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2007 05,25 20:51 |
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今日は母と買い物に。
その道すがら、運転している私の横で世間話をしている母。 毎度の事だが、相変わらずどうでもいい内容。 その内、年金の事が話題になった。 「年金の手続きを忘れた人がいて、年金を貰えなかった人がいるんだって。」 「へえ~・・・」 「私にも10年位前、厚生年金と国民年金の通知が来て、・・・確か手続きをしたような気がするんだけど・・・」 「あら、そう」 「でもちゃんとはっきりと覚えてないんだよねえ・・・。・・・手続きしてなかったら、どうしよう?」 「でも、したんでしょ?」 「確かねえ・・・。でも、手続きしてなかったら、貰えないよねえ。・・・貰えなかったら、どうしよう?」 私は内心「ホラ来た!いつもの被害者病が!」と思っていた。 更に母の心配は加速度をつける。 「きっと貰えんかったら、あたしゃ医者にも掛かれない。そうしたら死ぬしかないんだ!ああ・・・どうしよう!あたしゃあ、年金だけが楽しみなのに・・・。手続きを忘れたばっかりに、惨めな老後を送るんだ!」 もう、内心、私は呆れるやら、爆笑してるやら・・・。 でもイジけられると面倒だから黙ってるけどさ。 しかし、よくまあ、そこまで自分のネガティヴなイメージを膨らめて、それで可哀相になれるなあ・・・。 母の考えの中では、自分は手続きを忘れて、年金も貰えず、役所から見捨てられてる・・・或いは嘲笑われているに違いない、と思い込み、そして 「何て自分は可哀相なんだ!」「こんなに可哀相なのは世界中で自分しかないんだ!」 とでも思っているのだろう。 それが容易に想像出来るので、可笑しくて可笑しくて・・・! 「馬鹿じゃないのか!」と思う。 私は笑いを噛み殺して 「でもさあ、手続きをした記憶もあるんでしょ?そんな風に決め付けないで、悲嘆に暮れるのは役所に問い合わせてから、にしたら?」 そういうと、やっと我に返るのか 「そうだねえ、聞いてみようかねえ」 と言う。まずは確認してから「モノを言えよ!」ていう感じ。 どうして母は、ものの考え方がこうも極端なのか? この母の不安を煽るような考え方は、私が小さな頃は恐怖でしかなかった。 母には「スキル」がなく、だからこそ「白」か「黒」という考え方になるのだろう。 「年金が貰えて、幸せ」か「貰えなかったら、死ぬしかない」か。 そこには「相談する」とか「確認する」という考えは、スッポリ抜けているのだ。 短絡的というかアホというか・・・。 そもそも、母は「解決しよう」という発想がないのだ。 だって本当に母がやりたいのは「被害者」だから、うんと可哀相な被害者になって、みんなから 「可哀相に!」「あんたばっかり、どうしてそんな目に?」 などと、賞賛を浴びたいからなのである。 だから母は怪我が絶えないし、「ここぞ!」という時に失敗もする。 こうしてある意味、注目を浴び、「自己顕示欲」を満足させるのだ。 そこに「良い」「悪い」はない。 母はその「被害者意識」から、父親の酒乱、旦那のギャンブル、子供の登校拒否、ありとあらゆるものを引き寄せた。 でも「登校拒否」くらいで済んで、よかったけどね。 お客様の中に、こういう母のような主婦をちょくちょく見る。 中には自分の「自己顕示欲」を満たす為に「子供の死」を用意している方もいる。 恐ろしい事だ。そういう方には、働いて自分の「認められたい」という欲求を満たすように、伝えているが。 しかし母のこうした無用な不安を煽る考え方は、私自身にも多大な影響を与えた。 まず気が小さくなった、それから将来に希望が見出せなかった、そして誰も当てにしなくなった事だ。 母はただオロオロしているだけで、役に立たないので、母なぞ当てにならなかったのだ。 それ故、自分で考えねばならず、その不安を解消する為にも読書に没頭したと思う。 そしていろんな不安や恐怖心から、様々な可能性や危険も考慮に入れるようになり、少なくとも「人生を舐める」事はしなくなった。 それだけでも有り難い事だと思う。 母のお陰で、自分で考え、行動する事が身に付いた。 そういう意味では母ほど、良い母親はないのである。 「良い母親」とは、立派で完璧な事ではない。決して。 だから私も力まず「母親業」が出来るのだと思う。 時には抜けている事も大事なのである。 PR |
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2007 05,13 23:42 |
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今日は母の日なので、いっちょ母を喜ばそうと、「ご飯を食べに行こう!」と誘った。
あやかも居たし、すぐるの誕生日も近いし、ついでに父も一緒に行って、とにかくメシを食おう。 ここは以前も行った焼き肉屋さん。 寿司やカレー、ラーメンなんかも置いてある。 私達が用意された席は、壁にくっついている席だ。 父と母を一番奥に座らせる。父はともかく、母は全く動かないからだ。 私達はそれぞれ自分が食べたい物や、みんなが食べそうな物を運んで来る。 しかし母だけは動かない。 私は母や父に食べたい物を聞いて持ってくる。 それでも父は気を利かせて、何皿も持っている私の所に来て「オレが持っていこうか?」と気を使ってくれる。 こんな事でも、「優しくなったなあ・・・」と思う。 あやかやすぐるも、ご飯を運んだり、飲み物を運んだり、よく動く。 さて肉を焼き始める。 父は一生懸命焼いている。肉をひっくり返したり、また返して焼いたり・・・。 焼けると「ホラ、焼けたぞ。」と言って、誰かに差し出す。 それを母やあやか、すぐるは食べる。 私はやっと落ち着いて食べ始めた。 そうしたら母は「お腹一杯になってきた。」と言う。 なので「デザートを持って来てあげようか?」と聞くと「うん」と言うので、また席を立ってデザートを持ちに行く。 母にデザートをあてがって、やっと自分が食べれる。 私が寿司を食べていると、母はもう食べ終わったのか、ボケーっとみんなを見てる。 まあ、食べ終わるのが早いはずだ。 父は酒も飲む暇が無いほど、ひっきりなしに肉を焼いてるし、私は母の世話、あやかやすぐるだっておかわりの肉を持って来たり、飲み物のおかわりを持って来たりしている間中、一人で食べていたのだから! さすがの父もキレた! 「お前!ボケッとしてないで、代わりに焼け!」 私の母は、このように気が付かない人だ。 いつだってお客様なのだ。 今日が「母の日」だからじゃ、ない。 いつだって「母の日」じゃん!って思う。 そのくせ、こうしてちょっと強く言われると、たちまちシュン!としていじける。 最近は大分いじけなくなったけどね。 でも「自分で好きな物を持ってきな」と言ったって、きっとまごまごしており、混雑している通路のど真ん中で、突っ立っているのだ。 そうして「分からん」だの「出来ん」だの「あたしゃ馬鹿だよ」だのが始まるので、うざいのだ。 母は買い物していても、そうだ。 物を買うのに迷うのは仕方ないとしても、通路のど真ん中で突っ立っているので、とても迷惑なのだ。 でも本人は気が付いていない。要はトロイのだ。 なので人に散々ぶつかりまくり、迷惑顔をされ、こうして益々「被害者意識」を募らせてきた。 さっきも食べている時、母の上着の袖口が、寿司や生肉の上を舐め、私が 「食べ物に袖口が付いてるから、まくらないとダメだよ。」 と、2回も3回も注意していた。 はっきり言って、うちの親子は他所様と反対だろう。 私が小さな時から、こうなのだ。本当に世話の焼ける人だ。 私は自分が小さな頃から長女として、母の世話を焼き続けてきた。 もう慣れた。はっきり言って「染み付いている」と言って過言でない。 でもこれが様々な仕事をする上で、役に立ってきたのだ。 上司には気配り、部下には細かく目が行き届いたし、何をするにも「人をアテにしない」癖が付いた。 これが「自立」させたと言ってもいいだろう。 早く大人になれたもの。これがまた、「自分らしい人生」のスタートを早くきれた理由だろうね。 だからこそ、私はこの人を母親に選んだのだろう。 全てはうまく回っている。 みなさん、母の日はどうでしたか? 何か頂きましたか?何かプレゼントしましたか? せっかく選び選ばれた間柄ですもの。 楽しく過ごしましょう! |
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2007 04,21 22:40 |
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すぐるが急に「お汁粉が飲みたくなった。」と言い出した。
でも私は作りたくない。 すぐるはそれも分かっている。 すぐるは誰よりも私が面倒臭がりだって事を知ってるから。 「じゃあ、ばあばに作らせよう」 そう言って先日の夜、母に電話を入れていた。 「ばあばの作ったお汁粉、飲みたくなっちゃった~!」 わざとらしいぞ、すぐる・・・。 でも、それをまんざらでもない顔をして聞いてるんだろうな、母は。 それで「土曜日なら作ってやるよ。」 という事になって、今日すぐるは実家に行ってたのだ。 実はすぐるはお汁粉に使う小豆をばあさんに買わせようと企んでいたのだが 「あんた、買って来なよ。作ってやるんだから。」 と言われ 「ちっ、当てが外れたか。孫に小豆ぐらい買ってくれたっていいじゃん!」 と毒を吐いていた。私は笑って聞いていたが。 帰ってきたすぐるは、ぶりぶり文句を言っていた。 「結局、小豆買って行ったんだけど、オレが行った時にはもう作ってあってさあ・・・。だったら勿体つけずに最初から買ってくれればいいのに!」 私は笑って聞いていた。でもそれが私の母だもん。しょうがないじゃん。 私の母は、とにかく恩着せがましい。何をするにも。 そして何をするのも、出し惜しみをする。セコイのだ。 「お母さん、これ、ばあばがお母さんにあげる、ってさ。」 そう言ってすぐるは「葬式パン」を出した。いらねえええ~・・・。 「『ホントは私が食べたかったけど、まあ・・・あんたのお母さんにやるよ』ってさ。物凄く恩着せがましく、くれたよ。」 すぐるは笑って私にパンを差し出す。 「いらん。お前が食べろ。」 「オレだって、いらねえ~。」 二人の間を葬式パンが行ったり来たり。 この葬式パンだって、母は3つも貰ってるはずだ。 何が「ホントは食べたかった」だ!しかも自分の歯が痛くて食べれないだけなのに。 でもそんな事、私が知らないと思って、物凄く有り難味を持たせるのだ。 5年前、同居していた実家を出て、この家に引っ越して来た2,3日後。 用事があって実家に行った。 そうしたら母が何やら「あんたにあげる。」と言って、軍手を2組といらない文房具をくれた。 「うちはもう使わんで、あんたにやるよ。」 と、まるで「良い物くれてやった!」と言わんばかりに、意気揚々とその軍手を持って来たのだ。 引越しなんてもう終わってるのに・・・。今更軍手なんて・・・。 内心「いらねえええ~!!!」って思ったけど、口に出したら 「何よ!折角あんたの為を思ってあげたのに!」 と、すごい剣幕で怒り、数年はイジケまくり、目に見えて厄介な事が起きそうなので、勿論黙っていた。 私が黙ってる事で平和がもたらされるのならば、私は黙っている。 私は無表情で「ありがとう」と言って、受け取った。 私はうちに帰って子供達に見せた。 「ばあばがこんなもん、くれたよ。」 そう言うと子供たちが笑う。 「きっと、ばあばは物凄くサービスした!って思ってるよ!」 子供達も分かってるのだ。 母は人に与える、という事を知らない。 散々甘やかされ、与えられ、それが当たり前に身に付いているからだ。 だから逆の立場に立った時、それは母にとって「物凄く偉い事」だと錯覚するのだ。 そんな母が子育てすれば、当然「育ててやった」だろうし、だから「お返ししてもらわないと」と思う。 だから私に「ねえ~・・・私の面倒見てよ~」とねだりまくるのだ。 私は聞き流してるけどね。 てか、今十分面倒見てるじゃん!それで満足しろよ!って感じ! しかも母にとって娘など、所詮自分の所有物だ。 だから過去にどんな酷い事をしようと、「育ててやった」事で清算出来る、と思い込んでるのだ。 そんな自分がチャチな物でもあげれば「この子は喜ぶ」とでも思ってるんだから! 全く!私も見くびられたモンである。最も私は物なんか、いらないんだけどさ。 ちなみに母の喜ぶ基準は「物をくれたかどうか」である。 「あの人は良い人だ。このまえアサリくれた」 と喜んでいるのだから。幸せなのだ。 「鈍い」というのは、ある意味幸せだ。 周りを傷つけるけどね。 そしてある意味、楽だ。物を与えておけば、単純に喜ぶからだ。 母が私に物をくれる動機は、「あげたい」「喜んで欲しい」からではなく「恩を売る」事にある。 うちの子供達は、母のそういう所を利用する。 母は私に恩を売っておきたいのだから、「お汁粉作って」という事で「恩を売りたい」欲求を満たさせるのだ。 そういう意味でも、母は利用されてるだけで、誰からも愛されていない。 それは母が私達を利用しているから、それが自分に返って来ているのだ。 「動機」は大切だ。自分から発したものは、自分に返って来る。 みなさんも気をつけましょう!(笑) |
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2007 04,05 23:54 |
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今日はまた家族4人揃って、これからの話し合いをしよう、と決めていた。
かずまももうすぐ埼玉に行くし、あやかも昨夜は泊まったので、丁度良いと思ったのだ。 しかし、実家に居候しているかずまから、今日は私が家に居るという事を知ったからか、母から電話があり 「あんた今日暇なら、桜を見に連れて行って!」 と言われたのだ。 内心かなり面倒だし、桜より大事な自分達の将来について、真剣に話し合いたかったのに。 でも断ったらきっといじけるし、それから「なんで?」「どうして?」と詮索されるだろうから、これがまた何より面倒臭い。 なので「わかった」と言って返事をしたのだ。 で、約束を守らず遊び呆けていたすぐるは、明日の始業式に備えて宿題をやらせる為、留守番だ。 とりあえず一番話をしたかったかずまとあやかを引っ張り出す。 それで4人で湖西市の本興寺に行った。 桜は本当に綺麗だった。あやかはデジカメで写真を撮りまくっていたしね。 しかし、予定を邪魔された私は、か~な~り~不機嫌だった。 なるべく態度に出さないようにしてたので、母は気付かなかったけどね。 私が腹が立つのは、「家に居る」→「休み」→「暇」だろうと決め付けられる事だ。 その決め付けから「あんた行ってよ」という言葉が、普通に出てくるのだ。 そしてお茶でも驕れば、私の時間はチャラになる、と安易に思っているのである。 何故そういう安易な発想が出るのか・・・・それは自分が暇だからだ。 自分が暇だから、相手も暇なのだろう、と思い込むのだ。 だから「悪いねえ」とか「今時間大丈夫?」という思いやりはないのだ。 私は適当にやり過ごそうと思っていた。 合間を見つけては、かずまとも話をしていたしね。 しかし。実家に母を送り届けて「バイバ~イ」ってしようとしたら。 「あんた、ついでに本屋へ行ってよ」 ときたよ。 ああ・・・うぜえ。ついでって・・・隣の町まで行かないとないんだよ。早く言えよ~・・・って感じ。 母は私にしか頼み事が出来ないのを知っているので、仕方ない。黙って行く。 こんな調子で私の半日は潰れた。 でも返事をしたのは私だ。私の責任である。 でもしばらくは母に付き合うのは止めておこう、と思った。 母は利口ではないので、すぐ調子に乗るのだ。悪い癖だ。 私の親友のH子ちゃんは私と同じく、自分の為にそして子供達の為に、時間を惜しんで一生懸命働いている。 だからこそ人一倍、私の忙しさを理解し、時間の大切さを分かってくれている。 だからメールも電話も滅多に来ない。 そしてたまにくれる時は 「忙しいのにごめんよ」とか「今大丈夫?」とか、必ず聞いてくれる。 そしてやたら聞いてこない。 聞きたい時は必ずお金を払って、きちんと時間を取る。 私の仕事を尊重してくれるからだ。 誰だってラーメン屋さんに入って、座ってるだけ・・・なんて失礼な事をしないよね。 H子ちゃんは本当に私の良き理解者だと実感する。 むやみに甘えないからこそ、私達は対等だと感じるのだ。 私が一番「価値」を置いているのは「時間」だ。 「時は金なり」 しかしお金なぞ、問題にならないほど「時間」は貴重だ。 お金など働けばいくらでも稼げる。 しかし!「時間」だけは・・・・時間だけは、どんなに努力しても戻らないのだ。 これを分かってる方は本当に少ない。 さて夕方6時頃になって、やっと私達は4人になれた。 この4人じゃないと本音を言えないモンね。 ご飯を食べたら、ちょこっとかずまに催眠に入ってもらう。 勿論、あやかの将来の事故など、再確認するのだ。 あれから、あやかも自分なりに自分の事を認めたり、自分に条件を付けない、など様々な事に取り組んでもらった。 何より、自分が起こそうとしている物事に、自覚をしてもらった。 これだけでも大分違う。まずは「認める」事が大事なのだ。 かずまは「かなりの確率で回避されたよ。多分大丈夫。」と言ってくれた。 これで少しホッとした。でもまだモヤが掛かってる感じもする。 これはかずまも感じてるみたい。モヤの正体は 「あやかが自分自身への存在意義に疑問を感じているからだ」 と言う。やはり今の仕事があやかにとって、苦しくなりつつあるのだろう。 いよいよあやかは、自力で自分の仕事を見つけなければならないのだろう。 でもすぐに・・・と言う訳ではなさそうだが。 私達は元々あやかが20歳になったら、仕事を分けよう、と決めていた。 でもどちらにしろ、それは早まりそうだ。 しかし来月、とか半年、という性急な期限ではない。 その青写真を今月にはじっくり話し合うだろう。 ただ今のところ、私達は誰よりもお互いを必要としているし、どちらが欠けても良いセッションは出来ない、と思っている。 私はあやかの霊視なしでは、的確なアドバイスも出来ないもの。 あやかも現実的なアドバイスは乏しくなる。若いからね。それに除霊も一人では難しいのだ。 やはり話し合えば話し合うほど、私達はお互いが必要なのだと自覚する。 だからお互い「依存」せず、「自立」した対等の関係でやっていかなければならないのだ。 しかし、事故が回避出来そうでよかった!みなさん、ご心配をお掛けしました! |
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2007 03,23 20:31 |
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今日はお天気も良いし、お中日という事もあって、私は母を連れて「鴨江観音」に行った。
ここは私が小さい頃、母に連れて来てもらったお寺なのだ。 小1で祖父を亡くしてから、年に2回、家族でお参りに来たものだった。 昔は見世物小屋や、寄付を訴える人や、いろんなものがあって面白かった。 もっと人もたくさん来ていて賑やかだったのだ。 でも今の寂しい事・・・。 屋台が出ていても買う人も居ない。 私は母とお線香を買い、お賽銭をし、おみくじを引いた。 「凶」だって!母もだ。二人で大笑いしたのだ。 内容を見ると、二人とも当たってるではないか。 私は・・・確か・・・「地中に埋もれている状態」で、でも「忍耐強く努力を重ねれば、必ず実る」と、そんなような事が書いてあったような・・・。 はい・・・、努力し続けます!頑張りますとも! 母の内容は忘れてしまったが、とにかく二人とも「凶」なので「厄」を落とそうと、皆がしているように縛って来た。 でも母のおみくじに「子宝に恵まれる」って書いてあって、二人で大爆笑していたのだ。 それにしても・・・どうしてこういう所は、霊が多いんだろうね。 まあ、寺だからしょうがないか・・・。なんか雰囲気が暗いんだよねえ・・・。 神社も多いよね。近所の神社も何処のでも、総じて悪霊が多い事には変わりないね。 やっぱ、悪霊さんも「救い」を求めて来るんだろうね。 だから「お札」を張ると、引き寄せられるように霊が集まっている来るんだな。 でもそんな事いちいち気にしてたら何処にも行けないので、気にしないけどね。 結局30分足らずで出て来たのだ。 後は買い物をして、コーヒー飲んで帰って来たが、母が喜んでくれたので「良し」とする。 私が何故ここまでいつも母に付き合うのか、と言えば・・・ 実は昨年の今頃、あやかと私は同じ日に同じ夢を見たのである。 内容は・・・ わたしとあやかが並んで座り、いつものようにセッションをしていた。 私達の前に座っているのは、私の父と母である。 二人はニコニコ笑いながら、私達の話に耳を傾けているではないか! 「だから、人間はこうして自分で選んで来てて・・・」 と説明してると「うんうん」と言って、二人が相槌をしているのだ。 そう説明しながら、私は心の中で 「ああ・・・これは夢なんだなあ。こうして分かり合えた、という事は、この人達の役割も終わりなんだなあ。だからもうすぐ、この人達死んじゃうんだ。」 と悟っているのである。私の夢はここで終わり。 しかし!御丁寧にあやかは夢の続きを見ていた! 「分かり合えたから二人共、死んじゃうんだけど。それがじいじが車を運転してて、ばあばが横に乗ってて、二人共事故で即死してさ。そしたらお母さんが葬式で『肩の荷が下りた~!』って大喜びしててさあ・・・。」 それを聞いて、わたしは大爆笑!!!そうかもね~! それにしても、二人で同じ日に同じ夢を見るなんて!!! でも、それ以来、私は意図的に母に付き合うようにしている。 自分が後悔しない為である。 勿論、すぐ下の妹にも電話をし、 「こういう夢を見たから、あんたも後悔しないように、精一杯関わりなさいよ。」 と伝えておいたけどね。 それが正夢になり、本当になるかどうかは分からないが。 でもこうして親と関わる事で、少なくとも、母にとっても自分にとっても悔いはないだろう。 それで十分だ。 という事で、今日の任務は無事、終了したのである。 |
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