2024 11,27 11:30 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2009 01,26 00:43 |
|
この土日に 北海道に行ってきました~!!! いきなりの話ですみません・・・。 実は 年末に、私宛に一通の招待状が届いたのだ。 差出人は 北海道のラーメン屋さん「みのり」の店主さんからだ。 この方については 昨年の11月に書きました。 ヘンテコな肩書がいっぱいついてる 面白い方だ。 「らーめんみのり 15周年記念祝賀会」 の招待状である。 受け取ってビックリ! だって、私 この方とお会いしたのは たった一回・・・。 なのに こうして私の事を覚えてくれていたなんて・・・!!! 私はすっかり感激してしまった! で、すぐに「出席」と、返事を送ったのである。 それで土曜日に行ってきました。 実は私、北海道に飛行機で行きましたが・・・飛行機に乗ったの、初めてでした! しょっちゅう乗っていらっしゃる方には、「へえ~今時そんな人もいるんだぁ・・・。」と、思うでしょうが。 早くに結婚し、新婚旅行もなく、生活に追われ、今に至る私には今までそんな余裕もなく・・・。 そんな事もあって 飛行機に乗れた事が嬉しくて 私は行きの飛行機の中で ず~っと泣いていたのである。 「この私も やっと飛行機に乗れるようになったんだ・・・。」 そう思うと、泣けて泣けて・・・書いてる今でも 思い出すだけで泣ける。 みのりさんのおめでたい日に 初めて飛行機に乗るチャンスをいただき、そしてみのりさんにたどり着くまでに何人の方々を介した事か・・・。 長かったな。 会場に着き、賑やかにパーティーが開かれ、最後の店主のご挨拶で、私は特別に舞台に上げていただき、ご挨拶をさせていただいた。 感激して、また泣いてしまった。 みのりさんは 「この人を 世に出す事が私の使命だ」 と、仰ってくれた。その言葉にまた 胸が詰まる。 私はこうして今まで何人の方々に支えてもらった事か。応援してもらった事だろう? 感謝しても しきれない。頑張って来てよかったな。今まで辛くて 死にたくなるような事の方が多かった。 でも 見捨てずにちゃんと見てくださる方もいるのだ! ありがたいじゃないか!本当に頑張って来てよかった。 みのりさん 15周年おめでとうございます。 奥様の支えがあったからこそ、お二人で頑張って来られたのだと思います。 羨ましいです。 これからも20年30年と美味しいラーメンを作り続けて、みなさんを幸せにしてくださいね。 美味しいラーメン、ご馳走様でした! 初めての北海道は、温かい人達と熱気で熱かったです! みのりさんです! PR |
|
2009 01,23 17:21 |
|
さて~ 改めて16歳に戻りますが。
当時の諸外国の事情を調べて、いろいろわかった事がありました。 ヨーロッパの中でもフランスでは、離婚率が低いのですが、これはそもそも結婚率が低いからなんです。 フランスでは、同棲のまま子供を生み、育て、同棲のまま死ぬ。 だから離婚そのものがない! これは とても衝撃的でした。 なんて素晴らしい! 二人の間にあるのは、ただの「愛」のみ。 素晴らしいでしょう? そして、愛が冷めれば どちらかが子供を引き取り、同棲を解消する。 ちなみに、外国では高校入学も大学も 日本のように一斉に横並びに入学するだけではない。 何歳になっても編入したり、復学したり・・・留年だって恥じゃない。 日本人が「みんなと同じじゃないと、おかしい!」と、おかしな事を考えているから、おかしくなるんだ! そう思いませんか? 日本人の「こうせねば」「こういうもんだ」「こうあるべき」と、いう 思い込み が、自分達の首を絞めているにすぎないのだという事が、分かりました。 結婚、名前、お墓、学校・・・なんだ、日本だけじゃん! そう思った時、大分 楽になりましたね。 ま、そんな事も分かり、当時の私なりに描いた結婚感が・・・ 旦那さんと一緒に台所に立てたらいいなぁ。 お互い自立して、対等でいたいなぁ。 旦那さんと協力しあって、やれたらいいなぁ。 ・・・こんな感じでした。 そしたら 皮肉な事に二年後にあの前夫と結婚して、あの悲惨な結婚生活だもんね。 でも今なら、分かります。今の私なら、今の彼氏と16の時に描いたあの生活が 出来ると思いますね。 と、いう訳で 続きはまた今度にします。 彼と私の結婚感について、書きたいと思います。 お暇な方は読んでね~。(笑 |
|
2009 01,22 20:41 |
|
今日は昨日の続きです。
なぜ 日本人は名字にこだわるのか? ってヤツですよ。 だいたい考えてみてください。 ホンの100年前までは、名字がある人の方が少なかったはずですよね? 江戸幕府が廃止され、明治になり、みんなが名字を持てるようになったのですから。 それまで日本にはちゃんとした戸籍だってなかったと思うし、お墓だっていい加減なものだったに違いない。 そうです。 全ての始まりは明治時代からです。 家長制度を敷き、名字を与え、家長を一家の大黒柱とし、男により強い権限を与え、女は家にいて、従え と、いう男にとって、とても都合の良い制度を作りました。 それは当時の富国政策にとって欠かせないものでした。 そして当時の明治憲法を作るに当たって、フランスの憲法を参考にしたので、女性の地位は途端に低くなりました。 ヨーロッパの中でも、フランスは女性の人権が一番低い国でした。 かつてのフランス革命でも、女性の人権向上も叫ばれましたが、それは男性議員によって ねじ伏せられてしまったのです。 当時のフランスでは、スポーツ観戦などでは、一般市民女性は黒人奴隷と同じ席だったのですから。 そんな国の憲法を参考にされちゃったんで、日本の女はたまらんですよ。たはは。 それをまた、日本帝国のお偉いさんは これまた都合良く 日本帝国の憲法に作り替えちゃった。 そして天皇を神として崇め、戦場のコマにするべく洗脳する。 お国の為に死ねるのは名誉な事だと。 そして その立派な男子を生んで育て上げる事こそ 女の鏡 だと、植え付けたのです。 その名残が今に至り、それが転じて「男は外で働き、女は家を守る」に、なり、それが 「どうせ女は結婚しちゃえば働かなくてもいいんだしぃ~。」 と、いう依存しまくる ぶら下がり女「オランウータン女」(私が勝手につけました!)の発祥の源になりました! あるいは 「女は家にいればいい」 と、一見優しそうに見えて、実は奥さんを自立させないようにして、女を支配したがる男 と、いうのも作りました。 そもそも。 明治以前の日本は、ある意味どの国よりも男女平等に近いものがありました。 江戸時代に専業主婦なんていなかったと思いますよ。よっぽど裕福な家じゃなければ、無理でした。 農民だって商人だって、男も女も働いていたはず。 それに家事だって、役割分担がちゃんとあり、男は威張っていれた代わりに 薪割りや水汲みなどの重労働は担っていたのです。 やらない男は近所中みなに言われますから、そりゃ やらざるを得なかったでしょうよ。(笑) 世界中でも、古くから日本では女性がお財布を握っていましたし(ここだけは結構しっかり受け継がれていますよね。笑)、女性天皇がいたりして、かつては世界の中でも 日本女性の地位は高い方だったのです。 江戸時代では、寺子屋などで身分問わず男女一緒に勉強していましたし。 当時から日本の識字率は諸外国に比べて、飛び抜けて高いですね。 特に女性が勉強してるのは、ヨーロッパでは貴族などの一部の特権階級でも少ない事です。 男性でも少なかったのですから。 なのに! 識字率が高く、権限も高かった日本女性は明治を境に 少し立場が弱くなった気がします。 そして、その名残に乗っかり あわよくば目先の楽を取ろう と、する女が増え、男は男で 「女を養うのが、男の甲斐性」 と、親に吹き込まれて育ち 依存心の塊の女にど~んと乗しかかられ 潰れそうになって 我が家に来るサラリーマンのなんと多い事か! もう 明治は終わりましたよ! 一家の主としての権限の象徴とも言える、名字ですが。 たかだか100年前の名字にも そんなに拘らなくてもいいんじゃない? 墓だって! あたしゃ 死んでもそんなに狭い所に 入りたくないよ! 私の遺体は火葬したら、海に撒いて、と 娘や彼氏に頼んでいます。 さて。まだ続きを書きたいのですが、またにします。 それでは! |
|
2009 01,21 19:15 |
|
唐突ですが。 今日は過去話にしましょう。 前回16歳の続きです。
16歳・・・高校一年生の頃、将来の事にいろいろと 不安やら疑問やらがあったのだ。 私は三姉妹の長女と言う事もあって、母から小さい時から 「あんたは長女だから 婿養子を取らんと!」とか 「あんたはうちのお墓に入るんだからね。あんたがお墓を見ないと・・・。」とか 「あんたに私の老後を見て貰わんと!」などと・・・ そりゃあ、当然のように言われて 育って来た。 今、ここにこれを書いているだけで 当時を思い出し 心の中は暗雲が立ち込め、憂鬱になる。 そりゃあそうだ。自分の人生を、親に決められてるようなもんだからだ。 「高校卒業」→「事務員として就職」→「婿養子を取って結婚」→「専業主婦になって親の世話をする」 この、余った残りカスの時間で 自分の「したい事」が許されるのならば、死んだ方がマシだね。 誰がするもんか!そんな人に決められた人生なんて! そもそも当時の私は 短髪でメガネを掛け 野暮ったく 男に間違われるような人間だ。 そんなに好都合な「婿養子」に来てくれるような 奇特な男性がいるのだろうか? 大体「お墓」って、何よ? そんな物の為に私の人生 捧げろって?! 結婚して それで幸せになれるのかよ? 大体 結婚しているあんたら(両親の事です)見てたら 絶対結婚なんか、したくない!って思ってるのに! 結婚した旦那の愚痴ばかり聞かされて、それで「結婚して婿養子」だと? 馬鹿じゃねえ? これが 当時の私の本音さ。 それで、ふと・・・「調べよう」と思ったのだ。 結婚について。日本と諸外国の事情の違い。絶対結婚しなければいけないのか? 私は高校の図書館やら、町の図書館やら 行き、調べたのである。 そうしたら・・・。 まず、結婚したら日本では、会社から色々な手当が支給される事が分かった。 「家族手当」「住宅手当」などが そうだ。 それから確定申告をすれば分かるが、「扶養控除」と言うのがある。 それに奥さんがパートに行くと、確か・・・130万を超えると(違っていたらごめんなさい)税金が上がる。 つまり 専業主婦の方が優遇されるのだ。 働くなら、とことん働かないと、保育料、税金、控除から外れるなど、デメリットの方が多いのだ。 つまり、「女は働かない方が得」と言う事が分かった。 正直、ショックだった。 私は 自立してバリバリ働いて、男と対等に働きたいと思っていた。 でも 日本の社会は女が働くにはまだ厳しすぎる・・・。 そう感じた。 当時の感想ですけどね。 ちなみに諸外国では・・・日本と同じく結婚するが、日本ほど優遇する国は少ない。 私が調べたのは あくまでも23年前の資料だが、その頃のアメリカでさえも、「結婚」したからって 名字を変えないといけない訳じゃなし、手当が支給される訳でもなく・・・。 中国も 夫婦共に働き、夫婦別姓で家事は平等・・・むしろ料理など男性がやるのだそうだ。 これは驚いた! 「夫婦別姓」!!! そうなのか! もちろん日本のように結婚して、相手の姓に合わせる という国もあるが、夫婦別姓の方が断然多いのだ。何故、日本はここまで「名字」にこだわるのか? それを調べたら・・・結局 明治時代の「富国強兵」に元ずいた「家長制度」に端を発していたのだ、と言う事が分かったのである。 「女は家に居て、子供を生めよ、増やせよ!」 そして産んだ男の子は、やがて軍人になり お国の為に死ぬ。 冗談じゃない!そんな古い「お家制度」の為に 何で私が結婚したり子ども産まなきゃいけないのさ! 自分が結婚したくて 子ども産むんならいいけどね。 さて、この「家長制度」やら「名字」など、日本帝国の過去の負の遺産がいっぱいあります。 その事について 続きがまだまだありますので、明日にしたいと思います。 お暇な方は読んでネ~! |
|
2009 01,19 20:52 |
|
夕方 コインランドリーに行ったのさ。
コタツ布団を洗おうと思って・・・。 そしたら思わぬ人と 再会した。 すぐるが保育園に行ってた時、お世話になった先生だ。 直接の担任ではなかったけど、可愛がってくれた先生だ。 この方は同じ町内に住んでいる。 先生の4人目のお子さんが、うちの長男と同級生だったのだ。 久しぶりの再会だから 話しが弾む。 そうしたら 先生から意外な事を聞いた! 「あら~かずま君・・・すっかり今時の子じゃないの!」 「え?・・・・。いつ見たの?」 「なに言ってんの! 成人式に来たじゃないの! 私、かずま君の顔は知ってたんだけどさ。名前が思い出せなくて・・・そしたら、うちの娘が『はしむら君だよ』って教えてくれてさ。」 「えええ~~~???!!!」 知らんかったよ。 あはは~。 「そうなんだ。知らんかった。私、もう一年半くらい 会ってないんだ。」 「ええ~~~???!!!」 先生もびっくりしてたよ。あはははは~~~! そりゃあ。驚くだろうなあ・・・。 私も ビックリしたけどさ~。 えへへ・・・。 私も のんきな親だよ。 おほほ。 そうかそうか。やっぱ かずまは生きていたか。 生きているなら それで いいや。 なんかあれば 警察から電話があるだろうし。 かずまの心配をしてるのなんか 前夫くらいなもんだよ。 うちの親だって 「大丈夫じゃな~い?あんたの子だもん。心配ないでしょ?」 って、言ってるくらい・・・。あはは~。 かずまの心配は かずまがすれば いいや。 私は 私のこれからの事で 精一杯だよ。 人の事なんて 心配する余裕はないね。 そんな感じで ちゃっかりうちの長男は 成人式に来ていたようでしたー。 とりあえず 生きてまーす! |
|
忍者ブログ [PR] |