こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
55
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2006
06,28
23:23
布団
CATEGORY[前夫]
さっき、前夫から電話があった。
「今、布団が安くてセールで売り出しているから買っといてやるよ。いらない布団は引き取ってあげるから。」
前夫は今、大型布団チェーン店で営業マンとして働いている。
かずまがアトピーなのは、布団が原因に違いない、と思っての事だ。
まあ、きっとそれも加担しているだろう。
しかしこれは本人の内面の問題でもある・・・・と言いたいがヤツには通じないだろう。
実は前夫には私達が何を考え、やっているか何も教えてないからだ。
きっと教えていた所で理解はしない。
しかし、ヤツなりに子供の為に考え、行動しようとしている事は母親の私としても嬉しいし、有り難い。
離れているからこそ、ヤツも家族の有難味が身に沁みたのだ。
それにしても、この人はよく私に電話をしてくる。
「ねえ、聞いて聞いて。オレさあ、今営業成績全国一番でさあ・・」
「ええ、すごいじゃん!」
「枕部門だけどね・・・」
「あっそう・・・」
とにかく褒めてもらいたいらしい。
時には意見を求めてくる事も。以前営業をしていた私を信頼してくれているのだろう。
信じられない事に、私達を裏切り、不倫をしていた女と再婚していた時ですら、私に
「女房の気持ちが分からない」
と相談の電話を掛けてきたのだ。
何考えてるんだ?アホだ、こいつは・・・と思いながらも、一生懸命答えてしまう私。
自分が一番アホだと確信したね。
それでも結果的に功を奏したと思う。
私という個人への信頼は絶大なものだからだ。
それ故、自分の犯した間違いに気付く事が出来たのだ。
以前ヤツは言ってくれた。
「オレが今まで一番嬉しかったのは、落ち込んだ時に叱咤激励してくれた事だよ。」
と言ってくれた。で、未だにそれが続いている訳だ。
しかし、この男、さすがというか、やっぱりというか・・・肝心な事は一切耳を貸さない。
人間の本質なぞ、そう簡単には変わりませんよ。
うーん、やっぱり別れておいて正解だった!と電話が来る度、確認するのだった!
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2006
06,07
23:46
義母
CATEGORY[前夫]
今日はちょっと疲れたなあ。勿論心地よい疲れだが・・。
そんな時決まって亡くなった義母の手が見える。
私が疲れを感じると、私が起きていても寝ていても「よしよし」と言うように頭を撫でてくれるのだ。
私が気がついてなくても、あやかが目ざとく見つけて
「またばあば(義母の事です)がお母さんの頭を撫でてるよ。よっぽど可愛いんだねえ」と言って笑う時もある。
義母は私にとって姑であり、前夫の母親である。
私は自分の母親は好きじゃないが、義母は大好きだ。
義父も本当に良い人で、実父には愛情を感じたことはないが、義父は大好きなのである。
私は自分の両親から与えられなかった愛情を、この義父母から与えてもらった。
私は結婚したばかりの頃、一人ぼっちでとても寂しかった。
実父は結婚して出て行った私には無関心だったし、母は例のごとく「遠くて行けない」と言って来てくれた事などなかった。
そんな私を気遣ってよく義父母が買い物に連れ出してくれた。
娘がいなかった義父は特に嬉しそうに行く先々で
「うちの娘だ」と言って私を連れ歩いた。
私は「嫁だ」と言われて紹介された事はない。本当に幸せだと思った。
私がこの二人が好きなのは、何事もストレートだったからだ。
影で絶対私の悪口を言わなかった。言う必要が無かったのだ。
特に義母は真っ向勝負を挑んでくる人だった。
本当に気持ち良いくらいだった。なので私もその勝負を受けて立った。
「あんたの作った煮物は甘い」「しょっぱい物よりいいでしょ!」
「私の脱いだ履物くらい揃えなさいよ!」「自分でやれ!」
「全く言う事聞かない子だねえ」「お母さんに言われたくない!」
同居してないのが幸いしていたが、それでも私は義母と
「このバカ嫁~!」「うるさいっ糞ババアッ!」
と大喧嘩したのも一度や二度ではない。
でも私はこの遠慮の無い関係が嬉しかった。
実母にこんな事言おうものなら
「どうせ私なんか死ねばいい」だの「あたしゃみんなに見捨てられて死ぬんだ」だの
訳の分からん事を言い出し、いじけて一時間は泣くし、
後々「前、あんたにこんな事言われた」とグズグズ言うので、それが面倒で未だに自分の本音など言った事は無い。
しかし義母の器の大きさはどうだ。ちゃんと向き合って受けとめてくれるのだ。
そして何より有難かったのは私の為を思ってよく叱ってくれた事だ。
何で怒られたのかは忘れてしまったが、義父に
「そんな格好でいたら風邪ひくだろう!何やってんだ、馬鹿野郎!」とこっ酷く叱られた事がある。
この時本当に義父は怒っていた。
でも私は物凄く嬉しくてニヤニヤしてしまったのを覚えている。
両親が私の為に叱ってくれた事など一度もなかったからだ。
きっと父だったらこう言うだろう。
「そんな格好でいたら風邪ひくぞ。ま、お前が死んでもオレは別にいいけどな」とか
「世間体が悪いからやめろ」とか八つ当たりであったり、とにかく愛を感じた事はなかった。
前夫はニヤニヤしている私が理解出来なくて
「お前怒られてるんだぞ。分かってるのか?」と怪訝そうな顔をしている。
「だって嬉しいんだもん。初めて怒られた」
と答える私に、義父母は全てを察したようだった。
「そうか、そんなに嬉しいか?」と義父は言い、
「お前は不憫な子だなあ」と言って涙ぐんでいたのが印象的だった。
前夫も実の両親すら私の寂しさを理解してはくれなかったが、この二人だけは分かってくれた。
私にはそれで十分だった。
前夫には散々振り回されたが、義父母がいてくれたから10年間頑張ってこれたと思う。
離婚を決めた時も義母は私の良き理解者だった。
血の繋がりを超えた何とも深い絆を感じた。
離婚から半年経った頃、義母は亡くなったが、それからずっと私の傍にいてくれる。
自分の息子ではなく私の傍にいてくれるのが嬉しい。
今も私の右隣に居るが「私の事も書いてよ」というのだ。
はいはい、書いてますよ。
これからちょくちょく義母の事を書くと思うが、本当に感謝しかない。
義父は今ひっそりと一人暮らしをしている。
子供達は年に2,3回は会いに行く。
最近めっきり老け込んだみたいで気がかりだ。
また今度顔でも見に行こうかなあ・・。
勿論、義母は義父にも寄り添っている。
お義母さん、お義父さんを見守っててね。
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2006
06,01
01:04
焼肉
CATEGORY[前夫]
夜、子供達は前夫と焼肉を食べに行く予定だったが、ひょんな事から私も行く事になった。
五人でご飯を食べるなんて何年ぶりだろう。
時の流れの速さに驚くばかりだ。
こんな風に穏やかな気持ちで前夫と話せる日が来ようとは。
分かれた時は思いもしなかった事だ。
当時はただ養育費欲しさに、じっと我慢して言いたいことも言わずに来た。
でもそれで良かったと思う。余計な事を言って、こじれずに済んだからだ。
今、自分自身を癒し続けて、やっと真っ直ぐに前夫と向き合う事が出来るのだろう。
ヤツもあれから色々あって、ヤツなりに苦労したらしい。
大分マシになって来たな、と思う。
和気あいあいと焼肉を食べながら、思う。
私がもっと大人で穏やな性格だったならば、違う関わり方が出来たのではないか?
或いは、今も結婚生活が続いたんだろうか?
私は後悔している訳ではない。ただ色んな可能性が頭をよぎるのだ。
でもどんなに考えてもあの時の私たちにはあれが精一杯だったと思う。
二人とも若かったし、余裕もなかった。
今お互い成長したからこそ、こうして穏やかに話せるのだと思う。
その成長も離婚したからこそだ。
焼肉屋を後にして、前夫のバイトしている「お#$ら鑑&団」に行った。
前夫は相変わらず無邪気に
「ひでさん(私の事です)見て見て!あれがオレが書いたポップ。それでこっちが~」
と言って私に見せる。
どうやら自分の仕事ぶりを見てもらいたいのだろう。
こう言う所は変わらない。因みにこの男45になるのだ。
頭の中は永遠の少年と言うか、ガキっぽいと言うのか。行動に幼稚さが漂うのである。
その所為か未だに30代前半に間違えられる。
以前はこういう所も嫌いだった。一緒にいて恥ずかしいとよく思った。
でも今は相変わらずだなあと笑って見ていられる。
私も余裕が出たのか、それとも関係ない人だと思っているからなのか。
でもやはり、歩く時は少し距離を空ける。夫婦や家族とは見られたくは無い。
彼には家族としての情はあっても、愛情は無いのだと自分でもはっきり分かる。
しかし久しぶりにこうして一緒にいると、この人の良さも見えてくる。
素直な所や、人間らしい所などだ。
これはすぐるが一番色濃く受け継いだように思う。
すぐるもヤツも本当に人柄は良いのだ。
でもだらしなさや軽薄さなど数多くの欠点が折角の長所も台無しにするのだ。
帰って来て、すぐるのためにも厳しくせねば、と決意を新たにしたのだった。
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2006
05,30
00:15
結婚記念日
CATEGORY[前夫]
今日は半田市での仕事だ。
もう何回か通わせて頂き、走り慣れた東名高速を行きながら、あやかと喋っていた。
「そういえば、今日結婚記念日だよ」「うそ~、マジで~?」あやかは大爆笑だ。
あやかでなくとも当の本人もかなり笑えるのだ。
今日、5月29日は私と前夫との結婚記念日である。
18年前の今日、18歳の私は結婚したのだ。
わたしはすでに妊娠六ヶ月に入っていた。
この結婚は子供が出来たから決めた「出来ちゃった結婚」である。
私は小学生の時に読んだ本に感銘を受け、「子供は親を選んでくる」という事を知っていた。
なので出来ちゃったこの子供を堕ろすという事は頭になく、
「せっかく来てくれたんだから」と産む事を決意した。
とは言え、まだ18、物凄く不安で怖かった。
小さな頃から早く家を出たかった私は、良い子を装い、家事を積極的に手伝い、家を出る日を夢見ていた。
しかし、結婚という形をとって、こんなに早く胸を張って出て行ける日がこようとは本人も思わなかった。
私が良い子を演じ続けていたので、結婚はあっさりと親に認めてもらえた。
当時前夫は26歳。しかしこの男「わーい、結婚結婚」と浮かれており、それを横目で見ていた私は
「この人、大丈夫なんだろうか」と憂鬱になった。
たしかに結婚後は大丈夫じゃなかったけどね。
それにしても結婚式のまえは大変だった。
いざ着ようと思ってたドレスはせり出したお腹の為に入らなくなり、急遽変更を余儀なくされた。
結婚式の最終の打ち合わせに父も参加するはずだったのに、うちのバカ親父はマージャンに行ってしまい、私たちはすっぽかされ、情けない思いをさせられた。
結局それがもとで父親と大喧嘩になり、私は裸足で飛び出し、3時間外をうろつくハメになった。
とにかくロクでもない思い出ばかりだ。
それでも無邪気に子供が出来た事を喜んでくれる彼がいるのは幸せなんだと自分に言い聞かせた。
結婚生活は本当に寂しかった。
周りは誰も知らないし、同級生はみな大学へ進学し、東京や神奈川へ行ってしまった。
夫は朝6時には家を出、夜9時を回らないと帰ってこない。
生活はきつく、時間は持て余しているのに、遊ぶお金はなし、車もない、妊婦だから一人で遠くにも行けない。私が一番きつかった時だ。
私は自分の選んだ道を後悔したくなかった。
ある程度みな覚悟をしていた。でも孤独で本当にどうにかなりそうだった。
この不安と寂しさから、いつも「子供が無事に生まれてきますように」と祈る習慣が身に付いた。
最初は五体満足を願ったが、そのうちどんな子でもいいと思えてきた。
もし障害を抱えてくる子なら、それは私の試練なんだろうと思った。
私は三人の子を身籠る度、毎日毎日習慣のように祈った。
のちにあやかが目覚めてからそれを言った所
「知ってるよ、だって聞こえてきたよ。だからお母さんを選んだ」と言ってくれた。
物凄く嬉しかったなあ。
本当はすぐるは下半身麻痺の障害を用意していたようだ。
しかしいち早く私が祈った事で、無条件の愛を学んだと判断し、今のすぐるになったらしい。
だからすぐるは時々「お母さん、祈ってくれてありがとう、あの時祈ってくれなければ今頃オレは車椅子の上だったよ」と、思い出すように言ってくれる。
継続は力なり。あの時の祈りに確証なんてなかったけど、本当によかった!
そしてあの時の強い孤独は、今本当に役に立っている。
だって、今は何があっても楽しいと思えるから。
一緒に分かち合える子供達や、お客様がいるから、一人じゃないって思える。
そして一番大きな苦労をくれた前夫に、私は図太くたくましくしてもらえた。
この人との結婚生活が何より役に立っている。
#$のりさん、私の踏み台になってくれて心から感謝してます!ありがとう!
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2006
05,24
23:38
前夫
CATEGORY[前夫]
今日は、本当は前夫が子供達を焼肉に連れて行く約束だった。
しかし今日はかずまとあやかがバイトでいない為、また今度という事で延期して貰ったのだ。
だがすぐるは納得していない。実はこの延期、三度目である。
前夫とは結婚している時から、いつもタイミングが合わない。
すぐるは前夫の携帯に電話を入れる。
そのうち
「お前いい加減にしろ!このうんこヤロー!!」
と絶叫している。次の約束を取り付けようとした所、
「金が無くなったからやっぱりやめる」
との返事らしい。早い話、気が変わったのだ。
すぐるは電話を切ると「クソックソッ」と足を踏み鳴らしている。
私はそれをニヤニヤしながら見てる。
「お前さー、いい加減あいつの性格分かれよ」私はなだめる。
「ホント、お母さん離婚して正解だよ」すぐるにそう言われて私は「あはは」と笑う。
ここで前夫の悪口を書きたい訳ではないが、離婚して丸八年ヤツは全然変わらない。
まあ、そう思ったから離婚したんだけどね。
あれからすぐにヤツは付き合ってた女と再婚し、子供を一人作り、すぐ出て行かれた。
その直後リストラされ、泣きながら「よりを戻してくれ」と言いに来たが、
当時小6のかずまに「ムシがいいんだよ~!」と追い返された。
全く情け無い男なのである。
この男、子供達から名前をもじって「ばかのり」とか「あほのり」とか「うんこのり」とか言われる始末、
全く可哀相なのだ。
ヤツは人柄は良いのだが、なにぶんいい加減ときてる。
すぐるが平成のチャランポラン男なら、あいつは昭和の元祖チャランポラン男だ。
まず約束を守らない。
「この前約束したでしょ!」と問い詰めれば
「えっ!?知らない、オレ聞いてないし。」とくる。
そうです!あんたが聞いてないの!
そして遅刻の常習犯。それも10分とか30分ではない。三時間遅れなど当たり前だ。
素直に謝れば許すのに「あれ、そうだっけ?」とすっとぼける。
或いは自分から「~しよう」と誘っといて、すぐに気が変わり「やっぱりやめた」となる。
本当に人をガッカリさせる名人だ。
でも本人は悪気が無いので困る。
私はこんな男と信じられない事に10年も夫婦をやっていた。
若気の至りとはこの事である。
今思うとヤツは根性は悪くない、私にとってそこが救いだったんだろう。
前夫は女とギャンブルに狂っていたが、それでも自分の父親よりマシだった。
毎日父親に食卓で当り散らされる事を思えば、前夫の上っ面の優しさも私には慰めになったものだ。
今、月に一度の割合で子供達に会いに来る。
会いに行く度、子供達は腹を立てて帰って来る。
私はヤツの顔を見る度、哀れに思える。とても寂しそうに見えるからだ。
この人と出会って私は随分たくましくさせてもらった。
この人との出会いがなければ、今の私はいないし、子供達にも会えなかっただろう。
結婚生活は大変だったが、後悔はしていない。自分なりに精一杯やったつもりだ。
ちなみに前夫は非常に霊感が高い。アホだから正しく使えてないが、変な所で勘が働く。
子供達はその遺伝子を引き継ぎに来た。この子達には正しく使ってもらいたい。
子供達はこの人みたいになりたくない、と以前の私が親を反面教師にしたように、ヤツを反面教師にしている。
そういう意味で、彼は最高に良い父親だ!
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