2024 09,21 14:56 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2007 04,17 19:36 |
|
今日は何を書こうかなあ・・・。
久しぶりに昔の事を書こうかなあ・・・。 前のブログの続き、幼稚園の事でも書こう。 という事で幼稚園時代の私の事を書きます。 今の私を見て、「そんな時があったの?!!!」と驚かれるかも! とにかく大人しい子だったから・・・。 前回書いたが、家の中では祖父が、アル中で散々暴れまわっていた。 こんな影響からか、私はすっかりビクビクおどおどしており、幼稚園に行っても喋らない子になってしまった。 毎朝出席を確認する為、先生が名前を呼んでも私は返事が出来なかった。 卒園する間際まで返事をした覚えが無い。 しかもみんなの様にイスにも座らず、私は部屋の隅っこでじい~っと指を咥えて、体育座りをして見てる・・・そんな子だった。 みんなと同じようにしたら、何か起こるんじゃないか(叩かれるとか、張り倒されるとか)そんな恐怖心があったからだ。 しかも肝心な事も言えず、結果毎日オシッコをもらして、パンツのお土産を持って帰る、そんな毎日だった。 だから私は周りの先生から「変な子だ」と言われ、そういう目つきで見られていた。 そのうちの一人の先生は、今息子の通う中学校で事務員をやってるけどね。 その先生を見る度、それを思い出す。 私は幼稚園でみんなと遊んだ思い出はあまりない。 勇気を出して「入れて」と言ったら「いやだ!」と言われたり、どうやって遊んでいいのか分からなかったり。 私にとって、幼稚園と言う社会は「恐怖」そのものだった。 でも生真面目に幼稚園に通うので、母は安心していたみたいだ。 でも私には怖い家より「まだマシ」と言うだけの事だったのだ。 ある日、モタモタしてたら幼稚園バスに乗り遅れ、私は泣きながら走ってバスを追いかけた事がある。 もう半狂乱だった。母が 「あんたが遅いから遅れた」とか「みんなに笑われる」とか言われ、散々責められ追い立てられたからだ。 でも私がバスを追い駆けようと裸足で飛び出たら、母はそんな私を見て、せせら笑っていたのだ。 それは、私の中の母に対する「不信感」「怒り」「憤り」を決定付ける物だった。 結局その後、私は母に自転車で送ってもらったが、みんなからも 「あんた、泣きながら走ってたでしょ」 と、からかわれ、馬鹿にされたのだ。暫く母を恨んだのは言うまでも無い。 トロい私が悪かったが、でもまだ4歳の私に何が出来よう。 無用の恥をかかされ、冷ややかな視線を浴びせられ、でも母親はかばってもくれないどころか、笑って見てるなんて! 私はこういう記憶を事細かに、たくさん覚えている。 「記憶力が良いでしょ?」という自慢ではない。 小さくても覚えているんだ、という事を知ってもらいたいのだ。 「子供はちゃんと見てる」という事を。 たまに「子供だからいいよね」と言う人がいる。 でも、聞いてますよ、子供は。 子供をおだてたり、持ち上げたりする必要は無いと思う。 そうではなく、子供を「一人の人間として」尊重する事が大事だ、と思うのだ。 我儘を聞く事でもない、断じて! そして子供を「一人の人間として扱う」事が、お互いの「自立」の始まりでもあると思うのだ。 残念ながらそれが出来てる人は少ない。 変に子供に「媚」をうり、お伺いを立て、甘やかし、そのくせ 「男(女)なんだから」とか「子供のクセに」とか言って型をはめ 「勉強しなさい」とか「言う事を聞きなさい」とか、要求するのだ。 だからそういうことに対して反抗するのに 「反抗期だから」と言って、片付けてしまうのだ。 それは危険だ。 その子自身を見ていないからだ。そういう人が多い。全部とは言いませんが。 そして「話し合い」が出来ていない家族の多い事。 それ以前の「会話」すらない家庭もあるのだ。 私の育った家庭もそうだったが、それでは健全な子供は育たない。 自分自身もそうだったが、やはり「不幸」だ。 それ故「なぜ生まれて来たんだろう?」「何のために生まれて来るの?」などと、深い葛藤が早くからあったけどね。 だからこそ、精神世界にすんなりと入れたと言う事もある。 結果、上手く行ってたんだけど。 でも私が味わった「孤独」や「苦しみ」は味わわせたくない。 成功や幸せの為の葛藤や苦しみなら大いに味わって欲しいけどね。 子供を守れるのは親しかいない、そう思う。 PR |
|
2007 02,09 23:15 |
|
引越しの準備も兼ねて、部屋の片づけをしていたら、あやかが押入れの奥に入れてあるアルバムを見つけた。
早速見始めて、片付けもそっちのけだ。 「みんな小っちゃくて可愛いよねえ・・・。この頃はすぐるも今みたいに生意気じゃなかったから、可愛かったのに。」 私はあははと笑いながら聞いていた。 「それにしても前住んでた家って、悪霊多いよね。お母さんの顔にも悪霊の顔が被っているよ。」 こうしてアルバムを見る度、よく言われるんだけどね。 以前の私は被害者意識が強く、それ故悪霊も憑けやすかった。 夫は夫で連日パチンコ通いで、そこから毎日のように憑けて帰って来たに違いない。 夫婦共に悪霊を憑けているのだから、揉め事が絶えなかったのも当然だ。 まあ、それでお互いのカルマを解消したり、学んだり、それなりの意味はあったし、そういう意味では悪霊さんに助けられたんだけどね。 今となっては、みんな過去の事だ。 こうして笑って、子供とアルバムを見れる事の方が嬉しい。 それにしても。 吐き気がするほど、悪霊が多いなあ。 どのアルバムを見ても、全部写り込んでるもんなあ。 ついでに大昔の私の高校生の頃のも見てもらったら。 「うわあ~・・・頭が痛ええええ・・・。じいじへの恨みが凄いね。お母さん、よっぽどじいじに酷い扱いを受けていたんだね。恨みの深さで分かるよ。」 「そんなに恨んでるんだ?まあ自覚はあるけど。あの時のオヤジは最悪だったからな。あはは~。」 ちなみに見ていた写真の私は、付き合い始めたばかりの前夫と、笑顔で写っているというのに。 それでも潜在意識での恨みというのは、あやかには分かっちゃうんだな。 今ではすっかり癒されているから、心が楽でいいけど、あの苦しみや怒り、恨みがまだまだ続いていたら・・・と思うとゾッとするなあ。 きっと人生も大きく歪んでいた事だろう。 心の持ち方で人生が変わる。 自分が変われば周りが変わる。 人生って楽しい!って早く気付いてよかった。 そう思いながら、しみじみ見ていたのだ。 |
|
2007 02,03 23:06 |
|
今日の夕方、Tさんというお客様が苺を届けにきてくださった。
先程、スーパーに買い物に行った時、「苺を買おうか、どうしようか・・・」と迷っていたが、結局止めたのだ。 その矢先に、突然苺を持ったTさんがいらっしゃって、すっごく驚いたのだ。 「私って物凄くツイテるよね」 ホントに嬉しかったあ~、Tさんご馳走様でした。 で、頂いた苺をあやかが冷蔵庫に入れた。 その瞬間。 「あっ!!これデジャヴだ!」 と、言うではないか! あやかの説明によれば、何でも3年前にこの光景を、夢の中で見たそうだ。 夢を見ながら 「何で私は苺をしまってるんだ?何でもうすぐ一人暮らしをするって、なってんだ?」 と思っていたらしい。 という事は、いろんな事があったTさんも、私達の人生も、きっと予定通りだったのだろう。 デジャヴについてはいろんな説が出ているが、私達が考えているものは、寝ている間に「幽体離脱」した自分が、未来の自分を見て体験しているというものだ。 だから基本的にデジャヴと感じている物は「夢で見た!」となるのだ。 でもチョロが死んだ時に感じた私のデジャヴは、仕事中だったんだけどね。 セッションしていたら突然目の前に、チョロが死んで悲しいと言う気持ちと、そう思いながら眺めている部屋の映像が飛び込んできたのだ。 でもすぐに忘れてしまった。 「あれ?何見てたんだっけ?」という感じ。 で、その瞬間が来た時、「あ!!これ前見た!」と思い出したのだ。 ちなみにチョロのデジャヴは亡くなる一ヶ月前だったな。 それでも運命と言うのは変えられないんだなあ。 だからデジャヴを見たと言う事は、予定通り運命が進んでると言う事なのだ。 私にはもう一つ忘れられないデジャヴがある。 それは催眠の勉強に東京へ行く半年前の夏。 その時は実家に居た。 寝ていると、私は夢の中で知らない女の人とコンビニに入って行く所だった。 コンビニの時計は、8時50分。私はその女の人を慕っている、というか懐いている感じだった。 コンビニはここら辺にはない「ampm」だ。 私は夢の中で「何で~?」と思いつつ、でも何故かここは東京だと分かっているのだ。 そしてお茶を買い、仲良く喋りながらコンビニから出てきたのだ。 これが半年後、東京でそのまま現実が再現され、ほんと~うに驚いたのだった! だってこのデジャヴを見た時には、まだ自分が何をやりたいのか、やるべきなのか、まるで見当がついていなかったからだ。 だから実際このデジャヴを体験した時はかなり興奮した。 しかも隣の女性は、後に私に催眠の応用を教えてくれ、催眠の先生になったのだ。 この偶然を装った必然にかなり感謝したし、運命に逆らわず身を任せてきた自分にも感謝したのだ。 ちなみにこの体験は、私が催眠の勉強の為に東京へ行った、たった4日間の中の一瞬の事だった。 運命って凄いなあ~と思ったよ。 私もあやかも、この仕事をしてからデジャヴが多い。 特に「あ!この方、夢で会った!」と思った瞬間は特に嬉しいものだ。 予定通り、運命をたぐり寄せている、と感じられるからだ。 でもどの方とも、きっと予定通り会っているのだろうね。 そしてこれからもそんな出会いをたぐり寄せていくのだろう。 そう思うと、毎日が楽しみなのである。 |
|
2007 01,08 23:56 |
|
今日は私にとって、一番めでたい特別な記念日だ。
自分自身の独立記念日でもある「離婚記念日」だからだ。 1998年の今日、私は離婚したのだ。 その冬休みの間の2週間、私は子供を連れて実家へ行き、夫と別居していた。 年が明けて、夫と今後の事を話し合い、学年末の3月に離婚する事を決め、それまでは学校も始まる事だし、子供を連れて一旦夫の元に戻ろう、という事になった。 で、いざ家に帰ると。 夫はベッドで寝ており、気配で私達が帰った事に気付くと、眠そうに目を開けヘラヘラしながら 「おう・・・帰ったのか」 と、何とも締まらない顔で返事をした。体を起こそうともせず。 そこには、久しぶりに帰ってきた子供達の顔を見る訳でもなく、その間私達が何を感じて過ごしていたのかを気にする訳でもなく、とにかく「誠実さ」といったものが微塵も感じなかったのである。 妻子が戻ってきたと言う安堵も分かるが、 「私も随分舐められたもんよね。何よ!あんたのその態度は!!!」 と、メラメラと湧いてくる怒りを抑えられなくなったのだ。 「ちょっと!あんた!起きなさいよおおお!!!」 と言って夫をベッドから引きずり出し、私の前に座らせ 「やっぱり今日離婚届けを書きましょう!もう我慢できない!」 と、持っていた用紙にサインさせたのだ。 夫はサインし終えるとポロポロ涙をこぼし、「今までありがとう」と言って大泣きしていた。 私も別れに胸が痛んだが、それよりも解放感でいっぱいになり、泣いている夫を冷静に見ていただけだった。 それが1月4日の事。 あいにく夜だったし、土日もはさんでいた事もあって、提出出来たのが1月8日だったのである。 提出しに行った時、 「これが夫婦での最後の共同作業なんだから、仲良く腕でも組んで、楽しく行こうよ!」 と自ら提案し、それはそれは晴れやかな笑顔で役所に行ったのだ。 「すいませ~ん!離婚届出したいんですけど~」 とすがすがしい笑顔で私が言うと 「はーい、結婚届けの受理ですね?」 と役所の担当に間違われ 「違いますよ!離婚届ですよ!」 と慌てて訂正したのだ。向こうもビックリするよね。 「仲良く腕を組んで来たから、てっきり結婚するもんだと・・・」 と言ってたからね。はっはっは~! 今思うと、あの時何で怒れたのか、今となっては分からない。 でも、そういう勢いって必要だったんだって思う。 勢いもなきゃ、物事は進まないモンね。 あやかの霊視でも、本来の人生の予定では離婚は3月だったようだ。 でも決断を早めて良かったと思う。 子供達の魂が曇らなくてすんだから。 やっぱり私って「上手く行ってる」って思う。よかった!よかった! |
|
2007 01,07 22:00 |
|
今日はゴミが溢れている。
前回の燃えるゴミを出せる日が、5日の金曜日だったのだが、うっかり忘れて出さなかったのだ。 その時だって、すでにゴミは溢れていたというのに。 気が付いた時は「時すでに遅し」、夕方になっていたのだ。 「ありゃー!!どうしよう!」 結局次の火曜日まで我慢するしかない。 かと言ってゴミを散らかしとく訳にもいかないしね。 と言う訳で、こんな時にはすぐるの秘密基地を利用するのだ。 それは海岸にある基地ではなく、我が家の中にある基地である。 実はうちにはロフトが付いており、天井裏にあるのだ。 棒を使って、天井の一部を開けて、階段を降ろし、中二階へと行くのだ。 約2畳ほどの大きさである。 この天井裏は、ここに住んで以来、すっかりゴミ置き場になってしまった。 資源回収に出すはずの古紙、ペットボトルなどが半分のスペースを占拠している。 ここは板張りの空間だが、引っ越して早々、すぐるが使い古したカーペットを敷き、100均一で買ったライトを置き、ダンボールをテーブル代わりに置いて、室内を改造しまくっていた。 そういう所が、私の子だよなあ・・・と思う。 引っ越ししたばかりの頃は、珍しいのも手伝ってよく遊んでいたが、今では開けるのが面倒で、ゴミを置きに行く時にしか使われなくなった。 そもそもこのテラスハウスを選んだのも、不動産屋さんに対して提示した私の条件からであった。 私の提示した条件は、家賃の値段とそれから「一間か二間の間取り」「秘密基地付き」というものだ。 なじみの不動産屋さんにその条件を言ったら「あるよ、あるある」と即答するじゃないか! その場で、この家の鍵を渡され「今から行って見て来い」と言われたのだった。 それがこの家だ。 勿論私達は気に入り、その日のうちに契約をしたのだ。 しかも本当は私の予算より、家賃が三千円高かったのだが 「いいよ、オレが大家に交渉して安くさせるから」 と言ってくれ、その場で大家に電話を入れてくれて、本当に安くなっちゃったのである!!! ホントに嬉しかったなあ~。 そんな思いで巡り合ったテラスハウスなのに、今じゃ大事な秘密基地もゴミ置き場だよ~!!! しかも冬はメチャ寒いわ、夏は暑いわで暮らすには不向きだし。 それにたまに掃除しないと、やっぱ気の流れが悪くなるのか、浮遊霊も増えるよね。 そろそろさっぱりとキレイにしないといかんなあ。 しかし、今は面倒臭いから、ゴミ袋ごと放り込んでおこう。 こうしてゴミがどんどん溜まるんだよなあ。そのうち気が向いたら、やるかな。 早く火曜日が来ないかなあ~・・・。 |
|
忍者ブログ [PR] |