こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
56
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2006
08,17
23:19
貧血
CATEGORY[子供]
先日のブログで書いたが、すぐるは貧血だ。
実は今日も貧血によるめまいを起こしたのだ。
今朝は8時に起きて、9時から町内の文化センターでのボランティアに行く予定であった。
私は寝た時間が遅く、朝方になってやっと眠れたので、8時に目覚ましをセットしてぐっすり眠ってしまった。
いざ目覚ましが鳴ると、私は寝ぼけながらもすぐるを起こしたのは覚えてる。
「おい~起きろ~8時だぞ~」みたいな感じで言ったような。
「ああ??うん・・・起きるよ。大丈夫だよ」確かにすぐるはそう返事したような。
「あんた何でもいいから自分で好きなの食べてって」そんなような事を言った。
貧血を起こされたら堪らないからだ。でもその後の記憶はない。私は寝てしまったからね。
しばらくすると「ああ~!!!」と言うすぐるの絶叫が!
私はビックリして飛び起きた。
「何だ!地震か?それともネコがどうかしたのか?」
「9時になってる~!」
「知るか!そんなもん。お前が寝ちゃうから悪い」
すぐるだってもう幼稚園じゃないからね。
私が昨夜遅いというのも承知してるはずだし、本人だって今日に備えて早く寝たはずだ。
私は再び眠ってしまった。
昼前に起きたら、ちょうどすぐるが帰ってきた。
なにやら手土産をもってるし。
「あんた、どうだった?遅刻したでしょ?」と聞くと
「それがさー、慌てて自転車漕いで行ったら、着いた途端に貧血起こしちゃってさー」
と言い始めた。すぐるが行ったボランティアというのは、文化センターで婦人会のおばちゃん達の調理を手伝い、作ったものを一人暮らしの老人宅へそれを配るというものだ。
参加した中学生は数名おり、そこへすぐるは30分も遅刻したのだ。
フラフラになりながらも調理室へたどり着くと、一人のおばちゃんが目ざとく見つけ
「まあ、あんた、ボランティアに来た子?顔が真っ青じゃないの!こっちに来て座ってなさい」
と、言われイスに座らせられた。
大分落ち着きを取り戻したすぐるは手伝おうとして
「何をやったらいいですか」と聞くと
「いいから、いいから。あんたはそこに座ってなさい。」
と座らせられたままでいたらしい。
調理が終わり、いよいよ各お宅まで中学生が自転車で配達するとなった時、
すぐるはやっと役に立てると思ったのも束の間
「いいから、いいから。あんたはそこに座ってなさい。」
と、やはりおばちゃん達に気を使ってもらっていたらしい。
おばちゃん達の年齢は50~60代の方が主だろう。
舞阪のおばちゃん達は非常にお喋りで元気の良い人が多い。
「あんた、貧血だねえ?レバーとほうれん草をたくさん食べなさいよ。」
と、多くの方に言われたらしい。
配った後は、作ったものを皆で分けて持って帰るのだが、この時も
「あんた、具合悪いんだから、たくさん食べなさいよ」
と、人の倍も持たせてもらったらしいのだ。
「それが、あんたの持って来たものだね?」
早速見せてもらうと、お好み焼き、カップケーキ、ドーナツがあった。
それが、うちのお昼ご飯となったのである。
食べながら、すぐるはしみじみ
「オレ、今日は何にもしてないなあ・・・。なのに人より多く貰って来ちゃってさあ・・・。頑張ったあいつらは何だったんだ」
と、同級生に悪いと思っているのか、そう言った。
何の事は無い、ボランティアするつもりで行って、ボランティアされたのである。
「同級生に悪いと思ったら、あんたしっかり貧血を治しなさいよ」
私はそう言い、「増血剤」と「鉄」を与えた。
昼食を食べてから、おやつにバナナを5本食べ、晩御飯は珍しく3膳のご飯を食べた。
何か、いつもより本気のすぐるを感じるぞ!
そのくらい、宿題も本気でやってくれ!!!
頑張れ!すぐる!
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コメント[3]
TB[]
2006
08,16
20:39
義母の命日
CATEGORY[前夫]
実は先週、義母の命日を迎えていた。
今日はこの事について書こうと思う。長いですよ~!
義母は、私達が離婚する前年(97年の春)、子宮ガンである事が発覚した。
ガンが発見された頃には、すでに末期の状態で、手の施しようがなかったらしい。
長男である前夫は、それが受け止められず狼狽していた。
当の本人は
「仕方ないね。今更言ったって・・・」
と静かに受け止めていた。そんな義母に義父は献身的に世話をしていた。
夏になり前夫は同窓会に出席し、看護士をやっているという女性と再会し、深い仲になった。
前夫にしてみれば、わらをも掴む思いだったのだろう。
絶望的だ、と言われた母を看護で何とか出来るのではないか・・・と。
ところが、その女性にそこをつけ込まれたのである。
「あんたの所為で離婚したのだから、責任取ってよ」
となった訳である。
人の良い前夫はそれを真に受け、でも私に慰謝料を払いたくないので「女がいる」という事は伏せて、私に別れを迫って来たのだ。
私は女がいる事に薄々気付いていたが、以前から前夫との生活に疲れ果てており、何もかも嫌気が差していた。
そんな時にまだ幼い9歳のかずまに
「僕達の為に我慢しないで。」
と言われたのをきっかけに離婚を決意したのだ。
皮肉な事に、結婚したのもかずまがきっかけだが、離婚もそうである。
離婚の前にまず別居しようと思っていたが、ちょうど子供達の冬休みと重なった。
家を出る前、ちょうど退院し自宅で療養していた義母に電話を入れた。
随分迷ったがそれでも離婚を決めた、という事を報告した。
「本当はまだあの人の事を好きなんだけど・・・もう頑張れない・・・」
と泣く私に義母は優しく
「あんたは10年間よくやったよ。あんな馬鹿息子のために尽くしてくれた」
と言ってくれた。
「ありがとう、お義母さん。ほんとはこんなお義母さん置いて出て行くのは忍びないんだけど・・・。酷い嫁でごめんね、ごめんね」
そう言って泣く私に、義母は笑いながら
「ははは。あんたが居たからって私のガンが治る訳じゃなし。
心配しなくていい。おとうさんが面倒見てくれるから私はそれだけで幸せだ。
それよりもあんたは自分の子供の心配をしなさい。あんたはまだ若いんだから、いくらでもやり直しが出来る。しっかりと育てるんだよ」
と言ってくれた。
この時の義母の慈愛に満ちた言葉はいつまで経っても忘れられない。
しかし、この電話が今生での最後の別れとなった。
その後2週間の別居の後、年が明けた1月8日に離婚した。
その頃、前夫が付き合っていた女性は義母につきっきりでついていたらしい。
しかし義母は頑として新しい女を拒んでいた。世話をさせなかったのである。
離婚して間も無く、S病院に再び入院した事を聞いた私は子供達を連れて見舞いに出かけた。
ところが。「橋村ですが・・・」と名前を告げると怖い顔をして婦長が出てきて
「そんな人うちには入院してませんよ!!帰ってください!!!」
と、物凄い剣幕で追い返されたのだ。
後で前夫が告白したが、これは女が婦長に何やら吹き込み、
「こういう女が来たら追い返してくれ」と頼んであったらしい。
私が帰った後、婦長が病室を訪れその女に意気揚々と
「今、追い返したから」と報告していたのを、義母が聞き逃さなかった。
「何だってえ?何の権利があってお前はそんな事を!私はあの子に会いたかったのに!!ひどい!」
と涙を流して怒ったらしい。その怒りはそんな女を連れてきた前夫に向けられ
「いいかね!?お前達を死ぬまで許さないからね!お前なんか死ねばいいんだ。お前なんか産むんじゃなかった。お前が代わりに癌になればいいのに!!お前が癌になれ!!!」
と、本当に死ぬまで言い続けたらしい。8月に亡くなるまでずっと!
きっと前夫には何故母がそこまで怒るのか分からないだろう。
私にも「だってさあ、素人のお前や親父が看護するよりプロにやってもらった方がいいだろう?」とシャアシャアと言ったのだ。
義母はオイソレと容易く人に心を許す人ではない。
まして、この女のせいで・・・と思っていただろうに。
義母はとうとう亡くなるまで彼女に指一本触らせなかった。勿論息子にもだ。
そして何かにつけ、息子である前夫をなじり女を罵り
「それに引き換え、ひでみは可哀相に!子供三人連れて苦労しているって言うのに!」
と私を思い、泣いていたと言うのだ。
「オレさあ、もう参っちゃったよ」という前夫には義母の気持ちなど分かるまい。
その年の8月。当時夜中に働き昼に寝ていた私。
朝10時ごろ眠りについたが、11時頃何故か突然悲しいような寂しいような気持ちに襲われ、止め処なく涙が流れてきた。
私は、自分の涙で起きてしまった。
ひょっとして義母が亡くなったのでは・・・と思っていると、間も無く前夫から電話があり、やはり義母が亡くなったとの事。
葬式の会場は何処かと聞くと
「来てもらっては困る」と言われ電話は切れてしまった。わたしは深いショックを受けた。
これについても後で前夫に聞くと、例の女がまだ籍も入れてないのに
「私が次の女房だ」と言わんばかりに葬式で采配を振るっていたらしく、この女の存在を知らない私が葬式に来たら、私を傷つけるのではないかと思った親戚が配慮させたと言うのだ。
私は親戚からも可愛がってもらっていたし、義母が誰よりも私に会いたがっていたのも、どの親戚の人も知っていた。
なので前夫は親戚中からも
「まったくお前が馬鹿なばっかりに。一番来て欲しい人が来れないで、居なくて良い奴が居るんだから。これもみんなお前の所為だ。」
と口々に罵られ、
「お前の葬式にしてやろうか」とか「お前が代わりに死ね」とか、葬式のみならず、初盆や一周忌までこうして皆から罵倒され続けたというのだ。
「オレはずーっと針のムシロだったよ。お前の所為でさあ」と私に言い、更に
「お前どうやってオレの両親や親戚に取り入ったんだ?」とぬかした。
私はただ笑って答えなかった。答えた所で分かるまい。
さて。葬式に呼んでもらえなかった当時の私は意気消沈していた。
訳が分からず、自分が情けなくて、悔し涙を流していた。
その日はとうとう一睡も出来なかった。
当時はアパートにすんでおり、玄関の横に台所があった。
夕方になり、そろそろご飯でも作ろうと台所の方に目をやると・・・。
なんと!義母が玄関に立っているではないか!!!
しかもはっきりと見えている。義母はまるで観音様のように後光が差しており、穏やかな微笑を浮かべている。
赤茶のサマーセーターとこげ茶のパンツをはき、愛用の時計をはめ、お気に入りのイヤリングとネックレスをつけて、オシャレが好きな真に義母らしい格好で現れた。
私には分かった。義母はもう安らかな気持ちで何もかも悟っているのだと。
そして葬式にも呼んで貰えなかった私をこうして慰めに来てくれたのだと。
私には充分だった。私は嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
義母は10分ほどそこに居たと思う。
私は義母に安心してもらいたいと思い、義母が見ている中、涙を流しながらも晩御飯の仕度に取り掛かった。
義母はその様子を見ると安心したのか消えていった。
次の日も義母は微笑を湛え、やはり10分ほど居た。
義母は私を目で追い、私のする事に「うんうん」と相槌を打ち、優しく笑っていた。
こうして私は義母とのお別れをする事が出来たのだ。
私は義母の為に一週間ほど影膳を据えた。
あやかが目覚めた後、義母の気持ちを改めて聞き、どんなに慰められ救われた気持ちになったか。
生前の義母も只の人間。完璧な人ではなかったし、時には大喧嘩になる事もしばしばだった。
しかし、この人に出会えて良かった。実母には決してしない本音の会話をこの人には出来た。
血は繋がらないが、確かに私達は親子だった。
それだけの深い関わりを持てたという事に私は感謝している。
誰かに義母の事を理解して欲しくてここに書いたけれど、ここまで付き合って読んでくださった皆様に感謝です!
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TB[]
2006
08,15
23:47
ミシン・・・その後
CATEGORY[親]
今日はお盆最後の日だし、一番下の妹夫婦も広島から帰っており
真ん中の妹夫婦も来るというので、私も子供を連れて実家に集まった。
行くと早速母がミシンの事を嬉しそうに語っており、しばらくの間はこの人の話題の中心はこれになるだろうなあ、と思う。
私はしばらく我慢してこの話題に付き合う事になるだろう。
しかし、グズグズ愚痴を言われる事を思えば100倍はマシだ。
母はやはり阿呆で
「糸の掛け方が分からん」だの「コンセントのしまい方が分からん」だの言ってる。
そこであやかは教えていたようだが、私は関わりたくないので隣の部屋でテレビを見ていた。
暫くしてあやかがプリプリ言いながらやって来た。
「ホント!あの人アホだ。あんなアホだと思わなかった!!」
と言っている。
「だってさー、あんなに業者の人が5回も6回も説明してくれたのにさー。
しかも全部ワンタッチで出来るモンばっかだよ!何したら間違えるか分からん!」
と怒ってる。どうやらばあさんの馬鹿さ加減に腹がたったのだろう。
しかしそれが私の母である。
私はニヤニヤしながら
「あんた、あの人誰だと思ってんの?私の母親だよ!」
と言うと、あやかはゲラゲラ笑って
「さすがお母さんの母親だね。最強!!」
と言った。
先日買ったミシンは30万円するもので、それはただ高いのではなく、それなりの機能を備えていた。
面倒な、針に糸を通す作業もワンタッチで操作出来る、という優れモノだ。
しかしばあさんは、あれほど説明されたにも関わらず、
「分からんもんで、手でやったよ。ああ大変だった」
とほざいている。やはりこの人には宝の持ち腐れなのだ。
しかも自動カッター機能も付いており、ハサミを使わなくても糸が切れる便利な機能も備えていた。
しかし!
「分からんもんでハサミ持って来て切ったよ」
だってさ。残念!30万ドブに捨てたな。
そしていつもの決め台詞が!
「あたしゃあ、馬鹿だもんで分からんだよ~」
方言丸出し、情緒たっぷりに言う。
あやかは根気良く、落ち着いて何度も説明していた。
かつての私が阿呆な母親にしていたように。
しかし、間違いなくそれで私は育ったのだ。
あの母親の「私は馬鹿だから」という免罪符・・・
本当に母は「自分は馬鹿だ」という事で、「だから努力するのを止めて良いでしょう?」
と言う事を暗に示唆していた。
「馬鹿」を良い事に、何でも人任せにし、決して同じ土俵に乗ろうとしない。
そして「馬鹿」なんだからこうして親切にしてもらって当たり前だ、とも思っている。
だからちょっとでも「そろそろ自分で覚えなさいよ」と言おうものなら
たちまち自分が可哀相になり、被害者意識丸出しで
「そりゃ、あんたはいいよ。あんたは何でも出来てさあ・・」
と言うのである。
しかし誰でも最初から出来る訳ではない。
間違いなく、私は母の面倒を見てきたからこそ、人より少しは器用に出来ると思う。
しかし、母はそういった人の努力を見ないで
「器用だから」「若いから覚えが早い」といった事で片付けてしまう。
そして自分を省みない。
でもこういう言葉は努力をしている人に対して、大変傷つける言葉なのだ。
しかし、母のような愚鈍な人間には、まさかそういった形で私達を傷つけていようとは思ってもいない。
まあ、分かってもらおうとも思ってもいないが。
母の物覚えの悪さは、まさしく依存からなのだ。
やってもらえる、あとで何とかなるんじゃないの、といった「甘え」そのものだ。
しかしこういった「依存」の関係は必ずといって良いほど片方が重くなり、最悪の場合は「破局」という結果を迎える。
私の両親の場合、離婚はしないだろうが、しかしそのツケは若い時、十分払ったのだ。
父のギャンブル好きは、母の依存が重くて家に居られなかったからだ。
そして、婿養子である父が夜な夜な遊び歩いている事が、祖父の酒乱になる原因だった。
本当の悪党というのは、案外そんなモノなのだ。
そして、このような甘ったれた人間を作ったのは、まぎれもなく祖父の溺愛だったのである。
そう思い返すと自分にも覚えが・・・。
すぐるの甘ったれも、小さい時の私の溺愛に近い愛情からだろう。
一昨年、厳しく叱った時
「でもお母さん、どうせ俺の事、嫌いになれないでしょ?」
と、すぐるに言われ、ブチ切れてぶん殴った事がある。
それからは、二度と舐めた口は言わせていないが、でもどこかでそういった甘えがあるのは否めない。
先日のかずまの一件が多少すぐるの気を引き締めてくれたみたいだけど。
今、私がすぐるにしている厳しさというのは、かつての私がした事への尻拭いなのだ。
しかし、母の存在は子供達にも「反面教師」といった使い方で生かされている。
依存の見苦しさを存分に見せてくれた、そんな母に改めて感謝である。
コメント[3]
TB[]
2006
08,14
23:58
DVD三昧
CATEGORY[趣味]
先月町内でたった一軒しかない本屋がつぶれ、先日「ゲオ」になって
リニューアルオープンした。
今日までどのビデオもDVDも一律一本10円でレンタル出来るのだ。
早速11本も借りて来た。
こんなに欲をかいて借りてきて、全部見る暇があるかなあ?
借りて来た内訳は黒澤明監督の
「生き物の記録」「静かなる決闘」「悪い奴ほどよく眠る」「醜聞」
後はみなアニメだ。
大友克洋「スチームボーイ」その大友さんがキャラクターデザインをした「幻魔大戦」
ディズニーの「アナスタシア」、「さようなら銀河鉄道999」、ルパン三世「カリオストロの城」、
クレヨンしんちゃん「ヘンダーランド」
うちって偏っているよなあ・・・。
特に999やルパン幻魔は私が小、中学生の頃映画化されたもので懐かしい。
15年くらい前に「カリオストロ~」がテレビで再放送され録画をしたものを
当時2,3歳だったかずまに見せた覚えがある。
そうしたら面白かったのか、一ヶ月くらい毎日、それも一日に2、3回は見ていた。
なのでかずまはすっかりと台詞の一部始終を覚えてしまった。
それからは何かと台詞を口にするようになり、最初は私も面白がって聞いていた。
しかし、さすがの私もだんだんと飽きてきて、終いには腹が立ってきたのだ。
ついに「カリオストロ~」の録画を消してしまった。
その頃クレしんブームが起き、かずまの興味は早速そっちに移った。
他の子同様「オラ」と言い「ぞうさん」をやっていた。
すぐるも大きくなると、やっぱり真似て同じ事をするようになった。
子供は「ウンコ」「チンチン」ネタが大好きだ。
クレしんは子供の心理を巧みに突いてるなあと思う。
下ネタはともかく、私もクレしんの映画は大好きだ。
「家族愛」だったり「勇気」だったり、テーマが良いので好感が持てる。
特に好きな映画は「ぶりぶりざえもん~」だ。
これは何回見ても感動するなあ。あと「戦国~」「大人帝国~」だな。
良い作品が多いね。だから長年放映されてるんだなあと思う。
幻魔も20年振りくらいで見たが、当時とは違う見方が出来て面白い。
ストーリー自体は単純だが、当時は分からなかった真理が盛り込まれており、面白い。
三輪明宏が声優として参加していて、かなり声が若い!
そして主人公の声は勿論私の大好きな「古谷徹」さんだ。
そしてそして私の大好きな声優「塩沢兼人」さんが友人役で出演している。
この塩沢さんはクレしんの「ぶりぶりざえもん」の声も充てておられたが何年か前に他界された。
惜しい方を亡くしたのだ。
塩沢さんはガンダムの「マ・クベ」、超人あーるくんの「あーるくん」、などなど大活躍されていたのだ。
いろんな事を思い出しながら見ていた。
しかし古いアニメや映画を見ると
「ああ、この人もう亡くなってるんだ」というふうになる。
いつかは皆死ぬんだものね。
私だっていつかは死ぬのだ。
その時たくさんの人の記憶の片隅に私の事を覚えてもらえるよう、
精一杯、今を生きるだけである。
ちなみに「精一杯、今を生きる」と「今、生きるのに精一杯」では大違いだ。
生きるのに精一杯っていう人生ではゆとりが無さすぎてイヤだなあ。
ひっくり返しただけなのに、日本語って本当に面白いなあって思った。
コメント[3]
TB[]
2006
08,12
22:36
貧血
CATEGORY[子供]
最近すぐるは頻繁にめまいがするらしく、そういえば一学期にやった血液検査で
「貧血」と診断されていた事を思い出した。
普通貧血と言えば、女性がなるものと思われがちだ。
しかし、うちは父が若い頃から慢性的に貧血で、父方の従兄弟(男)も貧血だ。
どうやらすぐるはじいさんの血を引いたな。
それにすぐるは割と食が細く、そのくせ間食が大好き。
気が付けばアイスやらジュースを買ってきては勝手に食べてるし。
で、冬は決まって体調不良から、鼻血をバーバー垂れ流している。
保育園から一緒に遊んでいるT君達は、すぐるの鼻血を見慣れている。
しかし中学校などの、すぐるの鼻血を初めて見た先生は、
すぐるが死んでしまうのではないかと思うくらい、
滝のように止め処なく溢れる様に血が出て来るのを見て
「キャーキャー」言ってるだけで、使い物にならないので、
先生の代わりに同級生達が皆、後始末をしてくれるのだ。
すぐるの鼻血を出した後はさながら、「舞阪中学殺人事件」の現場のようだ。
中学校の教室の後ろの棚の上には、必ず「すぐる専用」と書かれた箱ティッシュが置かれている。
最初、先生は何で置いてあったのか分からなかったらしいが、寒くなり、すぐるの鼻血のシーズンが到来して、そのティッシュの意味を理解したのである。
そして、自分(先生)がうろたえている間に、何人かの生徒がいつもの習慣といったように、
慣れた手付きで鼻血を片付けているのを見、
「おおっ!そういえばお前ら同級生なんだなあ!小学校の時もそうだったんだあ。」
と、間抜けな事を言っており、生徒から
「はあ?何言ってんの。当たり前じゃん。」
と先生はバカにされたのだ。先生、かわいそう~。
冬の間、三日に一度の割合で鼻血を出しているすぐるにとって、春と夏は栄養補給のシーズンだ。
なのに「もう夏バテ」だの「食欲がない」だのと言ってアイスばかり食べていたら、
最近めまいの頻度が増したので、さすがに
「ご飯を食べないと」と言って、せっせと食べだしたのだ。
遅すぎるってーの!
この事についても、かねてから私とあやかは口を酸っぱくして言ってきたが、
やはりアホなヤツはこうしてフラフラにならないと、言う事を聞かないのである。
で、すぐるの為に「鉄分」を買ってきた。
後はしっかりとご飯を食べるだけだ。
私は割りと野菜中心の献立だ。
ますますしっかりと食べてもらおうじゃないの。
よく、すぐるを耳鼻科へ連れていったら、と親切に言ってくれる人がいるが、
私は何度もすでに連れて行った。
その度、鼻の穴の中の傷を焼いてもらった。
実は焼いた後の一週間は非常に出血しやすく、一度鼻血を出すと
それがカサブタにならないと再度焼く事が出来ない。
すぐるはクシャミをして、折角焼いた所をまた出血し、再度診せに行くと
「あんた、鼻血で死んだヤツはいないよ」と言われ、結局二度と行く事はなかった。
お医者さんも面倒になったんだな。
しかし、すぐるは鼻血で得もしてるのだ。
みんなの気を引き、友情を確認出来る。
私に心配もしてもらえ、なおかつ
「オレはこんなにフラフラなんだ!」と病人面をアピール出来るのだ。
要はすぐるの被害者意識が引き起こしているのである。
大体、本当に深刻な病状だったら、もっと真剣に取り組むよなあ?
それをやらないのは、まだまだ甘ったれているからだ。
私はこうしてすぐるに対しても、厳しい追及をするが、
「オレはそんなつもりじゃない」だの
「ちゃんとやってるつもり」だの言い訳ばかりである。
しかし、それは全て行動に出る。
しばらくアイスと食前の間食は禁止した。
血を濃く増やす事が目標だ。
それに引き換え血の気が多く、献血に行っちゃうくらい私は血が余っているというのに!
おんなじモン食べてて何でこんなに違うかなあ・・・。
むしろダイエットしないとね!誰か私の脂身要らんかなあ???
コメント[6]
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