2024 09,22 15:40 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2007 02,06 22:14 |
|
今日、すぐるが学校行事で「職場体験」をしてきた。
行って来た所は、静岡県と愛知県の県境にある農家だったらしい。 数人で行った中学生に与えられた仕事は、大根を一万本抜く、というもの。 広い畑に見渡す限りの大根が広がる中、黙々と作業をしていたらしいが。 なんと!この大根、出荷の為ではなく、捨てる為に抜いていたらしい。 温暖な為、大根が出来すぎたらしいのだ。 すぐる達も捨てる為なので、大根に傷が付こうが痛もうが構わないので、それはそれは気楽にぞんざいに扱っていたらしい。 しかし「もったいないよね~」と言いながら、抜いていたみたいなんだけどね。 すぐるは私と一緒に貧乏を経験しているし、今だって仕事が暇になると 「大丈夫?ご飯食べられる?」 と心配するほどだ。だからご飯が食べられるっていうのは「当たり前じゃない」と分かってる。 しかもすぐるは学校のベランダで野菜を育てているほど、畑仕事に興味があるのだ。 どんなに複雑な心中だったか、想像に難くない。 「最初さあ、勿体無いよねえ~って言いながらやってたんだけど、一時間も経つとホントに捨てる「ゴミ」に見えちゃうから、怖いよね。」 「マヒしちゃうんだ?」 「そうだよ。外国ではご飯食べられない人も一杯いるのにね。人間て慣れるんだなあ・・・って思うよ。」 そう、しみじみ言っていた。 憧れの農作業の現実がいろいろ見えただろう。 「あんなに一生懸命作ってたって、捨てなきゃいけないって、どんな気持ちだろう・・・」 見ているだけでも虚しかったに違いない。 何でも体験しないと分からないよね。 どんな事にも、喜び、悲しみ、怒り・・・と、あるものだ。 でも「隣の芝は青く見える」のだ。 人の事を羨んでいる人ほど、自分は努力もしないで、他人のうわべの良い所しか見ない。 その裏側の苦労や忍耐、勇気を見ようとしないものだ。 一口に「成功したい」と言っても、それは一足飛びには実現しない。 事によっては時間が掛かるし、忍耐を強いられる。 私も成功したい一人だ。そしてその為の毎日を大切に過ごしている。 すぐるも私の苦労や喜びを知っている。 自分らしく生きる事の難しさ、大変さ、周りの無理解・・・そして大きな喜び、楽・・・。 何もかも分かっていて、すぐるやあやか、かずまは自分らしく生きよう、そして成功したい、と思ってくれているのだ。 嬉しいなあ・・・って思う。 明日もすぐるはまた農家に行くそうだ。 容器を洗ったり、機器を掃除したり、地味な仕事をするらしい。 頑張ってね~! PR |
|
2007 01,28 20:42 |
|
最近の我が家では、クロスワードパズルが流行っている。
なかなか本を読まず、漢字もロクに書けないあやかとすぐるに勉強させたくて、先日私が買って来たのだ。 すぐるにはクロスワード、あやかには漢字のナンクロだ。 本当に二人は日本語を知らないので、書いてるペースがトロイ。 あやかもすぐるも、いちいち聞いてくる。 「自分でやれ」「調べろ」と連発する私。 すぐるなんてカタカナなんだから簡単でいいじゃん・・・と思うが。 その前の問題の意味が分からないときてる。ア~ホ~だ~!! まあ、あやかも似たようなモンだけど。 私も暇つぶしにやる。 それを横で見ているあやかは「お母さん、早~い!」と驚いているが。 でもそこそこ本を読んでいれば、それくらい出来て当たり前だろう。 別に出来たら偉い訳ではないが、でも日本語を知らないより、知っていた方がいいだろうし。 ていうか、日本語しか、知らんだろう・・・?! 特にあやかは上から降ろした情報を相手に伝えるのが仕事だが、何せボキャブラリーが貧困ときているので、非常に苦労をしているのだ。 なので「えーと、えーと・・・」「何て言うか~・・・」と、なるのだ。 それを補う為に、本を読んでいるのだが、これがまた時間が掛かってしょうがない。 だから手っ取り早く、パズルで日本語を覚えな!という事になったのだ。 3日で10冊の本を読むカズマとえらい違いだ。 あんまり賢くなって、頭がカチカチになって、あやからしさがなくなるのは困るけどね。 あやかの良いトコを残しつつ、上手に情報を降ろせたら、いいよね。 いずれ一人でやらなければいけない時も、来るだろうから。 私は精一杯才能を伸ばすだけだ。 まあ、楽しくやってくれればいいさ~。 |
|
2007 01,23 22:41 |
|
今日は久しぶりに、あやかに大きなカミナリを落とした。
ここ最近のあやかの態度に不満があったのだが、すぐるに対しての口の利き方に我慢がならず、私の怒りが爆発したのだ。 夕方、皆で家の中を片付けていたが、すぐるの返事が気に入らず、あやかがインネンをつけていたのだ。 その言い方が、本当に気分が悪くなるような言い方だ。 しかも、しつこい。 で、ますますすぐるがそっぽを向く。明らかに悪循環だ。 それもあやかは、自分がちゃんとやれてないのに、すぐるに言う。 だから、すぐるも言う事を聞かないのに。 その事についても、以前あやかに注意したばかりだ。 でも、また同じ過ちを繰り返すのだ。 人間だから過ちはある。それを教訓に直せばいいが、繰り返したらただの馬鹿だ。 だから私はあやかに「ばーか!」と言うのだ。 私が何故、あやかに厳しくするのかと言えば、勿論将来の為だ。 このままだと、あやかはこうして間違いなく自分の子供を叩き潰すだろう。 それが原因で夫婦仲も悪化するだろうし、私とも喧嘩になるだろう。 そんなのはイヤだ。 また、あやかのキツさは私が原因かと思い、私から優しくしたら、あやかも柔らかくなるのではないか、と思い、黙って優しく接したら、今度はそれを当たり前に思い、あぐらをかく。 そういう意味ではあやかはあんまり利口ではない。 だから、一人暮らしはあやかにとって家族の有り難味、兄弟の有り難さ、と言うものを実感出来るだろう、と思うのだ。 あやかはこの厳しい母親を求めて、私を選んだ。 ならばそれに答えるのが、私の愛情だ。 社会に出ても、本当の事を言ってくれる人は少ない。 みな、当たり障りなく関わり、褒め、おだててくれる。 その方が楽だからね。嫌われたくないし。 でも本当にその人の事を思ったら、言わなくちゃいけない事があるよね。 身内だったらなおさらだ。 私の母でさえ、あやかのすぐるに対しての口の聞き方には、心配になっていたようだ。 「あたしゃ、あやかがガミガミ言ってるのを聞いてると、ホントイライラするんだよ」 昨日も母はそう言っていた。私も同感。 しかし、原因の一つは私にあるだろう。 私は口うるさい祖母から、一日に何十回も 「宿題やったかね?」「宿題やったかね?」 としつこく言われ、ブチ切れた覚えがある。さすがの母でさえも 「いいから、あんたは黙ってな!」 と言ったほど。ちなみに同居の祖母は母の母。 これを教訓に、私は自分の子供にも旦那にも、グズグズ言うのだけは止めようと思い、怒る時は思いっきり怒るが、二度も三度も言うような事はしなかった。 そうしたら、逆にしつこく言われる人の気持ちが分からなくなったのだ。 だからあやかは平気でグズグズしつこく注意をするのだ。 しかし、そんな注意の仕方では誰も耳を貸さないだろう。 それを言っても、経験がないと分からない物だ。 だから、どんな経験でも「尊い」のだ。 もし、これを読んで「私も口うるさいかも?」と思ったら、是非家族に聞いてみるのもいいですよ。 たくさん言ったら、言う事を聞かせられる訳ではないので、そこは間違えない方がいいですね。 それにしても「子育て」って難しい・・・と痛感するのだ。 |
|
2007 01,21 19:47 |
|
今日もすぐるは忙しかったようだ。
朝、5時に起き、友達のうちに5時半に集合。 それから友達と一緒に釣りへ。 朝日が昇るのを見ながら、釣りを楽しんで、コンビニでパンを買って朝ご飯。 それから昼前まで釣りをして、またコンビニでパンを買って、お昼ご飯。 昼から夕方までバスケをずーっとやってたらしい。 こうして、すぐるは12時間も遊んでいた。 今は力尽きて寝ている。 先週も朝3時に家を出、夜釣りに行っていた。 補導されるんじゃないか、とビクビクしながら行っていたが 「別に悪い事するんじゃないんだから、堂々と行きなさいよ。」 と言って弁当を作って持たせた。 本当は、こんな時間に子供を出歩かせるなんて、常識外れな親のする事だろう。 でも、すぐるが物凄く根が真面目で、気が小さく悪い事が出来ないのを、知っている私は、安心して外へ出すのだ。 子供も弁当まで作られて「行って来い」と言われれば、悪い事だって出来ないだろう。 ちなみに、補導されるのは4時前だ。 先週も釣りの後、友達の家で仮眠を取り、夕方までバスケをして遊んでいた。 何とも、ほのぼのしていて、いいのだ~。 ちなみのちなみに、うちには今まで子供達に門限を与えた事はない。 用事がある、とか、必要があって「何時までに返ってきなさいよ」というのはあっても、日常の中で門限はあえて決めなかった。 それだけ子供を信頼しているから、出来る事なのだ。 子供の方も「お母さんに信頼されているから裏切れないよ」と言っている。 まあ、私を裏切れるのならたいしたもんだ!やれるモンならやってみな!っていう感じ。 それでも、こうして子供達が伸び伸び遊んでいるのは嬉しいと感じる。 この若い時に何でも経験して欲しいからだ。 若い時に無茶せず、良い子で通ってきてしまった人の方が、後で怖い。 経験不足で踏み出せなかったり、見誤ったり、逆にはまっちゃったり・・・。 様々な方達を見てきて、本当に実感する。 何でも経験した方がいい。 親はつい心配で安全な道を歩いて欲しいと思うが、本当に安全な道を歩いて欲しければ、それを見極めれるだけの「経験」を積ませ、目を養わせる事だ。 それが本当の親の愛だと思うのだ。 でも多くの方が、守って囲って可愛がる事が「愛」だと思っているのだ。 しかし、それは子供から多くの経験を奪い、自立を阻む。 私もこうして子供を送り出す時は「賭け」だと思ってる。 もし、事故に遭ったら?怪我をしたら?海に落ちたら・・・・ 様々な不運の可能性が駆け巡る。 だからこそ、そうならないよう普段から事細かく注意し、子供の動向に目を光らせる必要があるのだ。 しかし大抵の人は、子供にちゃんと叱ったり教えたりしないで、むやみに制限をし、「ダメ!」と言うのだ。 そこに子供は反発するのだ。 世間ではそれを「反抗期」というんだろうね。 私は「反抗期」なんてないと思っている。 「反抗期」って事で、親が納得したいだけなんじゃないの?って思う。 私があれだけ厳しく怒ったり叩いたりしても、うちの子達に「反抗期」はない。 かずまでさえも肝心な時には帰って来るし、意見を求めに来る。 勘当したのにね~・・・。 子供に嫌われたくなくて叱れない親が多いが、ちゃんと叱れた方が子供から尊敬されるのになあ、と思う。 みんな、何を恐れているんだろうか。 自分が嫌われる事?子供がろくでもない人間になる事? 注意事項・・・決して子供の夜遊びを奨励している訳ではありません。 たまに都合の良い解釈をする方が居るんで・・・。 まあ、二度とない青春を楽しんでもらいたいね~、すぐる。 |
|
2006 12,25 22:40 |
|
メリークリスマス!ですね~。
昨日、今日と実家でただ飯を食べてきました。 これで我が家のクリスマスは終わり。 そもそも2000年以上前の人の誕生日を祝えったって・・・ねえ? さて、余るのはケーキに付いてきたろうそくだ。 これを使って、何やらすぐるは気味の悪いものを作っていた。 またかよ~・・・何作ってんだよおお・・・っていう感じ。 さて、何を作っているのかというと。 すぐるは粘土で自分の人差し指の型を取り、型の中に溶かしたろうそくを流し込み、冷やし固めて粘土から取り出す。 こうして、ロウで出来た人差し指の出来上がり。 これが気持ち悪いの何のって! これがご丁寧にススで黒くしてあり、一見見ると「死体」の壊死した指に見える。 こんなのが、コタツの上に「ポン!」と置いてあると想像してごらん! どんなに気持ち悪いか! しかもこんなものを2本も3本も作っているのだ。 馬鹿じゃねえのおお??? ケーキのろうそくだけじゃ足りなくて、終いには実家の仏壇から白いろうそくを頂戴し、「オレの宝物」なるものを熱く製作していたのだ。 うおおおお・・・ついていけない・・・。 そんな私の醒めた視線も何のその。すぐるの制作意欲は衰えない。 この清いクリスマスの夜に、死体の指を作る男・・・。 これを実家の食卓の上で作るのだから、私の両親も半ば呆れ顔。 父はニヤニヤしながらツッコミを入れる。 「何だ。芸術作品かあ?それにしても気持ち悪いなあ・・・」 これには全員同感したけどね。 とりあえず5本作って、すぐるの気は済んだようだ。 その顔は満足感でいっぱいのよう。 「気は済んだ?」「うん!」「そりゃ、よかったね」 こうしてすぐるは製作した薄気味悪い指を持ち帰り、その宝物をしまったのである。 また増えちゃった~、すぐるの宝物・・・。 思い残す事なくてよかったね! |
|
忍者ブログ [PR] |