2024 11,27 18:55 |
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2009 01,03 23:17 |
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正月の思い出を書きます。相変わらず 唐突ですが・・・。^^
正月早々 何の思い出かと言えば・・・まあ、ご想像がつくと思います。 前夫にされた 思い出ですよ。 これに関しては もう 随分前の事なので 今 思いだした所で「辛い」とか「悲しい」とか そういう感傷めいた感情は一切ない。すっかり癒されているので・・・。 ただ 「結婚さえすれば 何とかなるんじゃないか?」的な 淡い期待を抱いている方が多いように思うので、ちょっと釘を刺したかっただけだ。 さて、私が23歳の時の正月です。 そのころ・・・長男4歳 あやか もうすぐ3歳 すぐるが7ヶ月の頃だった。 すぐるは当然 おむつを当てていて まだ乳飲み子の頃だ。 その時の年末年始は最悪で、みな体調が悪かった。 特にあやかは 風邪をひき、熱を出し、それによって「じんましん」が出来ていた。 これは「抗ヒスタミン剤」を飲まないと治らないものだ。 長引かせて、慢性のじんましんになってもいけないし、なにより、かゆくて眠れないのは 可哀想・・・。 仕方ないから、「お医者さんに連れて行こう」となった訳だ。 しかしこの日は 1月2日。 当番医はきっと 混んでいるだろう。 だから 長男とすぐるは置いて行こうと思い 旦那に「見ていて」と、頼んだのだ。 健康な子供を わざわざ連れて行って 風邪をうつす事もあるまい。 そうしたら 馬鹿旦那・・・へらへら笑いながら パチンコに出掛けてしまった! 私は かなりしつこく 頼んだんだけどね。 もう 悔しくて泣けてしまった。 仕方なく 私は一人で三人の子供を連れて 医者に行く事に。 医者に着いたのは 午後4時を回っていた。 旦那と揉めてたら そんな時間になってしまったのさ。 で・・・案の定 混んでいた!!! 可哀想に・・・まだ小さいのに 子供達は飲まず食わずで 数時間 辛抱強く待っていた。 すぐるは母乳を与えればよかったので それは何とかよかったが 替えのおむつも持って来てなかったので そのまま・・・。でも途中で抜けて 折角の順番をフイにしたくない。 きっともうすぐ 順番が回って来る・・・という気持ちで待ち・・・ 結局 私達の番が来たのは 夜の9時半だった・・・。 先生も気の毒に 一日中の診療で 疲れ切っていたんだろう。 ボロボロだった・・・しかも まだ私達の後には まだまだ待っている人たちが・・・。 診療が終わり 会計を済ませ 薬局で薬をもらい そこでも順番待ちし 会計をして・・・帰途に着いたのは 夜の10時半を過ぎていた。 お腹を空かせ 疲れ切った私達を出迎えたのは 旦那の罵声だった。 「テメェ!!!今までどこへ行ってやがった?!」 疲れ切った私には 反論する気力がない。 面倒で「・・・医者」とだけ言ったが 「嘘つけ!そんな訳ないだろ?こんな時間までやってる医者がどこにあるかよ!」 と、怒鳴りつけられた・・・。 空腹と怒鳴り声で 子供達は大泣きしてるし・・・私まで泣きたい気分だったよ。 おまけに また「浮気したんだ!」とか何とか 言われもない事で散々責められていたのだから・・・。 ホント 割に合わないね。 しかし それから更に5年 私は耐えていた。 両親から 粗末に扱われていた私には 変な「耐性」が出来ていたからだ。 それに「あの事よりも マシ」みたいな 「慣れ」もあったんだろうね。 結局 医者が混んでいた という事は信じてくれたが 結局前夫からその事について 謝ってもらった記憶がない。 もしかしたら 謝ってくれたかもしれないが、そこまで人を傷つけておいて「ごめんごめん」と言われても、許せないね。 そして可哀想に 次の日には三人の子供達は 高熱を出して 寝込んでしまった。 熱でだるいのか 夜中に子供がグズグズ言えば 「うるさいなあ~・・・何で こんなにグズグズ言ってるんだ?」 と、面倒も見ないくせに 面倒くさそうに私にアタる。 だから うつるといけないから 面倒見て!って 頼んだのに・・・。 私 なんで こんな男と10年も暮らしてたんだろ・・・? 今 思うと不思議・・・。 でも 自己評価の低かった 当時の自分。 自分には価値なんてない と思っていたし 小さい頃から何でも私の所為にされてたし・・・慣れちゃっていたんだよねえ・・・恐ろしい。 自分を大切にしましょう。 そうしたら 自分を大切にしてくれる人達に 周りが変わりますよ。 周りの人や現実は 自分の鏡ですから。 それに。 結婚さえすれば 何とかなるんじゃないか と、思っている考えの甘い方。 私も 「うまくいかないんじゃないか」と思いながらも 「でも自分が一生懸命やれば 相手も変わるんじゃないか?」 と、いう淡い期待を抱いてました。 でも「結婚」とは「生活」そのものであり、お互いの自覚と努力なしでは 続かないものです。 片方が頑張れば 何とかなる と言うものでは ありません。 私は 苦労自慢をしたい訳ではありません。 私以上に 苦労している方は大勢いますし 苦労してる方が偉い訳でもありません。 でも ある程度「見切り」を付けるのは 大事ですね。 でないと 自分の人生が何の為にあるのか 見失ってしまうからです。 人生は楽しい。 そうあるべきだと思います。 正月早々から 暗い話ですみません・・・。 でも 私の二の舞に なりませんように。 良い年にしましょう! PR |
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2009 01,01 00:38 |
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あけまして おめでとうございます。
今年も よろしく お願い致します。 昨年もいろいろありました・・・。 最後の最後まで・・・ね。 今年も どんな年になるんだか・・・予想もつきません。 皆さまに 多大なご迷惑をお掛けする事もあるかと思いますが、私達の我が儘で 一月末で 霊視を終了させていただきます。 2月より 本来やりたかった催眠療法士として 癒しをメインとした活動をしていきたいと思います。 霊視の代わりに 補足としてタロットを使っての活動になります。 いろいろと不慣れな点もあるかと思いますが、何とぞ ご理解の上、よろしくお願い致します。 それから・・・ごめんなさい・・・。 忙しくて年賀状を省略させていただきました・・・。 画面上でのご挨拶で よろしくお願いします。 今年も 良い年になるといいですね。 皆さまの ご多幸と発展をお祈り致します。 今年もよろしくお願い致します。 |
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2008 12,30 19:38 |
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突然ですが・・・チビちゃんが 他界しました。
本当に突然で、私達も驚いています。 こんな年末の年の瀬に まさか今日 亡くなるとは! 思いもよりませんでした。 一昨日 チビの事を書いたばかりですが、書いておいて 本当によかった と、思います。 その時も すでにチビの魂は とっくに抜けているのは分かっていました。 春まで 持ってくれればいいなあ~と思っていましたが、それでもこんなに早いとは・・・。 チビはコタツの中で亡くなっていました。 大好きなコタツの中で 本当によかった。 眠るように 死んでいました。 3日ほど前から 呼吸がおかしかったのですが、同時に食欲も落ちていました。 昨日は 全く食べていないと思います。 いつものように 大好きな子猫用のフレークを用意して・・・いつもならガッつくように食べるのに・・・。 昨日は見向きもしなかった。 それでも 足取りは弱弱しかったが ちゃんと歩いていたし・・・ シマやジャガーを見てきた経験から まだ一週間や二週間は頑張ってくれるんじゃあないか・・・と、思っていたんだけど。あっという間だったな・・・。 でも そんな予兆もあったのだ。 トイレに行かなくなったから・・・。 先日も違う所でオシッコをした・・・と言う事を書いたが。 昨日は こたつの中でオシッコを漏らしまくっていた。 きっと、行けなかったんだね。 だからかな・・・何となく もう時間がないような気がするなぁ と、感じていたので、昨夜は私もコタツで寝ていたのだ。臭かったんだけど・・・。 左わきに チビちゃんが寝ていた。 私は寝る前に 何度もチビを見た。 確認するようにね。 「チビ いるかな・・・寝てるかな・・・。」 っていう感じでね。 だから 私には後悔はない。 昼前に起きて 掃除をしようと思い 「そうだ。チビは?」 と、こたつ布団をめくったら・・・ そこには 死後硬直し始めた チビがいたのだ。 もう 驚いた・・・。 その状態から きっと死んだのは朝方だろう。 チビは今まで たくさんの子猫を育ててくれた。 実子は一匹もいないが 一生懸命育ててくれた。 面倒見がよく 出ないおっぱいを吸わせてくれて 人間では足らないものを チビ母さんが与えてくれた。 我が家に来て 4年半。 長かったような 短かったような・・・。 本当に 人懐こくて 可愛い子でした。 甘えん坊で 世話焼きで 温かい陽だまりのような子でした。 私達も家族の一員として 愛したつもりです。 今 長男と連絡が取れないでいますが、彼がチビの死を知ったら どんなに悲しむだろう? そう思うと 胸が痛みます。 それでも 私なりに精一杯やったよ って、機会があれば 伝えたいですね。 まだチビの遺体は 私の傍にあります。 チビちゃんは 満足してるのだと思います。 そういう思いが 伝わって来ますから。 そして 私の願い通り、安楽に逝けてよかったと思いました。 チビちゃん お疲れ様。 たくさんの子の子育て ご苦労様でした。 そして チビを見守り 応援してくださった方々 ありがとうございました。 |
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2008 12,28 23:36 |
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あやかが電話で
「チビが死んだ夢を 見たよ・・・。」 と、言った。 ならば、近いのだろう。 私はすでに 覚悟してるけど。 最近のチビの呼吸は おかしい。 浅く 早いのだ。 とても苦しそう。 大丈夫かな・・・。 それでも 今年中は頑張ってくれると思うけどね。 と言っても あと3日しかないが・・・。 チビちゃんも いつまで頑張ってくれるかな? シマみたいに 痙攣しなきゃいいけど。 痙攣は 見ていてとても可哀想だから。 すっかり 痩せてしまったチビちゃん。 あの 太っていた頃の面影は ない。 ジャガーも あんなに太っていたのに 最期は棒キレのように ガリガリに痩せ細ってしまった。 最後まで 安楽に過ごして欲しい。 頑張ってよ!チビちゃん。 |
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2008 12,28 00:02 |
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つい さっき・・・突然ですが 子猫「さとう」が 里子に行きました!
すぐるの携帯に プラモ屋さんから電話が入り「子猫が欲しい」 との事。 それで急きょ さとうを里子に出す事に 決めました。 本当は さとうとしおの セットで 違う里親さんに 里子に出す予定でしたが。 なんか 里親予定の方が忙しいようで、2匹は大変かなあ~・・・と言う思いもあり・・・ でも1匹で お留守番は寂しいでしょ と思って 2匹にしてもらったんだけど。 ん~・・・でも、いっか~・・・と、思い・・・。 そう思っていた矢先の 里親希望の方がひょっこり現れたので、即効決めてしまいました。 私も世話が大変だったって言うのもあるんだけど。 この頭数だと 世話が行き届かないので、また病気にさせるのでは? という不安もあったのだ。 何と言っても チビはエイズだしね。 うつってはいけないもの。 さっき チビはボケちゃったのか・・・トイレではない所で、ボケっと立ったまま おしっこをジョ~って 漏らしてた・・・。 エイズは 最後に神経をやられるんだけど・・・それなのかな? おしっこをする態勢ではなかった。 本当に「あれ?出ちゃった・・・。」って、言う感じ・・・。 おしっこを出してから トイレに行ってたよ。 「チビ~・・・どうしたの?」 そう言って 撫でてあげるしかない。 可哀そうに。もう分からなくなっちゃったのかな・・・。 そんなチビが 不憫でならない。 さて、さとうの話に戻しますが。 新たな里親さんは 同じ町内の近所の方でした。 新婚さんなのか、若いカップルでした。 私は電話が来て、すぐにさとうを籠に入れ、プラモ屋さんに持って行ったのだ。 5分もしないで、里親さんも来たのだ。 特に 彼女の方がネコ好きなのか「かわいい~かわいい~!!!」と、大喜びでした。 ああ~~~・・・よかった!この方達なら きっと可愛がってもらえる。 旦那様はとても優しそうな方だし。 安心した。 30分ほど話して 私は帰って来たのだ。 さとうもきっと新しい名前を付けてもらえるだろう。 可愛がってもらいなさいよ。 さとうに 幸あれ! お陰様で さとうは 無事に里子に行きました! かわいい写真を貼っておきます~。 |
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