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2007 05,10 21:26 |
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最近、ここ毎日のように、シマの事を考えるだけで、やたら涙が出てくる。
「悲しい」という気持ちより「寂しい」という気持ちがそうさせるのだろうが、それにしても一体・・・どうしたんだ?私・・・という感じ。 原因の一つは、シマの魂が昨日「とうとう成仏してしまった」事もある。 体の方はまだ生きているが・・・。 いつもと変わらず、甘えに来るし、寂しくなると鳴いて私達を呼ぶ事もある。 でも中身は入っていない事は分かる。 一昨日の夜、私は寝付けなかった。 それどころかシマの事を考えていると、涙ばかりこぼれてくる。 私は「死」とは、決して悲しいお別れではないという事を知っている。 「死」はこの世からの「卒業」に過ぎず、来世への「新たな旅立ち」だと思っているからだ。 だから私は「死」をむしろ「喜ばしい事」だと理解しているのである。 その私がシマの死を前に、涙を流している事が、自分自身不思議でならない。 きっと過去のシマが不憫でならない事が、涙の原因なのだろう。 今は目の前のシマを可愛がる事と、来世の幸せを祈る事が、今の私が出来る精一杯だろう。 そうそう・・・それで夜、寝付けないでいたら、死んで守護霊となってるチョロが私の所にやってきた。 「シマを連れて行くよ」と言うので、私は何度も何度も念を押して 「チョロ、頼むね。良い所まで連れて行ってね。頼むね。」 と頼んだ。チョロは私の気持ちを分かっているので 「大丈夫だよ、お母さん。ちゃんと連れて行くから。」 と言ってくれた。 シマの魂はキラキラしていて、とてもキレイだ。 私には6キロあったチョロと、たった3キロしかないシマが並んで、駆け上がって行く所が鮮明に描ける。 まるで親子のように大きさが違う2匹。同じ大人のオス猫なのにね。 こうしてお迎えが出来るように、最近チョロは頻繁に姿を見せていたのだ。 私はこうして、安堵の気持ちと不憫でならない気持ちとで、一晩中涙を流していたのだ。 それにしても。 以前の私は家族や回りの人達につけ込まれたくなくて、人前で涙など流した事はなかった。 いつも持ち前の気の強さで、何でもないフリをし、 「そんな事くらいで泣いてどうする!」 と自分自身を叱咤激励していた。 こうしていつしか自分の感情に無頓着になっていった私だったのだが。 だが、どうした事だろう! なんて人間らしくなったのだろう! 「猫が死んだ」と言っては泣き、「猫が可愛い」と言っては笑い・・・。 素直に自分の感情を表し、言いたい事が言える・・・・何て素晴らしいのだろう! 出来なかった時があり、その苦しさも知っているからこそ、こんなに喜べるのだ。 生きているって素晴らしい!本当に素晴らしい! これもまた「自分は成長したのだ」と、しまじろうから教えられたのだった。 PR |
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