2024 11,24 00:15 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2007 02,10 21:53 |
|
今日の夕方、あやかと一緒に実家に寄った。
用事は大したことではないのだが、顔を見るなり母が 「ミシンの使い方がどうしても分からんから教えて」 と言うではないか。「はあ?」って言う感じ。 一昨日、あやかが教えたばかりじゃないか!?声に出して言わないけど。 あやかを見ると「もう、うんざり!」という顔をしている。 私の見ている前で、母はミシンを出してきた。 「だから!そうじゃないってば!」 「そこじゃなくて、こっちから糸を出すの!」 あやかはイライラしながら言っている。 「ばあば、ここに『上糸の掛け方が間違っています』って表示されてるでしょ」 あやかはかなりイライラしているようだ。 まあ、半年間こんな事を繰返していれば、イライラもするか。 私が「ばあばにまずやらせて、どこが悪いか言ってあげて」と提案。 まあ、それも何回もやってるんだけどね。 しかもミシンにも直接、説明が書いてあるのに、それをロクに見もせず「分からん」と言ってるのだ。 「もう、やんなっちゃうよ~」 あやかが小声でこぼす。 わたしは面白いのでずーっとニヤニヤしている。 ミシンの糸の掛け方なんて、足踏みミシンの頃からそんなに変わりはないと思うのに、何が分からんのだろう? しかも!この人、まだ64歳だ!そんなにヨボヨボのお婆ちゃんじゃないと思うのに。 こんなんで70超えたら、この先どうなっちゃうんだ? 「あやかが愛知県に行っちゃったらどうしよう」 とか言って、年端の行かない孫にまで頼り切ってるし。しかも! 「ねえ、あやか。あんた向こうに行ったら何の仕事をするか知らんけど、儲けたらばあばに何か買ってよ」 と、ねだりまくってるし。何だかやだなあ~。自分の母親ながら、聞いてて情けなるのだ。 まだ私達がこの仕事をする前。私達親子はこの実家で両親と同居していたのだ。 あやかは小6。たまには婆さんと一緒に風呂でも入ってやるか、と思い、二人で入った時の事。 どうやら将来の話になったらしい。で、あやかが 「頑張って高校に行かないとね」 と話していたら。(当時は行かないといけないと思い込んでいたからね) 「ええ~?困るやあ。(方言)あんたは高校なんか行かなくてもいいから、私の面倒をみてやあ。あんたは私の面倒だけみてればいいよ」 と言い放ったのだ。まあ、この人の言いそうな事だけど。 しかも冗談ではなく、至って真面目に。 だから風呂を出たあやかは、血相を変えて私の所に飛んで来ると 「お母さん!あやかは高校行っちゃダメなの?高校行かんくても仕事あるの?」 と半泣きで聞いてきたのだ。 私は内心「またあのババアに何か余計な事を言われたな」と思ったので 「大丈夫だよ。高校へ行けばいいし、高校だっていろいろあるんだから」 と言って安心させたのだ。 「よかったあ~」と、あやかはホッとしたようだ。 一人の老人の為に、人一人の人生を犠牲にするなんて、有り得ない! 依存の塊の母は、そんな酷い事でも平気で言う。 確かに高校なんて行かなくてもいいと思うし、実際あやかは中学もほとんど行かなかった。 でも本人が「行かない」と決めたのと、「行かせない」のは訳が違う。 ましてそれが本人の為ではなく、大人の都合の為だけだったら、そんな酷い話はないのである。 私の母は、昔からこうだ。 それ故、私も随分深く傷ついてきた。 考えが浅く、風見鶏で、自分が傷つきたくない一心で子供や小さな孫でさえ、突き出すような卑怯者だ。 この阿呆な母親に育てられたからこそ、世の中の事や人生について、愛について、さまざまな事を深く考えるようになったのだと思う。 そして母のようになりたくないと反面教師に出来たのだ。 この歪んだ人にもっと可愛がられていたら、逆に私も母のようになっていただろう。 だから可愛がられなくてよかったのだ。 手も繋いでもらった事はないが、それが返ってよかった、と思う。 だからまた、冷静に母という人を眺めていられたのだろうね。 母は私達に優しくされて喜んでいるが、でも誰も母の事を心から愛していない。 人に与えた分だけ、本人に返って来るのである。 これを「因果応報」と言うのだね。 私はこんな風に生きるのはイヤだなあ~。 やっぱり自分の責任で、自分らしく生きて行きたいね! PR |
|
コメント |
コメント投稿 |
|
trackback |
トラックバックURL |
忍者ブログ [PR] |