こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
55
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2007
09,25
19:16
買い物
CATEGORY[親]
今日はお休みなのでゴロゴロしていようか、と思ったが。
あんまりお天気がいいので、家に居るのは勿体無いと思い、母を連れて出掛ける事にした。
思いがけない私からの誘いが嬉しかったのか、「行く行く!」と嬉しそうだ。
「退屈してた所だったし、お中日だし、お参りでも行きたいと思ってた所だった~。」
と言う母。
私は、母の言う通り、車を進める。
まずは観音様へお参り。
線香を買い、煙を浴びると良いと言うので、手で煙を掛けながら、母は
「健康でありますように」とか「年金がこれ以上、減りませんように」とか、お願いしている。
こんな所で、煙にお願いしても無駄だと思いつつ、私も母の真似をして
「お母さんがこれ以上、馬鹿になりませんように。これ以上しわが増えませんように。また転んで怪我をしませんように。パズルの懸賞が当たりますように。」
と、母の為のお願いを、大きな声でしておいた。
それを聞いて、母はゲラゲラ笑っていた。
それから賽銭を投げて、またお願い。
たった10円で、どんだけ願うんだ。私達はホント、欲深い。
「お金が増えますように。親がボケませんように。すぐるのアホが直りますように。私がもっとキレイになりますように!」
こんだけ願えば、仏様もプレッシャーだろう。
しかもこの賽銭、母がくれたものである。私は細かいお金を持ち合わせていなかったから、母がくれたのだ。
人の金で願いまくる私って・・・。
まあ、いいか。
ホンの10分くらいでそこを出る。
それからちょっとドライブをしてファミレスに入り、おやつ~。
一時間くらいお喋りをして、お会計。
これも母が出してくれた。
「楽しかったから、私が出すよ。」
と言うので
「ああ、そう。悪いねえ。ありがとう。」
と言いつつ、悪いと思ってなかったりして。
それからドラッグストアに行ったり、量販店に行ったり、スーパーに行ったり、本屋にも行ったし、母の要望に応えて付き合う。
その間もずっとお喋りしていた。
最近のすぐるの事、年金の話、近所の人の噂話・・・。
でも前はあんなに愚痴っぽかったのに、今は本当に明るく朗らかになった。
母も自分でもそう思ってるみたいで
「こうして気分転換させてくれるから、私も憂鬱にならなくて済むよ。あんたのお陰だねえ。」
と言っていた。
私のここ2,3年の地道な行動で母が変わったのなら、それはそれで報われていると言うもの。
癒しでなくても、人にこうして影響を与える事が出来るのだ。
それもまた嬉しい事だ。
こうして母は、スーパーでも「私が出すよ」と言って、おごってくれた。820円だけどね。
結局私が支出したのは、キャットフードの1500円少々だけである。ふふふ~。
まあ、おごってもらうのも、親孝行・・・?そう解釈しておこう。
さて、話は変わるが、困った事にカイさんが見つからない。
姿を見ないのだ。ちょっと心配だなあ・・・。また探しに行こうかな。
出て行ったと思われる日の夜中に、猫同士の喧嘩の声がしたから、それで遠くに行っちゃったかもね。
だとしたら、迷って戻って来れない可能性も。
とりあえず探しに行くとするか。まったく・・・世話の焼ける子だ。
早く帰って来るといいな。
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コメント[7]
TB[]
2007
08,20
19:04
母
CATEGORY[親]
今日はお休みだったので、母を伴ってお出かけ。
傍から見たら、仲の良い親子に見えるんだろうね。
母も、自分達は「仲が良い!」って思ってるし、周りに自慢してる。
しかし、ここで何度も書いているように、私は未だに母が嫌いだ。
自分が後から後悔しないように、何かと世話を焼いているだけなのだ。
母の嫌いな所はたくさんあるが、良い所だってあるのだ。
でも折角の長所も余りある欠点の為に、全て台無しだ。
そして長所もすべて裏目に出てる。
例えば、母の良い所は正直な所だが、馬鹿正直に何でも言うので、それが人を傷つけるのだ。
最近は言わなくなったが、以前は私やすぐ下の妹の前で
「M(一番下の妹)ちゃんがいちばんかわいい」
と言っていた。勿論私達も今更好かれようとは思ってなかったが、でも不愉快だ。妹が
「うちのお母さんてホント考え無しだよね。私は子供に差を付けるのは絶対やめよう。」
と私に言っていた。私も笑って聞いていたのだ。
そう決意させる為に、あの母がいるのだから、妹の決意は正しい。
そして飾り気のない所も母の良い所だ。
私はぶりっ子女が大嫌いだし、自分を取り繕ったり、演出しすぎてるのも鼻につく。
しかし母はあまりにも飾り気がなさ過ぎて・・・もうちょっと、人からどう見られているか、気にした方がいいんじゃないか、って思う。
母は165センチもあり、私より背が高く、あの年代の中ではかなり大きい方だ。
それがコンプレックスなのか、背をかがめる癖があるのだ。だから姿勢が悪い。
その上、うつむき加減で、だから目は上目遣い。
結果、眉をひそめていることが多く、人から見たら怒ってる様な表情に見える。
本人は機嫌が悪い訳じゃないが、こうした癖から本人も気付かない所で損をしている事が多いんじゃないか。
そんな母に、父は遠慮がないので、母の真似をしてはからかい、母も意地になって「うるさい!」と言って、素直に耳を傾けない。
こうして昔からの悪い癖は、未だに放置されたままである。
でもサービス業とか、営業とか、人に接する仕事じゃないと、直す機会はないものだ。
誰だって、自分の欠点を指摘されたくないものね。
私は若い時に随分、先輩や上司に指摘され、そのお陰で成長させてもらったな、と思う。
でもそんな所作の悪さが、母を嫌いな理由ではない。そんな事、生きてく上でどうって事はないからだ。
私が一番嫌いな所は、「卑怯」な所だ。自分さえよければいい・・・それが母だ。
私が母を最も軽蔑し、だからこそ、自分だけはならないように、と努めてきたのだ。
以前、何かの話の流れで、「私も再婚したいな」という話題になった。
その度、母から
「そんなもの、しなくていい。あんたには私の面倒を見てもらわなくちゃ!」
と、シャアシャアと言うのだ。だからそれ以来、再婚の話は出さない。
勿論、私は聞いてないフリをする。こんな馬鹿に真っ向から反論したって、自分が消耗するだけだからだ。
こんな母だから、相談もした事はない。すべて事後報告だ。
自分の事を自分で決めれる・・・こんな自分にしてくれたのも、全て母のお陰だ。
母は自分さえ助かれば、娘だろうが旦那だろうが孫だろうが、平気で差し出して真っ先に逃げるだろう。
みんなに依存しきっていて、一人では生きていけないくせに。
でもあの母に可愛がられていたら、今のように母を冷静に見れなかっただろう。
むしろ、母の真似をしていた。「仕方ないよ・・・」と言いつつね。卑怯を肯定していただろう。
でも、それではいけなかったのだ。卑怯を憎む、自分にならなければならなかったのだ。
最近、母に対する憎しみが抑えられなくなり、癒す事にしたのだ。
でも改めて、あの母を選んだ事に意味がある事がよく分かる。
私は「憎しみ」を持つ事で、母のようになりたくないと思い、生きていく「バネ」にしていたのだ。
そんなにしてまでも、持ち続けたかったのが「向上心」なのだ。
だから母を許すと、今度は向上心がなくなるんじゃないか、と恐れ、自分がダメになるのでは、と恐れているのである。
「愛される事」→「甘やかされる」→「目的を果たせなくなる」と、深い所で葛藤が始まったのだ。
でも愛される事と甘やかされる事は違う。
そう潜在意識に伝えると、どうやら収まったようだ。
同時に憎しみも癒される。
でも癒してよかった。この潜在意識の勘違いから、またソウルメイトを遠ざけていたのだ。
早く気付いてよかった。
しかし、愛された経験が少なさ過ぎて、愛される事がよっぽど恐怖になってるんだな。
私って一体何なんだ・・・。
でも癒した事だし、自分の将来に期待をしておこう。
そしてやりたい事を全部やろう!
あやかのアパートの審査も通ったし、全ては運命に後押しされている事だろう。
後は自分を信じるのみである。
コメント[8]
TB[]
2007
08,08
21:30
ケーキ
CATEGORY[親]
今日は母の誕生日。
知らん顔してると、「どうせ私なんか」とか「何で何にもしてくれない?」とか、とにかくうぜえので、午後に電話の一本でも入れておく。
「誕生日おめでとう。夜にケーキを持っていくからね。」
「ああ、そう?嬉しいやあ。もう誰も祝ってもらえないと思って、諦めてた。」
やっぱり、いじけモードに入ってたよ。
ちなみに私も妹もうちの子供達も、昔からこの人に自分達の誕生日を祝ってもらった事なんて、只の一度もない!
自分からは、人の事を祝ってやろう、と言う発想はないくせに、年端の行かない孫にまで、いろいろと要求してくる。
私の母とは、こういう人だ。今も昔も。
さて、夕方シマを連れて近所の公園に行き、あやかと一緒にバドミントンをして遊んでもらった。
ダイエットダイエット。
それから「面倒臭いけど、ケーキを買いに行くかなあ・・・」と、重い腰を上げ、買い物に行く。
母のプレゼントには、「まちがい探し」と「脳トレ」の雑誌。
これで認知症を予防してもらわないと!
実家に行ったら、母は事の他、喜んでいた。
嬉しそうに、買ってあげた雑誌を見て
「これなら私でも出来そう。」
と言っている。私は母と世間話をしていた。
その頃、あやかとすぐるは父から昔の話を聞いていたようだ。
「おかあさんから『妊娠した』って言われた時、じいじ、どう思った?」
「はあ?別に?オレは関係ないから。どうとも思わん。」
「何で?普通びっくりしない?」
「何でびっくりするんだ?それがオレには分からん。」
あやかもすぐるも口にこそ出さなかったが、内心
「さすが、じいさん。最強・・・!無関心にもほどがあるよ!」
と、ニヤニヤ笑えてきたらしい。
「だって、あれが私の父親だもん。」
私がそう言うと
「でもさあ、普通、自分の娘が18で妊娠したら、驚くのが普通じゃない?それがさあ『二人が結婚するって言うんだから、いいじゃん。オレ関係ないし。』だって。ある意味、信頼してるといえば信頼してるけど・・・。」
と、あやかも半ば呆れ顔で笑ってる。
「今更驚くんじゃないよ。私があの人達の娘をやって、何年になると思う?」
いかに私が寂しかったか、想像つくだろうか。
でも、確かに「楽」だった。放っておいて貰えたからね。
だから自立も容易かったのだ。私はまさに自分にぴったりの場所を選択してきたのである。
それからあやかは
「うちのお父さんが始めて挨拶に来た時、どう思った?」
と、質問したらしい。
「あいつはなあ、酒が飲めんかった。」
「え?!それだけ?」
「ああ、何で?」
じいじ、酒が基準かよ~!・・・と、あやかは心の中で思ったのだそうだ。
「じいじってホント最悪な父親だったんだね?」
「ははは~!そうだよ~。」
あやかも改めてビックリしてた。
昔の父の基準は、「酒が飲めるか」「マージャンが上手いか」だけだった。
だから酒が飲めない人間は、私も含めて、全否定だったのだ。
「酒も飲めん人間なんかなあ、くだらん奴だ。」
と、よく言ってたもんな。
それを聞く度、「私は絶対、酒と煙草はやらない」と心に誓ったっけ。
まして甘い物なんか食べていれば、「へっ、くだらん物ばっかり食べてるなあ。」と、屁馬鹿にしたような表情で言ってたものだ。
それが今じゃあ「オレは生クリームが好きだあ!」と言って、苺のショートケーキを選ぶ父。
私はいろんな種類のケーキを5つ、買って来たのだ。
選ぶのって楽しいよね。
父にも母にも喜んでもらえたようで、よかった。
「美味しい美味しい」って、言ってもらえたし。
さて、昨日あやかがタンゴに洋服を買って来た。
なので可愛い写真を貼っておきましょう。
それから、最近のカイさんと散歩中のシマも見てくださいね!
コメント[5]
TB[]
2007
07,25
22:25
誕生日
CATEGORY[親]
38になっちゃった~!たはは~(汗)
しかし、なんの奇跡が起きたのか、父が
「誕生祝に寿司でも食いに行くか?」
と言って、祝ってくれました!クルクル回るヤツだけどね。ははは。
はっきり言って、親に誕生日を祝ってもらうなんて、生まれて初めてかも!
どんだけ、変わるんだ?おやじは・・・。
「いよいよ、あの世が近いのか?」
つい、そう思ってしまうよ。
私はこの両親を選んできたが、・・・みんなそうなんですけど・・・
私は毎回「敵役」をやってるこの人達を選んだ。
私が山賊や海賊をやっていた時、毎回殺されている被害者だ。それが私の両親だ。
そして、今回も「敵役」をお願いした。
その際「とことん、いじめてくれ。叩いて叩いて叩き直してくれ!」とお願いした。
だから今世は「分かり合えない」親子だったはずだ。
その所為か・・・私が幼い頃、特に父親から妹とは差をつけて、ほとんどいじめに近い状態だった。
でも母は決して私の為には矢面には立ってくれず、いつも父の私の向けられる八つ当たりやいじめのような言葉の暴力さえ、かばってくれた事なんか、一回も無かったのだ。
どんなに両親に恨みを募らせていたか・・・。
でも確かに鍛えられたのだ。
それがあったから、セールスでの仕事が出来たのだ。
どんなに強く断られても「他人だから別にいいか・・・」って言う感じで、やり過ごす事が出来た。
そこでの8年間があったから、今があるし、離婚後のあの忙しかった時も乗り越えられたのだ。
全ては上手く回っている。
でも「鍛える」役が終わったのだ。
私は学び、天職に就く事が出来たからだ。
それまでに必要な「忍耐」「人の気持ちが分かる」こと、「信頼」とは何か分かる人になる・・・など学ぶ事が出来た。
そしてそれに伴う試練を乗り越えるだけの人になる事が出来たのだ。
だから、そろそろ私の両親の役目が終わったのだ。
最近はすっかり「良い人」になってしまった。
特に父はね・・・。
ちょっと前までは
「別にオレは一人で死んだって良いんだ。面倒なんか頼むかよ。」
てな感じで強がっていたのだ。
しかし、何の心境の変化があったのか知らないが
「ひでみが面倒みてくれたらいいな・・・。」
と、母に漏らしていたようだ。可愛くなっちゃったなあ、おやじは。
私は父の面倒を見るのは嫌じゃない。きっと喜んでする。
でも母の面倒は嫌だ。今だって十分かまってるんだけどね。
父と母の何が違うのか。
それは「依存」だ。
父の「面倒見て欲しい」と言うのは「そばに居て欲しい」という意味だ。
しかし母のは「おんぶに抱っこ」・・・要は「何でもかんでも、やって~!」という暑苦しい「依存心」の塊だからだ。
だから私も妹も、その思いが重くて、裸足で逃げ出したくなるのだ。
誰でも、自分以外の人生の責任は負えない。
でもそれを母は、自分の責任まで人に丸投げして責任転嫁しようとしてるのだ。
だから見苦しいのだ。
私にもしょっちゅう「ねえ、面倒見てよ」と、再三しつこくねだってくる。
私は「はいはい」と言って聞き流しているけどね。
要は私が受け取らなければいいのだ。
私は母の為に自分の人生まで犠牲を払う気は無い。
きっと私の為に、手を煩わせることなく逝ってくれるだろう。
「死」もまた、合意なのだ。
私の横で嬉しそうに寿司を食べていた父。
本来のこの人の人柄はこうなのだろう。
私は父の本来の姿を受け入れ、見る事が出来てよかった。
世の中には分かり合えないまま、この世を去っていく人達がたくさん居るのだ。
私は、その絡まった糸を解くお手伝いが出来れば・・・と思う。
そういう意味では、これもまた、仕事を通して「やりたい事」なのだ。
改めて、自分の出来る事を「頑張ろう」と思ったのだ。
コメント[8]
TB[]
2007
06,17
21:16
父の日
CATEGORY[親]
そういえば・・・今日って「父の日」じゃん!!!
さっき、思い出した・・・。
なので慌ててジャスコに行き、「父の日」コーナーに行き、適当に見繕ってプレゼントを買った。
選んだのは、洋服だ。夏らしい半袖のポロシャツにしたのだ。
それから実家に直行し、父に手渡してきたところである。
実家に行くと、父はもう布団に入って野球を見ていた!
「はい、父の日のプレゼント!ちゃんと着てね。」
そう言って渡す。
父は嬉しそうに
「おお、ありがとう。早速明日から着るよ。」
と、言ってくれた。なおも念を押しておく。
「お父さん。着るのはいいけど、ちゃんと毎日替えなさいよ。ちゃんと洗うんだよ。」
父はニヤニヤしながら
「おう・・・そうだな。」
と、言ってる。
それにしても、父も丸くなったと言うか、ジジイになったと言うか・・・。
昔だったら、私が父に意見を言おうものなら、途端に喧嘩になったものだった。
やたら威張って、嫌味ばかり言っていたし。
だから私は父親に反発ばかりしていたし、大嫌いだったのだ。
とくに父の嫌いだったところは、姉妹間で可愛がり方に差をつけるところだった。
一番下の妹は溺愛するくせに、私には無視をしていたしね。
すぐ下の妹が「犬飼って~」と言えば、すぐ与えるくせに、私との約束など守られた事はなかった。
それがたとえ受験だろうが、私の結婚だろうが、約束なんてすぐに反故されたもの。
でも・・・きっと今では父の気持ちも大きく変わっているだろう。
実家から離れて暮らしていても・・・だからこそ伝わってくるのかもしれないが・・・父の深い愛情が、まるでテレパシーのように伝わってくるのだ。
私の事を娘として「愛しい」「可愛い」と思ってくれているのが痛いほど分かる。
私が小さい頃は、父の愛情が分からなかった。
それは私が未熟だから、なのではなく、父が偏った人間だったからだ。
今、若かった父をどんなにイメージしても、やはり父は未熟で私に冷たく、自分に甘い自惚れ屋だ。
でも年月が変えたのだ。
自分の母親が死に、兄が倒れ、友達も倒れ、ある友人は亡くなり、ある友人は片麻痺になり、寝たきりの人もいたり・・・。
片や、孫が増え、その子達もどんどん大きくなり、自立を始め、やはり自分から離れていく。
そんな時の流れが、父を変えたのだろう。
夜の7時過ぎに、もう布団に入ってる・・・なんて、若かりし日の父親の姿からは、想像もつかないだろう。
5時の定時で仕事を終え、5時10分には家に帰ってきていた父親。
でも晩御飯を食べ、風呂に入ると、6時にはマージャンをしに行く為、もういないのだから。
帰ってくるのは午前様だ。
だから父との団欒の思い出はない。
そのくせ、グズグズ子供に文句を言うのだから、子供が反抗するのは仕方ないよね。
今、私達に与えなかった分、孫にやってるのか、すぐるが遊びに行くと、鼻の下を伸ばして喜んでいる。
母は孫の面倒なんて見ない人だから、妹に頼まれると、父があっちこっち連れて行ったりして子守している。
私がかずまを産んだ時、父にとっても初孫だったが、その時父は48歳だった。
この時もまだまだマージャン全盛期だったのである。
いつまで経っても気だけは若いつもりでいて、本当にしょうがないオヤジだったのだ。
うちの子達は小さい時に子守をしてもらった事はあんまりないが、でもそれが返って良かったね。
甘やかされずに済んだもの。
去年の父の誕生日にも、洋服をプレゼントした事があった。
そうしたら喜んでくれて、2週間も着続けていた。
母が「洗濯しないと~」と言っても
「洗濯したら生地が傷む」とか「減る」とか言って、着ていたのだ。
それを聞いて可笑しくて可笑しくて・・・!かわいいなあ~オヤジ!
「いつかお父さんが私の存在に気付いてくれますように。」
6~9歳の頃は本当に寂しくて、そう思った事があったが、やはり願いは叶うのだ。
さて。皆様の父の日はどうでしたか?
楽しく過ごせましたか?
コメント[2]
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