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2006 12,13 21:56 |
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さあて、今日も書く事ないし・・・昨日の続きを書こう。
私はとにかく小さい頃の記憶がたくさんある。 だからみんなもそうなんだ、とばかり思っていたが、この仕事をやり始めたら、みんな大抵 「小さい頃の事はあんまり覚えてないんです・・・」 と言う。物凄くビックリしたものだ。 もしかして私って記憶力がいいの?と思ったくらい。 幼稚園に上がる前、私の家の玄関の脇に大きな青大将という蛇がとぐろを巻いて居座っており、それが一週間くらい居たのを覚えている。 それから祖父に庭先で小さなプールに入れてもらったのを覚えている。 祖父には物凄く可愛がられ、よく遊んでもらった。 しかし夜になると祖父は酔っ払っては暴れる・・・という事を繰り返すようになった。 原因は父だろう。婿養子の父は会社を終え、晩御飯を済ますと決まってマージャンをしに出掛けるのだ。 それがどうも真面目な祖父には気に入らなかったのだ。 でも面と向かって言えず、それを酒でごまかすように飲んでいたのである。 その酒量が日に日に多くなり、終いには家の中で暴れるようになった。 それでも決して私達には暴力を振るわなかったが、それでも毎晩のように聞こえてくる物音は怖かった。 やはり3歳くらいだったが、マージャンに行ってしまう父に、泣いてすがって 「お父さん行かないでよ・・・」と頼んだが、全く聞いてくれず、いそいそと行ってしまった。 この後、家の中がどういう風になるのか、知っていたからだ。怖かったのだ。 しかし父親は自分の不在中に何が行われているのか、知らされていなかったのだ。 父が祖父の酒乱に気付くのは、大分後になる。 しかし、私の必死の懇願も聞かずに行ってしまった父親の後姿と、その時の恨めしい気持ちは今もはっきりと覚えている。 どんなに落胆したか・・・想像つくと思う。 それから毎晩のようにガラスの割れる音、何かを叩き潰す音など聞いて育ったのだ。 これは小さかった私と妹に暗い影を随分落としたのだった。 こんな環境で育ったからか、経験がそうさせたのか分からないが、 「私がこうして覚えているように、子供は見ているんだ」 「我慢した事で、返って面倒が大きくなるんだな」 「うちの親ほど当てにならないものはないんだな」 など、いろいろな事を学べたのは間違いない。 当時、それでも祖父を嫌いにはならなかった。 昼間は優しいいつもの祖父だからだ。 母は妹に取られっぱなしだし、祖母は働き虫で自分の亭主が酒乱でも 「我慢、我慢」と言うだけで、何の知恵もない人だったからだ。 祖母は働く事しか能のない人で、情や心がない人だった。 だから当時の私に関心を寄せ、愛情や温もりという物をくれた人は、祖父だけだったのである。 きっと、これが私の男性観を歪めさせただろう。 だから前夫の嫌がらせのような言葉の虐待、無関心、非協力、そしてたまにくれる優しさを引き寄せた。 そして父と同じようにギャンブル好きときてる。もう最悪~!!! 私はよりによって、こういう形で最愛の人に、最悪の行為を引き出し、させていたのだ。 「でもこれが男だよね・・・」 と思っていたのだ。何せ私の周りの男のモデルが最悪すぎる! でもこの環境を選んで来たんだねえ。今なら意味も分かるけど。 この環境をクリア出来なければ、最悪のピークである中学生時代を乗り越えられなかっただろうから。 その為の布陣でもあったのだ。 こうして試練を通して、懐の「間口」を開けさせているのだ。 その所為か、お客様の悩みを聞いても、何を聞いても、あんまり驚かない。 昔から「度胸だけはあるんだなあ」と前夫や前の職場でも言われたし、感心されたが、きっとたくさんの経験を積ませてもらったからだろうね。 それにしても上手く行ってるな、と思う。 経験を積みながら、カルマを返せる場所を選んでるからだ。 ちなみに幼少期の怖さは、山賊などの前世での被害者側の気持ちを味あわせたかったのだろう。 私だけでなく、どんな方でもこうして前世のカルマを返させたり、経験を積ませたり・・・と自分の人生の課題をこなせるようになっているのだ。 ホント!うまく出来てるよね。 だから大抵の人の、前世と人生の目的とが、意味が繋がってくるのだ。 意味のない人生なんて、一つもない。ただみんな、知らないだけだ。 折角生まれてきたのに、ただぼんやりと暮らしてるだけなんて、勿体無いよね! さてさて。私が幼稚園に入ると家庭の状況はますます悪化する。 その事は、またの機会にしましょう。 PR |
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