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2006 12,08 23:19 |
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さて、今日はたいして書く事がないので、昨日の続きを書く事にするか。
私は約10年間に及ぶ結婚生活をしていた訳だが、昨日も書いたように大概私一人で、育児や家事、家計を背負っていた。 それは今思えば、私が勝手に買って出た苦労であった。 旦那の自己中心的な性格が、家庭への無関心、非協力的な態度になり、それ故私が頑張らざるを得なかった訳だが、それでも心底夫を嫌いになれず、いつもどこかで彼に期待していた。 「いつか気付いてくれるのでは」「変わってくれるのでは・・・」 見事、期待外れだったが。しかし縁が終わらないうちは、そんなモンである。 この結婚生活のお陰で、私は「スキルアップ」する事が出来た。 しかし「カルマ(前世での負債)を返す」という側面も、間違いなくあっただろう。 「離婚」には、ホームページにも記した前世が影響していたが、「結婚生活」には、他の3つの前世が絡んで影響している。 まず1つ目。中世のヨーロッパでの事。折しも魔女狩りの真っ只中である。 私(中年の男)は町の女達が次々と捕まり、連行されている姿を見ている。 そのうち、自分の妻(私のソウルメイト)と娘(あやか)も連れて行かれてしまった。 男は抵抗しなかった訳ではないのだが、力及ばず、家族を守りきれなかったのだ。 やがて、男の身も危なくなり、一人逃げ延びた。 しかし、自分一人だけ助かった事、家族を守りきれなかった事に深い後悔と罪悪感を感じたのだ。 その時の私は「家族を守りきれなかった事は、何もしなかったのと同じだ!」と自分を責めたのだ。 それが、前夫の「無関心」「非協力」を呼んだのだ。 そうして私は自分を罰する道具に夫を使ったのだった。 もう1つの前世。やはり中世のヨーロッパで兵士をしていた。 私は大きな城に仕え、王から信頼を寄せられていた。 しかしそれを妬まれ、無実の罪を着せられ、投獄されたのだ。 私は死ぬまで拷問され続けたが、その間ずっと「私は無実だ」「やってない」と身の潔白を訴え続けた。 その「自分を貫く強さ」を今世の私が引き継いだ。私の意思の強さはここから来ているだろう。 さて一番影響を与えた前世。江戸時代の日本で百姓をしていた男の人生だ。 キャストは・・・ 百姓、30代後半・・・私。この時の人生の目的「報われない苦労、被害者」 妻、30代半ば・・・私のソウルメイト。じっと耐える、忍耐の人である。 父、60代・・・前夫。怠け者でぼうっとしているおじいさん。 母、60代・・・義母。苦労性。苦労の連続。 長男、14,5歳・・・かずま。この時の私が一番期待を寄せ、頼りにしていた。 次男、10歳・・・これから来る私の子供。実子なのか養子なのか分からないが。 長女、4,5歳・・・あやか。生命力の強さを一番感じる。しかしあまり利口ではない。 三男、3歳・・・すぐる。 赤ん坊・・・? すぐ見えたシーンは、干ばつなど大変な思いをしていた矢先、長男を流行り病で亡くし、がっくりと肩を落としている所である。 男は妻をなじり、八つ当たりしている。 男は仕方なく、役所に嘆願書を出しに町に行く。 その気持ちは「期待」ではなく、むしろ「惨め」で「憤り」が混じったものだった。 2、3日家を空け、町から帰って来た男が見た光景は、目茶苦茶に荒らされた畑だった。 男の留守に山賊が押し入り、畑を荒らしていったのだ。 妻や親達は、自分達や子供達を守るのに精一杯だったはずだ。 それは、更に前の前世での「加害者」だった山賊の時のカルマを返したのだろう。 しかし、当時は訳が分からず、またしてもがっくりと肩を落とす男。 で、妻に「俺が居ない間、お前は何してたんだあ!!!」と八つ当たり、怒りをぶつけるのだった。 これが罪悪感として残り、今世の私は前夫によく同じような台詞で、罵られたものだった。 さて、間も無く妻も流行病の為か、あっけなく死ぬ。 その看病をしていた母親もすぐ逝ってしまった。 男は何も出来ない父親と幼い4人の子供を抱えて、うろたえるはめになった。 しかし過労が祟ったのか、男も流行り病にかかり死んでしまう。 この時、子供達を残して先に逝く事に深い罪悪感を残している。 よほど気掛かりだったのか、この時の私は暫く成仏出来ず、子供達の行く末を見届けていない。 残された人達は、やはり大変だった。 まず赤ん坊が飢えて死に、次に爺さんが動けなくなり飢え死にする。 残った子供達3人は仕方なく町に出て、3人だけで生きていく事を余儀なくされる。 これは今世、離婚したばかりのうちの状況に似ている。 3人は暫く物乞いや盗みなどで何とか生きながらえていた。 しかし次男は間も無く事故なのか(よく見えない)死んでしまう。 長女のあやかは、幸運にも誰か大人に拾われ、働きながら大きくなる事が出来た。 この子は38くらいまで生きただろう。この子だけが人間らしく生きたのだ。 すぐるはあやかと生き別れた後、暫く盗みをして生きていた。 ある日の夜中、大きな店に盗みに入ったが、用心棒に見つかり、ばっさりと切り殺されているのが見える。 15,6歳くらいで死んでいるだろう。 このような前世が私の苦労を呼び、でも引き受けてきたのだ。 今思うと、納得する事がいくつかある。 私はよく「でも昔の人はもっと大変だったから・・」「昔は電気製品も無かったんだし」などと言っては、自分自身を慰め、励ましてきたのだった。 昔・・・って江戸時代かい!いつと比べてたんだろう。 それから、私の性格には「凝り性」というのがある。 何でもとことん、やらないと気が済まないのだ。 だから、「加害者」でも「被害者」でも、とことん「悪者」とことん「弱者」をやらせるのだ。 こうしないと、わたしは気が済まないんだね。 きっと結婚生活もとことんやったから、やっと「吹っ切る」事が出来たのだ。 今世は「苦労」でも何でも「終わらせる」事が大事な事だっただろうから。 その為には、前夫という人がかけがえの無い存在だったに違いない。 そう思うと、改めて前夫に感謝出来るのである。 PR |
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