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2007 04,17 19:36 |
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今日は何を書こうかなあ・・・。
久しぶりに昔の事を書こうかなあ・・・。 前のブログの続き、幼稚園の事でも書こう。 という事で幼稚園時代の私の事を書きます。 今の私を見て、「そんな時があったの?!!!」と驚かれるかも! とにかく大人しい子だったから・・・。 前回書いたが、家の中では祖父が、アル中で散々暴れまわっていた。 こんな影響からか、私はすっかりビクビクおどおどしており、幼稚園に行っても喋らない子になってしまった。 毎朝出席を確認する為、先生が名前を呼んでも私は返事が出来なかった。 卒園する間際まで返事をした覚えが無い。 しかもみんなの様にイスにも座らず、私は部屋の隅っこでじい~っと指を咥えて、体育座りをして見てる・・・そんな子だった。 みんなと同じようにしたら、何か起こるんじゃないか(叩かれるとか、張り倒されるとか)そんな恐怖心があったからだ。 しかも肝心な事も言えず、結果毎日オシッコをもらして、パンツのお土産を持って帰る、そんな毎日だった。 だから私は周りの先生から「変な子だ」と言われ、そういう目つきで見られていた。 そのうちの一人の先生は、今息子の通う中学校で事務員をやってるけどね。 その先生を見る度、それを思い出す。 私は幼稚園でみんなと遊んだ思い出はあまりない。 勇気を出して「入れて」と言ったら「いやだ!」と言われたり、どうやって遊んでいいのか分からなかったり。 私にとって、幼稚園と言う社会は「恐怖」そのものだった。 でも生真面目に幼稚園に通うので、母は安心していたみたいだ。 でも私には怖い家より「まだマシ」と言うだけの事だったのだ。 ある日、モタモタしてたら幼稚園バスに乗り遅れ、私は泣きながら走ってバスを追いかけた事がある。 もう半狂乱だった。母が 「あんたが遅いから遅れた」とか「みんなに笑われる」とか言われ、散々責められ追い立てられたからだ。 でも私がバスを追い駆けようと裸足で飛び出たら、母はそんな私を見て、せせら笑っていたのだ。 それは、私の中の母に対する「不信感」「怒り」「憤り」を決定付ける物だった。 結局その後、私は母に自転車で送ってもらったが、みんなからも 「あんた、泣きながら走ってたでしょ」 と、からかわれ、馬鹿にされたのだ。暫く母を恨んだのは言うまでも無い。 トロい私が悪かったが、でもまだ4歳の私に何が出来よう。 無用の恥をかかされ、冷ややかな視線を浴びせられ、でも母親はかばってもくれないどころか、笑って見てるなんて! 私はこういう記憶を事細かに、たくさん覚えている。 「記憶力が良いでしょ?」という自慢ではない。 小さくても覚えているんだ、という事を知ってもらいたいのだ。 「子供はちゃんと見てる」という事を。 たまに「子供だからいいよね」と言う人がいる。 でも、聞いてますよ、子供は。 子供をおだてたり、持ち上げたりする必要は無いと思う。 そうではなく、子供を「一人の人間として」尊重する事が大事だ、と思うのだ。 我儘を聞く事でもない、断じて! そして子供を「一人の人間として扱う」事が、お互いの「自立」の始まりでもあると思うのだ。 残念ながらそれが出来てる人は少ない。 変に子供に「媚」をうり、お伺いを立て、甘やかし、そのくせ 「男(女)なんだから」とか「子供のクセに」とか言って型をはめ 「勉強しなさい」とか「言う事を聞きなさい」とか、要求するのだ。 だからそういうことに対して反抗するのに 「反抗期だから」と言って、片付けてしまうのだ。 それは危険だ。 その子自身を見ていないからだ。そういう人が多い。全部とは言いませんが。 そして「話し合い」が出来ていない家族の多い事。 それ以前の「会話」すらない家庭もあるのだ。 私の育った家庭もそうだったが、それでは健全な子供は育たない。 自分自身もそうだったが、やはり「不幸」だ。 それ故「なぜ生まれて来たんだろう?」「何のために生まれて来るの?」などと、深い葛藤が早くからあったけどね。 だからこそ、精神世界にすんなりと入れたと言う事もある。 結果、上手く行ってたんだけど。 でも私が味わった「孤独」や「苦しみ」は味わわせたくない。 成功や幸せの為の葛藤や苦しみなら大いに味わって欲しいけどね。 子供を守れるのは親しかいない、そう思う。 PR |
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