2024 10,08 00:22 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2007 10,13 22:32 |
|
ほぼ半月ぶりに、あやかがこっち(浜松)に帰ってきた。
こちらで仕事が入っているからだ。 で、早速なんか揉めてるよ。 どっちが背が高いか・・・だって。ああ、そう。勝手にやってって感じ・・・。 でも「お母さん、どっちが背が高いか、見てよ~。」って言うから、見る。 おお!意外や意外。とっくにすぐるの方が抜いたと思ったら、あやかの方が高いじゃん! 「あやかの方が高いよ!」 「マジで~?!」 それでまた二人して、鏡の前で立ったり、洗面所で並んでみたり、また揉めてるのさ。 もう止まったと思ったが、まだあやかの身長は伸びていたのだ! 「そういえば、最近測ってないもんね。」 一番の成長期に学校へも行かず、身体測定もしないでいたのだから、そりゃあ分からないよね。 去年までは、私と良く献血に行ってたので、そこで身長を測っていたが、2月にアートメークをしてからは「入れ墨」と同じ扱いになる為、一年間は献血出来ないので、あやかも自然と献血ルームから遠のいてしまったのだ。 確か、去年そこで測った時は、158cmくらいだった。 「今はもっと伸びているかも!160cmになってるかなあ?」 あやかは嬉しそうだ。 すぐるはまだあやかより、2cmくらい低かった。 まだ160はないな。 ちなみに私は164cm、前夫は173cm。 夫婦共に、そんなに低い方じゃないと思うが、それにしてもうちの子達の成長は遅い方だと思う。 あやかなんて、中学に入学する時、138cmしかなかった。 そう思うと、随分大きくなったなあ。 かずまも170超えたのが、やっと最近だし。きっとすぐるもこれから伸びるな。 かずまもそうだったが、すぐるの足は今年でかなり大きくなった。 もうすでに、靴を2回、買い換えた。 今はかずまのお下がりの28,5のサイズを履いている。 すぐるは態度もデカイが、足もデカイのだ。 男の子の成長はホント、急だから買い換えるのも大変だあ。 ちなみに私が子供の頃は成長が早く、小学校を卒業する頃には157cmあった。 なのでランドセルが似合わない。てゆうか、小さい・・・。 まだランドセルを背負わないといけない、というのがどうにも恥ずかしかったのを覚えている。 なのでよく、片側の肩に引っ掛けて、帰ったものだ。 しかも私は昔から、老け顔。気苦労の多さからだろうか。 だから中学生の時から「おばさん」と言われてたし・・・。 中学生の時、街中を歩いていたら、前を歩く親子連れがハンカチを落とした。 気付いた私が、「ハンカチ落ちましたよ。」と言って、子供に手渡すと、その母親が子供に 「ホラ。おばちゃんに『ありがとう』は?」 と言った。私はかなりショックを受けたよ!勿論その時は、ポーカーフェイスでやり過ごしたけどね。 しかし、14の私にはきつかったなあ・・・。 しかもその後、公衆トイレに入ったら 「キャア!男の人が入ってきた!!!」 と叫ばれ・・・。 「これは、一体何の呪い?」と思ったものだ。 当時の私は、眼鏡を掛け、髪は短髪で、だから直毛で剛毛の私の毛は、まるでパイナップルのように立っていたからね。服も男だか女だか、分からん格好をしていたしね。 今見ても、本当・・・色気なしというか、性別すらよく分からんもんなあ。 よくもまあ、結婚出来たよね。 しかし、こんなショッキングな出来事が日常茶飯事にあったので、それがきっかけになって 「高校に入ったら、絶対イメチェンするぞ!」 と決めたのだ。だから入学してからすぐに、髪を伸ばし、コンタクトにしたのだ。 眼鏡を外した途端、一重で釣りあがっていた目は二重になり、今みたいなパッチリとした目になったのだ。 だから中学の頃の同級生が私を見ても、気づかない人が多く、たまに気づいた人から 「目、整形した?」 と聞かれる事がある。 あやかが今、一生懸命お洒落してるのも、コンプレックスがあるからだ。 コンプレックスがあるからこそ、努力するのだ。 だからコンプレックスは大事だ。何より自惚れなくて済むしね。 あやかも私も「汚いおばさんには、なりたくないね!」と誓い、そうならないようにしているつもりだ。 それにしても悔しい事に、前夫は私より随分若く見られ、私より八つも年上なのに、結婚当時一緒に歩いていると「いいねえ、若い旦那を貰って~。」と知らないおじさんに言われたりして! かなり悔しい思いをしたな! 今もあいつは若く見える。たいして頭を使ってないからだろう、と思っているが。 私と来たら、変な貫禄ばっかりついちゃってさ・・・。 まあ、別にそれで死ぬ訳じゃあないからいいんだけどね。まあ、いっかあ~。 PR |
|
2007 10,12 20:51 |
|
今日はあやかのバイトの事について、書きましょう。
最近、あやかはしゃぶしゃぶ屋さんでバイトをしている。 求人誌を見て、バイトを探していた時、そのしゃぶしゃぶ屋さんの紹介の為に載せられていた写真から、非常に良い念を感じ取り、あやかはその時の直感を信じて、そこに決めたのだ。 面接も非常に良い感じで終わり、あやかの思った通り採用となり、早速翌日から働き出したのである。 しかし、前途多難なのがそこで働く人達との、人間関係なのである。 先日も書いた、挨拶したらドン引きされた・・・というのも、ここである。 働いているのは、主に大学生のバイトだ。 この人達の会話は、ほとんど「ノリ」で成り立っている。 あやかが辛いのは、この「ノリ」だけの会話なのだ。 例えば・・・あやかの胸を見て 「おまえ、胸ちっさいなあ~。」 あやかはよく知らない人にそんな事を言われ、なんて答えようと、戸惑っていると 「おまえ、ノリ悪いなあ!」 と言われ・・・。 「一体、ノリって何よ!?」 「ノリ」の一言で片付けられてしまうが、その裏側には、相手への思いやりもなく、その場しのぎの会話だけで、なんの実もなく、得る物は一つもない。 最も、その人達の親の世代でさえ、その程度の会話しかしておらず、教えられていないのだから、仕方ないと言えば、仕方ないのだ。 しかし、あやかの「勘」は当たった。 あやかの感じた良い「念」とは、会社の「理念」だったのである。 ここは、とある焼肉屋さんのチェーン店の一つだが、ここは社長の考え方が「素晴らしい」のだと言う。 以前、焼肉屋さんを始めた頃、上手く行かず、思うようにお客さんが入らない時があったのだそうだ。 その時「店の悪口を言ったら、300円サービスします。」というキャンペーンをやり、その時集まった「悪口」を一つ一つ克服したら、今のように大きなチェーン店にする事が出来たそうだ。 何て素晴らしい発想だろう! 私も、あやかから聞いて感動したのだ。 あやかは最初、「バイトして友達を作る!」と張り切っていたが、結局何処に行っても、 「自分に与えてくれる人なんて、そうそういないんだ・・・。」 と悟り、それよりも「会社の在り方」とか「理念」とか「形態」を勉強する「場所」にしよう、と切り替えたようだ。 私もそれが懸命だと思うよ。 たかがバイト。されどバイト。 ボーっと働いているか、どれだけそこから盗むか・・・。 働き方で随分差が出るんじゃないか。 どこにいても学べるはずだ。それは学校や塾だけじゃないと思う。 人間、皆平等に時間がある。皆一日24時間過ごしているのだ。 問題は「過ごし方」である。 毎日の繰り返し、の結果が「今世」である。 確かに「来世」というチャンスもあるが、しかし「今世」は今しかない。 二度と同じ人生はないのだ。 私も後悔のないように、毎日を噛み締めて過ごそうと思っている。 |
|
2007 10,11 19:34 |
|
さてと。今日は特別書きたい事もないので、私の過去の事を書きましょう。
前回の続き、7歳の事を書きます。退屈だったらすいません~。 大好きなおじいさんが死んで、寂しかった・・・の続きです。 その頃の私は、今の私と違い、とにかく闇雲に大人しい子だった。 この頃も言いたい事もいえず、肝心な事も言えず・・・ そんな訳で、小学1年にもなるのに、学校で2回、オシッコを漏らしたのだ。 勿論、周りから馬鹿にされ、私自身も恥ずかしい思いで一杯だったが、どうしようもない。 漏らした事実は変えられないからね。 ここら辺、というか舞阪町の方言で、こういう大人しい子を「おすんばあ」と言うのだ。 面白い言葉でしょ?いつ聞いても笑えるよ。 私は母や祖母から、よく「おすんばあだねえ!」と馬鹿にされつつ、笑われたものだ。 しかしこんな子になるのに、理由がない訳がない。 放ったらかしにされていたから、という事もあるが、何より、この母や祖母がそうだったからだ。 だから母や祖母に馬鹿にされる度に 「あんたらだって、そうじゃん!あんたらには言われたくない!」 と、腹の中で思っていたものだ。 母はこの大人しい祖母に育てられたが、だからこの親子は同じ様に、人に心を開かず、友達もいないと言う点がよく似てる。 そして、まさに私もこの母の真似を知らず知らずのうちに、していたのである。 そして母達が唯一言えるのは身内だけで、それも年端も行かぬ子供相手にしか強気な発言が出来ないのだ。 母は最近までそうだった。 私もすぐ下の妹を随分いじめた時があった。 それは親の態度が不公平だったり、不満からしたのだ。 そして、他人様や親に言えない事を、自分より弱い妹に向けたのだ。 私にもこんな卑怯な時があったのだ。 だから家の中は、「やすらぎ」とか「安心」とは、無縁の場所だった。 気を抜けば、親や兄弟達に足元をすくわれかねないからだ。 それは今もそうなんだけど。 2年前の祭りの時。あやかは私の実家で、偶然にも立ち聞きをしてしまった。 台所で、私の母が一番下の妹に、私の悪口を言っているのを。 これは、妹に「あんたを一番可愛がっている」というアピールの為に、母が良くやる事なので、私はそういった事実を承知しているし、だから今更そんな事をされてもどうって事はない。 でも、あやかにはショックだったのだ。 今までの2度の同居で母の性格を散々知っていたが、 「でもばあばは、あんなにお母さんの世話になってるじゃん!あんなにしてもらってるのに、何で?!」 と言うのだ。まあ、普通ならそう思うよね? 母は自分の点数稼ぎの為なら何でもする。 そして主に使われるのは、「私」という存在なのだ。 それがまた、今までの父の「いじめ」に近いものを引き出したのだ。 子供の頃は、こんな事も日常茶飯事で、だから私にとって「家庭」とは、「食うか食われるか」の「弱肉強食」の世界だったのだ。 私にとって、「親」とは、「一番信用できない者」で「一番当てにならない人」だった。 でもこのお陰で、私は誰よりも「立ち回り」が上手くなった。 どうしたら、自分の要求を呑んでもらえるか、どうやったら自分を正当化できるか・・・。 結論として、コツコツと実績を積む事、証拠を残す事、何より自信を持って発言する事で対抗する・・・ など、沢山の事を私に教えてくれたのだ。 そして過去が一つも楽しくなかったからこそ、今が最高に楽しく、過去を振り返らず、前を向き続ける自分にしてくれたのだろう。 今が一番楽しい!自分の力でそれが出来て、何より嬉しいのだ。 |
|
2007 10,10 20:47 |
|
今日は中学校で進路説明会があった。
体育館で、高校から先生を招いての「高校紹介」や、新しい入試の制度の説明について、やっていたのだ。 自分の子供の横に座り、一緒に聞いているのである。 私は座るなり、もう飽き始めていた。 だって、どうでもいい内容なんだもん。 私は仕事柄、一日中座りっぱなしだが、それは好きな事をしているから平気なのだ。 でも、こんなどうでもいい・・・高校なんかで人生、左右されてたまるか!と思っているので・・・説明会は、私にとって苦痛でしかない。 帰りたいなあ~と思いつつ、我慢我慢。 来なければよかったな。 でも私は、今日はただの参観会だと思ってきたのだ。 しかし例によってすぐるは、またしても「お便り」を持って来なかったのだ。 「明日は何時に行けばいいの?」 「2時!」 それを真に受けたら、これだ! 何となくみんなの後の付いて行ったら、体育館だったのだ。あ~あ・・・。 先生は熱心に説明している。合格させたいからね。先生だって一生懸命なのだ。 生徒に悲しい思いをさせたくない、と思っているのだろう。 だってこの先生方は、本当に生徒思いで、だからこそうちの子達もみんなも、先生達が大好きなのだ。 すぐるは今度の文化祭で、同級生と先生でバンドを組むしね。 ちなみにボーカル担当はすぐるだが、これがまた下手で、今から心配なのである。 とにかく、すぐるだけでなく、みんな先生と仲がいい。 それだけに、先生も可愛い生徒の為に一生懸命なのだ。 しかし、私から見れば、先生もまた、視野が狭いのだ。 学歴なんて「雇われる」側の発想なのだ。 自分で「一から起こす」んだったら、そんなもの必要ない。 必要なのは、人脈と自信、発想だったりするのだ。 本当に素晴らしく分かってる人は、人を学歴で判断しない。 学歴で人を判断するような人は、こちらがお断りだ。 最近の学校ではいろんな学科もあり、介護を教科の中に入れたりする学校もあるようだ。 でも本当の所は実際働いてみないと分からないだろう。 勉強は勉強、でも仕事となると「責任」が生じてくるからだ。 それに働いてみて、「やっぱりお医者さんになりたい!」と思ったら、その方が身を入れて一生懸命勉強するんじゃないかなあ。 勿論、「高卒」という資格を取らないと、取れない資格もあるしね。美容師さんはその典型だ。 それに案外、学歴不問の仕事は一杯ある。 営業なんて、その典型だ。 私のしてきた所もそうだったし。「やる気」だけが重要だった。 現にあやかもかずまもあえて中卒だが、働いている。 問題なのは、社会で生きていけない人だ。挨拶も出来ない、しない人。 人に頭を下げる事も出来ず、言われるまで「待ってる」ような受け身の人に、どんな仕事が出来るんだろう。 意欲もなく、ただお金の奴隷になって、時が流れるのをじっと待ち、終業時間を待ちわびてるようなそんな人生、生きてて楽しいんだろうか? 私は自分も子供にも、お客様にも、そんなつまらない人生を送らせたくない。 この前あやかが落ち込んでいた。 新しいバイトが決まり、そこにいた先輩(女子大生)に 「はじめまして。橋村です。宜しくお願いします。」 と挨拶したら・・・。 「なに?マジ引くんだけど・・・。やめてよね。引く~。やだ~・・・。」 と言われ、あやかは「私、何かおかしい?変だった?」と、言うのだ。 勿論私は「そんな事ない!挨拶できて当たり前!自信を持て!」と伝えたが。 あやかは他にも、派遣の面接やらあちこち行ったが、一緒に受けてる大学生達が 「とにかく挨拶出来ない!しない!」 と驚いていた。それに面接してる方も、電話応対や面接態度が悪いのにも驚いていた。 「学歴の問題じゃあないでしょ?」 あやかもビックリだ。 要は「躾が足らない」のである。これは家庭の問題だ。 塾や学校に頼りきっていて、肝心な事を教えてない親が多すぎる。 でも「学校に行ってる」という事実に安心しちゃうのだ。なんと愚かな・・・。 人生は長い。私だって、これからだ、と思っている。 人生を切り抜けていくには、「生きる力」が必要だと思う。 そこに「希望」と「意欲」があれば、努力して築き上げていく事が出来るんじゃないか? そういう意味で、私はすぐるに期待しているのである。 |
|
2007 10,09 19:00 |
|
先程、名古屋にいるあやかから、メールが来た。
昨日私が書いたブログを読んだのだろう。ブログの事についてだった。 「前、同じ事書いてなかったっけ!?私の気のせいなら良いけど。」 「書いてないよ!大丈夫。」 「マジで?じゃあデジャヴか!!そのままそっくり同じ文章だったから、マジでビビッたよ!」 「そりゃあ、デジャヴだ!だって、私は自分が書いたものを全部、把握してるから大丈夫だよ。」 私はそう書いて、返事を送ったのだ。 そうか。あやかがデジャヴを見たのなら、全て全て人生の予定通りなのだろう。 引越しも、あの夜前世を見たのも、昨日それを書いたのも、ぜ~んぶ予定通りなのだ。 運命って凄い! 私は、ここで以前、姓名判断鑑定士さんの事を書いたが、彼女と最近親しくさせていただいており、彼女も同じ事を言う。 「運命は生まれながら決まっている。でも切り開く事も出来る!」 ってね。そして、私達の霊視や見解と、彼女の判定は気持ち悪いほど、ぴったりと一致するのだ。 それが面白くて、判定比べをしたりするが、面白いほど一致する。どれを見てもだ。 私とあやかも、事前に打ち合わせなどしないし、する時間もなくお客様と接するが、私達の中でもほぼ一致する。 ある方の将来の事故や病気の事を、私達が予想した事を、彼女も 「数字で同じ事が出てるよ!」 と言われ、本当にビックリしたのだ。 運命とは、偶然を装いながら必然に進められ、私達は必死になってもがいている様に感じるが、でも本当は滞りなく行われているのである。 人間とはなんて不思議なのだろう。 ただ見る「ツール」が違うだけなのだ。 ある人は「名前」、ある人は「手相」、ある人は「生年月日」・・・。 でもみんなみんな、自分で決めて生まれてきた事なのだ。 だから彼女も言う。 「人の所為にしてるうちは、何をやってもダメだよね。」 本当にそう思う。 私達から見れば、彼女は姓名判断が天職だと感じるし、彼女から見たら私達も 「まさに!これをやる為に生まれてきたね!」 と感じるらしく、そういう観点からも「この人は信じられる人だ。」と思わせるのだ。 私より、少しお姉さんの彼女。 「私達、これからも助け合って生きましょう!」 と約束した。私はこうして、大事な仲間を一人一人、増やしているのだ。 なんて素晴らしい必然! ちなみに「貴女、もうすぐ素敵な人が現れるね。もう近いよ!」と言われ、嬉しかった。 早く本当になるといいなあ。 姓名判断に興味ある方、よかったらご紹介しますよ! 電話くださ~い! |
|
忍者ブログ [PR] |