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2008 04,30 22:21 |
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今日、仕事を終えて、あやかは一旦名古屋へ帰って行った。
一昨日、あやかがこっちに帰って来た時、珍しくへこんで帰って来た。 最近のあやかは元気一杯、って言う感じだったのに。 しかも帰って来る前、友達と名駅で待ち合わせて、一緒に遊んでいたのだ。 「楽しかったはずなのに・・・何でへこんでるんだろう?」 あやかも首を傾げている。 「あんた、名駅で何か拾って来たんじゃないの?」 「う~ん・・・そうかもしれない。でも自分じゃ分かんない。」 あやかは自分が悪霊を憑けていると、巻かれてしまって、自分ではさっぱりと分からなくなってしまう。 途端に、私にはイメージが湧く。 白いブラウス、かすりのモンペ、おかっぱの髪・・・年は14,5歳・・・。 オシャレも恋も知らないまま、死んでしまった事が悲しい・・・という気持ちが湧きあがって来る。 これはあやかが憑けている女の子の霊だ。 「あやか、空襲で亡くなった女の子を拾って来たね。」 「そうかもしれない・・・。今日、名駅の地下を一人でブラブラしてたら、今日に限ってたくさんの幽霊と目が合っちゃってさ。その時拾ったのかも知れない。」 この女の子からしたら、きっとあやかの存在はうらやましく、妬ましかったに違いない。 あやかはバッチリ化粧をしているし、その日はスカートをはいていた。 おしゃれをしていた事が羨ましかっただろう。 それにあやかは「何か安くていいものないかな。」と、買い物を楽しんでいた。 それも羨ましかっただろう。 戦争中はオシャレどころか、食べるものさえなかっただろうから。 名古屋も大規模な空襲があった所だ。 それに戦場跡も多い。案外幽霊の多い所なのだ。 先日も名古屋市内で商売をされている方に除霊を頼まれて行ったが、そこにいた霊も空襲で亡くなった女の人だった。ここの方も定期的に除霊をされている。 お客様が連れて来て、お店に置いて行く事があるからね。 現に、お店の方の勘が当たっており、霊がいたのである。 亡くなってる方には、やはり様々な思いがあるね。 あやかは知らない間に霊を憑け、その後待ち合わせた友達と合流し、一緒に遊んだ。 その時は楽しくて盛り上がってたらしいが、それから友達と別れ、ふと一人になった時、気持ちが沈んでいる事に気付いたようだ。 「なんで、へこんでるんだ?楽しかったのに・・・。」 勿論、相手が悪い訳ではない。これもあやかには分かっていたのだ。 でも何でへこんでいるのかが、分からない・・・。 巻かれている時って、こんなもんだよね。 なんか、おかしい・・・と思っていても、這い上がれないのだ。 しかも、あやかはこのような時、激しく落ち込むので、私には分かり易いんだけど。 「へこんでるなあ~。また何か憑けて来たな。」 って感じでね。笑 だから私達は二人でやってて、よかったと思うのだ。 お互いをチェック出来るからね。 こうして、女の子を癒して、すぐにあやかは復活した。 除霊してしまえば、単純なものである。 あやかは明るい顔で名古屋に帰って行ったのだった。 PR |
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2008 04,20 21:00 |
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私が高熱にうかされていた時、見ていた夢がある。
私は夜行列車に乗っていた。 その列車は、ちょっと変わった作りをしていた。さすが夢。 例えば、寝台車のような作りをしており、列車の片側は通路になっている。 その通路は壁がなく、まるで船のデッキのように手すりが付いてるだけ。 普通こんな作りで通路にいたら、風圧で息が苦しいと感じるだろう。 しかしそこは夢だ。快適な風を感じるだけだ。 私はOさんと列車に乗っていた。 夜なので、二人で通路に立ち、風を感じながら星を見てる。 私たち以外は、たくさんの若者だ。 みな、片手にシャンパンを持ち、歌を歌い、踊り、享楽的だ。 はっきり言って、私達二人だけ浮いてる。私達はおばさんだからね。 Oさんは、背中の大きく開いたカクテルドレスを着ていた。さすが、夢! 私は仕事用の服だけどね。 ある駅で、列車は止まった。 私達は喋る訳でもなく、ただ星空を見ながら、たたずんでいた。 私はOさんとこうしているだけで、楽しいと思っていたから。 しかしOさんは 「私はここで降りるね。はしむらさんはどうする?」 と、聞いてきた。私は 「私はいい。これに乗ってる。」 と答えた。そうしたらOさんの表情がたちまち曇り、寂しそうな顔になる。 それでもOさんは、「じゃあ、行くね。」と、列車を降りてしまった。 私はOさんの表情が気になったが、列車を去ったOさんの後姿をただ眺めていたのだ。 そこで目が覚めた。 私はすぐOさんに何か心配事でもあったのかと、電話でも入れて聞こうかと思ったが、それよりも自分を治すのが先だろう、と思いなおし、そのまま寝たのだ。 この時、39度を超えていた。 しかしこの夢を見た三日後、あやかにこの夢の意味を聞いて、恐ろしくなってしまった。 夢の意味は・・・ この列車は、「死」の列車なのだ。 それに乗っている人々は、これから将来たくさん自殺や事故、病気で亡くなって行くであろう若者達だった。 この夢の中の若者達は、非常に享楽的だった。 こういう人達は非常に多いが、こういう人達が本当に事故や病気を起こし易い。 何故なら、ベッドに寝かされてしまう事で、自分の人生を振り替えさせられたり、「もっと深く物事を考えなさい」と考えさせられる事になるからだ。 それでも「気付かない」と魂が判断すれば、「リセットしよう」と死を選ぶのだ。 列車の中の若者は、将来そうして死を選ぶ人達なのだろう。 私は、その人達の中にいたのだ! Oさんは死の列車から降りて行った。まだ生きるべき人だから。 その時、「はしむらさんはどうする?」って聞いたのに、私は「まだ乗ってる」って言ったから、彼女は私との今生の別れを惜しんで、あの寂しそうな表情になったのだ。 彼女に問題があったのではなく、私の方だったのだ! 私は降りた後のOさんを見ていたが、列車は止まったままだった。 だからよかったのだ。あれが動いていたら・・・。 「お母さん、死んでたね。」 そう、あやかに言われてしまった。 この時の私もまだ微熱が続いており、寝たままあやかの霊視を聞いていたのだ。 そうしたら 「お母さんの膝から、誰か女の人が立っているよ。・・・お母さんの生き霊だ!おかあさん幽体離脱してるよ!」 って言われてしまった! 「えっ?!幽体離脱?自覚ないんだけどでも言われてみれば、ここんとこ、ずーっとボーっとしてるなあ。」 「お母さん、今から夢を癒そう。でないとヤバい。連れて行かれちゃうよ。」 そう言う訳で、早速癒す。 そうしたら立っていた私の生き霊は、私の中に納まって行った。 それで私の意識は大分、はっきりしたのである。 このまま幽体離脱したまま居たら、ヤバかったね。 これじゃあ、事故に遭い易いだろうし・・・事故!!! 思い当たる節がある・・・! この続きを明日書きます。読んでくださいねえ。へへへ・・・。 |
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2008 04,05 20:47 |
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前々からここに書きたかった事だが、何せお客様のプライバシーに関わる事だったので書かなかったのだが。
しかし先日、ご本人の旦那様に了解が取れたので、ここに書きます。 それは前世の事だ。 この方達はTさん夫婦。お二人でいらした。 日頃から夫婦喧嘩が絶えず、悩んでいたのだ。 原因の一つには勿論、多数の悪霊もあった。 が、奥さんの無用の「我慢」が主な原因に思われた。 とにかくこの人は我慢強い。文句を言いたくても言えない人なのだ。 反対にご主人は経営者でもあり営業肌の人なので、思った事は何でも言う。 私や旦那様からすれば、 「思った事は言えばいいじゃないか。その方が分かり易いのに。」 と思うのだが。 だが、小さい頃から我慢が習慣になっている奥様には、それが難しい。 まあ、気持ちも分かる。かつての私もそうだったから。 しかしこの奥さんは、かつての私をも上回る我慢を自分に強いていた。 とにかく苦労性で、愚痴を言うなどして「小出し」する事も知らず、ひたすら我慢。 そして耐えきれなくなると、ヒステリーを起こす・・・というのを繰り返していた。 それが発端でよく夫婦喧嘩をしていたのだ。 だから私達からも「我慢せず、言いたい事は言いましょうね。」とアドバイスをした訳だが。 しかしこんなアドバイスで変われるんなら、本人達は苦労しない訳で。 奥さんも「う~ん・・・言えるかなあ~?」と言ってる事だし。 こういうのって「前世」から来てる事が多いんだよね。 案の定、あやかにはこの奥様の前世がすでに視えていたようだ。 しかし、それは驚愕の前世だったのだ。 時は、第二次世界大戦下の中国。そこで侵略している日本兵だったのだ。 彼女は、「南京大虐殺」に関わる兵だったのである。 彼女・・・彼は多くの仲間と共にたくさんの中国人を殺している。女も子供も・・・。 それ故、多くの罪悪感を抱えていた。 しかし、やがて戦争が終わり、彼は戦犯として捕らえられる。 あやかには独房のブロックの冷たさや取り調べの厳しさが視えていた。 そんなあやかから、そのイメージが私にも伝わって来る。薄暗い独房と取調室。 そこはとても狭くて窮屈だ。 取り調べはとてもきつく、激しく尋問されているのが分かる。 これは尋問・・・というより、拷問に近い。 彼はとうとうこの独房で亡くなった。 しかし、一言も口を聞かず、拷問に耐えたのだ。 彼が亡くなるまで心に誓った事・・・「決して口を割るものか!」 これが今の彼女に、口を開かせないのだ。 そして罪悪感から、自分を楽にさせる事を許さないのである。 この霊視の後、除霊をし、前世を解放した事で、嘘のように彼女は晴れやかな顔になった。 夫婦仲良く笑って帰って行ったが。 しかし余程彼女の罪悪感は深かったのか、最近また昔の我慢の癖が戻りつつあるようだ。 こういう長年の癖と言うのは、一回や二回ではなかなか直らないものなのだ。 ちなみに。 彼女の前世での日本兵の仲間達は・・・。あやかもビックリの今世だった。 あのアメリカでのテロ、9・11の犠牲者達だった! 手を繋いで、ビルから飛び降りた人達だったのである。 それにしてもこの前世は怖かった。 いや、正確に言うと前世が怖かったのではなく、彼女の「見たくない!」という強い抵抗が、私達の恐怖心を煽ったのだ。 本当に色んな前世がある。 日常の何気ない事でも、前世の影響って結構あるのだ。 みなさんにもきっとあるはずですよ! |
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2008 03,27 20:32 |
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最近また、昔の恨みつらみが出てきた。
本当はもう、うんざりなんだけど・・・。 いつまでも昔の事を、グチグチネチネチこんな所に書きたくないよ。 だけど出てくるんだから、しょうがない。 まるで、切っても切っても同じ柄が出てくる金太郎飴だ。 でも私だって分かっているのだ。 過去の父と、今の父は違うって言う事を。 それに父親の暴言を引き出していたのも私だし、そんな父を選んで生まれてきているのも、私なのだ。 でも、でも・・・許せない! そんな気持ちがまだ湧き上がって来る。 私の中に、まだまだ深くて暗い気持ちがたくさんあるのである。 私って、よっぽど恨んでるんだな。 何せ、あやかが霊視を嫌がるくらい、過去の私の恨みはすごい。 そのくらい、その頃の父は酷かった。 あやか曰く 「じいじの全ての鬱憤がお母さんに向けられてるね!お母さんは人間サンドバッグだ!」 ・・・そうだろうね。その頃の私に「人権」なんてなかった。 明らかに妹と「差」を付けられていたから。 私は、妹を可愛がる為の「当て馬」だったのだ。 私に「お前は二目と見られん顔だ」と言って、妹に「それに比べてお前は可愛いなあ」と言う風に、私を引き合いに出して可愛がるのだ。何に付けても、だ。毎日毎日・・・。 父は外面がいい。 「仏のかっちゃん」と言われるぐらい、「良い人」を演じてきた。 そのストレスが私に向けられていた。 機嫌の良い時はまだマシだが、麻雀で負けて来た時など最悪だ。 それに父は婿養子だ。家に帰れば、うるさい義父と義母がいるのだ。 しかも母はいつもジメジメした顔をしていて、魅力がない。 父は、化粧をして色気があり、快活で良く気が付くタイプの女が好きだが、母は色気もへったくれもない。 しかも不器用で、グズグズ愚痴ばかり言っている。 こんな家、面白くも何ともなかっただろう。 だからきっと私に八つ当たる事で、すべてのストレスを発散させていたに違いない。 そんな時、よく言われた言葉があった。 でも長い事思い出さなかった。辛かったんだろう。 でも何がきっかけか、ふと思い出したのだ。 あの嫌な言葉。 「お前が死ねば、セイセイするのに。」 この愛のかけらもない言葉を聞いて、育った。 なのに誰も私をかばってくれない。 それどころか、母はターゲットが私に向かい、明らかにホッとしていた。 だから父が私にグズグズ言い始めると、忙しいフリをして聞こえてないフリをしてたり、気付いてないフリをしたり・・・とにかく卑怯だ。 だから私は今でも、この二人を恨んでいるし、ある意味、お似合いの夫婦だとも思っている。 でも皮肉な事に、私が自殺を考えた時に、これが止めるきっかけにもなったのだ。 だって、私が死んでもだれも悲しまないだろうから。 きっと泣いても、それでも母は「私の所為じゃない」と言うだろうし、世間体ばかり気にしていて、むしろ 「あいつが自殺なんかしたばっかりに、俺達が悪く言われた」 とか、何とか言って、逆に逆恨みされそうだ。 そのくらい、トンチンカンが重症なのだ。 さて。それでも自分を癒さねばなるまい。 父の事をイメージしよう。 そうすると、やっぱり前世の事がでてくるのだ。 それも決まって、モンゴルの・・・だ。 あの残虐非道な山賊をしていた頃の自分なのだ。 やはり私は馬上から農民たちを見下ろしている。 私は馬鹿にしたように、ニヤニヤしながら。せせら笑っているのである。 このせせら笑い・・・! これは父が私に向けてよくしていた! 過去の自分がしていた事を、やはり今世父にさせていたのだ。 そして印象的な場面が。 ある家から、鍬を持った一人の老父が私に怒りを持って向かってくる。 尚も私はそれを笑って見ている。 私は馬上から下りずに、長いなたのようなもので、その農夫をあっという間に切り殺している。 この殺された男こそ、今世の父である。 この農夫は、村を度々襲っていた私にすさまじい恨みを持っていた。 そして恨みを持ったまま、私に殺されたのだ。そしてその恨みは今世に持ち越されたのである。 この恨みこそ・・・今の私の恨みと同じ気持ちなのだ。 ああ・・・だからか。かつての父と同じ気持ちを、今味わっているのである。 今の私の恨みは、過去の私の恨みでもあり、前世の父の恨みでもあるのだ。 そうして過去の父の気持ちを理解させられているのだ。 そう、理解したら、恨みの気持ちが落ち着いた。 前世のイメージも変わって来た。 イメージの中の自分は、馬から降り、皆に頭を下げ、農作業に加わり、汗を流している。 山賊から仲間に変わったのだ。 でもこれからもまだまだ出てくるんだろうな。いろんな気持ち・・・。 何だかもう面倒くさいんだけど、仕方ない、自分の事だからね。 自分の経験は、自分でしか分からないもん。 さあて、明日も頑張ろう。 |
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2008 03,22 22:30 |
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さあ、今夜、深夜にすぐるは友達とチャリで名古屋に行くようで・・・。
で、あやかのアパートに着いたら、あやかがご飯を作ったり、一緒に遊ぼうと思って楽しみにしてるのだ。 最初はすぐるの他に3人の予定だったが、急きょ2人になった。 どうやら一人は「危ない」と、親に反対されたようだ。 それであやかから「みんなで寝る為の毛布を持って来て。それから大きなお皿も何枚か・・・」と、頼まれていたのだ。 本当は先日、仕事のついでに持って行く予定だったんだけど、生憎雨が強くて、やめたのだ。 でも、無いといけないし・・・と思い、昨夜深夜に持って行こうと思ったのだ。 それで画の教室を終えた後、名古屋に行った訳だが、その事を世間話のように言ったら 「今から行くの?」 と、驚かれ、更に先生に 「そりゃあ、橋村さん。やり過ぎだよ!自分で持って行かせればいいのに。」 と言われ、ハッとなったのだ。 ああ、そうか・・・。自分で持って行かせればいいんだ。 気が付かんかったよ。何で、そう言う発想がなかったんだろう。 結局、私も「何でもやってあげる」癖がついてたんだな。 そう、しみじみ感じたのだ。 でも何故自分がここまでやってあげたくなるのか・・・それも分かっている。 それは「罪悪感」だ。 特にすぐるに対して、物凄く深い罪悪感を感じているのだ。 それは・・・ずっとほっぽらかしだった事に対してだ。 離婚後もだけど、離婚する前だって、ずっとずっとほったらかしだった。 母親らしい事なんて一つもしてこなかった、という思いが、こういう甘やかしになってるんだな。 小さい時から、お風呂も一緒に入った事なんてほとんどないし、添い寝もした事ない。 晩御飯を用意すると、いつも仕事に出掛けてしまったから。 今だって、週に1,2日は帰って来ないし、帰宅が深夜になる事もしょっちゅうだ。 いつも一人で留守番させてる、っていう後ろめたさが、私にはやっぱりあるんだな。 だから何かあると、無理してでもやってあげたくなるのだ。 それを、どこかすぐるに見透かされているから、つけ上がらせているのだ。 結局、最近のすぐるの生意気な態度も、私が引き出している訳で・・・。 ああ、そうか。やっぱり私なんだね。 私が全ての原因だ。 私の罪悪感が全てを引き出していたのだ。 何事も「罪悪感」や「恐れ」から動いてはいけない。 何も生み出さないからだ。 私同様、きっと世の母親の多くが、「申し訳ない」という罪悪感、「嫌われたくない」「必要とされなくなったらどうしよう」という恐れから世話を焼き、甘やかしている事だろう。 特にうちのような母子家庭が増えたにもかかわらず、子供は甘えている、という家庭が多い。 きっとほったらかしてきた罪悪感から、やり過ぎちゃったんだろうね。 でも子供を信じなきゃね。 子供だって選んでいるのだから。親も環境も。 放っといて欲しいから、厳しくして欲しいから、あえて片親を選んで来るのだから。 最近の私は忘れていたんだな。 そんな事を、上野先生に思い出させてもらったのだ。気付いてよかった。 でも結局、すぐると下見を兼ねて、名古屋に行ったんだけどね。 帰りはあやかも乗せてきたし。あやかも病み上がりだったから。 気付いて反省した割には、行動変わってないよ・・・って。おいっ! ダメじゃん、はしむらって感じですねえ。 大体、名古屋に行く事自体、私にとって「近所のスーパーに買い物に行く」のと同じ感覚なんだよね。 これ自体、相当麻痺してるな!大丈夫か、私。 さて、すぐるは深夜2時に出発するらしい。 補導されるなよ! 何の脈絡もなく、猫の写真を貼っておきます~。 |
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