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2007 12,13 23:05 |
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今日も久しぶりに、昔の事を書きましょう。
今日は前回の続き、8歳です。 この頃の私は小学2年生。 私と年子の妹も、一年生になったのである。 そんな訳で私は妹を連れて、登校する事になる。 妹は私以上に、酒乱のおじいさんが暴れている所を目撃し、恐怖にさらされていた子である。 当時私は幼稚園に避難できたが、3歳の妹はモロに見ていたからね。 そんな事情から、妹は私以上にかなり気が小さく、特に「男の子が怖い」と言って泣いていた。 クラスでは、隣の席が男子だからね。 そして仲良くなった女の子がキツイ子で、妹はその子に良くつねられ、あざを作って帰って来た。 そのうち、妹が「学校に行きたくない」と駄々をこね、大泣きし、とにかく私を手こずらせるのだ。 もう、これには困った! 妹は毎朝近所の路上でバタバタを繰り返し 「い~や~だ~!行きたくな~い~!」 と大声で叫ぶ。 私は嫌がる妹を無理矢理引きずり、毎朝連れて行く。 一度、参った私は家に引き返し、母に「無理だ」と言うと、私が酷く叱られたのだ。 だから叱られたくない一心で引きずっていった。一度など、私がキレて 「じゃあ、もう休みな!私も行かない!」 と言うと、それはそれで妹はワアワア泣き 「ダメ~!それもやだ~!」 と言って泣く。一体、私はどうしたらいいのか・・・。もう、ホトホト参ってしまったのだ。 結局、妹はいじめが嫌で、行きたくなかったのだ。 ようやっと、行きたくない原因が分かると、今度は 「帰りも迎えに行って来な。」 と母から言われる。私は渋々、妹をクラスまで迎えに行く。 そうすると、妹は「Eちゃんと帰る。」と言うではないか! そのEちゃんがいじめてる張本人なのに!馬鹿か!こいつは! でもそれを真に受けてそのまま帰ったら、また私がこっ酷く叱られるだろう。 だから私は強引に妹を連れ帰ったのである。そうしたらまた妹は泣く。 「Eちゃんと帰りたかったのに!」とほざいているよ!むかつく! 結局、妹はいじめられていても、仲間外れにされたくなくて、一緒にくっついていたかったのだ。 それを相手に見透かされているから、またつねったり、叩いたり、調子に乗るのである。 こうして妹は、「自分」という物を持たない子だったのである。 私はとうとう怒りが爆発した。母に 「もういい加減にしてよ!私だってもう嫌だ!あんな子を押し付けないでよ!」 と、猛抗議したのである。 それで母は、ひるんだ。私はそれを見逃さなかった。 「なんだ、この人。ちょっと言ったらもう引くじゃん。」 だから私はそれ以来、母に反発したし、埋め合わせをするように媚びてきた母を、馬鹿にするようになったのだ。 母は家庭訪問や面談の度に、担任の先生に相談をし、問題のEちゃんから席を遠ざけてくれたり、目を配ってくれたようで、それから妹もやっと素直に喜んで学校に行くようになった。 実に一学期間、私は妹相手に格闘し続けたのである!よく頑張ったよ、自分・・・。 それにしても、さあ・・・。たった一年しか違わないのに、私は「お姉さんだから」と姉の立場を押し付けられ、妹は「妹だから」と、甘やかされる。 面倒を見てもらって、当然の立場なのだ。 私は幼いながらも漠然と「不公平だ!」と思ったものだ。 勿論私は母に不満があろうと、一度決めた事は守ろうと、お手伝いはやり続けた。 だって自分の為だものね。母がどうであろうと関係ないのだ。 そしてその妹は「自分」を持たないまま、高校生になり、流されるまま遊び・・・ やがて結婚した私を羨ましがり、真似て結婚するようになる。 そしてその後、15年に渡る「嫁姑戦争」に突入し、嫌でも「自我」を目覚めさせるべく、己を確立せざるを得ない事を起こしてきたのだ。 妹をいじめたEちゃんも結婚し、子供を生み、歯科助手として近所で働いている。 時々、母がそこへ診察に行くが、過去の罪悪感だろうか、Eちゃんは俯き、母と目を合わせられないでいるようだ。この子は小さい時、本当に根性が汚く、意地が悪い子だった。 でも、今は違う。さすがに大人になったもの。だからこそ、罪悪感があるんだろうね。 そしてEちゃんが意地悪だったのも、この子の母親もまた、意地が悪かったからだ。 妹と見張り役の為、私もついて行ってEちゃんちに行くと、このおばさんは自分の子だけにお菓子を渡し、私たちには一切くれなかった。それどころか、 「見せびらかしてやんな!」 と、言って、笑ってるような人だったのだ。だから子供が意地が悪い訳だ! しかし、年月がこのおばさんも変えたのだ! あれから頑固な姑さんが倒れ、この10年というもの、看護をしている。 それは未だに続けられ、それ故、苦労がそうさせてくれたのか「人のありがたさ」が分かるようになり、今じゃ人が変わったように、愛想が良い。 以前はうちの母の事を馬鹿にし、鼻で笑っていたのに、今では母とすれ違うと愚痴をこぼし 「聞いてくれて、ありがとうねえ。あんたも体に気を付けなよ。」 「あんたもねえ。無理をしないようにねえ。」 「うんうん。ありがとう。」 なんて、会話を交わしているらしい。凄いなあ~。時の流れって・・・。 だから「苦労」を呼んじゃう・・・というか。させてもらえた・・・というか。 やはり、この世には「必要」な事しかやって来ないのである。 でも私は、余分な苦労はしたくないね。 だから謙虚に自分を振り返り、感謝を忘れず生きていこう!と思ったよ。 PR |
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コメント |
実は幼稚園時代、一つ上の子たちにいじめられてました。
理由は今でもわかりませんが、私自身に何か原因があったんでしょうね。 でも、小学生時代にはいじめっこに転身! クラスに一人いじめられっこがいて、私もみんなと一緒にいじめたりしてたんです。今思い返すと、いじめていた子の気持ちをを思うと、本当に申し訳なくて。 なんて残酷なことをしていたんだろうと心が痛みます。 その子の心の傷はどんなに深く刻まれたんだろう。取り返しのつかないことをしてしまった罪の意識と自己嫌悪を覚えます。 私は思いあがった最低な子どもでした。 でも人の気持ちは変わるんですね。 だから今ひとりで苦労してるのかな笑) 私も謙虚さを忘れずに、感謝して生きていかなくっちゃ! 【2007/12/1402:59】||ぴんく#991ebd6a1f[ 編集する? ]
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ぴんくさんにもそんな時代があったんですねえ。まあ、しかし。それもまた合意でしょう!(笑)
わたしも基本的にいじめられっ子でしたが、いじめている子もいました。妹もいじめてましたし・・・。 こうしてカルマをお互い払っているんですよね。しかし、本当に世話の焼ける妹でした・・・。 【2007/12/1413:46】||はしむら#99af3742d8[ 編集する? ]
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