2024 11,25 13:31 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2006 06,07 23:46 |
|
今日はちょっと疲れたなあ。勿論心地よい疲れだが・・。
そんな時決まって亡くなった義母の手が見える。 私が疲れを感じると、私が起きていても寝ていても「よしよし」と言うように頭を撫でてくれるのだ。 私が気がついてなくても、あやかが目ざとく見つけて 「またばあば(義母の事です)がお母さんの頭を撫でてるよ。よっぽど可愛いんだねえ」と言って笑う時もある。 義母は私にとって姑であり、前夫の母親である。 私は自分の母親は好きじゃないが、義母は大好きだ。 義父も本当に良い人で、実父には愛情を感じたことはないが、義父は大好きなのである。 私は自分の両親から与えられなかった愛情を、この義父母から与えてもらった。 私は結婚したばかりの頃、一人ぼっちでとても寂しかった。 実父は結婚して出て行った私には無関心だったし、母は例のごとく「遠くて行けない」と言って来てくれた事などなかった。 そんな私を気遣ってよく義父母が買い物に連れ出してくれた。 娘がいなかった義父は特に嬉しそうに行く先々で 「うちの娘だ」と言って私を連れ歩いた。 私は「嫁だ」と言われて紹介された事はない。本当に幸せだと思った。 私がこの二人が好きなのは、何事もストレートだったからだ。 影で絶対私の悪口を言わなかった。言う必要が無かったのだ。 特に義母は真っ向勝負を挑んでくる人だった。 本当に気持ち良いくらいだった。なので私もその勝負を受けて立った。 「あんたの作った煮物は甘い」「しょっぱい物よりいいでしょ!」 「私の脱いだ履物くらい揃えなさいよ!」「自分でやれ!」 「全く言う事聞かない子だねえ」「お母さんに言われたくない!」 同居してないのが幸いしていたが、それでも私は義母と 「このバカ嫁~!」「うるさいっ糞ババアッ!」 と大喧嘩したのも一度や二度ではない。 でも私はこの遠慮の無い関係が嬉しかった。 実母にこんな事言おうものなら 「どうせ私なんか死ねばいい」だの「あたしゃみんなに見捨てられて死ぬんだ」だの 訳の分からん事を言い出し、いじけて一時間は泣くし、 後々「前、あんたにこんな事言われた」とグズグズ言うので、それが面倒で未だに自分の本音など言った事は無い。 しかし義母の器の大きさはどうだ。ちゃんと向き合って受けとめてくれるのだ。 そして何より有難かったのは私の為を思ってよく叱ってくれた事だ。 何で怒られたのかは忘れてしまったが、義父に 「そんな格好でいたら風邪ひくだろう!何やってんだ、馬鹿野郎!」とこっ酷く叱られた事がある。 この時本当に義父は怒っていた。 でも私は物凄く嬉しくてニヤニヤしてしまったのを覚えている。 両親が私の為に叱ってくれた事など一度もなかったからだ。 きっと父だったらこう言うだろう。 「そんな格好でいたら風邪ひくぞ。ま、お前が死んでもオレは別にいいけどな」とか 「世間体が悪いからやめろ」とか八つ当たりであったり、とにかく愛を感じた事はなかった。 前夫はニヤニヤしている私が理解出来なくて 「お前怒られてるんだぞ。分かってるのか?」と怪訝そうな顔をしている。 「だって嬉しいんだもん。初めて怒られた」 と答える私に、義父母は全てを察したようだった。 「そうか、そんなに嬉しいか?」と義父は言い、 「お前は不憫な子だなあ」と言って涙ぐんでいたのが印象的だった。 前夫も実の両親すら私の寂しさを理解してはくれなかったが、この二人だけは分かってくれた。 私にはそれで十分だった。 前夫には散々振り回されたが、義父母がいてくれたから10年間頑張ってこれたと思う。 離婚を決めた時も義母は私の良き理解者だった。 血の繋がりを超えた何とも深い絆を感じた。 離婚から半年経った頃、義母は亡くなったが、それからずっと私の傍にいてくれる。 自分の息子ではなく私の傍にいてくれるのが嬉しい。 今も私の右隣に居るが「私の事も書いてよ」というのだ。 はいはい、書いてますよ。 これからちょくちょく義母の事を書くと思うが、本当に感謝しかない。 義父は今ひっそりと一人暮らしをしている。 子供達は年に2,3回は会いに行く。 最近めっきり老け込んだみたいで気がかりだ。 また今度顔でも見に行こうかなあ・・。 勿論、義母は義父にも寄り添っている。 お義母さん、お義父さんを見守っててね。 PR |
|
コメント |
コメント投稿 |
|
trackback |
トラックバックURL |
忍者ブログ [PR] |