2024 10,05 18:16 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2008 03,30 21:03 |
|
昨日のブログも失敗しちゃったが、(碌に調べもしないで載せてしまいました。ごめんなさい!)
今日も派手にやってしまった! ていうか、今週はそんな事ばかり・・・。もう、やばいよ!私!大丈夫かよ、自分。 いやいや、大丈夫じゃ、ありません。皆様に多大なご迷惑をお掛けしていますよ。 ホント、すいません!!!(汗) 今日の失敗は、セッションの予約自体を忘れていたのだ。おい、こらっ!自分。ダメでしょ? こんな事、5年やってて初めてだ。ってか、セールスしてた時だって、こんな失敗はないよ! もう、認知症なのか?ヤバいっしょ。私。 それも、今日のお客様は名古屋からわざわざ浜松まで来ていただいたのに、危うく帰らせてしまう所だった。 幸い、今日の予定は空いていたし、あやかもこっちにいたのでよかったが、あやかは出掛けていたので迎えに行き、予定より一時間遅れで始めさせて貰ったのだ。 ホント、冷や汗もん・・・。本当にすいませんでした。Kさん、Hさん。 これからは気をつけます!予定はすぐにメモらないといけませんね。 昨日は昨日で寝坊して、午前のお客様を30分待たせてしまった。 Mさん、ホントごめんなさい。 先日は先日で、携帯電話を忘れ、名古屋のあやかのアパートで気づき、また浜松まで取りに戻ったのだ。 お陰で2往復する羽目になった。 その時もお客様と連絡が取れず、大変迷惑を掛けたのだ。結局4時間遅れでやったが。 本当にすいませんでした。Kさん、Uさん、ごめんなさい~。 こんな大きな失敗を、今週で3回もやってしまった。 馬鹿じゃないだろうか。私って・・・。 私、自分で言うのも何だけど、かなりの仕事人間だと自負しているのだ。 だから忘れ物なんてトンデモナイ!ましてすっぽかすなんて信じられないね。 それを自分がしてるのだ!!!ホント信じられないよ! それにしても、どのお客様も心が広い!!! 皆様、爽やかな笑顔で許して下さる。しかも「会えてよかった」と、仰っていただいた。 ありがたい。私って本当に恵まれてるよなあ・・・。皆様神様のように出来た方ばかりだ。 でもそれに甘えてちゃいけないよね。気を引き締めなくちゃ。 そもそも何故このような失敗ばかりしているのか。 自分でも分かってる。 そろそろこの仕事が終わりだからだ。 私の興味は他に逸れている。 だからこそ、「来年の一月まで」と、一区切りつけるのだ。 だけど、私達はまだ必要とされていると思う。 苦しんでいらっしゃる方は、まだまだ沢山いらっしゃるのだから。 自惚れではなく、与えられた時間を精一杯やらなければ、と思うのだ。 よっしゃ、今日もまた自分を癒すかな。 気を引き締め、自分の意欲を取り戻すためだ。 まだこの仕事をやるからには、これ以上お客様に迷惑を掛ける訳にはいかないからね。 はしむらはまだまだ頑張りますので、懲りずに皆様、来てくださいね。 お待ちしていますよ~。 PR |
|
2008 03,29 21:12 |
|
今日、買い物に行ったら、衣料品のコーナーの一角に、腹掛けやら足袋が売られているのを見た。
あ!そうか・・・。もうすぐ浜松祭りなんだ! もう、そんな時期なんだ。そういえば、あと一か月後だよなあ・・・。 ま、うちは関係ないけどさ。浜松市民になったといったって、最近の事だし。 浜松祭りと言えば。 今日は、お客様のOさんから、良いお話を聞いた。 浜松祭りの凧上げの由来についてである。 始まりは、浜松城の城主、徳川家康公を慰める為に、凧上げをしたのだそうだ。 当時、家康は38歳。ちょうど今の私と同い年。 家康は、織田信長の命で、長男信康に自害を命じたのだ。 21歳の若さだったのである。 ちょうど、昨日母を連れて、浜松城へ花見に訪れたところだった。 ついでに浜松城を見学しようという事になり、場内を見て回ったのだ。 その一角に、パネルがあり、長男信康の自害について記されていた。 私はそれを見て、家康がどんな思いで我が子に自害を命じたのか、と思い、目頭が熱くなったのだ。 皆を守る為に下された決断。 21まで大きくしたのに、これから・・・と言う時に「死んでくれ」と、言わねばならない胸中はどんなものか。 自害までの経緯はともかく、その後の家康がどんなに悲しい思いをしたのか、想像に難くない。 それで家康を慰めようと、大衆が凧を上げたのが始まりだった・・・と、Oさんが教えてくださったのだ。 「だから凧祭は、初子・・・長子の名前を書くでしょ?あれは自害した信康の名前を書いたのが、由来なんですよ。」 「へえ~!」 Oさんの知識の深さに、すっかり感心してしまった。知らなかったよ。 (ところがこの情報が間違っている事が、判明!ご本人様より、ご指摘がありました。 引間城主の長男誕生を、祝ったのが始まりだそうです。詳しくは本日のコメント欄をご覧ください。 信康云々・・・は実話です。混乱をさせてしまって、ごめんなさい。) ちなみに私は徳川家康が好き。詳しくはないんだけど・・・。 だから家康公の名言には教わる事が多く、中でも大好きな言葉があるので、記しておきます。 「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。 心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る。己を責めても人を責めるな。 及ばざるは過ぎたるより勝れり。」 この言葉を聞いて、深く感動し、泣けてきた事を思い出します。 同時に励まされました。 たくさんの事を乗り越えてきたからこそ、大事業を成し遂げられたのですねえ。 そんな偉人の言葉には、重みがあります。 Oさん、良いお話をありがとうございました! さて、浜松城公園の桜は見事でした! 皆様にも見ていただきたいので、貼っておきますね。 ついでにチビちゃんの恥ずかちい一枚も・・・。キャー・・・エッチ! |
|
2008 03,27 20:32 |
|
最近また、昔の恨みつらみが出てきた。
本当はもう、うんざりなんだけど・・・。 いつまでも昔の事を、グチグチネチネチこんな所に書きたくないよ。 だけど出てくるんだから、しょうがない。 まるで、切っても切っても同じ柄が出てくる金太郎飴だ。 でも私だって分かっているのだ。 過去の父と、今の父は違うって言う事を。 それに父親の暴言を引き出していたのも私だし、そんな父を選んで生まれてきているのも、私なのだ。 でも、でも・・・許せない! そんな気持ちがまだ湧き上がって来る。 私の中に、まだまだ深くて暗い気持ちがたくさんあるのである。 私って、よっぽど恨んでるんだな。 何せ、あやかが霊視を嫌がるくらい、過去の私の恨みはすごい。 そのくらい、その頃の父は酷かった。 あやか曰く 「じいじの全ての鬱憤がお母さんに向けられてるね!お母さんは人間サンドバッグだ!」 ・・・そうだろうね。その頃の私に「人権」なんてなかった。 明らかに妹と「差」を付けられていたから。 私は、妹を可愛がる為の「当て馬」だったのだ。 私に「お前は二目と見られん顔だ」と言って、妹に「それに比べてお前は可愛いなあ」と言う風に、私を引き合いに出して可愛がるのだ。何に付けても、だ。毎日毎日・・・。 父は外面がいい。 「仏のかっちゃん」と言われるぐらい、「良い人」を演じてきた。 そのストレスが私に向けられていた。 機嫌の良い時はまだマシだが、麻雀で負けて来た時など最悪だ。 それに父は婿養子だ。家に帰れば、うるさい義父と義母がいるのだ。 しかも母はいつもジメジメした顔をしていて、魅力がない。 父は、化粧をして色気があり、快活で良く気が付くタイプの女が好きだが、母は色気もへったくれもない。 しかも不器用で、グズグズ愚痴ばかり言っている。 こんな家、面白くも何ともなかっただろう。 だからきっと私に八つ当たる事で、すべてのストレスを発散させていたに違いない。 そんな時、よく言われた言葉があった。 でも長い事思い出さなかった。辛かったんだろう。 でも何がきっかけか、ふと思い出したのだ。 あの嫌な言葉。 「お前が死ねば、セイセイするのに。」 この愛のかけらもない言葉を聞いて、育った。 なのに誰も私をかばってくれない。 それどころか、母はターゲットが私に向かい、明らかにホッとしていた。 だから父が私にグズグズ言い始めると、忙しいフリをして聞こえてないフリをしてたり、気付いてないフリをしたり・・・とにかく卑怯だ。 だから私は今でも、この二人を恨んでいるし、ある意味、お似合いの夫婦だとも思っている。 でも皮肉な事に、私が自殺を考えた時に、これが止めるきっかけにもなったのだ。 だって、私が死んでもだれも悲しまないだろうから。 きっと泣いても、それでも母は「私の所為じゃない」と言うだろうし、世間体ばかり気にしていて、むしろ 「あいつが自殺なんかしたばっかりに、俺達が悪く言われた」 とか、何とか言って、逆に逆恨みされそうだ。 そのくらい、トンチンカンが重症なのだ。 さて。それでも自分を癒さねばなるまい。 父の事をイメージしよう。 そうすると、やっぱり前世の事がでてくるのだ。 それも決まって、モンゴルの・・・だ。 あの残虐非道な山賊をしていた頃の自分なのだ。 やはり私は馬上から農民たちを見下ろしている。 私は馬鹿にしたように、ニヤニヤしながら。せせら笑っているのである。 このせせら笑い・・・! これは父が私に向けてよくしていた! 過去の自分がしていた事を、やはり今世父にさせていたのだ。 そして印象的な場面が。 ある家から、鍬を持った一人の老父が私に怒りを持って向かってくる。 尚も私はそれを笑って見ている。 私は馬上から下りずに、長いなたのようなもので、その農夫をあっという間に切り殺している。 この殺された男こそ、今世の父である。 この農夫は、村を度々襲っていた私にすさまじい恨みを持っていた。 そして恨みを持ったまま、私に殺されたのだ。そしてその恨みは今世に持ち越されたのである。 この恨みこそ・・・今の私の恨みと同じ気持ちなのだ。 ああ・・・だからか。かつての父と同じ気持ちを、今味わっているのである。 今の私の恨みは、過去の私の恨みでもあり、前世の父の恨みでもあるのだ。 そうして過去の父の気持ちを理解させられているのだ。 そう、理解したら、恨みの気持ちが落ち着いた。 前世のイメージも変わって来た。 イメージの中の自分は、馬から降り、皆に頭を下げ、農作業に加わり、汗を流している。 山賊から仲間に変わったのだ。 でもこれからもまだまだ出てくるんだろうな。いろんな気持ち・・・。 何だかもう面倒くさいんだけど、仕方ない、自分の事だからね。 自分の経験は、自分でしか分からないもん。 さあて、明日も頑張ろう。 |
|
2008 03,24 23:59 |
|
今日はジャガーをお医者さんに連れて行こう。
週末は何かと慌ただしく、すっかり忘れていたのだ。いかんいかん。 貧血のジャガーにレバーもあげてるし、栄養剤もあげてるから、これで体重の減りを食い止めてるといいなあ。 しかし、現実は残酷だ。 私の淡い期待を見事裏切られ、ジャガーの体重は減っていた。 5,4キロ。 先週より、200グラム減っていた。 ああ~・・・また減っちゃったかあ・・・。 どうにもこうにも、止められないのだ。現実は厳しい。 でもあきらめずに、投薬と栄養剤をあげ続けよう。 後で「もっと、こうすればよかった・・・」って、後悔したくないから。 「今後、どういう症状が出ますか?」 一応聞いておこう。 「血尿と鼻血ですね。それからふらついたり、歩けなくなるでしょう。」 そうか。覚悟せねば。辛いけど、仕方ない事だ。 今日も連れて来る時、大抵嫌がるのだが、その抵抗する力は非常に弱かった。 簡単に抱きすくめれるほど、ジャガーには抗う力はないのだ。 こういう事でも「弱ってるんだな」と思う。寂しい瞬間だ。 でも必ず私にも、こうして弱って老いていく時が来るのだ。 その時、悔いを残したくない。 「過去の、若かった私はなんて傲慢で残酷だったんだろう!」 って、懺悔の気持ちを持ちながら、過去の自分を責め続けるのは嫌だ。 だから絶対後悔の種を増やしたくないのだ。 さてと。すぐる達は今日一日、名古屋で遊んでいたんだろう。 あやかと一緒にメイド喫茶に行くって、言ってたから。 お互いすっごく楽しみにしていたみたいだけど。 行ったのかな?いちいち聞いてないから分かんないんだけど。 夜は夜で、早速兄弟喧嘩をしていたみたいで、その度にいちいち私に電話が掛かって来るから、ホント勘弁して欲しいよ。大体、原因はすぐるなんだけど。 あいつめ、友達の前だからって、調子に乗ってるな。 帰って来たら、ちょっと締めてやるか。ふふふ。 そもそも、今回名古屋まで自転車で行ったのはいいけど、これで変な自信まで付けられると、ちと面倒だ。 あいつの事だから、すぐ調子に乗ってつけ上がるのが、悪い癖だ! だから、すぐるは「馬鹿」と言うんだけど。 やっぱりすぐるにも早めの自立は必要だな。 困らないと分からないもの。誰だって、そうなのだ。 さあ、明日は朝早く名古屋を出て、こっちに帰って来るのだろう。 私は仕事で入れ替わりに名古屋へ行くので、いないんだけど。 お天気も回復したし、本当によかった。 無事に帰って来ますように。 |
|
2008 03,23 23:14 |
|
さて、すぐるはどうやら無事に着いたようで・・・。
夜中に電話もならず、私が安眠出来たって事は、補導もされなかったようだな。ふふふ。 何せ夜中の2時に出発したのだから。 こんな時間に子供がウロウロしてたら、捕まっちゃうよ。 一応、警察に捕まった時の為に、私からの「許可証」みたいなのを書いて持たせたのだ。 「警察の方々へ 許可してあります。ご安心を」 と言う内容だ。私だって、熟睡したいからさ。 私は朝、8時前に起きたが、ちょうどすぐるから連絡が入った。 「もう半分くらいのところだよ。岡崎辺りだから。」 だって。へえ~・・・案外、早かったな。 でも一時間後にまた電話が。 「T君の自転車がパンクしちゃったよ。だからちょっと遅くなるかもって、あやかに連絡入れておくね。」 「ゆっくり、行きなさい。」 結局、自転車屋さんを探して、直してもらえたようだ。 それで11時半には着いてしまったようだね。はやっ!そんなに早く着くもんなのか?! すごいな、チャリは。恐るべし、侮ってはいけないな。 あやかにお昼ごはんを作ってもらって・・・ハンバーグを作ったんだって・・・午後は爆睡していたようだ。 だから今頃元気になって、まだ大騒ぎして遊んでるんじゃないかな。 あやかもすぐるの友達と遊ぶのを楽しみにしていたからなあ。 さて、私は友達の息子、かずまくんの引っ越しの手伝いだ。 昨夜電車で来て、我が家に泊まり、一緒にアパートに行った。 まず掃除をし、カーペットを買い、布団を干し、それから必要な家電やちょっとした家具を買いに行った。 ひさしぶりに会ったかずまは、小さい頃からよく知ってる子だから、私にとって我が子同然。 血の繋がった甥っ子や姪っ子よりも可愛いのだ。 だから私もついつい遠慮のない物言いをしてしまう。 かずまもホント言いたい放題。 風呂掃除をさせたら、ヒョロヒョロで体力のないかずまは 「おばちゃ~ん、腕だるい~、もう、疲れた~。」 だってさ。 「おまえが住むんだから、おまえがちゃんとやれ!」 と言うと、「え~?」 「え?じゃねえよ!さっさとやれ!」 と、まあこんな感じ。 終いには、一番汚れてる所をやらせようと 「次はあそこを拭きなさい」 と言うと 「ええ~!?あそこのダンジョンは強過ぎ!オレもうHPないよ!」 「うるせえ!ゴチャゴチャ言わずに、あのラスボスを倒してこい!!!」 「オレ、最強の武器も何にもないのに?」 「ホラよ!新しい雑巾!新しい武器だ。早くやれ!」 「へ~い・・・。」 ヘ理屈にはヘ理屈で返す! こんな感じでトイレと風呂を掃除させ、私は台所を磨いていた。 二人でやったら、結構速くキレイになった! どうにか住める状態になった。 それから頼んであった洗濯機や冷蔵庫も夕方にはきて、やっと一息つく事が出来そうだ。 ちなみに、私の知り合いのリサイクル屋さんだが、冷蔵庫、テレビ、電子レンジ、洗濯機を持って来てくれ、代わりに古い洗濯機とテレビを持って行ってくれた。 リサイクル料を含めても、2万円以下だった。安いでしょ?! このリサイクル品は決して古い訳ではないが、ちょっとしたキズがあったり、人気のない型だったり、するだけで、なんら損傷はない。 でも在庫が山のようにあり、早く一掃したいので、運送料のみで譲って下さるのだ。 どなたにも紹介しますよ。よかったら電話をくださいね。 それから、やっと晩御飯を食べに行き、その後また買い出しに出掛ける。 日用品や当面の食糧、それから大事な足、自転車を買うのだ。 こういう買い物って、本当に楽しい。自分が買う訳じゃあないんだけど。 それから買ったものをしまい、後片付けをして夜の10時過ぎに帰って来たのだ。 疲れたけど、楽しかった~。 ちなみにこのかずまとうちのかずまも仲が良く、・・・と言ってもたまにしか会わないが、会うとお互い 「かずま」「かずま君」 と、呼び合う。同じ名前なのでややこしいが、でも二人同時に呼びたい時は 「かずま!」 と呼べば二人同時に「なあに?」と振り向くので、便利だ。 しかもこの二人、結構性格も似てる。 へたれでマイペースなところだ。二人共、ボ~ッとしてるしさ・・・。 「名前の所為かな?」 とよく私達は笑って言うんだけど。でも漢字は違うしね。 他にも、私はあと二人「かずま」という名前の男の子を知ってる。 勿論この二人の子達は性格が全然ちがうけどね。 かずま、という名前も意外に多いのである。 今頃、我が家のかずまは何処でどうしているのか? また、あやかは夢で見たようだが。 こっちのかずまは新しい第一歩を踏み出した。 今春から社会人として就職なのだ。 18歳の春に期待しているのである。頑張れ、かずま君! |
|
忍者ブログ [PR] |