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2009 04,09 20:56 |
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先日の続きです。その前に。
昨日、名古屋から帰ってきたら、彼はオムライスを作ってくれていました! 美味しかったです。 勿論、普通のオムライスですよ。 彼には 私なりのオムライスの作り方を教えましたから。 教えた事はきちんとやってくれます。 さて。おばあちゃんがくれるお金 についてです。 私が 彼のアパートに転がり込む前。 彼が一人暮らしを始めて、少しずつ自信を付け始めた頃の事です。 おばあちゃんから、彼の携帯に電話が来たのです。 「ちゃんとやってるの?大変じゃない?」 と、いう おばあちゃんなりの心配の電話でした。 「心配してくれる」気持ちは嬉しいのですが。 「ちゃんとやってるよ。大丈夫だよ。それなりに節約してるし、楽しんでるよ。」 と、言うと。 「そんな!節約なんて!可哀想に!おばあちゃんがお金あげるから、お金使えばいいわよ。」 と、言う。 「いいよ!いらない!俺は自分でやりたいんだ。ちゃんとやってるんだから 大丈夫だって!!!」 「いいから。お母さんに5万渡しておくからね。」 と、言って おばあちゃんは電話を切ってしまった。 おばあちゃんは「孫に 優しくしてやった」と思っただろう。 しかし。 その行為が どんなに孫を傷つけた事か。 彼の「自分の力を試したい」「自立したい」と言う気持ちを 踏みにじっている事が 分からないのだ。 だから。電話を切った後 彼は泣いていた。 「どうして分からないんだろう。俺がやれる事を 信じて欲しかったのに。」 家族の中で 唯一の自分の味方だと思っていたおばあちゃんの行為に 彼の誇りは傷つけられ、「お前は出来ない」と決めつけられたも同然なのだ。 彼が必死で働いて稼ぐ数万分を あっさり、ポンとくれる おばあちゃん。 「なんか・・・働くのが馬鹿馬鹿しいよ。これがおばあちゃんの正体か・・・。」 勿論、それでも彼は働いてますし、自立への気持ちは変わっていませんけどね。 「心配」・・・一見、「愛」のように感じられます。「優しさ」とも感じるかも。 でも「心配」は「愛」ではない! むしろ「疑い」や「不信感」なのだ。 もし。 相手を本当に愛してるのなら「信じて」欲しい。 「信じる」事が「愛」なのだ。 これはどんな人間関係においても「基本的」な事である。 彼は このおばあちゃんの電話から 自分の実家でのからくりが見えて来たのだ。 「おばあちゃんが原因だ!母さんに『何か困ったら私が出すから』と言って、頼らせて子離れ出来ていないんだ。だからお母さんも今だに親離れが出来なくて、お金の事も頼るんだ!」 ちなみに。彼の両親は40代後半。 いい大人である。 しかし。今だにおばあちゃんの年金をアテにして暮らしている。 そして。彼の母親は 息子をダシにして おばあちゃんからお金を引き出す。 その事をまた次に書きます。 お付き合いしてくださる心の広い方、またね。 PR |
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