こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
55
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2008
04,23
23:00
10歳
CATEGORY[過去]
今日は久々に過去話をしましょう。
前回の続き、10歳です。小4の頃ですねえ。
私の子供時代の中では、まあまあ平和な時代というべきか・・・。
小4の時の担任は、かなり年配の厳しい女の先生だった。
結果至上主義というか。
出来る子にはとことん贔屓(ひいき)するが、出来ない子は知らん顔。
でも保護者や教員には「良い先生」と評判で、一旦退職したにも関わらず、
「是非もう一度クラスを受け持ってください。」
と、周りに熱心に乞われて、戻って来た先生である。
しかし、こんな先生、子供からしたら、どこが良い先生なのか、さっぱり分からん。
今でも分からないが。
贔屓をするような先生、良い先生なんかじゃないよ。
この先生は結果至上主義なので、テストの度に、テストの順位によって席替えをする。
一番後ろの南側から一番、二番・・・と座って行くのである。
小さな漢字テストですら、席替えの対象だ。
これが子供達の心に変化をもたらした。勿論、私にも。
私はクラスでも大体三番以内だったが、同順の人が多数の場合は、ジャンケンで決める。
これで同じ三番でも、三番の席だったり、六番の席だったり、する訳だ。
こうなると、「私だって三番だもん。」と言う気持ちになったり、優越感に浸ったり・・・だ。
何度か席替えを経験すると、何回やっても同じ順位の子、教科の得意不得意で大きく順位を変える子、と様々だ。
でも私は大体3番から5番、良い時で一番の時もあり、
「私って、そんなに馬鹿じゃないんだ。」
と、分かって来る。でも席替えの回数が重なると、それが段々「優越感」に変わって来るのだ。
私と同様に、優越感むき出しの子、ライバル意識むき出しの子・・・要はクラスの雰囲気がギスギスし始めたんだよね。それと同じくらい「どうせ、オレは・・・。」と、あきらめちゃう子、投げやりになっちゃう子。こういう子も出始めたのだ。
この頃の自分を思い出すと、やはり醜い感情「優越感」がすぐに出てくる。
はっきり言うが、「私の方が・・・」「私だって・・・」という優越感は、醜い。
何をするにも・・・勉強も仕事も・・・自分の為だよね?
誰かと比べたって仕方ない事だからだ。
本当に自信があったら、優越感も感じないのだ。
でも、根本に自信がないから、つい他人と比べてしまって、「私の方が出来る」と、思いたくなるのだ。
ああ・・・醜い。
しかし残念ながら、私はここで植え付けられた優越感に、長い間捕われてしまうのだ。
これが中学時代の「いじめ」も呼んだだろう。
何もかもが通らねばならい道筋だったんだろうね。
しかしこの時の担任の先生は、大きな罪を残した。
テストの結果至上主義が大きく子供達の心を歪めただろうから。
学校のテストなんて、人生では些細な事なのに。
でもその「席」に座らせる事で、より自分の順位を自覚させられるのだ。
一日中、年中、そのように座っていれば、それが「人生のすべて」と、錯覚してもおかしくない。
ちなみに私はこの先生から、嫌われてはいなかったが、贔屓もされていなかった。
唯一、それが救いだっただろう。
先生はいつも一番の男の子を、とことん贔屓していた。
この男の子はそれをとことん利用したが、陰では先生の悪口を言っていた。
誰もこの先生を好いてはいなかった。勿論、私も。
特定の男の子を贔屓する「気持ち悪いオバハン」って、思っていたよ。
学校の先生って、結構影響を残すね。
それも「込み」で、出会いを用意するんだろうけど。
しかし、「教員」を目指す人には、そこら辺の「責任感」と言うのを持ってもらいたいと思う。
子供達に与える影響は、計り知れないのだから。
しかし、私にもこのように醜く恥ずかしい時代があったのである。ははは~。
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コメント[4]
TB[]
2008
03,06
21:22
習字
CATEGORY[過去]
今日は何を書こう・・・。また過去の事でも書こうか。
と、言う事で、今日も9歳の時の事を書こう・・・いやいや8歳にさかのぼる。
小2になった時、すぐ下の妹が一年生に上がった。
それを機に、2人で親戚の人がやっている書道塾に通う事になった。
そこには漫画も一杯置いてあって、終わるとむさぼるように漫画を読むのが楽しみだったのだ。
当時は「キャンディキャンディ」が連載中だったなあ。
「つる姫じゃ~」とか、そりゃもう夢中で読んでたっけ。
うちでは漫画本なんて買ってもらえないので、ここぞとばかりに読んだのさ。
それが楽しみなだけで通っていたが、でも習字は割と好きだった。
先生に「うまいうまい」なんて褒められると、調子に乗っちゃってたりしてね。
ある時、作品を「出品する」と言う事になった。
それで合格すれば、昇級するのだ。
他の子達と共に、私も妹も出品したのだ。
勿論私は自信があった。妹よりは上手いだろうと・・・。
妹は勉強もいまいちだったし、大体普段から愚図で私の手を手こずらせてばかりで・・・こんな子に負ける訳にはいかないよ!ってな、感じ。
そうしたら・・・な、な、ななななんと!妹は合格し、私は落選したのだ!
ガ~ン・・・。
私は級外のままだが、妹は(たしか・・・)8級に昇級。
こんな・・・こんな、屈辱って・・・!もうすっかり私のささやかなプライドは粉々だ。
勿論、そんな振る舞いは見せないが。そんな事、自分のプライドに掛けて、出来ない!
私は残りのプライドを振り絞って、何事もなかったかのように振る舞う。
妹が昇級し、私が落選した理由は・・・
妹の筆遣いは大きく太く、非常に子供らしい伸び伸びとしたものだった。
しかし私は細く、弱弱しい字だったのだ。
私は知らなかったのだ。私は細くきれいな方が良い字だと、思いこんでいたのだから。
太く書いた方が、良い、と言う事を知らなかったんだよねえ。
でもきっと、思い込みから先生の言う事に耳を貸さなかったのだ。
しかし、この出来事で私のプライドは十分傷ついた。
「もういい。辞める。」
それであっさり辞める事にし、
「お姉ちゃんが行かないなら、私も行かん。」
と言う事になり、妹も釣られて辞める事になったのだ。
あの大量の漫画本には未練があったけどね。
でも本当に悔しかったのは、習字なんて大して好きでもない妹に「負けた」のが、悔しかったんだよねえ。
だって、私は結構本気で好きだったからね。
自分は「完璧ではない」「大した事ない奴だ」と、思い知った出来事だったが。
そして。追い打ちを掛けるように、父がまた私をあざ笑う。
「やっぱりお前はすごいなあ~。」
と、妹を褒めちぎり
「それに比べてお前は!ハン!」
と鼻で笑い
「ブスで取り柄がないじゃあ、どうしようもないな。」
と言う。ああ、そうですか・・・と、聞き流していたが。
もう、この頃になると、父親の暴言も慣れたもんだよね。
でもここで泣きそうな顔をしたり、悔しがると「それ見た事か」と、父を喜ばす事になるので、それでポーカーフェイスを身に着けるようになったんだよね。
これが私の身を守る、最大の武器にもなったのだ。
まあ、これが誤解を招きやすくなり、その後の中学時代のいじめを呼んだのは間違いない。
しかし、この頃からすでに私のプライドは山のように高かったのだ。
これは今も変わらないだろう。
ただ、セールスを通して、頭を下げたり甘えたり、出来るようになったが。
でも人の根本は変わらないんだよね。
それは身を持って、知っているのさ。
そして、プライドの高さや意地っ張りなところも、父が磨いてくれたのも間違いはない。
やはり、必要な事がやって来るのである。
コメント[4]
TB[]
2008
02,20
23:30
9歳 続き
CATEGORY[過去]
今日は久しぶりに私の過去を書きましょう。
あんまり面白くないかもしれませんが・・・。
前回の続き、9歳です。
9歳といえば・・・小学3年生だが。
何が思い出って・・・担任が強烈だった!
だって、アル中だったからね!有り得ないよ!マジで~って感じ。
担任の先生は、原田先生といって、推定50前後の男性教師で、いつも鼻は赤く、髪はボサボサ、服はヨレヨレ、歩くとヨロヨロ・・・。こんなんで大丈夫かよって感じだよ。
さすがに教室に酒を持ち込む事はなかったが、「合間に飲んでる」とか「一晩中飲んでる」とか、よろしくない噂ばかり、流れてくる。
ところが、だれも面と向かって聞かない。
だって、この先生、物凄く怖かったからね。
年若い新任女性教師など、あからさまに怯えていたモンなあ・・・。
噂では、若い頃戦争を経験しており、軍隊上がりだった・・・らしいが。
あながち、嘘ではないのだと思う。
この先生、何が怖いって・・・いつも子供達を威嚇するのに「木琴のバチ」を持ち歩いていたのだ!
そして、子供達が悪さをしたり、言う事聞かなかったり、宿題忘れたり・・・
とにかく事ある毎に、そのバチで思いっきり叩くのだ。
これって「虐待」だよね?今なら大問題だよ・・・。
当時だから、問題にならなかったかも知れないが、でもこれはちょっとやり過ぎだよ。
私は2回、このバチで叩かれたが、一週間は頭が痛かったよ。
しかし、効果は絶大だった!
あのうるさい、お馬鹿全盛期の腕白坊主共は、一か月もすると懲りたのか、大人しくなり、言う事を聞き、宿題を真面目にやり・・・怒られたくない一心で、私もみんなも必至になったもの。
ていうか、あれは「委縮」してたんだなあ。
だって、休み時間でさえ、まるでお通夜にように静まり返っていたもの。
この原田先生が、家庭訪問にやって来た。
正確に言うと、「やって来る」時の事。母が
「予定より大分過ぎているのに、先生が来ない。」
と、言っていた。でも家庭訪問の予定時間がずれるのは、よくある事だ。
「そのうち来るんじゃない?」
と、話していたのだ。ところが母が
「さっきから変な人がウロウロしててさ・・・。気持ち悪いから警察に通報しようか?」
と言っている、どれどれ・・・と思って、外を覗いて見ると・・・。
「!先生!!!お母さん、あの人、担任の先生だよ!」
「ええ?!!!あたしゃ、てっきり空き巣か変質者だと思ったよ。」
そう言って、外へ駆け出し、先生を迎えに行ったのだった。
先生が帰った後、
「変な人だったねえ。迷ってるなら聞きに来ればいいのに。30分も前から煙草吸いながらウロウロしてるからさあ・・・。ホント、気持ち悪い人だ。」
と、母でさえ、言ってたよ。
こんなんだから、父兄の評判はすこぶる悪く、その後の参観会では更に先生の心証を悪くしたのだ。
呂律がはっきり回らず、何を言ってるか分かりにくく、父兄からの苦情が多かったらしい。
夏休みを過ぎると、遂に原田先生の姿は見なくなった。
どうやら、アル中治療の為、入院したらしい。
その代りにやって来たのは、若い新任の優男だった。
案の定、彼は児童に舐められっぱなしで、今までの憂さを晴らすかのように、クラスの男子は大暴れしていた。
その頃、すでに本ばかり読んでいた私は、一学期のあの静けさがちょっぴり懐かしいくらいだった。
きっとみんな、我慢してたんだねえ。
父兄たちもホッとしたのは言うまでもない。
しかし、あの原田先生のお陰で、私はどんなに宿題の量が多くても、こなす習慣がついたのである。
このお陰で、本当に学力があがったのだから、私は今でも感謝している。
しかし、皆にも深い傷も残していった。
「先生」と言うだけで、みんなビクついていたから(笑)。
後の、私を中学時代にいじめた男子は、一番バチで殴られていたな。
今思うと、ザマアミロ!って思うけどね。(笑)
私も結構、意地悪いな。ははは~!
コメント[8]
TB[]
2008
01,19
22:42
今が
CATEGORY[過去]
新しいパソコンに変え、「使い易い~!」と大喜びの私。
で、古いパソコンはどうしたのかというと。
まだ、置いたままである。データを移し替えてないからね。
今は亡きチョロたんの写真とか、写真とか写真とか・・・写真しかないんだけどさ。(笑)
でも貴重だよね。もう二度と撮れないものだもん。
だからデータの移行をせねば・・・と思って、古い方を起動させたのだよ。
ところが!
起動しない・・・。これって・・・ある意味セーフなの?
もしかして古いパソの寿命が尽きた?
私って、超ラッキーだった? だよねえ~!
もう一回起動チャレンジして、出来なかったら諦めるか。仕方ないし。
前の携帯にも入ってるから、まあいいや。
それにブログやホムペでアップしてあるから、それがせめてもの救いだよ。
それにしても、タイミングがよかったなあ。年末の車検もそうだったけど・・・。
私はそもそもタイミングが良い!強運と思っているくらいだから。
そのくらい自分に自信があるしね。
こういう時は大抵、上手く回ってるものだ。勿論、悪霊も憑いていない!
では悪霊が憑いていた時は、どうなるか・・・というと。
まず思考が鈍くなる。(私の場合) そして不安だったり解決策が分かりにくかったり。(私の場合)
それからタイミングを外す。(私の・・・) 誤解を招きやすかったり、空回りしやすかったり。(これも・・・)
私にとって、過去最高に空回りしていたピークは、中学時代だろう。
あれはキツかったなあ~。何をやっても外してたし。
褒められるような事をしても妬まれ、それこそ失敗をしたらここぞとばかりに笑われ、冷やかされ、無視をされ・・・。
悔しかったなあ。ま、それが今の私の原動力にもなったんだけどね。
ま、きっと私は生まれながら悪霊を憑けていたに違いないんだから。
悪霊から解放されたのは、ここ最近の数年だろう。
いやあ~、なんにも憑けてないって、何て肩が楽なんだ~!
そのくらい小さな頃から、入れ替わり立ち替わり複数の悪霊を憑けていただろう。
だから、昔のどのアルバムを見ても、あやかが見れば「悪霊が写ってるよ」と言われる。
ああ、そうですか。やっぱりね。っていう感じ。
だから催眠で、自分が生まれる時の「思い」を見ると、「躊躇」しているのが分かる。
これから迎える「困難」に、恐れおののいているからだ。
母親の腹の中に入ったのは、生まれる直前くらいだろう。相当ビビっていたからなあ。間際だよ。
その腹の中でさえ、不安とストレスで一杯なんだから、窮屈な感じだ。
そしてこれからの「困難」と母親の不安を暗示していたのか、私は首にへその緒を巻きつけ、仮死状態で生まれてきたのだ。これは本当に、私自身の「抵抗」の現れである。
相当前のここにも書いたが、物心つく前から、すでに赤ん坊の頃からいつも漠然とした「不安」が付きまとっていたのだ。その時だって、悪霊に巻かれていたのだから、当たり前だ。
そして私が生まれる時もだ。母親に憑いていたからね。
そして生まれてからは、本当によく泣く子で、母は大変だったようだ。
これも悪霊がいる事で、不安定になり、夜泣きなど触発されるのだ。
本当に心から、安らいだ事はなかった。
やっと、大人になって、いろいろ経験して、本当に心から安らぎを得たのなんて最近の事だ。
だから今が最高に楽しいと思えるんだろうね。あ~、よかった、よかった!
ついでに生まれた時の私は逆子で、本当に逆らってんだなって感じ。(笑)
それから首には大きな斜頚が出来ており、医者から
「ちゃんと治さないと20歳くらいまでしか生きられないよ。」
と言われたそうだ。
ちなみに親戚の人もそういう人がいるが、彼は母親がきちんと直さなかった為、可哀そうに首が真横に傾いたままだ。あんな母でもきちんと直してくれたこそ、今の私があるのである。
こればかりは、感謝してもし足りないくらいだ。ありがとう!お母さん!
ついでに言うと、これもやっぱ「カルマ」だなあ。
人の首を散々斬ってきたのだ。これくらいで済んでよかったよ。
しかしパソコンの話から、何で過去の話になってんだ?
よく分からんな、自分。
まあ、今が楽しいって事で・・・。ははは~。
コメント[2]
TB[]
2008
01,13
20:49
更に更に・・・
CATEGORY[過去]
さて最近パソコンの調子が悪く、ホムペも見れないとの指摘もあり、皆様に大変ご迷惑をお掛けしております!
大体画面の文字が微妙に二重に見えたり、メールが開かない・・・など物凄く不調なんです。
もう寿命ですよね? という訳で、先程新しいパソコンを買いました。
またローンだよおおおお~・・・。うう・・・頑張ります~!
でも今はまだ古いパソの方で書いてます。後で箱を開けようっと!
さあ、昨日の続きを書くぞ!今日こそ、入院の事を書きましょう!
なんで入院の事を書きたがるのかと言えば。まあ、オチは後ほど。
産後は大部屋で過ごす事になる。
出産前は一日だけ入院しており、個室だからよかったんだけど、大部屋となるとそうはいかない。
まずカーテンで仕切られてるだけだから、プライバシーなんて無いに等しいし、病院食は不味いし、私には足りないし、産後は余り目を使わないように言われていたから本も読めないし・・・。
不自由な事だらけで、おならもうっかり出来ないよ!
なのになのに。産前はあれほど体調不良で苦痛だったのに、現金なもので産んでしまったらスッキリ爽やか!
しかもストレスの源である旦那から離れ、家事からも解放され、かずまと離れて寂しい以外は、至って気分爽快!
しかもしかも、私はお産も軽かったので疲れも無く、会陰切開もしなかったので、元気を持て余していたのだ。
なんてったって、20だからさ~。
それで病院内をあちこち飛び回り、いろんな産婦に話し掛けまくり、友達を作りまくっていた。
で、あんまり走り回っていたから
「八木さん!!!(私の旧姓です。)走っちゃダメでしょ!!!」
と、毎日看護士さんから怒られていたのである。・・・私って馬鹿でしょ?ふふふ~。
でもこの入院で思い知らされた。
苦労していたとはいえ、やはり寝たい時に寝られ、食べたい時に食べられ、食べたい物を食べれるって・・・
当たり前じゃないんだなって。幸せなんだって、思ったのだ。
でも病気をした事ない人、入院した事の無い元気な人には、それが分からない。
それがどんなに辛い事か、分からないから、慢心して病気を呼ぶ。
だから感謝って大事だと思うし、何より自分を労わって病気を予防する事はもっと大事だよね。
さて、あやかは未熟児だったが、私は良くお乳が出るし、あやかも良く飲んでくれて、すこぶる順調だった。
ただ、困った事に看護士さんによって、指示が違う。
「この子は小さいから、どんどんおっぱいを飲ませてね」と、言う人がいると思えば
「この子は小さすぎるから、まだ母乳は早い!糖水をあげて!」と、言う人もあり、良く飲む事にも注文つけられ
「そんなにあげちゃあ、ダメ!」と、言われてみたり・・・。
ホント、十人十色とはよく言ったもんだ。これには本当に参ってしまった。
でも私は二人目だったし、何だか知らないが「あやかは大丈夫!」という強い核心があった為、さしてうろたえはしなかった。
でも隣のベッドの産婦さんは、34歳で初産を向かえ、旦那は単身赴任中だし、ここでは色んな人に色んな事を言われるし、子供は思うようにおっぱいを飲んでくれないしで、すっかり不安だったのだろう。
夜中にシクシク泣き出したのだ。
「どうしたの?」
そっと声を掛けると
「誰の言葉を聞いていいのか、分からなくなっちゃった・・・。」
と言う。ああ、そうか、と思った。この人は私よりずっと年上だけど、初めての事で不安なんだな。
しかもあれだけ色んな事を言われれば、そりゃあ混乱するだろう。
「大丈夫だよ。自分の子供なんだから、誰に何と言われようと、自分の好きなように育てたらいいじゃん!
知ってる?子供が親を選んで来るんだよ!私なんて適当に聞き流してるよ!」
なんて、生意気にもそうアドバイスをした覚えがある。
「何で貴女はそんなに強いの?」
って、聞かれたけど、
「さあ?私はそんなに強くないよ。でも自分しか子供守れないよね?そう思ったら強くなるしかないよね。」
って、答えるしかなかった。みんな、そうやって母になる事で強くなるのだ。
「母は強し」やすしきよし・・・。ツイ余分な事を言いたくなる。てへっ!
やすしきよしがオチじゃないが、要は言いたいのは、みんなそれぞれ好き勝手な事を言うが、肝心な事は
「自分で決めればいい」って事さ。自分を信じるしかないのだ。
自分で選択して、自分で決める。そして自分で責任を持つ。
これは過去にも「自立」に関して書いた内容とカブるが、結局お産だろうが子育てだろうが、結局そこに帰ってくるという事だ。
この泣いていた産婦さんの旦那さんはとても優しくて、私は羨ましい限りだった。
でも私の旦那様は、泣いていたって何にもしてくれない。
だからこそ、自分で考え自分で決断する、今の自分にしてくれたんだけどね。ホント、皮肉なものだ。
この産婦さんも、旦那さんが単身赴任だから、自分が頑張らざるを得ない。
結局、自分を鍛えてるんだねえ。ある意味、感心したね。上手く出来てるなあって。
さて私はかずまが心配で、先生に駄々をこねて人より2日早く退院し、未熟児のあやかだけ2週間入院していた。入院させるにあたって、「保険」を適用させないといけないので、「あやか」の保険証を作る為に、大急ぎで「名前」を考えなきゃいけない、という事になった。
それで大慌てで考えた名前が「彩加」になったのである。
当時は珍しいだろうと思って旦那が付けた名前だが、開けてビックリ!
「さやか」に続いて「あやか」は2番目に多い名前だった!ガビーン!!!
という事で、彩加の誕生について、このくらいにしておきます。
さあ、明日は新しいパソで書くぞ!
コメント[5]
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