こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
55
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2008
07,10
22:18
担任
CATEGORY[過去]
最近、重い内容が続いているので、ちょっと休憩♪
今日は軽めの内容で行きま~す!
私が中一の時の担任の先生は、女性音楽教師だったが、6月に結婚し、翌年退職した。
それからすぐ妊娠したようで、次々子供が出来た事は噂で知っていた。
彼女は同じ町内に住んでいたからだ。
しかし私が二十歳の時に、先生と思わぬ再会を果たしたのだ。
当時の私は、結婚して浜松市(今は東区)に住んでいたが、久しぶりに実家に遊びにきた時に、一歳のかずまを連れ、赤ん坊だったあやかを抱いて、近所の公園へ行ったのだ。
そうしたら・・・。見覚えのある顔が!
「先生!T先生ですよね?」
「あれ?あなた・・・。橋村さんじゃないの!」
そうして私と子どもを一瞥すると
「もしかして、子供?」
「そう!」
「えええ~~~???」
彼女は仰天していた。まあ、そりゃあそうだろうなあ。ははは~。
先生も、3歳くらいの男の子を連れていた。
「お子さんですか?いくつなんですか?」
聞いたら、ビックリ!同じ一歳だった!体が大きかったのだ。
それに4人目だって・・・。それも男ばっかり!
「先生、頑張ったね」
って、笑って言うと
「あんただって!」
と言われてしまった。あははは~!
後に、私が離婚して、この舞阪町に帰って来た時、かずまと先生の4男は同級生になったのだ。
だから参観会では、いつもご一緒していた!クラスもよく一緒になっていたからね。
私が「先生」と呼んでいたので、
「もう先生はやめてよ~。同じ父兄なんだしさ。」
と、苦笑いしていた。それでも私は「先生」と呼んでいたけど。
先生のお子さんは、体が大きく、中学を卒業する頃には180を超えていた。
運動神経抜群で、勿論、勉強はよく出来た。学年で一番だもの!すごいね。
しかも10歳までアメリカにいたから、英語はペラペラだし・・・。
しっかりしていたから、生徒会長や学級委員長など「長」が付くものはみんなやっただろう。
でも驕ったところなんて無く、むしろ温厚で控え目、案外ノリもよく、かずまともよくいたずらしたり、喋ったり。
だからクラスでも人気があり、信頼を集めていたのだ。さすが~・・・って感じ。
先生も独身の時と違い、体も心も随分丸くなっていた。すいません・・・。笑
それはきっと、私もそうなんだろう。
母親になると、気持ちは丸くなるね。
子どもに振り回されたり、眠れなかったり、心配させられたり・・・こうして「親」になる事で成長させてもらった。
すでに大人だった先生ですら、変化していたもの。
参観会で先生と思い出話をすると、あの「いじめ」の原因になった大喧嘩の事を先生はよく覚えていた。
「キツイ子だと思ったよ。」
って大笑いされちゃった。ははは。
だって、あのいじめっ子を泣かしたのは、きっと後にも先にも私だけだろうから。
「今思うと、私って若かったなって思うのよ。随分思いやりがなかったよね。」
そういう先生。当時孤立していた私に対して、何もしてやらなかった、と責めていたんだろうか?
私はあえて「そう?しっかりした良い先生だったよ!」って言って、それ以上は聞かなかったけど。
でも、あの状況はきっとどんな先生でも救えなかったと思うよ。
だって、やっぱり自分が原因作ったと思うし、根本の原因は「家庭」だからね。
でもこの先生との再会は素晴らしくて、かずまの参観会は楽しみだったのだ。
先生、思い出を塗り替えてくれて、ありがとう!
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2008
07,09
23:05
13歳
CATEGORY[過去]
さて、昨日の続き、13歳です。あんま、おもろくないかも~笑
学校で、クラスでも部活でも無視されていた私だったが。
家だけがオアシスだったか・・・というと、そうでもない。
家族内でも、私には心の拠り所が既になかったのだ。
まず、父は食卓で、よく私だけ除け者にした。
食べ辛い魚の身をほぐすと、「Mちゃん、食べるか?はい、Sちゃんにも・・・。」と、妹達にはこうして与えていたが、私はそんな事してもらえなかった。
この頃になると中学生だから、もういいんだけど、小学生の時にはもう無視されていた。
「お父さん、私には?」
と言っても、知らん顔だ。
酔って帰って来た父が、機嫌が良くて、お小遣いをくれた時があったが、
「はい、Sちゃん。あげる。」
と言って、すぐ下の妹に百円あげていた。いいなあ~と、思って
「お父さん、私にも頂戴!」
と言って、手を出したら。
「はい。」と言って、一応くれたが、それは十円。
また妹がねだったら、妹にはまた百円。なので私もまたねだったら、私にはやっぱり十円。
「なんでSばっかり!!!」
と父に抗議すると
「お前なんか、可愛くない!なんでお前にあげないといけないんだ!」
と、言われたよ。
悔しくて、母に「Sばっかりずるい!」と言ったら・・・。
多分、母は私に同情し、慰めるつもりで言ったのだろう。
「お父さん、酔ってるからねえ。しょうがないね。酔ってる時は本音が出るし・・・。あんた、よっぽど嫌われてるんだねえ。」
これを聞いて、私は「ガーン!!!」と、ショックを受けた!
わ、わ、わ、私って・・・そんなに嫌われてるのぉ~~~~???!!!
結果、母の言葉は、私を深く傷つけたのだ。
だから愚鈍な人って・・・。ホント、人を傷つける。
ある意味、父は私をバッサリ斬り、母は私にトドメを刺す役目を果たしていたのである。
・・・見事、果してくれました!ははは~。
他にも、食卓での父の「ブス」だの「バカ」だのと言う罵詈雑言は日常化し、母は見て見ぬふりをしていた。
私がテレビを見ていれば、そんな私のそばにわざわざ父は寄って来て、
「おまえ、毛深いなあ。そんなブスで嫁の貰い手なんかないのに、どうするんだ?」
と、言ってきたり。私が
「あんたに似たからでしょ?私の所為じゃないよ!フン!」
と、反撃すると「ブスのくせに生意気だ」とか何とか、因縁つけてくるのだ。
まあ、気にせずテレビを見ていたが。
妹だって油断ならない。
一番下の妹は、私に喧嘩を吹っ掛けては母に言いつけて、その都度、母は私の言い訳も聞かずに、一方的に叱責する。こういう挑発は日常的だった。
両親に溺愛されていた一番下の妹Mは、狡猾な笑みを浮かべて、私に勝利宣言!
それからは私はMに対して、どんな挑発を受けようと、一切の無視をした。
祖母はやたら口うるさいし、人の顔を見れば「宿題やったかね?」とグチグチ言う。
もうノイローゼになりそうだった。
働いていた祖母とは夜しか顔を合わさなかったのに、それでも一日30回は言われていたよ!
唯一、私の見方だったすぐ下の妹だが。
しかし翌年、この妹の所為で、私は学校で先輩に呼び出しを喰らい、いじめられ、後輩にまで悪口を言いふらされる羽目に。
どこにも私の居場所はなかった。ホント「八方塞がり」だった。
こんなに嫌われると、自分でも笑っちゃうよ。
よく学校に行き続けたと思う。これが後の自信にも繋がったけどね。
で、翌年はさらに過酷になって行くのだ。
まだ続くよ~!みんな!ついてこ~い!笑
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TB[]
2008
07,08
21:44
13歳
CATEGORY[過去]
今日は、昨日の続き・・・の前に、普通の日記を少々。
昨夜すぐるは3人友達を連れて来て、3人とも泊まって行った。
あやかもいて、この狭い部屋にみんなで雑魚寝。
朝までみんなで大騒ぎして盛り上がり、私もかなり楽しかった。
そのノリのまま、今日の昼、みんなでカラオケ行ってまた大盛り上がり!
若い子に遊んでもらってよかった!
「おばちゃんとまた遊んでネ!」
「は~い!」
なんて素直で可愛い子達。すぐるの友達を選ぶ目は、なかなかしっかりしている。
それだけは自慢出来るかも。
あーーー今日は楽しかった!!!
さて、昨日の続き。こんな重い内容、おもろいんかな?
まあ、いいや。自分のブログだしぃ。なんちて。
クラス内で無視が始まった頃。
私は美術部に所属していたが、部活も本格的に活動を始めた頃だった。
私のほかに一年生は二十人くらいいたが、4歳から絵の教室に行ってたり、自分なりに毎日お絵かきをしていた私だったので、きっと一年生の中でもうまい方だったと思う。
それで当時の顧問の美術の先生からものすごく褒めてもらえ、かなりひいきされた。
私でさえ自覚するくらい。ホント、ヤバイからあんま「ひいきしないで・・・」と思うくらいに。
で、案の定、みんなから
「あんたはいいよねえ」
とか
「さすが。先生にひいきされてるだけの事はあるよね。」
とか・・・嫌み三昧。
クラスでも無視され始めて、私を包む空気が悪くなってる事に便乗して、結局部活内でも無視されて、この後の3年間この状態が続いたのだ。
一時、空気が緩和した時もあったが、まあ、あまり変わらなかったかな。
自分も媚びたくなかったしね。
当時の私を霊視するあやかには
「先生!もう、私に構わないで!」
と、聞こえてきたようだ。
以前も「ひいき」について書いた事があるが、やはり「ひいき」は人を傷つける。
先生は好意でしてくれるんだろうが、やはり迷惑だった。
それ以上にショックだったのは、「先生に褒めてもらった」事を同級生達に喜んでもらえない私は、
「結局その程度の人間関係しか築けていないんだ!」
と、気付いてしまった事だ。自分の人望のなさに本当に打ちのめされてしまった。
今、冷静に振り返ってみれば、そうかもしれない。
私は優等生だったので、人が「トロく」見えていた。
だから自分が好意で「教えてやった」つもりでも、それが人を傷つけていただろう。
そもそも「教えてやった」事自体、偉そうで、人を馬鹿にした行為なのだから。
そこに13歳で気付けた私はラッキーだったね。
そのまま行ったら、どんな傲慢な大人になっていた事か・・・。
しかし、自分の「敗北感」は否めなかったのは、確かだ。
でもこれはまだまだ序の口。本当の孤独と辛抱、葛藤はこれからだったのだから。
と言う訳で、続きはまた明日!
あんまりおもしろくないと思うので、気が引けますが・・・。見たかったら見てね!
コメント[4]
TB[]
2008
07,07
21:52
13歳
CATEGORY[過去]
さあて・・・今日は久しぶりに自分の過去の事を書こうかなあ。
前回の続き、13歳だね。私の暗黒時代、中学生の頃の事だ。
う~・・・ん。書きたいような書きたくないような・・・。
書きたい事は山のようにあるのに、楽しい事は一つもないからなあ。
よく死ななかったなあと思うくらい。
はっきり言って、人生の中で最低最悪、「八方塞がり」とは、この時の私の為にある言葉なのか?と思うよ。
まあ、そんな重い前置きはさておいて・・・。
中学に入ると担任は、28歳の女性、音楽教師だった。
彼女は独身、気が強く、なんでもズバズバ言う人だった。
ま、そのくらいじゃないと、おバカ全盛期の中学坊主の相手は務まらないね。
私は担任との間にトラブルはなかったが、この一学期に、この後のいじめの原因になる「大ゲンカ」を、男子と繰り広げる事になったのだ。
私の斜め前の席に座るTは、小金持ちの息子で我儘、根性悪で卑怯者、親の財布から金を抜き取ったとか、そんな事を武勇伝にして語っていた器の小さい男だ。
私は昔からこの男が大嫌い。ていうか、この手の人間が、男も女もここら辺は多い。
甘やかされ内弁慶で、その癖一人じゃ何にも出来ない連中。こういうのがいつも固まっているのだ。
そのツルんでる連中の中でも、Tはボス格だった。
発端は、Tが横に座ってるEちゃんをからかっていた。
Eちゃんは私の前に座っており、小学校の時も割と仲良くしてくれて、中学では部活も一緒。
私の目の前では、しつこくEちゃんがからかわれているのだ。
Tの場合、それはEちゃんに限らず、私にもその矛先を向ける時もあったが、それは単にTが意地悪いだけなのだ。
それも毎日、1日何回も、嫌がるような事を面白がって言うのだ。
私はイライラしながら、いつも聞いていた。
でもあえて事を荒立てたりしなかった。そんな事をしたら、かえって反発を招き、事態を悪化させる事は目に見えていたからだ。
私も当時は今と違い、非常におとなしく、目立たない人だったからね。
でもさすがの私でも「プチッ」と、キレた時があったのだ。
ある日、とうとうEちゃんが泣き出したのだ!
そうしたら「こいつ、泣いた!」と指さして笑うT。それから同じ班で手下のKとO(こいつらも男)は、Tに媚びるようにニヤニヤ笑ってる!!!
もう我慢ならん!
私は立ち上がり「お前、いい加減にしろよ!Eちゃんに謝れ!!!」と叫んだ。
そしたら「なんだテメェ」とまだ馬鹿にして笑うから
「この卑怯者!」
と言って、Tの胸倉を掴んで座ってる椅子から投げ飛ばしたのだ。
勿論Tは椅子から転げ落ち、したたかに尻を打ったようだ。
そうしたら、なんとあのTが泣いたよ!!!よえええ・・・この男・・・。
私は馬乗りになって、「おまえ、どんな躾されたんだ!お前の親は何してるんだ!」みたいな事を言ったと思う。
まあ、そんな事言っても無駄なんだけどね。だってそいつの親も似たようなもんだからだ。
で、それから私はTの反撃にあい、結局私も泣かされたんだけど。
それから間もなく担任が割って入って来て、喧嘩を治めたのである。
担任には「あのTを泣かすとはねえ。あんたも気が強いよねえ。大人しいと思ってたら・・・。」と、呆れられたんだけどね。
だって、友達が泣いてても知らん顔してるって・・・私にはそんな事出来ません。
私はそんな卑怯者にはなりたくないもの。
で、それが発端で、あっという間に「あいつ無視しよう」的な命令が伝わったのか、その日から私は孤立することになったのだ。
そして驚く事に、庇ったはずのEちゃんは、なんと部活でも積極的に私を無視するようになり、教室でも部活でも私は一人ぼっちになってしまった。
部活はいろんな理由が重なってしまったんだけね。
中には慕ってくれた子もいたんだけど、私がうざくて遠ざけてしまったし。
そんな暗黒時代の3年間はこうして幕を開けたのです。
続きは明日。こんな面白くない内容、読んでくれる人、いるのか疑問だけどね。笑
暇だったら読んでねえ!
コメント[4]
TB[]
2008
06,06
23:58
また続き
CATEGORY[過去]
すいません。また昨日の続きです。書きたいんですよ~笑
折角、フィリピンパブの事なんで・・・。
この店には、フィリピン人の女の子のほかに、韓国人のミナちゃん、私、日本人の女の子がもう一人、いた。
私の仕事は、ほかの子同様、お客様のテーブルにもつくが、大抵日本語の上手くないフィリピン人の子のフォローだったり、トラブルの処理だったり・・・。
ここで一人、印象的なお客さんがいた。
ある日、ほかのテーブルで一人のお客さんが怒鳴っていた。
何事だろう・・・と思っていると、案の定店長から声が掛かる。
「あそこのテーブルについてくれないかな?」
「は~い」
テーブルに行くと、何やらフィリピン人のベスに怒鳴ってる。
怒鳴ってる人は、40代後半の男性、通称クニちゃん。
怒りが収まらない様子のクニちゃんと、困惑顔のベスの間に割って入る。
「どうしたの?ベスが何か失礼な事をしたの?」
「私、何もしていないよ!!!」
「オレはこの女の顔を見たくないから、どっかやってくれ!」
私は、ベスに他のテーブルに行くように促す。
「何が気に入らなかったの?教えて。」
クニちゃんの怒りが鎮まった頃に聞くと、クニちゃんはポツリポツリと喋り出す。
「ベスが何かしたの?」
「そうじゃない。ベスの顔が気に入らないんだ。」
「何で?」
「前の女房とそっくりだからだ。」
・・・・・!それって、八つ当たりじゃん?!
クニちゃんの話に因ると・・・彼は以前からフィリピンパブが大好きで、ほかの店に通っていたらしい。
そこで働いていたフィリピン女性に一目ぼれした彼は、彼女を口説き落とし、結婚したようだ。
娘を一人儲け、彼は本当に可愛がっていたらしい。
ところが、その愛娘が6歳の時に転機が来た。
娘が突然の事故に遭い、輸血が必要になったのだ。
その時の血液検査で分かったのは、娘の血液型が、自分と女房の間で生まれるはずもない血液型だった、という事・・・。
どうやら彼女は、結婚するまで他のお客さんとも関係を持っていた事が、判明したのだ。
その事実に激高した彼は、その時の怒りの感情にまかせ、彼女を娘と共に追い出したのだ。
「クニちゃん!馬鹿ねえ!何でそんな事したの?「血」なんてどうでもいいじゃない!娘さんが可愛かったんでしょう?」
思わず、そう言ってしまったが、クニちゃんは怒るどころか、ガックリと肩を落としてうな垂れる。
「うん・・・。可愛かったんだ。俺は娘が可愛くて可愛くて・・・。」
そう言ったところで、泣き出してしまった。
ああ、泣かしちゃったよ・・・と思いつつ、頭を撫でて慰める。
「そっか、クニちゃん、良いパパだったんだね。だから今、追い出した事、後悔してるんだ。」
うん、うん、と、うなずく彼。私の膝の上で泣いてる頭を撫で続ける。
「俺は女房を追い出した時、それまで娘の為に貯めていた、娘名義の通帳をあげたんだ。300万入ったやつ。」
「そっか~。すごいねえ、クニちゃんは!そんなに愛情があるんなら、前の奥さんとヨリを戻したら?」
そう言うと、彼はしばらく黙って・・・言い出した。
「それが・・・もう、だめなんだ。あいつは娘の父親が違うと分かった途端、その男の元に行って、結婚してしまった!」
・・・・絶句! すげえ~・・・。変わり身、早過ぎ!何てドライなんだ!
「俺は裏切られた気持ちだよ!なんだよ!俺じゃなくてもいいじゃないか!!!」
「クニちゃんが怒る気持ちはわかるけど・・・。でも、それをベスに八つ当たりしちゃいけないでしょう?ベスにしたら、いい迷惑だよ!彼女は一生懸命仕事してるのに!」
クニちゃんは、うな垂れて聞いている。
「クニちゃん!これからもこの店に来たいんでしょう?じゃあ、ちゃんとベスに謝って!分かった?」
彼がうなずいたので、私は早速ベスを呼んで、謝らせた。
クニちゃんは、ちゃんと頭を下げてくれた。
「クニちゃん。ベスの顔を見て。どう?まだ奥さんの顔に似てる?」
「・・・・・・・。そう言われると、今はそんなに似てない気がする。」
「じゃあ、もうベスが横に座っても、大丈夫ね?」
そう言って、ベスと交代した。
彼が喋って感情を吐き出したので、彼の中に整理がついたのだろう。
だから「先ほどより、似てない気がする」のだ。人間て、面白いね。
こうして私は、今やってるセラピストの練習を重ねていたんだな。
まさか、数年後に役に立つとは思わなかったけど。
しかし、彼は一時の感情に流された事で、大事な家族を失ったのだ。
後悔は大きかっただろう。私は彼と前夫を重ねながら、聞いていたのだ。
「あいつも、こんな風に後悔する時がくるんだろうか?」
って、思いながらね。だって、その時の前夫は再婚したばかりで、浮かれていたからね。
クニちゃんは経営者でやり手の社長だった。
店にとっても、とても良い常連さんだったから、彼を失わなかった事で、店長に感謝されたのは言うまでもない。
その後、クニちゃんから熱烈にプロポーズされたが、あいにく彼は私の好みではなかったから、きっぱりと断った。
私は経営者は好きだが、もっと落ち着いている人が好きなのだ。
彼はどちらかというと直情型で、感情の起伏が激しい人だから、うまくいかないのは目に見えていたのだ。
「後悔」について、多くの事を教えてくれた人だった。
今、どうしているかなあ・・・?
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