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2006 07,01 22:47 |
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今日は弁天島の海開き、花火大会だ。
実家に行ってタダ飯が食べれる日である。 子供達は、食べるだけ食べたら、さっさと友達と出掛けてしまった。 きっと会場である海浜公園に行くのだろう。 私は正直躊躇する。 あんな狭いところで何万人もの人がすし詰め状態でいるのだ。 以前あわや圧迫死か?と思うような目に会っているからね。 3年前、この仕事を始めたばかりのこの花火大会の日、 私はすぐると親友の子(下の男の子)Uを連れて、海浜公園まで花火を見に行ったのだ。 当時は2人とも小5だったな。 そうしたら、物凄い人でたちまち身動きが出来なくなってしまった! 30分ほどそういう状態が続き、そのうちすぐるが 「酸欠でクラクラする・・・」と言い出しヤバイ!と思ったのだ。 大人の私でさえあちこちからギュウギュウ圧迫され、息苦しかったのだ。 離れ離れにならないよう私はすぐるとUの手を握っていたが、あわや引きちぎられそうな勢いである。 しかも大事な親友の子を預かっているのだ。何事もあってはならない。 「すぐる大丈夫?Uは?息出来る?」 と怒鳴り合いに近い声を出し、確認する。 そのうち私自身も酸欠で眩暈がし、ヤバイと思った時 「そうだ!私には守護霊という味方がいるんじゃないか。どうして思い出さなかったんだろう。」と思い、 「おじいちゃん!子供達を守って!」と心の中で叫んだ。 その瞬間、突如目の前の群衆の中に道が開けたのだ。 ビックリしたなあ。とにかく私達は抜け出し、新鮮な空気を吸う事が出来たのだ。 もう3人で「よかった!よかった!」と、抱き合って喜んだよ。 そんな事があってから私は公園内には行かないと決めたのだ。 さて一人残された私は両親のお守りである。 家の向かいに縁台を置き、3人で遠くの花火を見る。 主に私が喋り、母が笑ったり相槌をうったり、で父がニコニコしながら時折話しに参加する。 傍目から見たら仲の良い親子に見えるだろうね。 まあ、実際今は仲良いし。 子供の頃には想像だにしなかった事だ。 私が何か言えば父はとやかく言い、突っかかってきたものだ。 私も父の一番弱い所を突いては、ミゾを益々深めるといった事を繰り返していた。 それが今はどうだろう。 私の軽い冗談を笑って聞いている。 むしろ父の背中から愛情を感じ取れるのだから、時の流れって凄いなあと思う。 昔の父を思い返しても、やはり父は身勝手だったし、愛情のかけらも感じない。 しかし、意地悪親父役が終わったのか、年を取ったからなのか、何が父の転機になったのかは 私には分からないが、去年から本当にやさしくなった。 私にも子供達にもだ。それはとても有り難い事で、嬉しい。 ここまで辛抱してきたから、親の愛情をやっと感じる事が出来るんだよね。 若い時、早まったマネをしなくてよかった!って思う。 そんなこんなでペチャペチャ喋っていたら、いつの間にか花火は終わっていた。 あれ?私花火見てたっけ?覚えてないよ! まあいっか。どうせ来年もやる事だし。 オヤジの笑った顔を見たから良しとするか。 そんな訳で、私なりに楽しかったのだ。 PR |
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