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2006 10,14 22:13 |
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昨夜、母から電話があり
「かかとが痛くて歩けない。お父さんに言っても医者に行ってくれないし・・・。」 と言う。なので今朝早く、隣町にある整形外科に連れて行く事に。 母が片足を引きずるように出て来た。 土曜日は半日しか診療がないからか、混んでた。 早めに来ておいてよかった。 思ったよりも早く、一時間ちょっとで終わった。 どうも今年は母の仕事が忙しく、無理して立ち仕事を続けたのが痛みの原因らしい。 かかとに掛かるアキレス腱に負担が掛かり、筋肉の腫れもあるみたいだ。 痛み止めの注射を打ってもらったようだ。 帰りの車中で、母は父への不満をぶちまけていた。 一昨日位から痛かったのに、「そんなことくらいで・・・」と放っておかれ、昨日は「歩くのも困難だから医者に連れて行ってくれ」と頼むと「オレは知らん」と言われたのだそうだ。 「私が具合が悪くなっても、きっとあの人は看病なんかしてくれないね」 そう、母は腹立ち紛れに言っていた。 父は昔から思いやりがない。 父ほど悲しい別れを体験している人はないのに・・・だ。 10歳の時、お父さん子だった父は、父親を胃潰瘍(本当は胃癌だったのでは?と言われているが)で亡くした。 その後、優しい祖母が女手一つで6人の子供を育てた。 しかし、可愛がっていた弟を二人、交通事故で亡くしている。 特に、可愛がっていたすぐ下の弟を15歳の若さで亡くし、「辛かった」と言っていたのを、母は後に聞いた事があるようだ。 普通なら、こんなに悲しい別れを体験すると、目の前の家族を大事にしそうだと思うが・・・。 しかし、ここが父のあまのじゃくな所なのだ。 父は気が小さい。そして器も小さい。 父は悲しみを受け止められなかったのだ。 だから無意識に逃げている。 その「逃げ」から、「現実から目をそらす」という事をよくやる。 それが、「痛い」と訴える母から一目散に逃げるという事をさせるのだ。 母が一番気を引きたいのは、私ではない。 本当は父に、アピールしているのだ。 しかしそれを無意識に受け取る父は、「重い」と感じ、また逃げるのだ。 母の「依存」「被害者意識」と父の「逃げ」。結局は堂々巡りなのである。 そして、父のもう一つの側面、それは愛し方が歪んでいるという事だ。 父は複数の愛する家族を失い・・・大好きなお父さんを失い、可愛がっていた弟を失い、次に可愛がっていた弟を失い・・・。 こうして父の中に「自分が愛すると失くすのでは」という無意識の恐れが生まれた。 だから「愛さない」事で「愛する」のだ。 愛さなければ、死なない。だから悲しまないで済む。 こうして、父は自分を守っているのである。 巡り巡って、父から一番攻撃を受けていた私は、一番慈しまれていたのだ。 「何だ、愛されてるじゃないか・・・」 そう知った時、歪んだ形でしか愛情を表現出来ない父が、可哀相で愛おしかったのである。 それが、先日のミシンの20万だったり、これから行く旅行の大盤振る舞いだったりするのだ。 こうして日頃の罪悪感を現金や物で解消する。 太平洋戦争を経験し、泣く事やあらゆる感情に蓋をする事を強いられた世代は、こうした歪んだ人が多い。 特に男性は多い。こういう方達が私達の親の世代なのだ。 これが日本人の感情未発達と言われる所以である。 父も母もお互い素直に言えない。 なのに夫婦をやっていて楽しいのだろうか。 私は離婚する半年前まで、前夫と手を繋いで歩いたし、二人の時間も作っていた。 前夫ともお互い言いたい事を言って、やりつくした、と実感しているからこそ、離婚しても悔いはない。 だからこそ、結婚の大変さも楽しさも知っているし、再婚にもワクワク出来るのだ。 折角愛する家族がいるのに、表現出来ないなんて! 勿体無いよね~? PR |
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コメント |
後悔しないお付き合いが「やりつくした」の一言なのかもしれません。それが例え、一日の付き合いでも、生涯の伴侶を先に亡くした時も。
過去世、未来世でも会っていたかもしれない、会うかもしれないけど「今日」「今」自分に影響を与えてくれるあの人は、この瞬間しかいないと思える。 【2006/10/1615:11】||モデル#577413b549[ 編集する? ]
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そして、それが本当の「ご縁を大切にする」ということなのです。
【2006/10/1619:07】||はしむら#99af3740a7[ 編集する? ]
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