2024 09,20 10:24 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2006 05,30 00:15 |
|
今日は半田市での仕事だ。
もう何回か通わせて頂き、走り慣れた東名高速を行きながら、あやかと喋っていた。 「そういえば、今日結婚記念日だよ」「うそ~、マジで~?」あやかは大爆笑だ。 あやかでなくとも当の本人もかなり笑えるのだ。 今日、5月29日は私と前夫との結婚記念日である。 18年前の今日、18歳の私は結婚したのだ。 わたしはすでに妊娠六ヶ月に入っていた。 この結婚は子供が出来たから決めた「出来ちゃった結婚」である。 私は小学生の時に読んだ本に感銘を受け、「子供は親を選んでくる」という事を知っていた。 なので出来ちゃったこの子供を堕ろすという事は頭になく、 「せっかく来てくれたんだから」と産む事を決意した。 とは言え、まだ18、物凄く不安で怖かった。 小さな頃から早く家を出たかった私は、良い子を装い、家事を積極的に手伝い、家を出る日を夢見ていた。 しかし、結婚という形をとって、こんなに早く胸を張って出て行ける日がこようとは本人も思わなかった。 私が良い子を演じ続けていたので、結婚はあっさりと親に認めてもらえた。 当時前夫は26歳。しかしこの男「わーい、結婚結婚」と浮かれており、それを横目で見ていた私は 「この人、大丈夫なんだろうか」と憂鬱になった。 たしかに結婚後は大丈夫じゃなかったけどね。 それにしても結婚式のまえは大変だった。 いざ着ようと思ってたドレスはせり出したお腹の為に入らなくなり、急遽変更を余儀なくされた。 結婚式の最終の打ち合わせに父も参加するはずだったのに、うちのバカ親父はマージャンに行ってしまい、私たちはすっぽかされ、情けない思いをさせられた。 結局それがもとで父親と大喧嘩になり、私は裸足で飛び出し、3時間外をうろつくハメになった。 とにかくロクでもない思い出ばかりだ。 それでも無邪気に子供が出来た事を喜んでくれる彼がいるのは幸せなんだと自分に言い聞かせた。 結婚生活は本当に寂しかった。 周りは誰も知らないし、同級生はみな大学へ進学し、東京や神奈川へ行ってしまった。 夫は朝6時には家を出、夜9時を回らないと帰ってこない。 生活はきつく、時間は持て余しているのに、遊ぶお金はなし、車もない、妊婦だから一人で遠くにも行けない。私が一番きつかった時だ。 私は自分の選んだ道を後悔したくなかった。 ある程度みな覚悟をしていた。でも孤独で本当にどうにかなりそうだった。 この不安と寂しさから、いつも「子供が無事に生まれてきますように」と祈る習慣が身に付いた。 最初は五体満足を願ったが、そのうちどんな子でもいいと思えてきた。 もし障害を抱えてくる子なら、それは私の試練なんだろうと思った。 私は三人の子を身籠る度、毎日毎日習慣のように祈った。 のちにあやかが目覚めてからそれを言った所 「知ってるよ、だって聞こえてきたよ。だからお母さんを選んだ」と言ってくれた。 物凄く嬉しかったなあ。 本当はすぐるは下半身麻痺の障害を用意していたようだ。 しかしいち早く私が祈った事で、無条件の愛を学んだと判断し、今のすぐるになったらしい。 だからすぐるは時々「お母さん、祈ってくれてありがとう、あの時祈ってくれなければ今頃オレは車椅子の上だったよ」と、思い出すように言ってくれる。 継続は力なり。あの時の祈りに確証なんてなかったけど、本当によかった! そしてあの時の強い孤独は、今本当に役に立っている。 だって、今は何があっても楽しいと思えるから。 一緒に分かち合える子供達や、お客様がいるから、一人じゃないって思える。 そして一番大きな苦労をくれた前夫に、私は図太くたくましくしてもらえた。 この人との結婚生活が何より役に立っている。 #$のりさん、私の踏み台になってくれて心から感謝してます!ありがとう! PR |
|
コメント |
コメント投稿 |
|
trackback |
トラックバックURL |
忍者ブログ [PR] |