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2006 05,23 23:55 |
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今日も恒例の親孝行の日である。
といっても向こうも仕事なので夕方からである。 「今仕事が終わった」という電話が来たので、迎えに行く事にする。 私の実家は国道一号線を挟んで数百メートル先の所だ。 歩いていく事も出来る距離だが、決まって母は「遠くて行けない」と言う。 毎日小一時間ウォーキングしているにもかかわらずだ。 私が結婚している時も駅の前のマンションに住んでいたが、やっぱり「遠くて行けない」と言った。 一人で電車やバスに乗るのが怖いのだ。 「だってみんながジロジロ見る」だの「切符の買い方が分からん」だの、若い時からそういう人だった。 思えば私は3~4歳の頃から、この頼りない母を冷静に見ていた。 こんな田舎の数件しかない店なのに、店を間違えたり、入り口を間違えたりと、とにかく色々やらかしてくれた。 私は恥の掻き通しだったのだ。 母はたまにパートに行くと先々で必ずと言って良いほどいじめられた。 未だに親戚には母は馬鹿にされている。 まあ・・気持ちは分かるけどね。何か頼めば「分からん」だの「出来ん」だのだし、注意すれば「どうせ・・」と言ってイジイジしてるし。 あれじゃあ、あの根性の悪い親戚のババア・・オバサマ方でなくても頭の一つも張り倒したくなる。 私は「うちの親ってダメなんだなあ・・」と気付いたのが九歳の時だった。 ちなみに父も同じようなダメ人間だ。 なぜ母が火曜か水曜にうちに来るのかと言えば、父がその日にマージャンに行っていて夜中まで帰って来ないので、うちに羽を伸ばしに来るのだ。 父も65歳だが、大分丸くなった。 今でも競艇とマージャン三昧だが昔の様に人に八つ当たりをすることはなくなった。 昔、父の八つ当たりのはけ口は決まって私だった。 「なんだあ、その面は・・」に始まって、可愛げが無いとか、お前なんか出て行けとか毎日のように言われ続けた。 でも一番辛かったのは誰も私をかばってくれなかった事だ。 母は決して矢面に立たない。私はその卑怯さを憎んだ。 でも今なら分かる、何故この親を選んだのか。 この親の子だったからこそ「ああなりたくない」一心でここまでこれた。 誰も頼れなかったからこそ強く自立を望み、独立した生活を送ることが出来たのだと思う。 何より感謝が出来ることが嬉しい。 あの時の孤独があるからこそ、今どんな方に会っても嬉しいと思えるのだ。 私もやっと、この人達がいるから今の私にして貰えたんだなあと感謝が出来るようになった。 ある意味、私の親は良い親なのだ。 今、母も良い職場(シラス加工やってます)に恵まれ、父にも少しは意見も言えるようになった。 母にとって、娘に孝行してもらってる事や、大きな孫が何人かいる事がかなり自慢らしい。 今日も「私は幸せだ。子供や孫はお金で買えない」と言っていた。 母からこういう言葉が出るようになるなんて! 変化とは何て素晴らしいんだろうか、と思う。 時には辛抱や忍耐を強いられる事もあるが、でも必ず報われる、無駄ではないのだ。 こうして私は、自分自身、親、子供達の成長が嬉しくてたまらない。 PR |
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