2024 09,21 20:05 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2006 12,10 01:04 |
|
昨夜はなかなか寝付けず、今朝の5時まですぐると喋っていた。
すぐるとも深い話はよくするが、でも最近は忙しくてあんまり話をしていなかったから、良い機会だと思った。 すぐるも霊感は高かったが、あんまり使ってなかった所為か、この頃はよっぽど強烈な悪霊でもない限り、霊を見る事もなくなったようだ。 「学校で霊を見る?」 「最近はあんまり・・・。去年の夏頃までは良く見たけどね。」 「じゃあ、楽になったね」 そんなような会話をしていた。 それから私の昔見た夢の話や、守護霊をしている私の祖父の事、昔の霊体験などいろんな事を話した。 うちの会話って、こっち方面の話になっちゃうなあ。 なかでも一番盛り上がったのは、夢の話だろう。 私は昔から夢から様々な警告を受けてきた。 一番強烈だったのは、すぐるの夢だった。 その頃、離婚したばかりでアパートに引越し、死に物狂いで働いていた時の事、そのとき見た夢だ。 私は滑り台の傍らで、子供達が滑ってくるのを見ていた。 かずまが笑顔で滑ってきた。 その次にあやかが笑い声を上げながら滑ってくる。 「次はすぐるだな・・・」 と思っていると。滑り台からは首の無い胴体が降りて来た。 私は「キャー!!」っと叫び声を上げ、「すぐる、すぐる!」と泣き叫ぶ。 リアルな深い悲しみが感じられたのは、今でも覚えているくらいだ。 その悲しみで目が覚めた時、 「すぐるはすごく寂しがっている!私の気を引こうとして、死んでしまう!」 そう直感したのだ。 当時は夜働き、昼に寝ていたので、ガバッと飛び起きると早めに保育園に迎えに行き、すぐるを連れ帰った。 私はすぐるを抱きしめて「寂しくない?」と聞くと、「大丈夫だよ、寂しくないよ」と言う。 でも目が寂しそうで、心配させまいと本心を言ってないのは明白だ。 「すぐる、お母さんは今忙しくてかまってあげられないけど、でも寂しい時は寂しいって言っていいんだよ。だから我慢しないでね」 そう言うと、みるみる泣き出し 「ホントはすごく寂しい・・・」 と言って泣き出した。それで私は一安心した。こうして吐き出せれたら大丈夫だからだ。 でもそれから、子供達を抱きしめる、というのが忙しかった私の毎日の習慣になったのだ。 「忙しいのは今だけだからね。いつか必ず一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝よう。それまで頑張ろう」 そう言うと、笑顔で「うん」と言ってくれた。 当時は、夕方子供達の為にご飯を用意すると、私は仕事に出かけてしまった。 小さな子供達だけで、風呂に入ったり、寝たりしなければならなかった。 私はお金になるコンパニオンの仕事に行き、その後朝までファミレスで働いていたのだ。 私はその一年後、団地の抽選に当たり、少し仕事を減らし、その頃には水商売もやめて、違う仕事を掛け持つようになった。 それでも毎日一緒に居れた訳ではないが、それが返って私が居る事を当たり前と思わず、感謝さえしてくれる子供にしてくれた。 その頃の夢の話を交えて、思い出話をしていたのだ。すぐるも 「お母さんがいなくて寂しかったけど、でもそういうサインを見逃さないでいてくれてよかったよ。だからお母さんの事が好きで居れたんだなあ」 と言ってくれた。 私はこういう大事な警告をよく夢で知らせて貰えるから、ありがたい。 お陰で子供達のサインを見逃さずに済んだもの。 これも守護霊達が助けてくれたんだと思う。 私は専業主婦をしていた母を見て、子供といつもべったりと居ればいいってもんじゃないな、と感じていた。 母は子供を見る事に飽き飽きしていたし、それ故子供の気持ちを理解しなかった。 視野が狭く、自分の都合でしか子供の事を考えていなかった母からは、子供ながら愛を感じた事は無かったのだ。 私が「ただいま」と言っても顔を見ることなく、面倒臭いというのが匂ってきたからね。 母親が家に居ても、私は省みてもらえず寂しかった。 私はそんな母親にはなるまい、と決めていた。 だからどんなに忙しくても、子供の顔をちゃんと見て、察する事の出来る母親でありたい、そう思ったのだ。 そしていつでも輝いている母親のなろう、と思っていた。 だから今の私の母親としての基本の姿勢は、私の母親を見て決めた事だ。 私が何故あの母親を選んだか・・・小さな頃は分からなかったが、今なら分かる。 だから私は母に感謝しているのだ。 大事な事は何なのか、それを違う形ではあったが教えてもらえたからだ。 今母にしている「買い物に連れて行く」「かまってあげる」のはこういう感謝からでもある。 それを素直に楽しんで出来るようになってよかったな・・・と思ったのである。 PR |
|
2006 12,07 23:18 |
|
今日はライちゃんを洗った。久しぶりだ。
猫は基本的に綺麗好きなので、しょっちゅう洗わなくても綺麗だ。 しかし、ライちゃんだけは外でブラブラしている事が多いので、他の猫よりはマメに洗わないとね。 洗うのは、あやかが担当。私は洗われたライちゃんを受け取り、拭く。 タオルを2,3枚使って粗方拭いたら、ドライヤーで乾かす。 これは物凄く嫌がるので、すぐるにライちゃんを捕まえてて貰い、私がドライヤーを当てる。 ブラッシングしたり、タオルで拭いたりしても、これがなかなか乾かない。 ライちゃんは、ジャガーほど体重は無いが、体長は長いのだ。 尻尾も長く、毛も割りと長いので、乾かすのは結構手間取るのだ。 やってるうちに暑くなり、上着を脱いでやっていた。 しばらく格闘していたら、大分乾いてきたので、後はコタツに放り込んで自然乾燥だ。 猫一匹を洗うのに、人間3人ついてやるのだから、そりゃあ楽なもんである。 その昔、子供達が小さかった頃、私は一人で子供達を風呂に入れなければならなかった。 旦那は当時、仕事とパチンコでほとんど家に居なかった。 かずま(3歳8ヶ月)あやか(2歳5ヶ月)すぐる(生後1ヶ月)をどうやって一人で入れたかというと・・・ 4人で風呂場に入ると、まずすぐるを風呂場の片隅に寝かせ、タオルを掛け、時折お湯を掛けておく。 かずまとあやかの体を洗い、浴槽に浸からせる。 その間も、すぐるが寒くないよう、お湯を掛け続ける。 それから自分を洗い、すぐるを洗う。 またすぐるを寝かせたまま、先に二人をかずま、あやかの順で風呂から出す。 勿論私も風呂にずっと浸かれずじまいだ。 かずまにまず自分を拭かせる。 私はドア越しに「はい、お腹拭いて、次背中拭いて・・・」と号令を掛ける。 その途中であやかも出し、前身ごろを自分で拭かせ、背中はかずまに拭かせる。 あやかを出したら、やっと私達が浴槽に浸かれるのだ。 すぐるを抱いて、浴槽に浸かる。 その間、かずまとあやかは自分達で洋服を着てもらう。 といっても、あやかは上手く出来ないので、パンツなどかずまが穿かせるのだが。 そして、私達が出るとき、二人を呼ぶ。 あらかじめ敷いて置いたバスタオルにすぐるを置くと、この二人ですぐるを拭き、オムツを当てるところまでやってもらう。 その間、私は急いで拭いて着るのだ。 これを毎日やっていた。 どんなに頼んでも、子供の為に早く帰って来てはくれなかったし、旦那に「子供を拭いといて」と頼んでも、拭いてはくれなかったからだ。 まだすぐるを妊娠中の時に私が子供を風呂に入れ、1月のすごく寒い夜なのに、風呂から出た二人は濡れたまま裸のままで30分以上、旦那の横で遊んでいた。 「何で子供達は濡れたままで遊んでるの??!!!」 と凄い剣幕で怒ったら、「あれ?気がつかんかった」と旦那はほざいた。 それ以来、私は旦那を信用出来なくなり、何も頼まなくなった。 それまでも何かしてもらった事は無かったが、でも子供達に風邪を引かせてはいけないと思い、自分の子は自分で守らなければ・・・と思えた。 それから子供達に体の拭き方、洋服の着方、赤ちゃんの扱い方を教えた。 だからわずか4歳にもならないかずまは、30歳を超えた旦那より使えたし、信用出来たし、頼りになった。 自分の事だけでなく、二人の弟妹の面倒を見なければならなかったからね。 それが、子供達をしっかりとさせたと思うし、今思えばこの4人で一緒に乗り越える練習をさせられたんだなあと思う。 私は前夫に何一つ、助けられたという気持ちは無い。 それはとても寂しい事だった。しかし。 だからこそ。今度再婚したらどんな人が相手でも喜べると思う。 きっとジュース一本買ってくれるだけでも、すごい感激出来るだろうなあ・・・。 そのくらい感謝出来る自信があるぞ。 「ありがとう」なんて言われちゃったら、私どうなっちゃうんだ??? 私はソウルメイトにはそんなに期待してないが、でもどんな人だろうと、きっと前夫よりマシだろう。 そう思うと、あの人のお陰で、何でもない事がありがたく幸せな事だと感じれる自分にして貰えたのだと感謝出来る。 ちなみにあの時私は23歳だった。 当時はこのように毎日が戦争のように忙しかったが、それでも挫けず仕事をし続けていた。 それが今の私を培ったのだ。自分に負けないで良かった! 頑張ってきた自分に「よく頑張ってきたね」と言ってあげたい。 働き続けるというのは男でも女でも大変だ。 でも得るものは何にも変え難い位、素晴らしいものだ。 そう思うと、私の人生ってうまく行ってるな、って思えるのだ。 |
|
2006 12,05 23:20 |
|
最近良いお天気が続きますね。
思わず、お布団を干したくなりませんか? 勿論、主婦ハシムラも布団を干しちゃいますよ! しかしだ!何故か。私が布団を干すと、急に曇ってくるのだ! 何で~??? で、しょうがないから布団を取り込むと途端に天気が回復する。 おい!こらあ!俺様にケンカ売ってんのか!!! 先日も溜まった洗濯物を洗い、干した途端雲行きが怪しくなり、しとしと雨が降ってきた。 ああ・・・ついてない。 それから気が向いて、年に一回くらい、窓を拭いたりすると必ずと言っていいほど、次の日の天気は最悪だ。 そんなにオカシイですか?珍しいですか?私が掃除すると・・・。 そういえば・・・昔の話だが・・・ 子供達が小さい頃、あんまりにも汚すのでよく私はキレていた。 まだ、結婚していた頃・・・マンションに住んでいた頃の事・・・ たしか土曜日、エステの仕事を終えて帰ってきたら。 あまりの汚さに仰天した! そこにはうちの子達3人、かずまのサッカーの仲間の男の子(小1~小3)が5人居たような・・・。 とにかく汚い。足の踏み場も無いほどに、どの部屋もおもちゃとゴミが散乱していた。 それを見るなり私は「プチッ」とキレ 「キサマらあああああ~!!!何やったらこうなるんだ~!!!」 と怒鳴った。そうしたら、慌てた子供達は帰ろうとするので 「お前ら、帰るんじゃない!人のうちで遊んだら、かたずけて帰れ~!!!」 と言ったら。みんな働く働く・・・。それはそれはあっという間にかたづいたのだ。 終いにはA君という子は掃除機まで持ち出し、K君は 「おばさん・・・洗濯物たたみましょうか」 とまで言い出した!さすがにそれは断った。 「それはいいよ。おばさんの仕事だから。ありがとうね。自分の出した物を片付けれたらもういいよ」 よその子に私のパンツをたたませる訳にはいかないよねえ。 とにかくあっという間に、信じられないほどキレイにしてもらい、私は感激したのだ。 「ありがとうね、ありがとうね。君達天才!」 こうしてこの腕白坊主どもは、キサマ→天才に格上げされ、嬉しそうだった。 後日、A君のお母さんに偶然会い 「この前、お宅の子がうちを片付けてくれてね。掃除機まで掛けてくれて、本当に助かったのよ。」 そこまで言ったら、その奥さんは目を丸くし 「ええ??誰が?まさかうちの子が??うちでは何にもしないあの子が?」 と言うので「そうだよ。いい子だね」と言ったら 「ええ~~!!マジで~???私が何回言ってもやらないのに。どう言ったら聞いたの?」 と、しつこく聞いてくるので 「ちょっと怒鳴ったからかなあ・・・」 と仕方なく白状した。 そうしたら、A君のお母さんはかなり興奮し 「うちの子、お宅に預けていいかしら?あなたにちょっと矯正してもらわないと」 と言い出し、泊まらせる約束までしたのだった。 結局、泊まりに来る事はなかったが、うちが離婚して引っ越すまで、そのA君はうちにちょくちょく遊びに来ていた。 今はきっと20歳になっているだろう。 あの時のみんなは、どんな子になっているかなあ・・・と時々思う。 それにしても、みんな子育てに悩んでいたんだろうね。 いくら言っても聞かない、と言うのはうちの子もそうなんだけど、他人様から言われるのって、やっぱ新鮮なんだろうね。 それにしても、昔から私って怒鳴ってばっかりのような気がする。 前は毎日、何回も怒鳴ってたもんなあ。 あやかもかずまもすぐるも、ホント腕白で、しょうがなかったのだ。 それが今では一週間に一回くらいになったから、楽になったもんだ。 これであやかが一人暮らしをしてくれれば、なお楽になるだろうなあ。 とっても楽しみなのだ! 自立、万歳! |
|
2006 11,25 23:02 |
|
今日も愛知県でのお仕事。
最近、頻繁に愛知県で仕事をさせていただいて、人の縁て不思議だなあ、とつくづく思う。 こうして新しい出会いを、いくつもさせていただいているが、みな何百年か前に出会った、ご縁のある方ばかりなんだろうなあ・・・と思う。 みんな、ちゃんと予定通り出会ってるんだろうなあ。 すごいなあ。嬉しく思う。 でも勇気を出して、自分のやりたい事へ一歩踏み出した結果が、こういう出会いなのだ。 ありがたいではないか! 本当に勇気を出してよかったなあと思う。 他のどの仕事でも、みなさんには会えなかっただろう。 そして私達に会いに来て下さった今までのお客様に感謝である。 私達の為に、悩み事を作ってくださった方にも感謝である。 ありがたや、ありがたや。 もし、私が勇気がなく、いろんな言い訳をしていたら・・・ 「だって子供にお金が掛かるのに」 「私が働かないと」 「自信がない」 「生活が出来るか分からないのに」 「もし食べていけなかったら?」 言い訳なんてキリがないだろう。 そして勿論、今お会いしているたくさんのお客様には出会わなかっただろう。 そして「このままでいいのかな・・・でも自信ないし・・・」などと、ウジウジしていたに違いない。 でも私の人生において、「離婚」は必ずしていただろうし、外せない重要な課題であった。 だからこの「天職」に就いていなかったら、いまだにそこら辺で働いている母子家庭の母親だったと思う。 今よりきっといじけていただろうし、「どうせ私は・・・」と将来の夢も希望もなく、暮らしていたに違いない。 だって、30過ぎまで、私は自分の人生に対して「夢」など持った事もなかったのだから! そんな私が「自分の好きな事をやっても良いんだ!」と知った時の喜びといったら! 初めて「夢」を持った時、今思えばあっという間に真っ直ぐ導かれるように、ここまで来た。 決して平坦ではなかったけれど、今ならどれもこれも必要な道のりだったと思える。 やはり、私の直感は正しかった。直感を信じてよかった! それを行動に表せてよかった! ちなみに私の人生の目的は「人間としての全ての成功」であり、役割は「明日という日が明るいという事、楽しいという事をみんなに示す」のだそうだ。 それを聞いた時、自分の人生に対して初めて夢を抱いた時の「喜び」と「ワクワク」を思い出し、 「なるほど。今度はそれを人様に思い出させるのね」と思ったものだ。 私もかつて様々なチャネラーさん達にお世話になったが、今はそれを私が世間様に御返ししているのである。 そして、自分にも役割があるのだと分かり、嬉しかったのだ。 人様のお役に立てるというのは、無上の喜びである。 ましてそれを親子で出来るというのは、「何て贅沢な事だろう」と実感するのだ。 私は本当に幸せ者だと思う。 みなさま!また呼んでくださいね。お待ちしていま~す! |
|
2006 11,22 19:04 |
|
今日と明後日はテストだというのに。
その為よその子達は、午後一時すぎにはゾロゾロと帰ってくる。 でもすぐるは全然帰って来ない。 昨日も昨日で夕方「ゲームをして遊ぼう」という約束を勝手にしていた。 結局友達は見回りしていた先生に見つかり、帰るよう促された為、来なかった。 すぐるは「裏切りやがって!」と怒っていたが、大体テスト中にそんな約束をするすぐるが悪い。 暗くなってもまだ帰って来ないので、実家に「そっちに行ってない?」と電話を入れたら、やはり昼過ぎに寄ってカバンと制服を置き、そのまま近くの友達の家に上がりこんでいたのだ。 その後、じいさんに連行されるように車で送られ、帰ってきた。 ご飯を食べてから「テスト勉強しなさいよ!!!」と言っても「はあ・・・後で・・・」と言う返事。 それで私はプチッとキレた。 「お前はああああ!!!!」 と髪をつかんで2発のビンタ。 「お前が馬鹿でも構わんが、よその子の人生まで巻き込むなよおおお!!!」 と逃げるすぐるの耳をつかんで、さらに2発のビンタ。 「一体誰の為の勉強なの!!!」 「・・・・」 「答えんかああああ!!!」 と更に2,3発のビンタ。まあ、殴られているのだから答えられないんだけどね。 それにしても、すぐるは怒られ慣れているというか、殴られ慣れているというか・・・。 泣きもしないが応えもしない。 黙って教科書を開くが、やっぱり落ち着きなく、冷蔵庫を開けてみたり、ネコを撫でてみたり。 しかし私だってしょっちゅう殴っているわけではない。 今日は久しぶりだもんなあ。 私にはキレるポイントというのがあって、「逃げ」を感じた瞬間がまさにそうなのだ。 それも自分の為の努力を惜しむなど、まさに自分の人生を放棄するようなくだらない事を、私の目の黒いうちはさせるものか。 すぐるも私が怒るのは自分の為だと知っている。 だからあれだけ殴られても反抗はしない。 でも、面倒臭いという横着な気持ちに、自分の弱さに負けるのだ。 そのクセを直さない限り、すぐるの人間としての成功は大分後になるだろう。 人間は人生の中で、どこかで帳尻を合わせる。 要は先に困るか、後で困るか、の違いなのだ。 老後に困ったら悲惨だ。 若いうちなら良い。いくらでも再挑戦が出来るからね。 ここで、何度も書いてるが、私はすぐるの点数にはこだわっていない。 すぐるの人生にテストの点など関係ないからだ。 しかし、勉強を通して、日々自分の為に努力をする、というのが大事だと思うのだ。 きっと後で自信に繋がるだろう。 しかし、この物事から逃げ回るクセを何とかしなくては。 何せ社会に出れば、誰も甘えさせてくれないからね。 勉強だけしていれば良い、と言う時期が一番気が楽なのだという事を、後で身を持って知るだろう。 さあて、勉強でも見てやろう。 これ以上殴らないよう、堪えながら。これ以上殴ったら、ホント馬鹿になるよ。 しかし、私の我慢もどこまで出来るやら。我慢しすぎて具合が悪くなるんじゃないの。 大丈夫かあ~?私・・・。 |
|
忍者ブログ [PR] |