2024 09,22 07:49 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2007 05,24 21:17 |
|
かずまから電話があった。
「契約が取れないよ。どうしよう・・・。」 私は笑って聞いてる。 「そういう時って、あるよね。一回取れないモードに入っちゃうとさ、なかなか抜けれないしね。」 「そうなんだよ!どうしよう。」 ああ・・・自分の子供と仕事の話をするようになったか・・・。 感慨深い物がある。 かずまの仕事場では電話での営業の為、いくつかの班に分かれ、班毎に成績を競っているようだ。 隣の班では一日7件上げているというのに、かずまのいる班では全然・・・らしい。 なのに朝礼で 「今日取れなかったらどうなるか、分かってるんだろうな!」 って脅しを掛けられ、益々皆萎縮し 「余計、取れないよ!」 と言うかずま。 普通の営業だったら外へ一人で回るから、ある意味、気分転換出来るし、自分のペースで出来るよね。 でも室内でずっとみんなで居る・・・というのは逃げ場がないから、辛い。 「だからこそ、いかに自分自身を保つのか、試されるね。人に振り回されず、何を言われても、自分自身でモチベーションを上げていく強さがなかったら、この先何かがある度に、振り回される事になるもの。あんた、良い職場を選んだね。」 そう言うと、かずまは笑って言う。 「そうかも!振り回されないって難しいね。でもまだ辞めたくない!絶対頑張るよ!」 そう言って明るい声で、電話を切った。 こうして一週間に一回の割合で電話が来る。 かずまなりにいろいろと葛藤があるのだろう。 でも最初から楽な場所ばかり選んでいたら、人生の後半は尻すぼみだ。 若く気力が充実しているうちに、何でもやっておかないと! あっという間に年を取ってしまう。 かずまも自分を見失いかけると、私に電話をする。 私に勘当され、散々叱られ、殴られてきたのに、それでも自分にとって本当に必要な言葉をくれるのは、私しか居ないと思っているのだろう。 それに離れていても、かずまが何を感じ、思っているか、大体分かる。 だから住んでる所は離れていても、ちっとも距離を感じない。 私自身が自分の明日の事で頭が一杯になってるし、今まで精一杯やってきた、という満足感からか、「寂しい」という気持ちはない。 むしろ「そういえば、昔、子供を産んだな・・・」くらいの勢いだ。 それにしても。 「オレ、みんなにモテているよ!」 と言うかずま。 「だってみんなオレの顔を見ると、お菓子くれる!」 「・・・あのさ、それはモテてるんじゃなくて、餌付けされてるんじゃあ・・・。」 職場で可愛がって貰ってるみたいだから、いいんだけどさ。 2,3匹猫を被っているそうだ。一体どんなキャラでやってるんだか。 とにかく、仕事は楽しくやって欲しい。辛ければ辛いほど・・・だ。 そこから見えてくるものがある。 今後のかずまの成長が楽しみだ。 PR |
|
2007 05,20 22:39 |
|
先日、あやかは図書館へ行っていた。
その時私は、仕事の為、あやかのアパートに居たのだ。 仕事の前に 「ちょっと本を返しに行ってくるね。」 と言って出掛けたあやかだったが、数十分後には半泣きしながら怒って帰って来た。 「どうした?」と聞くと、「すぐそこで自転車ごと転んだ。」と言う。 それを聞いて、ピンときた。 先日、予感していた「事故」が「転んだ」事に変わったのだ!・・・と。 あやかが自転車に乗って、アパートが目の前だという時、自転車が何故か真横にすべり、転んだのだ。 あやかは右側を強かに打ち、顔の右側には擦り傷、右肩を打撲したのだ。 それがあまりにも痛くて、 「なんでこんな目に遭わんといかんの!!!」 と怒っていたのだ。 でも「事故に遭って死ぬ」運命の事を思ったら、たかだかそれ位の事で済んで、よかったのだ。 「それくらいの怪我で済んで、本当に良かったよ。」 と私は言うが、それでもあやかは腹の虫が治まらないのだろう。 「分かってるよ。こんな怪我でよかったよ。でも痛い!」 と言っていた。私は笑って聞いてたんだけどね。 「笑い事」で済んで、本当に良かった! さて、あやかは不思議な倒れ方をしたのだと言う。 路面は濡れておらず、でこぼこもなく、いつも通ってる通い慣れた道での転倒だった。 まるで横から押されたかのような、そんな圧力も感じたのだ。 きっと霊に横から押されたんだろう。 そして自分達が決めてきた運命は、避けられないものが多い。 ただ結果を変えることは可能なのだ。 あやかの「事故」が「転倒」に変わったように、だ。 要は、事故を通して学ぶべき物を、先に学んでしまえば大丈夫なのだ。 あやかはあれから「自立」や「自分らしさ」について、とことん向き合ってきた。 勿論、私も向き合ってきたけどね。 こうしてお互い一緒に居ても「自立」をより意識した事で、避ける事が出来たのだろう。 具体的には、将来あやかが「絵」を使って自立する事を睨み、デッサンや色付けの勉強を自分なりに再開したのだ。 まだ「何をやるか」とか、「いつ」という事までは決めていないが、でも自分なりの「本当にやりたい事」を模索し始めた事は確かだ。 そして話し合いを重ねて、「やはりお互いが必要だ」という事を再確認したのだ。 これもあやかにとって、生きる「意義」に繋がったのではないか。 前にも増して、セッションに意欲的になったもの。 あやかの成長を感じるのは間違いない。 さて。本当に事故じゃなくて、よかった。 もし、あやかが事故に遭っていたら・・・。 本来は・・・あやかに二人の霊が憑き、これに誘われるように事故が起こる。 アパートの前の交差点を渡る時、車に撥ねられるのだ。 あやかはここで「即死」の予定だった。本人がそう言うのだから間違いないね。 「やばかったよ。即死だもん。やっぱり右側から転んで、顔の右半分が車に引きずられて、無くなってるんだよ。危うかった~!」 だって。擦り傷で済んでよかったね。私は泣く所だったよ。 それを霊視する本人は複雑だ。 「自分の死体になってる所を視てるのは、何だかなあ~。顔グチャグチャだしさ。」 そりゃそうだ。あんまり気分の良いもんじゃないね。 そんな訳で、「事故に遭う」運命はクリアしました。 みなさん、お騒がせしました! 心配してくださった方々、ありがとうございました! 今日もあやかは元気です! |
|
2007 05,16 18:29 |
|
そういえば、昨日はすぐるの15歳の誕生日でした!
書くのを忘れてたよ~!ははは~。でもちゃんと祝いましたから。ご心配なく! しかし年月の流れるのは、早いね。 去年、すぐるの誕生日の事を書いたばかりなのにね。 月日の経つのは、あっという間だよなあ。 さてさて。今日はすぐるの家庭訪問だったんだよね。 はあ~、憂鬱になるね。何を言われるのやら・・・。 何しろ、今年の担任は、久しぶりの女の先生だからだ。 今まで(小学5年から去年まで)、すぐるの担任はみな男の先生だった。 あくまでも傾向・・・だが、男の先生はあまり細かい事を言わず、その子の本質をキチンと見てくれる先生が多かった。 しかし女の先生は、忘れ物の数だとか、言葉遣いだとか、うわべにとらわれている人が多く、また型にはめる傾向が多いように見受けられる。 勿論、教職が天職で、キチンと見てくれる女の先生もいるけどね。 ただ、すぐるの担任は40代のベテランで、第一印象もすぐるからの話でも、頭の固いタイプなのは間違いない。 この常識派の先生からしてみると、進路第一希望が「定時制」を選んでいるすぐるの考えが、不可解なのだろう。 先日も「お母さんも承知なの?」とか「お母さんはなんて?」と聞いてきたらしく、とにかく私が何を考えて進路を選択させているのか、皆目検討がつかないのだろうね。 だから、訪問に来てくださった先生から、やはりこの話題が上ったのである。 私は、学歴ではなく「生きてく力」をつけさせたい事、その為、すでに上の二人も自立させた事、そして何よりすぐるには夢があり、やりたい事があるからだ、と簡単に説明をした。 先生は、私達なりの考えがキチンとしている事を感じ取ってくれたのだろう。 かなり納得してくれていたし、感心もしていた。 それから「厳しく」指導してもらえるよう、お願いもしておいた。 「少々鼻血が出ようが構わないので、何かあったらブン殴ってくださいね!」 「分かりました。」 そう言って先生は笑っていた。 やはり厳しく接してもらわないとね。社会はもっと厳しいのだから! それにしても。あいつは学校で何をやっているのだろう。 家に来た先生の第一声は「いつも、楽しませてもらってます!」だって。 何だか、よく分からんな。 そして先生も、実はすぐるの事をよく分かってないんだな、と思う。 すぐるは本当は集団生活には向かない性格だ。 それはあの子には、強い「こだわり」があるからだ。 ただ表面上、楽しくやっており、ある程度皆に合わせているだけなのだ。 それに騙されちゃうんだな。 だからそれを先生に告げると、最初驚いていたが、でも 「そう言われれば、思い当たる事があります。漢字の書き取りのやり方について指導をしたら、『オレにはオレのやり方があるから、良いんだ。』と言われ、この子にはこんな考えがあるんだって、ビックリしたんです。」 と言っていた。 「でもこだわりもやりすぎると、単なるわがままなので、あんまり聞かなくていいですよ。」 とも言っといたけどね。 さあ、先生から私はどう見えたのだろうね。 風変わりな親だと思っただろうか。 私は何て思われてもいいんだけどさ。 とにかく、私はすぐるの為に「よろしくお願いします。」と頭をさげるだけなのである。 |
|
2007 05,12 22:22 |
|
かずまから電話があった。
電話営業での研修を終えて、営業を始めて早、数週間・・・。 今まで契約が取れず、四苦八苦していたようだ。 思うようにいかず、真剣にやればやるほど焦り、ドツボにはまり、泣く事数回・・・。 営業と言うのは、己との戦いで、いい訳しても結果は自分に返って来る。 また営業の仕方には、自分の欠点が、モロ浮き彫りになってくる。 それ故、辛い。 だからこそ、営業をやると成長するのだ。 大抵の人は、自分の欠点に気付きたくないから、営業を嫌がり遠ざける。 欠点に気付かなければ、なかった事に出来るし、その分苦しまずに済む。 その代わりに、「成長」を逃す。 だからいつまで経っても、同じ過ちから抜けれないのだ。 かずまは営業を通して、自分の「自信のなさ」に改めて気付かされ、思い知ったようだ。 「オレってさあ・・・やっぱ自信がないんだね。だから焦って喋るし、それが相手に伝わるんだよね。」 「そうだね。焦ると余裕がなくなるから、相手を待つゆとりがなくなるしね。」 「そうなんだよ・・・。」 かずまは私が思った以上に頑張っているようだ。 何とか「一番になりたい!」と思っているようで、本当は8時間働けばいいのを、12時間もやっているようだ。 時間が空けば先輩から何かヒントを盗もうと、質問攻めにし、自分なりにトライしているようだ。 それが実ったのか 「今日、やっと一件取れたんだ!」 と電話をくれたのだ。嬉しかったのだろうね。 「苦しんだ後の一件は嬉しいでしょ」 私がそう言うと「そうだね!」と返事をする。 営業は苦しんだ分、喜びは倍に返って来る素晴らしい仕事だ。 誰でも出来る受け身の仕事は、退屈な変わりに傷つく事はない。 でもやりがいが無いから、飽きるのも早い。 しかし大抵の人が長く続ける事に意義があると思い込み、 「こんな私が文句なんか言っちゃいけない。」 と、たいして面白くない仕事にしがみついているのだ。 人生の大半の時間を仕事で占めているはずなのに、そんなつまらない事で時間を消化してしまって、勿体無いと思わないのだろうか・・・。 そんなんで人生が楽しいのだろうか。 私はそんな時間の使い方はしたくないな。 かずまはしばらくその仕事で頑張ろうと思っているみたいだ。 「目標月収100万円!」 と掲げているようで、まあ頑張ってください・・・という感じ。 今はまだ時給いくら・・・の世界だけどね。 でも「欲」を出すのは良い事だ。 向上心には違いないからね。 前も書いたが、「こんなもんでいい」と思ったら、人生「こんなもん」しか来ない。 「これでいい」と思ったら、人生お終いだとも思っているから。 「時間が掛かってもやり抜きなさい。今後の人生に自信が付くよ。」 「そうだね。そう思うよ。今は少しだけど、ちゃんと小説も書いてるよ。 オレの本当の目標はブレてないからね。」 勿論だ。かずまには今すぐじゃなくても、本当になりたい者になって欲しい。 かずまは意外と頑固者だから、信念を持って夢に向かって、きっと行ってくれるだろう。 これからたくさんの困難がやってくるかもしれない。 でもそれを煩わしいと思わず、真正面から取り組めたら、大丈夫だ。 私もかずまに負けず、頑張ろうと思う。 |
|
2007 05,11 21:28 |
|
お陰様でこのブログを開設して、ちょうど一年経ちました!
読んでくださってる皆様、いつもありがとうございます! 読んでくださる方がいらっしゃる限り、私は書き続けます~! この前あやかから、ちょっと早い「母の日」のプレゼントを貰った。 洋服とスカートだ。本当に嬉しい・・・。 早速着て、すぐるに見せた。 「これ、あやかに貰ったんだよ。」 と報告すると 「似合うよ。あれ!?もう母の日、過ぎちゃった?知らなかったよ、ごめんね。」 と言う。なので 「まだでーす。プレゼント、待ってま~す!」 と言っておいた。プレゼントなんて、別にいらないけどね。 勿論、私も母親なので、日頃の労をこうして労って貰えるのは、嬉しい。 でもプレゼントなんて貰わなくても、私は子供達から大事にされている事は分かっているので、それで十分なのだ。 それに、子供を産むのも育てるのも、本来は「産みたい」から産むんだし、それに伴う「責任」から育てるのは当然のはずだ。 親の勝手で作り、産んで、「感謝しろ!」と言うのは、好きじゃない。 なんか企業に踊らされているように感じるのは、私の考えすぎだろうか。 私も離婚し、3人の子供達を一人で育ててきた。 それはとても大変だったし、正直、一人目を妊娠した18才からの6年間、一日も熟睡などした事はなかった。 子供が3人、4人居る人は皆、そうだろう。 そんな中で私は働き続けて来たが、それは例え生活の為であろうと、私が選んだ事だし、誰の所為でもないのだ。 それどころか、「子育て」という大事な仕事を誰にも邪魔される事なく、一人で独占し続けて来た事が、「何て贅沢なのだろう!」と思う。 先日もあやかと話していた。 「もし、前夫がもっと子供達に関わり、可愛がっていたら・・・」 と思ったら、二人して 「やばい事になってたね!」 と声を揃えて、言っていた。 きっと子供達・・・特に息子二人は前夫の悪い癖を悪い事と自覚せず、そのまま真似していただろう。 「もし、ばあば達に甘やかされていたら・・・」 と思ったら、 「これもやばかったね!」 と、これまた二人して言う。 私の母親がもっと利口で孫を可愛がっていたら、私はきっと、もっと甘えていたし、まして自立をしようなんて、考えなかった。 だから実家から出なかっただろうし、子供達はもっと普通で平凡な生き方をし、でも反抗期を迎え、私に小生意気で偉そうな態度で振舞っていたに違いない。 そして私も子供達を自立させようなんて考えも及ばなかったし、今のように「母の日のプレゼント」を貰うなんて、夢のまた夢だろうね。 やはり、うまく回っているんだ・・・と思う。 私が自分の考え一つで子供を自由に育てられたから、今の子供達になったと思う。 よく「そりゃあ、お宅の子はいいよね」とお客様に言われる事がある。 でも自分の子供を蔑んでみても、そんな子供にしたのは自分自身だ。 子供が勝手にそうなる訳が無いからだ。 もし、霊感に目覚めたあやかがあなたの子供だったら・・・そう想像してみて。 大抵の人は「特別な存在」になった娘に狂喜乱舞し、媚び、お伺いを立て、そして「自慢の道具」にする。 きっとあやかは自惚れ、慢心し、自堕落になる。 母親や周りの大人が媚びていったら「私は凄い人間なんだ!」と錯覚するだろう。 そして、たちまち「くだらない」「虚栄心」ばかりの大人になる。 うまく失敗した人生を味わいたければ、くだらない大人を母親に選ぶだろう。 でもあやかもかずまもすぐるも、この厳しい母親を選んでくれた。 「厳しさ」こそ「本当の愛」という事を、知っているからだ。 あとで後悔したければ、うまく失敗したければ、甘やかせばいい。叱らなければいい。 気分次第で育てればいい。褒めればいい。媚びればいい。ペットのように可愛がればいい。 お金や物をあてがえばいい。そしてヤツ当たればいい。 そうすれば、あっという間に「くだらない大人」の出来上がりだ。 そしてそんな「くだらない」人になりたくて、甘やかしてくれる人を親に選びに来るのだ。 全ては「合意」なのである。 私はそんな人生を選ばなくてよかった!・・・と思う。 そして皆様にも、私達の提案する「死ぬまで幸せ」な人生をやっていただきたい、と思う。 このブログが2周年、3周年と迎えられるよう、頑張ります! 応援してくださいね! |
|
忍者ブログ [PR] |