こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
55
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2008
07,20
22:35
学級委員
CATEGORY[過去]
昨日の続きです。
3学期になると、更なる試練が・・・。
クラスの学級委員になってしまった。
勿論これは私が立候補したのではない。はめられたのだ。
学級委員を決める時、誰かが「橋村さん」と、私を立候補の一人に挙げた。
それが誰だか、覚えていないが。でもそれは私の嫌いな人だったと思う。
ま、クラスでも好きな人なんていないんだけど。
で、私の名前が挙がった途端、男子を中心に「ヒュウ~!」とはやし立てる声が。
ちなみにどの授業中も、私が発表する度に、いちいちみんな反応して、はやしたてる。
これもとうとう3年間、続いたなあ。もう後半には気にしなかったけど。
で、いざ投票になった時、全て票が私に入ったのである。
勿論、誰も私なんて信頼してない。むしろ「困らせてやろう」と企んでいたのだ。
そんな嫌がらせをして、私の困る顔を見たいのだ。
そんなにしてまで、私が嫌いか?!!! 泣きたくなったよ・・・。
でも泣くものか!泣いたら負けだ!
私は咄嗟に切り替える事にした。
「自分の内申点が稼げる」
そう思う事にした。そう、思わないとやっていけないね。
案の定、学級委員の仕事は悲惨だった。
プリントの回収と言っても、みな素直に出さない。
学級会を開いても、みな知らん顔。
部活でもそうだったが、本当にこういう吊るし上げのような「いじめ」は、さすがの私にも堪えたよ。
本当に学校に行きたくなかった。この時は、「胃痙攣」のピークだったな。
この八方塞がりのどん底で、自分なりにいろいろ考えた。
「そもそもの根本から考え直そう。学校って何の為に行くの?何で学校に行くの?学校行って、何するの?」
って、いう感じで。
で、行きついた当時の自分なりの答えは。
「学校は勉強するところ。高校へ行く為のステップ。だから『仲良しこよし』でいる必要はない」
と、言う事。
だったら「良い人」でいる必要もないな。それならとことん「嫌われ者」で行こう!
そう開き直った途端、やっと楽になったのだ。
それからはプリントの回収も、顔色をうかがう事を止めて、悪役に徹した。
「早く出しな!」
「なんで待ってくれない?」
「先生が昨日『提出は朝』って言ってたでしょ?聞いてないあんたが悪い!」
「なんだ、お前なんか・・・・!」
と、言われたが、どうせ何をやっても勝手な事を言われているのだ。かまうもんか!
勉強も、よく考えたら「親」の為にしているのではない。自分の為じゃないか!
今の私の最大の武器は「勉強」と「いい子」だ。
だったらこれも、とことん利用しよう!
どうせ後一年で卒業だ。それまでの辛抱なのだ。
だったら自分に有利に事が運ぶように、最大限『先生』を利用しよう。
こうして私は「内申点」を稼ぐことに徹した。
こうした「八方塞がり」だからこそ、自分なりに答えを出し、本当の「自分」を貫く、第一歩を踏めたと思う。
これが今の私の原点だろう。嫌われる事が怖くなくなり、開き直った結果、強くなったと自覚したのだ。
だから私にとって、大切な時期だったのだ。
続きはまた明日。
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2008
07,19
21:28
14歳 部活
CATEGORY[過去]
さあ!今日からすぐるは夏休みだ!バイト三昧の日々が続くのである。頑張ってね。
一昨日からの続きです。
中二になり、一学期には妹が登校拒否になり、ますます孤立し・・・
相変わらず、家の中でも居心地が悪く、でも学校の反動で大威張りだったし、母には反抗しまくりだったけど。笑
二学期になり、ますます状況は悪化した。
私が部活で「部長」に推薦されてしまったのである。
他の部活では、みんなで決めるのだと思う。
私のいた美術部でも、みんなで「Iちゃんでいいよね。」と仲間内では、部長候補が決まっていたようである。
私はすでに無視されていたから、蚊帳の外だったけどね。
Iは・・・私は好きではなかった。最も好きな子なんていないんだけど。笑
Iはわがままで気が強く、たいして絵も上手くなかったし真面目に活動している訳でもなかった。
だからIが部長なんて・・・と思うと、「従いたくないな」と思っていた。
でもみんなのリーダー格だから、何となく・・・の流れだったんだろう。
Iもみんなから「部長に・・・」と言われ、気を良くしていたようだ。
だからちゃんと部長に任命されている訳でもないのに、「窓閉めて、戸締り!」と、早速大威張り。
そんな様子を、部活を引退した3年生は気に入らなかったようだ。
早速1,2年は集められ、みんなを前に3年生は発言した。
「よその部活は知らないけど、この美術部では3年生が次の部長を任命するのが伝統だからね。みんな従うように。で、次の部長は橋村さんにやってもらいます。」
突然の事に、私が一番びっくりだよ。周りは凍りついてるし。
後で、こっそり先輩が耳打ちしてきた。
「Iは生意気なんだよ。全然真面目にやらないしさ。舐めてるよ。あんたなら絵も上手いし、しっかりやってたものね。あんたになら任せられるよ。」
そう言われ、「私の事、ちゃんと見てくれていたんだ・・・。」と、嬉しかったが、同時に背中が寒くなった。
あの連中は納得しないだろうから。
でも確かに、ほかの人では頼りなさ過ぎるのだ。どっちにしろ、私には引き受けるしか、選択の余地はない。
案の定、その後は更なる無視!無視!無視!もう今更って感じだけどね。
しかも当時の美術部の顧問は、私のクラスの担任だったりして。
私は、これまたこの先生にも気に入られていて、可愛がられていたから大変!余計に
「先生と先輩に媚び売った。」
と吹聴されまくり。悔しかったけど、抗議をしたところで聞いてはくれないだろう。
先生だって、先輩だって、大人しく「はいはい」と素直に従ってる私は、きっと便利で楽なはずだ。
なのにあいつらは、先輩も先生も怖くないから、調子に乗って遊んでいたし、真面目に絵に取り組んで来なかったし、自分達の態度を棚に上げて人の所為にしてるのだ。
「いい子ちゃん」の私が鼻に突いたんだろうねえ。でもそんなの知るか!
だって「部活」は部活動をするために存在してるのだろう?
嫌なら帰れ!って言いたかったよ。そんな勇気もないくせに。
さて3学期はさらに悪化~!また明日。
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TB[]
2008
07,17
23:34
14歳
CATEGORY[過去]
さて・・・昨日の続きです。つまらんかも・・・です。笑
中二になると、クラス替えもした事だし、M美(以前ちょっと書きました)という友達も出来たが。
しかし、洋楽を聞き出し、人生について考えたり、家でも孤立していた私は「自立」をしたくてしたくて・・・。
でも、M美も同級生達もみんなみんな子供っぽく見えていた私には、そんな本音を語り合う友達がいなくて寂しかった。結局話しが合わず、「孤独感」がますます募り、自ら数少ない友人を遠ざけ、私はますます孤立した。
今思えば、もうちょっと「妥協」しておけばよかったんじゃない?とも思うが。
しかし価値観の合わない相手といるのが苦痛な私には、無理だろうね。
それが出来たら、きっと離婚だってしなかったものね。
この頃の私は、一日二冊ずつ本を読んで来たのが功を奏したのか、特に勉強をしなくても、記憶力はよかったし、国語は学年でいつも一番だった。
大抵、成績は上位の方にいたし、先生からも
「おまえは出来るんだから、ちゃんとやればK高(ここら辺で一番の高校です)に行けるぞ!だから頑張れ!」
と、励まされた。
それが嬉しくて、家に帰り、母に先生から言われた事を言うと
「K高だって?そんな困る!!!そんな処へ行かれたら、大学だって行くようになる!うちにはそんなお金がないんだから。そんな処へ行かれたら困る!大体、あんたは私の子なんだから『馬鹿』に決まってる!そんな事、信じるな!あんたにはA高校(当時最低ランクの公立校)でいい。」
と、一掃されてしまった。
私はすっかり落胆してしまった・・・。
「喜んでくれないんだ」
そう思った。成績表を見たって、「へえ・・・」と言うだけで、むしろ
「大学なんか行かせられないからね。」
と、釘を刺される始末。
まあ・・・ある意味、よかったんだけどね。笑
これで褒められていたら、私は気付けなかったから。
きっとますます自惚れ、「私は正しい!」と、謙虚になる事はなかっただろうから。
これもまた、私が親に頼んだ事なのである。
さて。これを機に私の成績はどんどん落ちる。
だって何の為に勉強するのだ?私は目的を見出せないでいたから。
担任の先生(新任の若い男の先生でした)からは
「なんで勉強しないんだ?」
と、責められるし、かと言って、親には「K高校なんか行かせない」と言われた事を言ったら
「私は親に愛されていない」
と認めてしまうようで・・・それに、そんな惨めな自分の現状を、先生に言えれなかった。
私にだって、プライドがあるからだ。
それにしても「愚鈍」な親を持つと、子供は大変だ。
身を持って、体験してるからね。
しかも私が文句を言ったり、悩み事を言えば、器の小さい母親は受け止めれず
「そんな事言われても、困る!」
と、突っぱねるだけ。それでますます「私は愛されていない」と実感してしまう。
そう思いたくないから、私は小学生のころから一切、自分の本音を言った事がない。
中二になると、クラス内の無視(これは引き続きありました。学年全体に及んでいました)と部活内での無視、それから勉強での先生と親との「板挟み」・・・。
これら、いろんな事が毎日起きて、私は毎朝起きる時、30分程の胃痙攣と戦う羽目になる。
とにかく猛烈な痛みと吐き気で起き上がれないのだ。毎朝のたうち回る。卒業するまで。
さすがの母も心配そうな顔で見るが、胃痛の原因が分かってる自分は、母親には言えない。
本当は「学校に行きたくない」からだ。
すでに家にはもう一人、不登校になった妹がいるのだから。
・・・言えないよ。
だから何でも無い振りをして、毎朝登校した。とにかく、気丈に振舞い続けた。
本当は・・・「学校へ行きたくない」と言ってしまったら、あの母親の「困った」顔を見る事になる。
あれを見ると、いかにも「自分が愛されていない」と実感してしまうから。
それが怖くて、言えなかったのだ。
母が、自分の都合しか考えない人だ、という事は、十分理解していたのだ。
続きはまた明日。
コメント[2]
TB[]
2008
07,16
20:28
14歳
CATEGORY[過去]
さて~あんまり書きたくないのですが・・・14歳の事を書きましょう。
じゃあ、書くなよ・・・って感じですが。笑
でも重要な時期でした。だから書きますよ。読んでくださいねえ。
中二になると、年子の妹も中学に入学した。
「自分」がない妹は、友達に流されるまま、大して得意でもないのにバスケ部に入部した。
今までバスケなんてした事がないのに・・・だ。
この中学のバスケ部は、小学校の頃から皆やっていて、この小学校のバスケ部は全国大会の常連校だ。
現にこの年の男子バスケ部は、全国大会で優勝し、韓国まで招待試合に行ったほど強い。
しかもそれが自慢で、皆うぬぼれ屋で意地が悪い。
あの、私を無視したTも、この男子バスケ部だ。
今、母校である小学校で、バスケ部のコーチをしているのだから、時の流れとは凄いね。
さて、運動が好きでもない妹が、この全国大会常連のバスケ部に入部して、どんな事になったか。
想像出来るでしょう。部活に入る際も、母と私は強く反対したのだ。
でも友達に嫌われたくなかった妹は、流されて、深く考えず入部した。
結果、部活内で浮き、それを機に不登校になってしまった。
確か・・・夏休み前には学校に行けなくなったと思う。
バスケ部を中心に私が嫌われている事が、後輩たちにも広まったのだろう。
やがて廊下ですれ違う顔も知らない後輩たちにまで、後ろ指を指される事になる。
それも聞えよがしに「あの人の妹、登校拒否してるんだって」とニヤニヤ。
まったく嫌になる。私があんたに何をしたというのだ。
ある日、職員室に用があり、行ったのだ。
そうしたら、たばこの煙が充満していて、風邪気味で喉の調子が悪かった私は、すぐに咳きこんでしまった。
ふと、顔をあげると私を睨んでいる人がいる。
それは後輩で、近所に住むT美ちゃんだった。この子もバスケ部で、気が強く根性が悪い。
なんで私が睨まれなきゃいけないんだ?
次の日、「ちょっと・・・」と言われ、私は屋上に呼び出された。嫌な予感・・・。
そこには、バスケ部の先輩3年の女が3人いた。それからあのT美と取り巻き数人も。
全部バスケ部だ。ああ・・・憂鬱。何で私が呼び出されなきゃいけないんだろう?
先輩が口を開く。
「あんた、昨日T美に因縁つけてくれたそうじゃん!」
「は?」何の事か分からない。そうか、T美が先輩に言いつけたんだな。
「職員室であんた、T美に厭味ったらしく咳払いしたって言うじゃん!」
「ああ、その事ですか。私、風邪ひいてたんですけど。それが何か?」
私は努めて冷静に切り返す。悪いが、この先輩は頭が悪い。この手の人間を理論で捻るのは得意だからね。
「嘘言ってんじゃないよ。あんた、今健康そうじゃん。T美がいたから咳払いしてたんでしょ!」
とんだ因縁だ。インネンつけてるのはそっちだよ。でもこんな阿呆に乗ったら負けだ。
そんなことしたら「生意気だ」って、今度は先輩にまで敵に回す事になる。これ以上の面倒は御免だ。
「すいません。たばこの煙が煙かったんです。ただそれだけです。私T美ちゃんがいたなんて、後から気が付いただけで、知りませんでした。」
私は繰り返し同じ事を言った。だって本当の事だもん。これで納得してもらうしかない。
しかし先輩の方が本音を漏らした。
「あんた、妹の登校拒否は私達の所為だって思ってるんでしょう?!!!」
思わず笑ってしまった。ああ、そうか。この人達、なんだかんだ言って、自分達を責めてるんじゃないか。
「何笑ってんの!馬鹿にしてる!あんた、生意気なんだよ!」
「すいません。私 別にバスケ部の所為で・・・って思ってないですよ。私も母も入部に反対しましたし。練習についていける訳ないんですから。親だって分かってますよ。」
そう言ったら。「親」と言う言葉を出したのが、どんな効果があったのかは知らないが
「まあ、いいや、もう行きな。」
と言われた。
「失礼します」と言って、帰ってきたが。やれやれ・・・。
この時も先輩を前に冷静に思っていた事は、
「この人達とは、たかだか一歳しか違わないんだよね。こんなの社会に出たら、大差ないじゃん。この人なんて社会に出たら、きっと大したことないのに。何を威張ってるんだか・・・。子供っぽいな。ああ・・・嫌だ嫌だ・・・。」
と、言う事。 私って可愛げない子だよね?笑 こういう所が、敵ばかり作るんだよね。
さてこの続きはまた明日。よかったら読んでくださいね。
コメント[2]
TB[]
2008
07,11
23:42
すいません、また13歳です!
CATEGORY[過去]
今日もまた、私の13歳の時の事です。
私は美術部に入っていたが、同級生の男の子のS君は、かなりの問題児だった。
グレていた、とか、ツッパッていた・・・とかではなく、チョ~我が儘だったのだ。
気に入らない事があると、グズグズ言いだし、泣き喚いて教室の真ん中でバタバタするのもしょっちゅうだ。
美術部の先輩なんて、男も女もみな優しい人ばっかりだったから、S君はますますツケ上がる。
「この人・・・よっぽど甘やかされて育ったんだな」
と、当時の私でも思ったもの。そのくらい甘ったれていたのだ。
それまで小学校の時も同じクラスになった事がなくて(この中学校は、みな小学校からの持ち上がりです)、
S君なんて顔しか知らなかったが、同じ部活になり、「こんな人がいるんだ!」とビックリするくらい、私にとって強烈だったのだ。
S君はたいして勉強が出来なかった。
これは彼の能力と言うよりも、「根気の無さ」だろう。
それに無気力な子だ。何でも、言う前に親がやってくれる・・・そんな典型だ。
「~になりたい」という向上心も、持ち合わせていない。
そんなもの、無くたって親が全部してくれるからね。
過保護や過干渉で育った子というのは「自我」が奪われる。ある意味、可哀想な子なのだ。
卒業をする頃には、少し落ち着き、さすがにバタバタは無くなったが、「無気力」「我が儘」は相変わらずだった。
しかし、大人になって「ツケ」を払わされたのだろう。
噂によれば、彼は20歳の時、交差点事故を起こし、重傷を負った。
それからの5年間は昏睡状態で、植物人間だったのである。
しかし奇跡的に目覚めたが、脳にかなりの損傷を受けたのか、深刻な後遺症を残した。
彼はあれから毎日リハビリをしている。
今日もリハビリの為、歩いているS君とすれ違った。
私は車だったから、あえて声は掛けなかったけど。
彼はまだ左側に麻痺が残るのか、動かない左腕を振り、左足を引きずるように歩いていた。
彼のうちは、私の実家のすぐそばにあるから、見掛けるのもしょっちゅうだ。
S君は私を覚えていた。
何年か前、小学生だったあやかを伴って、歩いて買い物に行ったところ、S君とばったり会ったのだ。
「私の事、覚えている?」
彼は笑顔でうなずいた。言葉もうまく話せないようで、不自由そうだったが、一生懸命笑顔で話してくれた。
「子ども?大きいね。すごいね!」
って、言ってくれたっけ。
「リハビリ頑張ってね」と言って、別れたのだ。
でもそれからは、声を掛けていない。あまりにも痛々しかったから・・・。
何だか、自分の幸せを見せびらかしているようで・・・。
子供がいるって・・・自慢してるようで・・・。
五体満足な事、健康な事、働ける事・・・何でも持ってるでしょ?って、ひけらかしてるみたいだ。
自分の幸せを再認識もさせてもらったが、同時に「私、幸せでごめんなさい」と、申し訳ない気持ちにもなってくるのだ。
S君は私が離婚して、戻って来たのも知っていたのだろう。
「おまえ・・・大変だったな。」
と、言ってくれた。でもS君の大変さに比べたら・・・私のなんて「屁」みたいなもんさ。
だから私も笑って「そんな事ないよ!さっぱりした!」って言ったよ。
S君は笑って「そっか・・・。」って、言ってたけどね。
S君も、いろんな苦労や辛さを味わって、人の痛みや苦労を分かる人になったんだね。
お客様の中にも、大きな事故や病気を用意している方が、時々いらっしゃいます。
でも避ける事が出来ます。
避ける方法は・・・事故や病気になって、「理解」させられる前に、自分に「理解」させる事です。
「理解」させたくて、自分自身で引き寄せるのですから。
ですから、あえて「苦労」を買いに行く事が、最善の道なのです。
安易に苦労を避け、目先の楽を追いかける事は、一見「楽」そうに見えますが、実は自分を追い詰めている事なのです。
だから私達は「自立しましょう!」「動きましょう!」と、言い続けるのです。
でも、今まで「挫折」も「困った事」もない人ほど、意味が分からない・・・。
そこに私達はジレンマを感じるのです。
そして、自分達の仕事に意味がないのではないか?と、疑いたくなる瞬間なのです。
そしてこういう方ほど、経験がないから、自分の問題点にも気付かず、「褒めてもらいたい」と思っている・・・。
で、褒めればツケ上がって安心して動かないし、
「~しましょう。でないと~なりますよ。」
と、指摘すれば「何でそんな事言うんですか!」と、恨まれる。
本当に「伝える」というのは、難しいですね。
さあ、私の愚痴はそれ位にしましょう。笑 では、また明日!
コメント[2]
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