2024 09,21 09:38 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2009 02,10 21:26 |
|
先日、次男が出て行ったので、あやかが我が家に帰って来るのに備えて、大掃除をしているのである。
家中のカーテンを洗い、いらない物を捨てて、押し入れを整理する。 何せ、あやかの持ち帰るであろう荷物を、あの狭い二間に収めなければならないのだから。 そりゃあ、大慌てで やっているのだ。 勿論、私の彼氏もこき使う。 猫の世話から、布団干し、掃除機を掛けさせ、窓を拭かせる。 全く 使える男なのである。 「ひでみさんの役に立ちたい。」 と、言ってくれるので、ありがたい。こき使いまくりである。 いや、しかし。 このように たまに動くと、疲れますな。 運動不足ですか?自分。 やばくないですか?自分。 さて。あやかは名古屋での友達と、別れを惜しむように 遊びまくっている。 どうせ引っ越しの後も遊ぶじゃん!(笑) まあ、若いんですなあ。 彼氏とも 上手く行ってるようだし、結構な事だ。 こっちに帰って来ても 遊びの予定が詰まっていて、忙しいんだろうな。結構結構! 青春は 今しかないんだから、思いっきり遊べ!!!(笑) PR |
|
2009 01,26 00:43 |
|
この土日に 北海道に行ってきました~!!! いきなりの話ですみません・・・。 実は 年末に、私宛に一通の招待状が届いたのだ。 差出人は 北海道のラーメン屋さん「みのり」の店主さんからだ。 この方については 昨年の11月に書きました。 ヘンテコな肩書がいっぱいついてる 面白い方だ。 「らーめんみのり 15周年記念祝賀会」 の招待状である。 受け取ってビックリ! だって、私 この方とお会いしたのは たった一回・・・。 なのに こうして私の事を覚えてくれていたなんて・・・!!! 私はすっかり感激してしまった! で、すぐに「出席」と、返事を送ったのである。 それで土曜日に行ってきました。 実は私、北海道に飛行機で行きましたが・・・飛行機に乗ったの、初めてでした! しょっちゅう乗っていらっしゃる方には、「へえ~今時そんな人もいるんだぁ・・・。」と、思うでしょうが。 早くに結婚し、新婚旅行もなく、生活に追われ、今に至る私には今までそんな余裕もなく・・・。 そんな事もあって 飛行機に乗れた事が嬉しくて 私は行きの飛行機の中で ず~っと泣いていたのである。 「この私も やっと飛行機に乗れるようになったんだ・・・。」 そう思うと、泣けて泣けて・・・書いてる今でも 思い出すだけで泣ける。 みのりさんのおめでたい日に 初めて飛行機に乗るチャンスをいただき、そしてみのりさんにたどり着くまでに何人の方々を介した事か・・・。 長かったな。 会場に着き、賑やかにパーティーが開かれ、最後の店主のご挨拶で、私は特別に舞台に上げていただき、ご挨拶をさせていただいた。 感激して、また泣いてしまった。 みのりさんは 「この人を 世に出す事が私の使命だ」 と、仰ってくれた。その言葉にまた 胸が詰まる。 私はこうして今まで何人の方々に支えてもらった事か。応援してもらった事だろう? 感謝しても しきれない。頑張って来てよかったな。今まで辛くて 死にたくなるような事の方が多かった。 でも 見捨てずにちゃんと見てくださる方もいるのだ! ありがたいじゃないか!本当に頑張って来てよかった。 みのりさん 15周年おめでとうございます。 奥様の支えがあったからこそ、お二人で頑張って来られたのだと思います。 羨ましいです。 これからも20年30年と美味しいラーメンを作り続けて、みなさんを幸せにしてくださいね。 美味しいラーメン、ご馳走様でした! 初めての北海道は、温かい人達と熱気で熱かったです! みのりさんです! |
|
2009 01,22 20:41 |
|
今日は昨日の続きです。
なぜ 日本人は名字にこだわるのか? ってヤツですよ。 だいたい考えてみてください。 ホンの100年前までは、名字がある人の方が少なかったはずですよね? 江戸幕府が廃止され、明治になり、みんなが名字を持てるようになったのですから。 それまで日本にはちゃんとした戸籍だってなかったと思うし、お墓だっていい加減なものだったに違いない。 そうです。 全ての始まりは明治時代からです。 家長制度を敷き、名字を与え、家長を一家の大黒柱とし、男により強い権限を与え、女は家にいて、従え と、いう男にとって、とても都合の良い制度を作りました。 それは当時の富国政策にとって欠かせないものでした。 そして当時の明治憲法を作るに当たって、フランスの憲法を参考にしたので、女性の地位は途端に低くなりました。 ヨーロッパの中でも、フランスは女性の人権が一番低い国でした。 かつてのフランス革命でも、女性の人権向上も叫ばれましたが、それは男性議員によって ねじ伏せられてしまったのです。 当時のフランスでは、スポーツ観戦などでは、一般市民女性は黒人奴隷と同じ席だったのですから。 そんな国の憲法を参考にされちゃったんで、日本の女はたまらんですよ。たはは。 それをまた、日本帝国のお偉いさんは これまた都合良く 日本帝国の憲法に作り替えちゃった。 そして天皇を神として崇め、戦場のコマにするべく洗脳する。 お国の為に死ねるのは名誉な事だと。 そして その立派な男子を生んで育て上げる事こそ 女の鏡 だと、植え付けたのです。 その名残が今に至り、それが転じて「男は外で働き、女は家を守る」に、なり、それが 「どうせ女は結婚しちゃえば働かなくてもいいんだしぃ~。」 と、いう依存しまくる ぶら下がり女「オランウータン女」(私が勝手につけました!)の発祥の源になりました! あるいは 「女は家にいればいい」 と、一見優しそうに見えて、実は奥さんを自立させないようにして、女を支配したがる男 と、いうのも作りました。 そもそも。 明治以前の日本は、ある意味どの国よりも男女平等に近いものがありました。 江戸時代に専業主婦なんていなかったと思いますよ。よっぽど裕福な家じゃなければ、無理でした。 農民だって商人だって、男も女も働いていたはず。 それに家事だって、役割分担がちゃんとあり、男は威張っていれた代わりに 薪割りや水汲みなどの重労働は担っていたのです。 やらない男は近所中みなに言われますから、そりゃ やらざるを得なかったでしょうよ。(笑) 世界中でも、古くから日本では女性がお財布を握っていましたし(ここだけは結構しっかり受け継がれていますよね。笑)、女性天皇がいたりして、かつては世界の中でも 日本女性の地位は高い方だったのです。 江戸時代では、寺子屋などで身分問わず男女一緒に勉強していましたし。 当時から日本の識字率は諸外国に比べて、飛び抜けて高いですね。 特に女性が勉強してるのは、ヨーロッパでは貴族などの一部の特権階級でも少ない事です。 男性でも少なかったのですから。 なのに! 識字率が高く、権限も高かった日本女性は明治を境に 少し立場が弱くなった気がします。 そして、その名残に乗っかり あわよくば目先の楽を取ろう と、する女が増え、男は男で 「女を養うのが、男の甲斐性」 と、親に吹き込まれて育ち 依存心の塊の女にど~んと乗しかかられ 潰れそうになって 我が家に来るサラリーマンのなんと多い事か! もう 明治は終わりましたよ! 一家の主としての権限の象徴とも言える、名字ですが。 たかだか100年前の名字にも そんなに拘らなくてもいいんじゃない? 墓だって! あたしゃ 死んでもそんなに狭い所に 入りたくないよ! 私の遺体は火葬したら、海に撒いて、と 娘や彼氏に頼んでいます。 さて。まだ続きを書きたいのですが、またにします。 それでは! |
|
2009 01,14 20:07 |
|
さて~・・・今日は、里子に行った くーさんの様子を見に行きつつ、里親さんちの溜まったゴミを出しに行く。
実に12袋ものゴミ袋を車に積んで、k(里親さん)と一緒に ゴミ焼却場に行く。 行きながら世間話をし、「なんか行きたい所 ある?大きい買い物があるんなら 折角車もある事だし・・・。」 と、言うと、「コタツが欲しい。もう、寒くてかなわん。」と、言うので、リサイクルショップへと向かう。 なんと!掘り出し物が!新古品が¥4500というお値段で あった! しかもkの欲しかったサイズ!「よかったねえ~!」 と、いう感じ。 ついでにコタツ布団も買いに行き、コタツを置くのを手伝う。 「あんた!掃除しないと!」 「そうだった~!!!」 という事で、掃除をお手伝い。でないと、面倒くさくて せっかく買ったコタツを放置しかねない。 私達が片付けしている間中、くーさんはチョロチョロついて回る。 ホント、かわいい~。 私達がごみ出しに出かけた後、くーさんは外にまで聞こえるくらい大きな声で 鳴いていた。 寂しいんだろうね。 「いつも そうなんだ。」と、言っていた。 ちょっと、せつなくなったね。 このあと、kはコタツに入りながら、猫を膝に抱き、ネットゲームをするのだろう。 「あんた!ゲームもいいけどさ!彼女くらい作りなさいよ!現実逃避するなよ!!!」 「だって~・・・面倒くさいんだもん・・・。」 と、ニヤニヤ・・・。 「あんた、孤独死する老人になっても知らんよ。今だけだからね。若いのは!」 と、途中寄ったマックで、モグモグ食べながら話をする。 kは友達が少ない。それは性格の問題ではなく、環境の所為だ。 職場には友達になれるような人がいないのだ。働いてる人自体 少ないのだから。 それに拘束時間が長く、不規則な勤務では、遊ぶ友達とも時間が合わない。 kはよく喋るし、明るいヤツだ。顔だってかわいいしさ。モテると思うんだけど。 「早く仕事を変えなさいよ。環境を変えれば、友達も彼女だって 出来るよ!」 「うん。春になれば新入社員も入るから、辞めれるよ。早く辞めたいよ。」 過酷な仕事だから、いつもストレスいっぱい って、言う顔をしてるね。 「今度、鍋 やろう!」 そう約束して 帰って来た。 くーさんはすっかり懐いていて、安心したよ。 kもなんだかんだ言って 可愛がってくれてるようだし。よかったよかった! こうして今日も 私は要らんお節介を焼いて、帰って来たのである。 |
|
2009 01,01 00:38 |
|
あけまして おめでとうございます。
今年も よろしく お願い致します。 昨年もいろいろありました・・・。 最後の最後まで・・・ね。 今年も どんな年になるんだか・・・予想もつきません。 皆さまに 多大なご迷惑をお掛けする事もあるかと思いますが、私達の我が儘で 一月末で 霊視を終了させていただきます。 2月より 本来やりたかった催眠療法士として 癒しをメインとした活動をしていきたいと思います。 霊視の代わりに 補足としてタロットを使っての活動になります。 いろいろと不慣れな点もあるかと思いますが、何とぞ ご理解の上、よろしくお願い致します。 それから・・・ごめんなさい・・・。 忙しくて年賀状を省略させていただきました・・・。 画面上でのご挨拶で よろしくお願いします。 今年も 良い年になるといいですね。 皆さまの ご多幸と発展をお祈り致します。 今年もよろしくお願い致します。 |
|
忍者ブログ [PR] |