。
だから寝ている割には、寝不足っぽい。
不眠症という訳ではないから、いいんだけど・・・。
でも眠れない夜というのは、大抵幽霊が多い。
その所為か、昔の事とか、あの人にあんな事言われたとか、こんな事言われたとか、いろいろ思い出す。
それで別にヘコむ事はないんだけどね。
ただ、生まれてから一番最初の記憶って何だっけ・・・と思い出していた。
眠れなくて暇だったので。
多分一番最初の記憶は、生後10ヶ月頃の事だ。
かなりはっきりと覚えている。
私は助産院で生まれたが、母がそこの助産院で二日違いで生んだ人と親しくなり、久しぶりに近所の弁天島で落ち合おう、という事になったのだと思う。
その時の事は写真にも残っているので、はっきりと覚えている。
とにかく私はその時から気の小さい母の不安をまともに貰ったのか、不安で不安で仕方なかった。
で、弁天島へ行く為、母が自転車の前(補助席みたいな椅子)に私を座らせたが、その自転車が不安定で怖かった事、それからどこか知らない所へ連れて行かれる事が不安でたまらなかった事が蘇る。
だから私は怖くて泣いた。
弁天に着くと、どこかコンクリート(多分防波堤の片隅)に腰掛、お互いの子供を挟んで母親同士が喋っていた。
でも相手の子(女の子、後に小、中まで一緒)を一目見て、私は「怖い」と思ったのだ。
その子は気が強そうで、意地も悪そうに見えたし、隙があれば何かしてやろうという好奇心を感じ取ったのだ。
案の定、母同士がお喋りに夢中になってる時、私はその子に腕かほっぺをきつくツネられたのである。
とにかく痛くて、私は火が点いたように泣いたのだった。
母は「何だね、この子は・・・もう泣いてばっかりで・・・」
と、何故私が泣いているのか気が付かないのだ。
それどころか、私が泣く事で相手の気分を損ねるのでは、と相手の顔色を窺っているのを感じ、私は泣きながら
「この人に私の事を理解して貰えない。私の事を愛していない。」
と不信感とあきらめを感じたのだ。
この出来事を日が経つに連れて忘れていったが、3歳の頃、アルバムを見てはっきりと思い出したのだ。
その時も漠然とした不安と嫌な気持ちを思い出していたのだが、
「やっぱり昔からお母さんは信用出来ない」
と改めて認識したのだった。
母は頼りなく、いつもおどおどしており、判断力も行動力もないのを、子供ながら「不信感」という形で感じ取っていたのだ。
その為日常の大半を「不安」な気持ちで過ごしていた為か、小さい頃の記憶はたくさんあるし、鮮明だ。
人間の脳は「ネガティブ」な事の方が記憶に残るようだ。
あんまり良い思い出がないのは確かだ。
私の前夫は大変霊感が高く、彼は生まれた瞬間の記憶があると言う。
生まれて最初に見たのは、自宅(自宅出産だった)の天井のシミだそうだ。
シミの一つが鬼の顔と重なっており、生まれた自分を見ていた、と言うのだ。
それが「怖くて怖くて仕方なかった」と言っていた。
かずまも生後間もない頃の記憶があるようだ。
時々お客様の中にもこうした古い記憶を持った方がいらっしゃる。
人間て案外記憶力がいいんだな。
それを催眠をやる事によって、更に思い出すことが出来るのだから、催眠は便利だ。
思えば昔からあんまり良い思いをしていないからこそ、今が一番楽しいのだと思える。
もう昔には戻りたくない。
またちょくちょくここで書かせて頂くが、3歳から私の人生はより厳しく寂しくなっていく。
でも「明けない夜は来ない」のだ。
今厳しい道を歩いていらっしゃる方達がいたら、「きっと抜け出せるんだ!」って希望を持って頂きたい。
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2006
12,11
21:51
三者面談
CATEGORY[子供]
嫌な季節がやってきた。
今日は三者面談の日だ。
ああ~・・・気が重いなあ・・・。三者面談てこの前やったばっかじゃなかった?
日が経つのが早すぎるのだ。
5分前に学校に行く。
階段を上がっていると、すぐるに出くわす。
「おお、お母さん。早かったねえ。」
相変わらず調子いいのだ。
二人で廊下に並べられたイスに座って待っている。
「憂鬱だなあ・・・」
「まあまあ、お母さん。何言われても聞き流しとけばいいから!」
「アホか!それだからお前は!」
そんなこんなで揉めてたら、前者の方達が終わったようだ。
担任の河合先生と副担任のI先生がニコニコしながら挨拶をしてくれる。
早速先生から話を切り出された。
「お母さん、聞いてください。すぐるは相変わらず言い訳ばっかりしてますよ!」
「ああ、そうですか。取り合わなくていいですから」
「勿論です!」
すぐるは言い訳男だ。忘れ物をしたり未提出の物があると先生に
「何でだ?!!!」と追求されると
「先生、ちょっと聞いてくださいよお、オレにだって言い分があるんだ・・・」
とか何とか言って誤魔化そうとする。
小学校の時もこれで言い逃れ、免れてきた。
しかし中学校でも通用すると思われたら困る。
なので毎年先生には、年度始めの家庭訪問で必ず
「すぐるは愛想の良さと言い訳で誤魔化そうとしますから、絶対に聞いてはいけませんよ。
よろしくお願いします!!!」
と重々お願いしておく。予めこうして先生に予備知識を与える事で、先生も協力的だ。
河合先生自身、中途失明など数々の苦労とそれを克服するだけの努力をなさってきた立派な方だ。
それ故、勉強だけでなく、人柄や社会性、思いやりという物がどれだけ大切か、よく分かっていらっしゃる。
だから最初私が先生に
「厳しくお願いします。鬼になってください!」
と頼んだ時
「でもすぐるは愛嬌もあるし、素直だし憎めない子だからきっと大丈夫ですよ」
と仰ってくれたが、私がそれだけではすぐるの為にならない事、将来の事を本当に心配している事など、伝えると先生は理解してくださり
「お母さんの気持ちは分かりました。私はすぐる君の為に厳しくしますよ」
と仰ってくれたのだ。ありがたい事である。
面談では進路の事も交え話していたが、すぐるのだらしなさは相変わらずなようだ。
先日のテストの結果も出され、目を覆いたくなるような点数だった。
あまりの悪さに先生と大爆笑していたくらいだ。
「はははは~、バカじゃないの~?」
と笑う私に
「いや・・これは違う・・・その時は~」
とまた言い訳しているよ。それを先生に指摘されているし。
とにかく悪夢の20分間は終わった。
改めて先生に「厳しくお願いします」と頭を下げてきた。
私も合間を縫って勉強を見よう。自分が生んだ子だ、仕方ない。
そんな訳で、こうして今日一番の大仕事を終えたのだった。
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TB[]
2006
12,10
01:04
会話
CATEGORY[過去]
昨夜はなかなか寝付けず、今朝の5時まですぐると喋っていた。
すぐるとも深い話はよくするが、でも最近は忙しくてあんまり話をしていなかったから、良い機会だと思った。
すぐるも霊感は高かったが、あんまり使ってなかった所為か、この頃はよっぽど強烈な悪霊でもない限り、霊を見る事もなくなったようだ。
「学校で霊を見る?」
「最近はあんまり・・・。去年の夏頃までは良く見たけどね。」
「じゃあ、楽になったね」
そんなような会話をしていた。
それから私の昔見た夢の話や、守護霊をしている私の祖父の事、昔の霊体験などいろんな事を話した。
うちの会話って、こっち方面の話になっちゃうなあ。
なかでも一番盛り上がったのは、夢の話だろう。
私は昔から夢から様々な警告を受けてきた。
一番強烈だったのは、すぐるの夢だった。
その頃、離婚したばかりでアパートに引越し、死に物狂いで働いていた時の事、そのとき見た夢だ。
私は滑り台の傍らで、子供達が滑ってくるのを見ていた。
かずまが笑顔で滑ってきた。
その次にあやかが笑い声を上げながら滑ってくる。
「次はすぐるだな・・・」
と思っていると。滑り台からは首の無い胴体が降りて来た。
私は「キャー!!」っと叫び声を上げ、「すぐる、すぐる!」と泣き叫ぶ。
リアルな深い悲しみが感じられたのは、今でも覚えているくらいだ。
その悲しみで目が覚めた時、
「すぐるはすごく寂しがっている!私の気を引こうとして、死んでしまう!」
そう直感したのだ。
当時は夜働き、昼に寝ていたので、ガバッと飛び起きると早めに保育園に迎えに行き、すぐるを連れ帰った。
私はすぐるを抱きしめて「寂しくない?」と聞くと、「大丈夫だよ、寂しくないよ」と言う。
でも目が寂しそうで、心配させまいと本心を言ってないのは明白だ。
「すぐる、お母さんは今忙しくてかまってあげられないけど、でも寂しい時は寂しいって言っていいんだよ。だから我慢しないでね」
そう言うと、みるみる泣き出し
「ホントはすごく寂しい・・・」
と言って泣き出した。それで私は一安心した。こうして吐き出せれたら大丈夫だからだ。
でもそれから、子供達を抱きしめる、というのが忙しかった私の毎日の習慣になったのだ。
「忙しいのは今だけだからね。いつか必ず一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝よう。それまで頑張ろう」
そう言うと、笑顔で「うん」と言ってくれた。
当時は、夕方子供達の為にご飯を用意すると、私は仕事に出かけてしまった。
小さな子供達だけで、風呂に入ったり、寝たりしなければならなかった。
私はお金になるコンパニオンの仕事に行き、その後朝までファミレスで働いていたのだ。
私はその一年後、団地の抽選に当たり、少し仕事を減らし、その頃には水商売もやめて、違う仕事を掛け持つようになった。
それでも毎日一緒に居れた訳ではないが、それが返って私が居る事を当たり前と思わず、感謝さえしてくれる子供にしてくれた。
その頃の夢の話を交えて、思い出話をしていたのだ。すぐるも
「お母さんがいなくて寂しかったけど、でもそういうサインを見逃さないでいてくれてよかったよ。だからお母さんの事が好きで居れたんだなあ」
と言ってくれた。
私はこういう大事な警告をよく夢で知らせて貰えるから、ありがたい。
お陰で子供達のサインを見逃さずに済んだもの。
これも守護霊達が助けてくれたんだと思う。
私は専業主婦をしていた母を見て、子供といつもべったりと居ればいいってもんじゃないな、と感じていた。
母は子供を見る事に飽き飽きしていたし、それ故子供の気持ちを理解しなかった。
視野が狭く、自分の都合でしか子供の事を考えていなかった母からは、子供ながら愛を感じた事は無かったのだ。
私が「ただいま」と言っても顔を見ることなく、面倒臭いというのが匂ってきたからね。
母親が家に居ても、私は省みてもらえず寂しかった。
私はそんな母親にはなるまい、と決めていた。
だからどんなに忙しくても、子供の顔をちゃんと見て、察する事の出来る母親でありたい、そう思ったのだ。
そしていつでも輝いている母親のなろう、と思っていた。
だから今の私の母親としての基本の姿勢は、私の母親を見て決めた事だ。
私が何故あの母親を選んだか・・・小さな頃は分からなかったが、今なら分かる。
だから私は母に感謝しているのだ。
大事な事は何なのか、それを違う形ではあったが教えてもらえたからだ。
今母にしている「買い物に連れて行く」「かまってあげる」のはこういう感謝からでもある。
それを素直に楽しんで出来るようになってよかったな・・・と思ったのである。
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