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2008 07,11 23:42 |
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今日もまた、私の13歳の時の事です。
私は美術部に入っていたが、同級生の男の子のS君は、かなりの問題児だった。 グレていた、とか、ツッパッていた・・・とかではなく、チョ~我が儘だったのだ。 気に入らない事があると、グズグズ言いだし、泣き喚いて教室の真ん中でバタバタするのもしょっちゅうだ。 美術部の先輩なんて、男も女もみな優しい人ばっかりだったから、S君はますますツケ上がる。 「この人・・・よっぽど甘やかされて育ったんだな」 と、当時の私でも思ったもの。そのくらい甘ったれていたのだ。 それまで小学校の時も同じクラスになった事がなくて(この中学校は、みな小学校からの持ち上がりです)、 S君なんて顔しか知らなかったが、同じ部活になり、「こんな人がいるんだ!」とビックリするくらい、私にとって強烈だったのだ。 S君はたいして勉強が出来なかった。 これは彼の能力と言うよりも、「根気の無さ」だろう。 それに無気力な子だ。何でも、言う前に親がやってくれる・・・そんな典型だ。 「~になりたい」という向上心も、持ち合わせていない。 そんなもの、無くたって親が全部してくれるからね。 過保護や過干渉で育った子というのは「自我」が奪われる。ある意味、可哀想な子なのだ。 卒業をする頃には、少し落ち着き、さすがにバタバタは無くなったが、「無気力」「我が儘」は相変わらずだった。 しかし、大人になって「ツケ」を払わされたのだろう。 噂によれば、彼は20歳の時、交差点事故を起こし、重傷を負った。 それからの5年間は昏睡状態で、植物人間だったのである。 しかし奇跡的に目覚めたが、脳にかなりの損傷を受けたのか、深刻な後遺症を残した。 彼はあれから毎日リハビリをしている。 今日もリハビリの為、歩いているS君とすれ違った。 私は車だったから、あえて声は掛けなかったけど。 彼はまだ左側に麻痺が残るのか、動かない左腕を振り、左足を引きずるように歩いていた。 彼のうちは、私の実家のすぐそばにあるから、見掛けるのもしょっちゅうだ。 S君は私を覚えていた。 何年か前、小学生だったあやかを伴って、歩いて買い物に行ったところ、S君とばったり会ったのだ。 「私の事、覚えている?」 彼は笑顔でうなずいた。言葉もうまく話せないようで、不自由そうだったが、一生懸命笑顔で話してくれた。 「子ども?大きいね。すごいね!」 って、言ってくれたっけ。 「リハビリ頑張ってね」と言って、別れたのだ。 でもそれからは、声を掛けていない。あまりにも痛々しかったから・・・。 何だか、自分の幸せを見せびらかしているようで・・・。 子供がいるって・・・自慢してるようで・・・。 五体満足な事、健康な事、働ける事・・・何でも持ってるでしょ?って、ひけらかしてるみたいだ。 自分の幸せを再認識もさせてもらったが、同時に「私、幸せでごめんなさい」と、申し訳ない気持ちにもなってくるのだ。 S君は私が離婚して、戻って来たのも知っていたのだろう。 「おまえ・・・大変だったな。」 と、言ってくれた。でもS君の大変さに比べたら・・・私のなんて「屁」みたいなもんさ。 だから私も笑って「そんな事ないよ!さっぱりした!」って言ったよ。 S君は笑って「そっか・・・。」って、言ってたけどね。 S君も、いろんな苦労や辛さを味わって、人の痛みや苦労を分かる人になったんだね。 お客様の中にも、大きな事故や病気を用意している方が、時々いらっしゃいます。 でも避ける事が出来ます。 避ける方法は・・・事故や病気になって、「理解」させられる前に、自分に「理解」させる事です。 「理解」させたくて、自分自身で引き寄せるのですから。 ですから、あえて「苦労」を買いに行く事が、最善の道なのです。 安易に苦労を避け、目先の楽を追いかける事は、一見「楽」そうに見えますが、実は自分を追い詰めている事なのです。 だから私達は「自立しましょう!」「動きましょう!」と、言い続けるのです。 でも、今まで「挫折」も「困った事」もない人ほど、意味が分からない・・・。 そこに私達はジレンマを感じるのです。 そして、自分達の仕事に意味がないのではないか?と、疑いたくなる瞬間なのです。 そしてこういう方ほど、経験がないから、自分の問題点にも気付かず、「褒めてもらいたい」と思っている・・・。 で、褒めればツケ上がって安心して動かないし、 「~しましょう。でないと~なりますよ。」 と、指摘すれば「何でそんな事言うんですか!」と、恨まれる。 本当に「伝える」というのは、難しいですね。 さあ、私の愚痴はそれ位にしましょう。笑 では、また明日! PR |
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昨日は母を見ていただきありがとうございました!
ぼーっと生活している人たちを、はたから見ていて 一生ぬるま湯みたいな感じが続くんだろうなとイメージしてしまいがちですが、今回のことで一生湯水には浸かっていられないんだと確信しました。 自分の家族って見落としがちですよね。 母は自分の意見がないのですが、父に「考え方が違う」って言われるのが嫌だから、家庭円満のために何も考えずに父の意見に同調するというクセがついているのです。 「私はこう思うって言えばいいじゃない。そんなことで家庭円満って言わないよ」と 言っておきましたが、わかっているようなわかってないような。 私が後悔しなければ 別にいいですけどね |
毎日の習慣って恐ろしいですよね。みんな、自分を持っているつもりです。
本当の自分が分からないまま、一生を終える方の方が多いのかもしれません。 musiさん、妥協せずにお互い生きましょう! 【2008/07/1401:12】||はしむら#555140eba7[ 編集する? ]
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