2024 09,21 17:35 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2007 01,06 20:09 |
|
皆さん、お正月はゆっくり休めましたか?
私も暮れと正月は休みましたよ。 この仕事を始めてから、お正月休みを取れるようになった。 離婚してから9年、この仕事に就く前の4年間は正月も働いていたのだ。 その時もずっと夜中中働いていたので、働いている最中に 「あ!!12時だ!明けましておめでとう!」 と、職場で新年を迎えたのだった。 これはこれで楽しかったけどね。 子供達も私が居ない間、勝手に楽しんでいたようである。 その頃は実家の両親とも絶縁していたので、子供達で過ごしていた。 明け方コンビニに行ったり、初日を見に行ったり、かなり楽しんでいたみたいだ。 普段は表に出歩いたりしなかったようだが、年末年始は特別だよね。 こういう時も3人揃って、行動してたなあ。 もし一人っ子だったら、寂しさからきっと非行に走っていたかもしれない。 でも3人だったから、肩を寄せ合って切り抜けてくれたのだ。 3人の子供を一人で育てる、っていうのはプレッシャーに感じて大変だった時もあったけど、やっぱりそれで良かったと思う。 だからこそ、安心して放っとけれた、というのもあるだろう。 離婚後5年目は実家で両親と同居していた。 この時は深夜の仕事は辞め、昼間本屋さんでバイトをしていた。 勿論、元旦からフルタイムで勤務していた。 夜には一緒に子供達と過ごせるようになったけどね。 しかも、この年の一月中旬には、東京に行って催眠の勉強に行っていた。 その2ヵ月後、この仕事をスタートさせたのである。 その次の正月は、セラピストになって始めて迎える正月だった。 お陰様でその年は年末年始とも仕事をしていた。 なので、子供達と一日ゆっくり過ごした年末年始は、去年、一昨年くらいなものである。 今年は私はちゃんと休めたが、かずまは不在で、あやかは一日からバイトだったのだ。 うちって、ほんと揃わない一家だよなあ。 しかし、感慨深いものがある。 今までは私がバイトやパートに行っていたが、今じゃ子供がバイトに行くようになったんだものね。 年月の速さを物語るのだ。 あやかも正月の営業が「こんなに大変なんて!」と驚いていた。 平日の8倍もの売上げがあったらしい。そりゃ、凄いよね。 私も以前ファミレスや本屋さんなどで正月営業の凄まじさ、というのを実感したが、ホントに忙しかった! だから返って楽しかったけどね。時間があっという間に経ったものだ。 やっぱり大変だけど、忙しいって嬉しい。 どんな仕事でも必要とされるって素晴らしいよね。 体を労わりつつ、頑張ろうって思う。 体を大事にしましょう! PR |
|
2006 12,26 22:08 |
|
今年ももうすぐ終わりですね。
大掃除でもしようかと思えば、雨降ってるし・・・。 去年の今頃って何してたっけ~???と思ったら、 「そういえばフリマ(フリーマーケット)やってたっけ・・・」 と思い出した。 去年、親友H子ちゃんの引っ越した後を、私が片付けていた。 私がやりたくて買って出たのだ。 ただ、彼女が残していった膨大な量の洋服をどう処分しようかと思い、かねてからやってみたかったフリマをやってみようと思ったのだ。 6月から月一のペースでやっていた。 そうしたらここら辺のフリマ状況が分かってきた。 最初は目新しい事が面白かったので楽しかったが、定期的に開いている所で定期的に出店するようになると、いろいろな事に気付いてきた。 どこでやっても、必ず会う常連がいるのだ。 オタクみたいなヤツとか、親子連れとか、業者の人とか、浮浪者の人とか・・・。 でも一番嫌な人は、フリマ慣れしている人なのだ。 嫌な値切り方をするのだ。 「あそこではこれと同じような物を100円にしてたわよ。あんた、まけなさいよ~」 みたいな感じ。とりあえずそこら中漁りまくり「なあんだ・・・」と捨て台詞をはいていくヤツとかね。 なんか人間の汚い部分がよく見えるのだ。ああ・・・やだやだ・・・。 最初はそこそこ儲けもあったが、回数を重ねるたびに儲けはなくなり、出店料だけは取られる・・・みたいになってきた。 で、12月になり大分洋服も処分できたし、あと一回か二回で終わりのしようか、と思っていた。 それが去年の今頃だ。 去年は今年よりも格段に寒かった。 風が強く冷たく吹いていた。 私はあやかを連れて、早起きしてフリマの会場に行った。 行ってビックリ!誰もいねえええ・・・。 会場にテントがぽつんとあり、スタッフが数名いるだけで、出店者は私達を入れて2名だけだった! そりゃそうだよなあ・・・。こんな年末に・・・みんな忙しいよなあ。 それに何より・・・客がいねええええ・・・。 ヒュルリ~ヒュルリララ~・・・・。 寒いわ、客が居ないわ、駐車場代が掛かるわ・・・で、予定より早く切り上げて帰ろうと決めた。 それで駐車場から車を出し、路上に出た所で、なんと!!! 警察に止められ、シートベルトで切符を切られたのだ。ガビーン!!! 会場と駐車場は目と鼻の先にあり、油断したのがいけなかったが、でもこんな所で警察に捕まるとは思わなかったよ。 これで懲りた私は「もうフリマはやめよう」と思ったのだ。 でもフリマをやって、いろんな事に改めて気づいたのだ。 ただ物を並べて売る、というのは難しいなと思ったし、まして信頼なんて遠い世界だな、と思ったのだ。 それに比べたら、今やってる私達の仕事の素晴しさといったら! 人と深く関わり、信頼しあい、感謝出来るのだ。 お陰でこんなに満ち足りた日々を送らせていただいている。 そして私のクセ、「無理をする」という事を改めて浮き彫りにしたのだ。 前日もあやかに「疲れているから明日はやめようよ」と言われていた。 でも私は頑張ってしまったのだ。 折角予定を入れたから・・・。急にキャンセルしたら悪いから・・・。 本当は疲れた、休みたい、止めようかなあ・・・と思っていたのに、自分の気持ちを無視し、頑張ってしまったのだ。 その挙句に、警察に捕まったのだ。馬鹿馬鹿しい! だから、無理をしてはいけませんよ~。 私のようになりますよ。空回りしちゃいますから。 あれから全ての物を古着屋に処分しに行き、フリマはやめてしまった。 それですっきりした。仕事も忙しかったし、丁度よかったのだ。 でも、フリマをやってよかった。とりあえず気が済んだからだ。 やったら分かるよね。経験しないと分からない事はたくさんあるのだ。 今となっては良い思い出だ。 しかし時の流れは速い。来年の今頃はどうなっているのか。 素敵な彼が出来ているといいなあ・・・。 来年の自分に期待しているのである。 |
|
2006 12,23 20:03 |
|
今朝、起きたら首が痛かった。
どうやら筋でも痛めたのだろう。 なので今日一日、左へ向く事が出来なかった。 もう~不便不便・・・。 何が不便て、一番困ったのは車の運転でのバックだろう。 だからバックする時は、上半身ごと振り返ってバックしたのだ。 そしたら「ゴキッ」っと腰が痛くなった。 なので元々悪かった左側の腰も痛めた。 アホですか~?!私・・・。 勿論、悪霊も前世も関係ない。 運動不足という現実が原因である。 去年はかずまとウォーキングなどしたりして、結構運動に気を使っていたのだ。 そしたら皮肉な事に、それで腰が痛くなった。 それきり運動らしい運動はなし。 元々運動嫌いなのに、ますます動かなくなっちゃって、かなりヤバイよね。 ヘルニアもやった事があるので、急に運動するのも怖いしね。 私は32歳の時ヘルニアをやってしまった。 ヘルパーの勉強をした時に、介護者を抱き起こす練習をしていて、痛めてしまったのだ。 今思えば「その仕事は違う」と、止められたんだよね。 そして守護霊の祖父に「お前はこうでもしないと休まない」と、強制的に休みを取らされたのだ。 それからは、ヘルニアと上手に付き合うようにしている。 無理をすると痛くなるので、痛みが出てきたら 「休めって事だな」 と思うようにしている。 でも今じゃ、休みすぎて運動不足なんだよね~。 しかし、このヘルニアは私に人生の転換期を迎えさせたのだ。 私はこの時、痛くて眠れず、一ヶ月は寝たきりだった。 まだ小さかった子供達がご飯を炊き、買い物に行ったり、洗濯をしたり、それはそれは役に立ったのだ。 どんなに頼もしく感じただろう。子供を産んでよかったな、と思ったものだ。 前夫にも助けてもらった。たった一日だけど。 結婚していた時は何にもしてもらわなかったが、この時ばかりは感謝した。 そして何より、将来の事を真剣に考える様になった。 私は働く事が好きだったし、やっていける自信もあった。 でも、いつこうして病気になったり、事故に遭ったりするか分からないんだ、と思ったのだ。 今より確実に年を取るのだ。 私が40になった時、健康で働ける保障なんてどこにもない。 まして元々腰の悪い私が、こうしてヘルニアをやってしまって、本当に働き続けられるのだろうか? この不安が、今の仕事へと導いたのだ。 自分のペースで、一生働けるモノが欲しい・・・と思ったのである。 でも、どうせやるなら自分の好きな事をやろう! こうして一年後、今の仕事を始めたのだ。 好きな世界の上、自分の経験が活かせるのではないか? 私はこうして、ずうずうしくもセラピストをさせていただいているのだ。 あの時の猛烈な痛みが、眠れぬ日々が、今の私を導いてくれた。 おじいちゃんが守護霊なのに、何故こんな痛みを・・・と思ったが、確かにおじいちゃんは守護霊として働いてくれたのだ。 痛みを素直に受け取って、よかった。 この季節になると、冷えから痛みがぶり返す事があるが、この痛みで今の私があると思うと、そんなにくよくよしなくて済む。 むしろ大事な警告だと思えるから、ありがたい。 でも首の痛みは違うぞ~。 これって・・・寝相が悪かったのか? そんな訳で今日一日、左を見れなかったのだ。 ホント!健康ってありがたいですよね~!!! 皆さんもお体をお大事に! |
|
2006 12,13 21:56 |
|
さあて、今日も書く事ないし・・・昨日の続きを書こう。
私はとにかく小さい頃の記憶がたくさんある。 だからみんなもそうなんだ、とばかり思っていたが、この仕事をやり始めたら、みんな大抵 「小さい頃の事はあんまり覚えてないんです・・・」 と言う。物凄くビックリしたものだ。 もしかして私って記憶力がいいの?と思ったくらい。 幼稚園に上がる前、私の家の玄関の脇に大きな青大将という蛇がとぐろを巻いて居座っており、それが一週間くらい居たのを覚えている。 それから祖父に庭先で小さなプールに入れてもらったのを覚えている。 祖父には物凄く可愛がられ、よく遊んでもらった。 しかし夜になると祖父は酔っ払っては暴れる・・・という事を繰り返すようになった。 原因は父だろう。婿養子の父は会社を終え、晩御飯を済ますと決まってマージャンをしに出掛けるのだ。 それがどうも真面目な祖父には気に入らなかったのだ。 でも面と向かって言えず、それを酒でごまかすように飲んでいたのである。 その酒量が日に日に多くなり、終いには家の中で暴れるようになった。 それでも決して私達には暴力を振るわなかったが、それでも毎晩のように聞こえてくる物音は怖かった。 やはり3歳くらいだったが、マージャンに行ってしまう父に、泣いてすがって 「お父さん行かないでよ・・・」と頼んだが、全く聞いてくれず、いそいそと行ってしまった。 この後、家の中がどういう風になるのか、知っていたからだ。怖かったのだ。 しかし父親は自分の不在中に何が行われているのか、知らされていなかったのだ。 父が祖父の酒乱に気付くのは、大分後になる。 しかし、私の必死の懇願も聞かずに行ってしまった父親の後姿と、その時の恨めしい気持ちは今もはっきりと覚えている。 どんなに落胆したか・・・想像つくと思う。 それから毎晩のようにガラスの割れる音、何かを叩き潰す音など聞いて育ったのだ。 これは小さかった私と妹に暗い影を随分落としたのだった。 こんな環境で育ったからか、経験がそうさせたのか分からないが、 「私がこうして覚えているように、子供は見ているんだ」 「我慢した事で、返って面倒が大きくなるんだな」 「うちの親ほど当てにならないものはないんだな」 など、いろいろな事を学べたのは間違いない。 当時、それでも祖父を嫌いにはならなかった。 昼間は優しいいつもの祖父だからだ。 母は妹に取られっぱなしだし、祖母は働き虫で自分の亭主が酒乱でも 「我慢、我慢」と言うだけで、何の知恵もない人だったからだ。 祖母は働く事しか能のない人で、情や心がない人だった。 だから当時の私に関心を寄せ、愛情や温もりという物をくれた人は、祖父だけだったのである。 きっと、これが私の男性観を歪めさせただろう。 だから前夫の嫌がらせのような言葉の虐待、無関心、非協力、そしてたまにくれる優しさを引き寄せた。 そして父と同じようにギャンブル好きときてる。もう最悪~!!! 私はよりによって、こういう形で最愛の人に、最悪の行為を引き出し、させていたのだ。 「でもこれが男だよね・・・」 と思っていたのだ。何せ私の周りの男のモデルが最悪すぎる! でもこの環境を選んで来たんだねえ。今なら意味も分かるけど。 この環境をクリア出来なければ、最悪のピークである中学生時代を乗り越えられなかっただろうから。 その為の布陣でもあったのだ。 こうして試練を通して、懐の「間口」を開けさせているのだ。 その所為か、お客様の悩みを聞いても、何を聞いても、あんまり驚かない。 昔から「度胸だけはあるんだなあ」と前夫や前の職場でも言われたし、感心されたが、きっとたくさんの経験を積ませてもらったからだろうね。 それにしても上手く行ってるな、と思う。 経験を積みながら、カルマを返せる場所を選んでるからだ。 ちなみに幼少期の怖さは、山賊などの前世での被害者側の気持ちを味あわせたかったのだろう。 私だけでなく、どんな方でもこうして前世のカルマを返させたり、経験を積ませたり・・・と自分の人生の課題をこなせるようになっているのだ。 ホント!うまく出来てるよね。 だから大抵の人の、前世と人生の目的とが、意味が繋がってくるのだ。 意味のない人生なんて、一つもない。ただみんな、知らないだけだ。 折角生まれてきたのに、ただぼんやりと暮らしてるだけなんて、勿体無いよね! さてさて。私が幼稚園に入ると家庭の状況はますます悪化する。 その事は、またの機会にしましょう。 |
|
2006 12,13 02:13 |
|
最近、変な時間に眠くなって、肝心な夜に全然眠れない。
だから寝ている割には、寝不足っぽい。 不眠症という訳ではないから、いいんだけど・・・。 でも眠れない夜というのは、大抵幽霊が多い。 その所為か、昔の事とか、あの人にあんな事言われたとか、こんな事言われたとか、いろいろ思い出す。 それで別にヘコむ事はないんだけどね。 ただ、生まれてから一番最初の記憶って何だっけ・・・と思い出していた。 眠れなくて暇だったので。 多分一番最初の記憶は、生後10ヶ月頃の事だ。 かなりはっきりと覚えている。 私は助産院で生まれたが、母がそこの助産院で二日違いで生んだ人と親しくなり、久しぶりに近所の弁天島で落ち合おう、という事になったのだと思う。 その時の事は写真にも残っているので、はっきりと覚えている。 とにかく私はその時から気の小さい母の不安をまともに貰ったのか、不安で不安で仕方なかった。 で、弁天島へ行く為、母が自転車の前(補助席みたいな椅子)に私を座らせたが、その自転車が不安定で怖かった事、それからどこか知らない所へ連れて行かれる事が不安でたまらなかった事が蘇る。 だから私は怖くて泣いた。 弁天に着くと、どこかコンクリート(多分防波堤の片隅)に腰掛、お互いの子供を挟んで母親同士が喋っていた。 でも相手の子(女の子、後に小、中まで一緒)を一目見て、私は「怖い」と思ったのだ。 その子は気が強そうで、意地も悪そうに見えたし、隙があれば何かしてやろうという好奇心を感じ取ったのだ。 案の定、母同士がお喋りに夢中になってる時、私はその子に腕かほっぺをきつくツネられたのである。 とにかく痛くて、私は火が点いたように泣いたのだった。 母は「何だね、この子は・・・もう泣いてばっかりで・・・」 と、何故私が泣いているのか気が付かないのだ。 それどころか、私が泣く事で相手の気分を損ねるのでは、と相手の顔色を窺っているのを感じ、私は泣きながら 「この人に私の事を理解して貰えない。私の事を愛していない。」 と不信感とあきらめを感じたのだ。 この出来事を日が経つに連れて忘れていったが、3歳の頃、アルバムを見てはっきりと思い出したのだ。 その時も漠然とした不安と嫌な気持ちを思い出していたのだが、 「やっぱり昔からお母さんは信用出来ない」 と改めて認識したのだった。 母は頼りなく、いつもおどおどしており、判断力も行動力もないのを、子供ながら「不信感」という形で感じ取っていたのだ。 その為日常の大半を「不安」な気持ちで過ごしていた為か、小さい頃の記憶はたくさんあるし、鮮明だ。 人間の脳は「ネガティブ」な事の方が記憶に残るようだ。 あんまり良い思い出がないのは確かだ。 私の前夫は大変霊感が高く、彼は生まれた瞬間の記憶があると言う。 生まれて最初に見たのは、自宅(自宅出産だった)の天井のシミだそうだ。 シミの一つが鬼の顔と重なっており、生まれた自分を見ていた、と言うのだ。 それが「怖くて怖くて仕方なかった」と言っていた。 かずまも生後間もない頃の記憶があるようだ。 時々お客様の中にもこうした古い記憶を持った方がいらっしゃる。 人間て案外記憶力がいいんだな。 それを催眠をやる事によって、更に思い出すことが出来るのだから、催眠は便利だ。 思えば昔からあんまり良い思いをしていないからこそ、今が一番楽しいのだと思える。 もう昔には戻りたくない。 またちょくちょくここで書かせて頂くが、3歳から私の人生はより厳しく寂しくなっていく。 でも「明けない夜は来ない」のだ。 今厳しい道を歩いていらっしゃる方達がいたら、「きっと抜け出せるんだ!」って希望を持って頂きたい。 |
|
忍者ブログ [PR] |