2024 10,05 12:15 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2008 04,22 22:16 |
|
カイさんが遅い春を迎えた。
やっとこさ発情期を迎えたのである。それは先週の土曜日の夜遅く。 それで昨日、お医者さんの所へ連れて行き、急きょ避妊手術をしてもらったのだ。 今日は退院の日。 私は仕事を終えて、カイさんを迎えに行く。 カイさんは怖かったのか、すっかり怯えていた 先生は網にカイさんを入れてくれたので、そのまま袋ごと、持って帰って来た。 先生は相変わらずお安いお値段で、手術をしてくださった。 あ~ありがたい。 帰ったら、すぐご飯をあげようと思って用意したのに、カイさんのショックは深かったのか、御飯には目もくれず、部屋の奥にすっ飛んで行った。 こんなんで抜糸が出来るんだろうか? また勘兵衛の時みたいに、麻酔をかけて抜糸するのかな。 とにかく抜糸は連休明けになるかも。 そういえば、HPの猫霊視のページを内容を加筆したのと、少々の変更をしましたので、お暇な方はまた覗いてくださいませ。 我が家の猫ちゃんズも大分、メンバーが変わりましたね。 寂しい事ですが・・・。 カイさんも我が家にやって来て、もうすぐ一年になろうとしてますね。 月日が経つのは、早いものです。 この子がいつまでも健康で天寿を全う出来ますように。 シマやしのちゃん、クロ達の分まで、今居る子達には長生きして欲しい。 そう願わずにいられないのだ。 PR |
|
2008 04,21 19:20 |
|
さてあの怖い夢を見た次の日。
体調不良を押して、名古屋で仕事をしていたのである。 夜にも仕事が入っており、終わってあやかのアパートを出たのが夜10時前。 次に日は、浜松で仕事だった為、あやかも一緒に車に乗り、浜松へ向かう。 私は又、熱が上がって来ていた。38度は超えてただろう。 だから高速道路を使わず、下道でゆっくりと帰る事にしたのだ。 帰りながら、ふと・・・ 「この時間が勿体ないな。下道で帰れば2時間半掛かるから、この間に自分を癒そう」 と思いついたのだ。であやかに、私の代わりに催眠に入って、とお願いしたら 「じゃあ、その前にトイレに寄って。落ち着いて、ちゃんとやりたいから。」 と言うので、コンビニに寄ったのである。 さあ、癒そう。あやかに私をイメージしてもらうと、やはり私は疲れ切っていた。 原因はすぐるだ。 しかし、すぐるがアホなのはきっと今だけだ。 もっと大人になれば、きっと気付いてくれるだろうから。 とにかく疲れている私を癒し、気持ちを復活させてもらったのだ。 癒し終えた頃、豊橋辺りだった。 私達は世間話をして浜松に向かっていた。 静岡県に入り、湖西市に入った途端、目の前に無残な残骸となった車が道路の真ん中に斜めに止まっているのが、目に入った。私は車の脇をゆっくりと通り抜ける。 見ると、ガードレールの所に、若いブラジル人のカップルが立っている。 通りながら、窓を開けて 「大丈夫ですか?」と、声を掛ける。 「あ・・・ダイジョブです・・・。」 と二人は言うが、男の方は頭から血を流してるじゃないか!大丈夫じゃないよ!!! それにブラジル人のカップルじゃあ、きっと事故の対処も分からないだろう。 私は道路の隅っこに車を止めて、二人の所まで走って行った。 この日は夕方からずっと雨が降っていた。 案の定、二人は事故の対処が分からず、まだ警察も救急車も呼んでないらしい。 私がとりあえず救急車を携帯で呼んでいると、対向車線で止まっていた男の人が事故車を自分の車で牽引して、安全な所まで車を動かしていた。それから私が救急車に連絡してるのをみると、警察に電話を入れ始めた。 私はあやかに指示して、二人を私の車に座らせた。 私も彼も、事故現場の住所が分からなくて、呼ぶのに手間取っていた。 私は熱があるのも忘れて、実に20分もの間、雨の中で電話し続けていた。 自分でも「ヤバいな。またぶり返すな・・・。」と思っていたが、でもここで中途半端な事はしたくない。 で、警察や救急車が来るまで、事故った当事者の二人と片言の日本語で話していた。 彼は22歳の男の子だった。 スピードを出し過ぎて、カーブを曲がり切れなかったのだ。 それで激しくガードレールに打ちつけての、自損事故だったのだ。 その直後、私が通ったらしい。 でもそんな話を聞いてて、寒くなった。 だって・・・もし、あやかが「トイレに寄って」と言わなければ、タイミング的に、彼らの車は私の車にぶつかったはずだ!トイレに寄ったから、タイミングがずれたのだ。 ある意味、事故の直前で自分を癒したから、避ける事が出来たのだ。 あやかと二人、顔を見合せて、「よかったね。事故に巻き込まれなくて!」と言っていたのである。 その後、救急車が来て、彼らが乗り込んだのを見て、私達は帰る事にした。 警察はまだだったので、警察を呼んだ彼はまだ残るようだ。 後の事をこの人にお願いして、私達は帰って来た。 途中、すぐるからメールが入った。帰宅の遅い私を心配して、メールをくれたのだ。 「今から帰るよ」と、電話を入れたら 「お母さんが事故に遭ったんじゃないかと、心配したんだ。何か胸騒ぎがしてさ・・・。」 というので、「大丈夫だよ。」と言って帰って来たのだ。 夢を見た次の日に、このような事故に遭遇した。自分が事故に巻き込まれなくてよかったよ。 そして、雨の中 濡れたまま20分以上もいたので、それで体調がますます悪化してしまった。 私って、馬鹿じゃないだろうか、って思ったけど、でも見て見ぬフリも出来ないんだよな。 こうして更に一週間、高熱に悩まされた訳である。 私、無事で良かった。 |
|
2008 04,20 21:00 |
|
私が高熱にうかされていた時、見ていた夢がある。
私は夜行列車に乗っていた。 その列車は、ちょっと変わった作りをしていた。さすが夢。 例えば、寝台車のような作りをしており、列車の片側は通路になっている。 その通路は壁がなく、まるで船のデッキのように手すりが付いてるだけ。 普通こんな作りで通路にいたら、風圧で息が苦しいと感じるだろう。 しかしそこは夢だ。快適な風を感じるだけだ。 私はOさんと列車に乗っていた。 夜なので、二人で通路に立ち、風を感じながら星を見てる。 私たち以外は、たくさんの若者だ。 みな、片手にシャンパンを持ち、歌を歌い、踊り、享楽的だ。 はっきり言って、私達二人だけ浮いてる。私達はおばさんだからね。 Oさんは、背中の大きく開いたカクテルドレスを着ていた。さすが、夢! 私は仕事用の服だけどね。 ある駅で、列車は止まった。 私達は喋る訳でもなく、ただ星空を見ながら、たたずんでいた。 私はOさんとこうしているだけで、楽しいと思っていたから。 しかしOさんは 「私はここで降りるね。はしむらさんはどうする?」 と、聞いてきた。私は 「私はいい。これに乗ってる。」 と答えた。そうしたらOさんの表情がたちまち曇り、寂しそうな顔になる。 それでもOさんは、「じゃあ、行くね。」と、列車を降りてしまった。 私はOさんの表情が気になったが、列車を去ったOさんの後姿をただ眺めていたのだ。 そこで目が覚めた。 私はすぐOさんに何か心配事でもあったのかと、電話でも入れて聞こうかと思ったが、それよりも自分を治すのが先だろう、と思いなおし、そのまま寝たのだ。 この時、39度を超えていた。 しかしこの夢を見た三日後、あやかにこの夢の意味を聞いて、恐ろしくなってしまった。 夢の意味は・・・ この列車は、「死」の列車なのだ。 それに乗っている人々は、これから将来たくさん自殺や事故、病気で亡くなって行くであろう若者達だった。 この夢の中の若者達は、非常に享楽的だった。 こういう人達は非常に多いが、こういう人達が本当に事故や病気を起こし易い。 何故なら、ベッドに寝かされてしまう事で、自分の人生を振り替えさせられたり、「もっと深く物事を考えなさい」と考えさせられる事になるからだ。 それでも「気付かない」と魂が判断すれば、「リセットしよう」と死を選ぶのだ。 列車の中の若者は、将来そうして死を選ぶ人達なのだろう。 私は、その人達の中にいたのだ! Oさんは死の列車から降りて行った。まだ生きるべき人だから。 その時、「はしむらさんはどうする?」って聞いたのに、私は「まだ乗ってる」って言ったから、彼女は私との今生の別れを惜しんで、あの寂しそうな表情になったのだ。 彼女に問題があったのではなく、私の方だったのだ! 私は降りた後のOさんを見ていたが、列車は止まったままだった。 だからよかったのだ。あれが動いていたら・・・。 「お母さん、死んでたね。」 そう、あやかに言われてしまった。 この時の私もまだ微熱が続いており、寝たままあやかの霊視を聞いていたのだ。 そうしたら 「お母さんの膝から、誰か女の人が立っているよ。・・・お母さんの生き霊だ!おかあさん幽体離脱してるよ!」 って言われてしまった! 「えっ?!幽体離脱?自覚ないんだけどでも言われてみれば、ここんとこ、ずーっとボーっとしてるなあ。」 「お母さん、今から夢を癒そう。でないとヤバい。連れて行かれちゃうよ。」 そう言う訳で、早速癒す。 そうしたら立っていた私の生き霊は、私の中に納まって行った。 それで私の意識は大分、はっきりしたのである。 このまま幽体離脱したまま居たら、ヤバかったね。 これじゃあ、事故に遭い易いだろうし・・・事故!!! 思い当たる節がある・・・! この続きを明日書きます。読んでくださいねえ。へへへ・・・。 |
|
2008 04,19 21:53 |
|
お久しぶりです~。
お陰様で大分 復活しましたよ。 多数の皆様にご心配をお掛けしました。 それから多数のコメント、メールなど、励ましてくださってありがとうございます。 チョ~嬉しかったですよぉ。 まだ少々頭痛が残っていますが、今日から何とか仕事復活しています。 しかしやっぱりお仕事は楽しい~~~♩ このブログをお休みしていた間、書きたい事が山のように有った訳だが。 何が一番書きたかったか、というと。 それはすぐるの変化だろう。 私の熱が出始めた一週間目は、私はほとんど飲まず食わずだった。 だって、誰も御飯の支度しないしね。 だからすぐるもカップ麺とか菓子パン一つとか、そんなんで済ませていたのだ。 そうしたら、さすがのすぐるも 「こんなもんばっか、喰ってたらやばいな、オレ・・・。」 と、言いだした。そりゃあ、そうだ。私は中年だからいいけど、あんたは育ち盛りだもんね。 食わなきゃ、大きくならんもんなあ。 しかもバイトと学校の両立なのに、ヘタすりゃ一食で済ましていた時もあったのだ。 結局食べるのが、面倒なんだよね。 だけど、それじゃあヤバいって気付いてくれたのでよかったよ。 それでこの一週間は、すぐるがご飯を作り出した。 私がそばについてて指示を出して、すぐるがその通りに作るのだ。 その時の私は熱でまだフラフラだが、すぐるに教える絶好の機会を逃してはならん! そんな感じで、味噌汁(かなり手抜き)、コロッケ、チャーハン、野菜スープ、野菜炒め・・・と毎日作らせた。 すぐるも自分で納得してやってるんだけど、何せバイト行って、夜間学校行って、それから帰って来てからの夜10時半過ぎから作るのだから、すぐるもクタクタだ。 半分寝そうになりながら、それでも頑張って作ってるよ。 そんな思いで作った自作のご飯は、思いのほか美味しかったのか、毎日頑張って作っている。 ラーメン屋さんのバイトでも、今はホールをやってるが、本来厨房希望だったので、もうすぐ厨房も入る事になるのだろう。そうしたら私よりも、あっという間に料理が上手くなるかもね。 ある意味、私の今回の体調不良は、すぐるの為かも・・・と思っている。 そう思うと、今までの私はやり過ぎなのかも、と思う。 すぐるは「大事な3年間を学校とバイトだけで終わりたくない。」と言い、今は友達と夜釣りに行っている。 ムキになって遊んでいるのだ。 まあ、何でもいいけど、ちょっとすぐるが自立に向けて、気が付いてくれてよかった。 ちょっとずつ前進前進・・・。 私はひたすら寝ていただけの数日間だったが。 健康とは有り難いね。 動けないと、余計に色んな事が目について、やりたくなって困る。 洗濯したい。猫のトイレに薬、風呂も入れないと・・・。冬物仕舞いたい。掃除したい。 布団干したい。コタツ布団仕舞いたい・・・。 疲れは取れても、ストレスは溜まるな。 やっぱり健康で、普通の生活が一番だね! |
|
2008 04,15 17:59 |
|
すみません。再び体調不良です。
只今、38,4度です。昨日は39,6度までいっちゃいましたよ。 この一週間で5キロ痩せました。 今日お医者様に行ってきました。 ただの風邪で、何ともなかったのでよかったです。 本当はいろいろ書きたい事が山のようにあるんですが・・・。 でもちょっと寂しくなって、ここに書いております。 早く完治させるためにも、完全復活するまでブログはお休みさせていただきます。 と、言う事でおやすみなさい~。 |
|
忍者ブログ [PR] |