2024 10,07 18:31 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2007 10,31 23:39 |
|
さっき、前夫から電話があった。
かずまを心配して、電話を掛けてきたのだ。 「何か連絡があったか?」 「さあ・・・。何も。」 「何にもないのか?」 「非通知が一件、着暦にあったけど、その時は電話に気付かなかったから、かずまかどうか、分からん。」 「・・・そうなんだ。」 前夫は心配そうに言う。 「大丈夫だって!あいつは生きてるよ!」 私はそう言うんだけど、でも前夫は納得しないだろうなあ。 そのうち私を非難する内容になってきた。 「家を出すのが早すぎたんじゃないか?もっと二十歳越えてからにすればよかったのに?」 「そんな事言って、ズルズル居てもらっても、うちは狭いんだから、困る!大体過ぎた事を今頃になって、言うな!大体あんただって自立しないまま結婚したから、今の私達は離婚になった訳で、そうなりたくないから、かずまだって自立したんだから。時期と、それは関係ない!」 私がピシャリ!と言うと、今度はかずまに矛先を向ける。 「かずまも馬鹿だよなあ。もっと大きな会社に就職すればいいのに。オレは40過ぎてそれを痛感しているよ。」 私は内心、鼻先で笑っていたが、やはりつい一言、言ってしまう。 「私は子供に安定だの保障だの、そんな夢のない生活なんてさせたくない!」 「お前はまだ30代だからさあ。若いから分かんないんだよ。お前も40になったら分かるって。」 「分かりたくないね!40になっても夢一杯でいたいよ。」 大体こいつは勝手だ。何かあれば「お前のほうが若いから」と言い、でも離婚前の28の時には「お前はもうババアだ」と言い・・・。 人はこうして「条件」にはめられると、苦しく切ないものだ。 だから「あんたは男なのに・・・」とか「女の癖に」「子供だから」と相手の本質を見ずに、上っ面の条件で相手を押さえ込むと、反発や反抗を招くのだ。 これが子供だったら「反抗期」だね。 「そういう価値観の違いから、私達別れたんじゃなかった?!余分な事言うな!」 そう一喝すると、前夫は話題をすり返る。 「そういえば15日は木曜日だけど。」 「あ、そう。休めない?だったら一人で行くけど。」 「休めるよ。行く。」 「じゃあ、宜しく。」 そんな感じで電話を切った。 くそおおお~!相変わらず腹の立つ男だ!!! しかし、高速代とガソリン代を出させる約束だけはした。ふふふ~。 傍で聞き耳を立てていたすぐるは笑っていた。 「まあまあ、お母さん。気持ちは分かるけどさあ。でも今仲良くしておかないと、埼玉まで長いから、地獄だよ~?いつもみたいに適当に受け流しておけばいいのに。」 「分かってるんだけどさあ。あいつだけはマジぜってえぶっ殺す!!!」 すぐるはゲラゲラ笑ってるよ。 「道中の殺人事件だけは勘弁。」 こういう時、すぐるは聞き役に回ってくれるから、ありがたい。 しかし、私は前夫になるとけっこう地が出るというか、口が悪くなるというか・・・。 でもああいうヤツに限って、私の一番気に障るような事ばかり言うのだ。 それは私の妹も同様だ。 いかに以前の私が、合わない場所に居たか・・・よく分かる。 それだけに、すぐるの気持ちもよく分かるのだ。 すぐるも今、学校という合わない場所に居るからね。 最近は学校へ行くだけで疲れるのか、寝てばかりだ。 さて、前夫との埼玉へのドライブはどうなるのか。 今から、ヒヤヒヤしているのである。 PR |
|
2007 10,29 22:21 |
|
母と買い物に行き、帰宅したら、すでにすぐるの方が帰って来ていた。
「おかえり。」 「ただいま。」 部屋に入ると、早速すぐるの愚痴が・・・。 「今日さあ、ババァがうるさくてさあ・・・。」 「ははは~、また何か言われた?」 何でも最近、担任の先生(女性、推定50前後)と折り合いが悪く、それがすぐるの愚痴の原因らしい。 すぐるは授業の内容がさっぱり分からず、どの授業も退屈で持て余していた。 でもみんなの邪魔をしてはいけないと思い、静かに余所見をしているのだ。 で、担任の教科は国語だが、その時間にすぐるがクシャミをしたのだ。 その時、鼻水が出そうになり、思わず「ティッシュ!」と声を上げてしまったのだ。 そうしたら、早速先生からお小言が! 「何ですか!すぐるさん!みんな一生懸命やっているというのに!あなたの声がうるさくて、みんな集中出来ないでしょう!」 と、延々30分・・・。 勿論それは自然現象で、決して「邪魔をしてやろう」と、意図した訳ではなかった。 はっきり言って、先生のしている事は「意地悪」に近い。 授業が終わり、みんなすぐるに同情し 「先生こそ、授業の妨害をしてるよなあ。」 と口々に言っていたようだ。先生は陰で言われているなんて、知らないだろうけど。 「とにかく!最近あのババァ、何かにつけて突っかかってきてさあ。オレ、何にもしてないっちゅうの! それでいて小言言う度、『私があなたの進路を握っているんですからね!』って言うんだよ。だったらもう進学なんか、どうでもいいし!」 「じゃあ、登校拒否でもする?お母さんは全然かまわないよ!」 「ううん、行く。学校だけは絶対卒業する!」 「あ、そう。でも高校もどうでもいいから、ホントしんどかったら学校休みな!」 「うん。ありがと。」 すぐるは相当参っているようだ。 只でさえ、勉強が嫌いなのに、さりとて興味も持てず・・・。 今、学校に行っているのは、友達が沢山いて、それが支えになっているからだ。 友達と一緒に卒業したくて、行ってるだけなのだ。 私は以前、担任の先生に「厳しくしてください。」とお願いをした。 しかし今の先生は、「厳しさ」ではなく「意地悪」に傾いているようだ。 時々いる・・・。こういうお客様。 「子供は厳しくして」と言ったら、子供に冷たく当たり、教えもしないで 「自分でやりな!」「何で出来んの?!」 と八つ当たりまでする人がいた。 「何でそんなに意地悪するの?」 と聞くと 「だって、橋村さん。厳しくしなって言ったじゃない。」 ときた!内心「馬鹿じゃないのか」と思ったよ。 「私は厳しくしろ、と言ったけど、冷たく意地悪しろ、とは言ってないよ!」 まさしく担任の先生もそうなのだろう。 重箱の隅を突付くような真似ばかりして、みんなの気分を害し、何が面白いのか。 確かにすぐるはだらしない。だから 「お前も悪いのだから、直しなさい。」 と言っといたけどね。 きっと先生も進路の事や雑務に追われ、イライラしているのだろう。 しかもすぐるは、一見打たれ強いし、今までも3枚目を買って出て、叱られて笑いを取って来た。 それが今、仇になっているのだろう。 要は「八つ当たり」し易いのだ。 すぐるも、先生の言ってる事はある程度、「正論」だと分かっているようだ。 しかし「お前には言われたくねえんだよ!!!」と、思うらしい。 「ホント、勘弁して欲しい!あいつの顔、見るだけで鳥肌立つし!グズグズ何遍もおんなじ事言っててさあ。」 先生は叱り方を間違えたな。 いくら正しいことを言ってても、こうなると聞く耳を持たなくなる。 だから叱る時、ビシッと言って、グズグズ言わない事だ。 そして、そっぽを向くすぐるに言う事を聞かせようとして、脅しや意地悪に入っていったんだな。 これでは悪循環だ。 こういった悪循環に入ってしまって、悩んでいる親御さんも沢山いる。 でも「沢山言ったら、聞く」んじゃないか、と勘違いしがちだ。 前夫(すぐるの父親)は聞く耳を持たないし、聞き流すし、「分かってる、分かってる」と言って、聞いてない人だ。 何故そんな人になったかと言えば、彼の母親に原因の一端がある。 義母は割りとグズグズ小言を言う人だった。 それもいつまでも言うのだ。30分でも一時間でも。 そうすると、聞いてる側はうんざりする。 終いには自分を守ろうとする本能から、「聞き流す」癖を身に付けてしまうのだ。 で、聞いてないから、また心配になって更にグズグズ言う。 結果「何か言われたけど覚えてない。」という事になるのだ。・・・虚しい。 もし、自分達親子がこうであれば、係わり方を考えた方がいいだろう。 たくさん小言を言ったからって、聞いているとは思えないしね。 さて、すぐるの進路はどうなるのか? ぶっちゃけ、すぐるの将来に高校はいらない、と思い始めている。 まあ、ここは自然な流れとすぐるに任せよう。 それにしても「登校拒否」を勧める私ってさあ・・・。 |
|
2007 10,28 23:25 |
|
今日も名古屋で仕事。
高速を飛ばしていくと、一時間十分で着くので、マジで助かる。 岡崎への往復より、時間短縮出来るもんね。 しかし、今日の私はちょっと寝不足気味。 何の事はない、pcで小説を読んでいたら朝になっちゃっただけの事である。 で、3時間だけ寝て、仕事して帰って来たのだ。 しかし、案の定、帰り道には睡魔が襲ってきたのだ。 自業自得とはいえ、当たり前だよねえ。 しかも東名高速はいつも岡崎辺りが混んでいるが、このノロノロ具合が丁度良い感じで眠気を誘う。 しかしこの渋滞の中では飛ばす事も出来ず、車線変更も儘ならない。 でも必死に意識を保とうと努力すべく、私は己と戦い続けていたよ。 寒いのに、窓を全開にし、私は自分の手で顔にビンタをかましていた。 何が悲しくてこんな事してるんだろうね。 でも私だって死にたくないからさあ・・・。 しかも悲しい事にボケッとしてたら、美合のパーキングをうっかり通り過ぎてしまった! 「ぎゃー!やっちまったよおお~!」 なんて事だ。眠くて前を見るのが精一杯だったので、パーキングの案内板を見落としたのだ。 ガックリした途端、益々眠気が・・・。 だからまた自分で顔面をバチバチ叩きながら、 「寝るなあ!自分!!!」 と車中で絶叫していた。面白いぞ、自分。アホじゃねえ? やっとこさ、次のパーキングに入り、すぐるに電話。 7時半には帰るよ、と約束してたからね。でも一眠りさせてもらおう。そんな訳でちょっと電話。 「すぐる、ごめん。30分だけ寝る。おやすみ。」 「はーい!おやすみ~。」 いつもの事なので、すぐるも承知だ。お腹を空かせて待っているが、寛大な心で待ってくれるようだ。 携帯のアラームを30分後にセットして、バタッと気を失うように眠った。 ホント、眠くて一気に深い眠りに落ちた。 車のシートを倒して、パーキングで寝てるなんて、な~んかオッサン臭いよねえ。 ちなみにこういうパーキングでよく栄養ドリンクを買い、飲む。 なんか、疲れた「オヤジ」みたいだよね。ああ・・・いやだいやだ・・・。 しかし気取って「カフェ」というのも、性に合わないし。 さて、あっという間に30分経ち、本当に一瞬のようだった。 そのくらい深く寝ていたのだ。 その後も結局睡魔は拭えず、ビンタをしながらの運転となった。 帰ったら、速攻寝よう!とにかく我が家に帰れば、寝れるんだ! 布団と枕を追い駆けるように、ひたすら走って帰って来たのだ。 なのに。 家に帰れば「主婦」のスイッチが入るから、悲しい。 家は散らかり、すぐるは寝ていた。 すぐるを叩き起こし、「ホラ!ハンバーガー!」と餌を与え、ゴミやネコのトイレを片付け、洗濯物をたたみ、続きの小説を読み、そうして今の時間に至るのである。 ここまで起きてると、結局今日も寝るのは朝方だな。 こうして自由気ままに過ごしているから、家事も楽しい。 明日はあやかがバイトなので、私はお休み。 母を買い物に連れて行こう。 てか、早く寝ろよ!私! だな。 とにかく今日も無事に帰って来れて、よかった! |
|
2007 10,27 23:29 |
|
最近めっきり冷えるようになりましたね。
気が付けば、アイスコーヒーからホッとコーヒーに変わり、温かい日本茶が美味しいなあ・・・と思える季節になりましたね。 今日は実家で鍋を食べてきました。 ここ最近、毎日実家でご飯食べてるような気がするなあ~。 と言っても、私が買い物へ行き、支度をし、片付けもするので・・・勿論両親も手伝うが、お客様のようにただ出されたものを食べている訳ではないので、「甘えてる」とは思っていない。 むしろ両親が寂しがってるのが分かってるし、自分も後悔したくないから、精一杯係わろうとして、やっているだけなのだ。でもさすがに明日からは家で食べたいなあ。 一昨日の祭りの日、夜も10時を回り、「そろそろ帰ろう」という事になった。 その際、あやかに母が 「あんた、今度いつこっちに来るの?しばらく会えないと思うと、寂しいねえ。何の仕事してるか知らんけど、とにかく頑張ってよ。風邪をひかんようにねえ。」 と、声を掛けていた!あやかはそれを聞いて凍り付いていた! 何故なら、本来のこの人は、そんな気の効いた言葉など、言うような人ではないからだ。 そう言うと「じゃあ橋村の母ちゃん、どんな人?」って、突っ込まれそうなんだけど(笑) そのくらい、例え相手が孫であろうと、相手を思いやる言葉が出てくるなんて!驚き以外の何物でもないのだ。 あやかはうちに帰ってきてから、私に 「ありゃあ、婆さん、死期が近いわ・・・。人間てさあ、死ぬ時は『良い人』になって死んでくんだねえ。」 と、しみじみ言うのだ。もう笑っちゃったよ。ははは~。 普通の人なら言えるような、何でもない言葉だったが、でも以前の母ならきっと 「あんた今度いつ来るの?今度来たらああして、こうして・・・。」 と まず、要求から入るだろう。かまって欲しい母だから。 それが「風邪を引かないようにね。」なんて、人の心配までするようになったのだ。 随分優しくなったと言うか、変わったと言うか・・・。 こんな台詞、きっと妹が聞いたら、やっぱり凍り付くだろうね。 「天変地異が起こる!」って、大騒ぎだよ! こうした言葉が出るようなったのも、「満たされた」という理由がある。 頼めば私はいつでも「足」として行くし、すぐるもしょっちゅう遊びに行くし、父も昔ほど煩くなくなった。 時々出掛けたり、のんびりしたり、それなりに幸せを感じるようになったのだろう。 そこからくる「心の余裕」が、そういう言葉を発っせさせるようになったのだ。 父の生霊といい、母の変わりようといい、私はそろそろだと思い、話を切り出した。 「最近、エンディングノートっていうのが流行っててね・・・。」 エンディングノートというのは、「遺書」ほど法的な拘束力はないが、故人の意思を生前に残しておく事で、 「こういう葬式をして欲しい」とか「何かあったらこの人にも伝えて・・・」とか、その逆に 「葬式にこの人を呼ばないで」とか、或いは「誰々にいくら借金がある」とか「貸した」とか・・・。 それに大事な通帳と印鑑、年金手帳など、しまってある場所をかいておくとか。 要は何かあったら、残された人が困らないように、したためておくノートなのだ。 知ってましたか?亡くなった方の名義の通帳からは一円たりとも下ろせない事を。 家族の誰かに突然死されると、葬式を出したくても「お金がない」「しまってある場所が分からない」 「どうしていいか分からない」・・・それで残された人たちが困った、と言うケースが多いのだ。 私の両親に何かあれば、動くのも面倒見るのもきっと私になる。 両親も心のどこかで期待してるしね。 だからこそ、元気なうちにきちっとしないと、「いざ」という時に困ってしまう。 話しにくい内容だけど、いつかきちんと向き合って話し合わなければならない問題だ。 両親は私がこういう話題を切り出しても、気分を害することなく、真剣に聞いてくれた。 両親も、私が「面倒見よう」と思っているからこそ、真剣なんだ、と思ってくれてるんだろうね。 とりあえず、親しい友達の名前と電話番号、通帳と印鑑、年金手帳などの場所などメモにして、「書いておくよ」と言ってくれた。 そうしておけば、万が一事故などの緊急事態があった時、私が時間を短縮して適切な行動を取る事が出来る。 両親もちょっと嬉しそうだった。安心もしたんじゃないか。 「お母さんが好き」という方はたくさんいるが、自分が甘えてるだけで親に「何かしてあげよう」という発想をする人は少ないものだ。 まして、意外と親のことを知らない・・・という人も多いのだ。 自分の親が誰と仲良しで、どんな食べ物が好きで、何処に行くのが好きなのか・・・。 知らない人の方が多いんじゃないか。 私は未だに自分の親が好きではないが、でも「好き」「嫌い」と係わる事は「別の問題」だと思っている。 それが「大人の態度」だと思っているからだ。 さて、月曜日も「買い物行こうね」と約束した。 母のお守りはいつまで続くのか知らないが、でも出来る限り「楽しもう」と決めている。 |
|
2007 10,26 21:21 |
|
今日は昼まで寝ていた。極楽極楽~。
しかし、一本の電話で起こされた。 それは○オパレスからで、かずまの家賃の事についてだった。 内心「またかよ~!」っていう感じ。 内容は「とにかく今日中に家賃を払え!」って事だった。 勿論、ソフトに言われたが、ま、そういう事だ。 仕方ないので、お金をかき集め、夕方○オパレスセンターに行く。 担当者のお兄ちゃんは笑顔で迎えてくれ、 「お母様、すみません。」 と恐縮顔で、挨拶をしてくれた。 「いえいえ、こちらこそ・・・。」 と挨拶を交わし、迷惑を掛けた事を謝っておく。 早速家賃を払い、今後の事を話し合うのだ。 とにかく私の腹は、決まっている。 即刻「退去」させる、という事だ。これ以上、かずまを甘やかしたくないし、この前の最後の電話だって 「死に物狂いで働いて、家賃だけは納めろ!」 って、あれだけ口を酸っぱくして約束させたというのに・・・。 早速、これかよ!守れてないじゃん! 私だって生活があるのだから、これ以上3件分の家賃を払い続けていくのは不可能だ。 かずまの中で何が起こったのかは知らない。 しかしヤツの弱さから、自堕落になっているのは確かだ。 そんな時、彼女が出来ても「女の所為で・・・。」と思われても仕方ない。 そう思われたくなかったら、女に恥を掻かせたくなかったら、やっぱり死に物狂いで自分が頑張るべきだろう。 それが出来ないのなら、自分の道を歩く事すら不可能だ。 だから電話でも 「出来ないのなら、死ね!」 と言った。皆さん、私を酷い親だと思うだろうか。 思われてもいいんだけどね。本当に酷いと思うから。 しかし、生ぬるく、只生きてるだけ・・・という人生なんて、私から見れば「生きながら死んでいる」のと同じなのだ。ただ、体があるか、ないか、だけの違いに過ぎない。 自分の為に頑張れないのなら、何の為に生きているのだ? ただ、飯を喰らい、糞を出し、寝て、セックスして・・・。 これでは犬や猫と同じじゃあないか? 何の為に「人」として生まれてくるのか? かずまだけじゃない。そんな「ただ生きてる」人を、沢山見てきた。 その都度 「なんて勿体無いんだろう。時間とお金を垂れ流していて、その癖、その事実に気付いてない・・・。」 そう思い、虚しさを感じるのだ。 かずまだって、夢を持っているから、東京に近い所を選んだのだ。 しかし現実の厳しさや煩わしさに巻かれてしまうのだ。 私が強制退去の手続きを取る事で、かずまが今後どうするのか分からない。 友達や女の所を転々とするのか、泣いて帰ってくるのか・・・。 どちらにしろ、どん底を見なければいけないのだ。 かずまがやりたい事は「作家」だ。 それも「文学」。 かずまがライトノベルズやエッセイストを目指しているのなら、きっと私もここまで追い討ちをかけたりしないだろう。 しかし、かずまの書きたいのは「文学」なのだ。 人間の葛藤や真理を書き綴り、人の心を動かしたいと願っていたのだ。 だったら、自分がどん底を体験し、そこから自ら這い上がらねば、素晴らしいものは書けないよね。 私はそこに「賭け」たのだ。 自分の子供を放り出す事で、もしかしたら本当にかずまは自らを追い詰め、「自殺」をするかもしれない。 それでも、私は厳しい処置を取る事で、「かずまが這い上がってくる」とどこかで信じている。 私はこれ以上の博打はないと思っている。 信じた結果、かずまが死んでしまうかもしれないが、でもどこかで経験しなければいけないことだ。 だから去年の「勘当」も今日の強制退去も、かずまが自ら引き寄せていくのだ。 保証人になっている私の父も 「若いうちにつまずけばいいさ。今しか経験出来んもんなあー。」 と、私の処置を笑って見ているのだ。さすが、こういう所は親子だねえ。 私は退去の日取りも決めてきた。 その前に手紙を書いて知らせておこう。 管理センターでも訪問して、様子を見てくださるようだし。 という事で、来月の15日に埼玉に行きます。 |
|
忍者ブログ [PR] |