2024 09,21 00:49 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2008 04,23 23:00 |
|
今日は久々に過去話をしましょう。
前回の続き、10歳です。小4の頃ですねえ。 私の子供時代の中では、まあまあ平和な時代というべきか・・・。 小4の時の担任は、かなり年配の厳しい女の先生だった。 結果至上主義というか。 出来る子にはとことん贔屓(ひいき)するが、出来ない子は知らん顔。 でも保護者や教員には「良い先生」と評判で、一旦退職したにも関わらず、 「是非もう一度クラスを受け持ってください。」 と、周りに熱心に乞われて、戻って来た先生である。 しかし、こんな先生、子供からしたら、どこが良い先生なのか、さっぱり分からん。 今でも分からないが。 贔屓をするような先生、良い先生なんかじゃないよ。 この先生は結果至上主義なので、テストの度に、テストの順位によって席替えをする。 一番後ろの南側から一番、二番・・・と座って行くのである。 小さな漢字テストですら、席替えの対象だ。 これが子供達の心に変化をもたらした。勿論、私にも。 私はクラスでも大体三番以内だったが、同順の人が多数の場合は、ジャンケンで決める。 これで同じ三番でも、三番の席だったり、六番の席だったり、する訳だ。 こうなると、「私だって三番だもん。」と言う気持ちになったり、優越感に浸ったり・・・だ。 何度か席替えを経験すると、何回やっても同じ順位の子、教科の得意不得意で大きく順位を変える子、と様々だ。 でも私は大体3番から5番、良い時で一番の時もあり、 「私って、そんなに馬鹿じゃないんだ。」 と、分かって来る。でも席替えの回数が重なると、それが段々「優越感」に変わって来るのだ。 私と同様に、優越感むき出しの子、ライバル意識むき出しの子・・・要はクラスの雰囲気がギスギスし始めたんだよね。それと同じくらい「どうせ、オレは・・・。」と、あきらめちゃう子、投げやりになっちゃう子。こういう子も出始めたのだ。 この頃の自分を思い出すと、やはり醜い感情「優越感」がすぐに出てくる。 はっきり言うが、「私の方が・・・」「私だって・・・」という優越感は、醜い。 何をするにも・・・勉強も仕事も・・・自分の為だよね? 誰かと比べたって仕方ない事だからだ。 本当に自信があったら、優越感も感じないのだ。 でも、根本に自信がないから、つい他人と比べてしまって、「私の方が出来る」と、思いたくなるのだ。 ああ・・・醜い。 しかし残念ながら、私はここで植え付けられた優越感に、長い間捕われてしまうのだ。 これが中学時代の「いじめ」も呼んだだろう。 何もかもが通らねばならい道筋だったんだろうね。 しかしこの時の担任の先生は、大きな罪を残した。 テストの結果至上主義が大きく子供達の心を歪めただろうから。 学校のテストなんて、人生では些細な事なのに。 でもその「席」に座らせる事で、より自分の順位を自覚させられるのだ。 一日中、年中、そのように座っていれば、それが「人生のすべて」と、錯覚してもおかしくない。 ちなみに私はこの先生から、嫌われてはいなかったが、贔屓もされていなかった。 唯一、それが救いだっただろう。 先生はいつも一番の男の子を、とことん贔屓していた。 この男の子はそれをとことん利用したが、陰では先生の悪口を言っていた。 誰もこの先生を好いてはいなかった。勿論、私も。 特定の男の子を贔屓する「気持ち悪いオバハン」って、思っていたよ。 学校の先生って、結構影響を残すね。 それも「込み」で、出会いを用意するんだろうけど。 しかし、「教員」を目指す人には、そこら辺の「責任感」と言うのを持ってもらいたいと思う。 子供達に与える影響は、計り知れないのだから。 しかし、私にもこのように醜く恥ずかしい時代があったのである。ははは~。 PR |
|
2008 03,06 21:22 |
|
今日は何を書こう・・・。また過去の事でも書こうか。
と、言う事で、今日も9歳の時の事を書こう・・・いやいや8歳にさかのぼる。 小2になった時、すぐ下の妹が一年生に上がった。 それを機に、2人で親戚の人がやっている書道塾に通う事になった。 そこには漫画も一杯置いてあって、終わるとむさぼるように漫画を読むのが楽しみだったのだ。 当時は「キャンディキャンディ」が連載中だったなあ。 「つる姫じゃ~」とか、そりゃもう夢中で読んでたっけ。 うちでは漫画本なんて買ってもらえないので、ここぞとばかりに読んだのさ。 それが楽しみなだけで通っていたが、でも習字は割と好きだった。 先生に「うまいうまい」なんて褒められると、調子に乗っちゃってたりしてね。 ある時、作品を「出品する」と言う事になった。 それで合格すれば、昇級するのだ。 他の子達と共に、私も妹も出品したのだ。 勿論私は自信があった。妹よりは上手いだろうと・・・。 妹は勉強もいまいちだったし、大体普段から愚図で私の手を手こずらせてばかりで・・・こんな子に負ける訳にはいかないよ!ってな、感じ。 そうしたら・・・な、な、ななななんと!妹は合格し、私は落選したのだ! ガ~ン・・・。 私は級外のままだが、妹は(たしか・・・)8級に昇級。 こんな・・・こんな、屈辱って・・・!もうすっかり私のささやかなプライドは粉々だ。 勿論、そんな振る舞いは見せないが。そんな事、自分のプライドに掛けて、出来ない! 私は残りのプライドを振り絞って、何事もなかったかのように振る舞う。 妹が昇級し、私が落選した理由は・・・ 妹の筆遣いは大きく太く、非常に子供らしい伸び伸びとしたものだった。 しかし私は細く、弱弱しい字だったのだ。 私は知らなかったのだ。私は細くきれいな方が良い字だと、思いこんでいたのだから。 太く書いた方が、良い、と言う事を知らなかったんだよねえ。 でもきっと、思い込みから先生の言う事に耳を貸さなかったのだ。 しかし、この出来事で私のプライドは十分傷ついた。 「もういい。辞める。」 それであっさり辞める事にし、 「お姉ちゃんが行かないなら、私も行かん。」 と言う事になり、妹も釣られて辞める事になったのだ。 あの大量の漫画本には未練があったけどね。 でも本当に悔しかったのは、習字なんて大して好きでもない妹に「負けた」のが、悔しかったんだよねえ。 だって、私は結構本気で好きだったからね。 自分は「完璧ではない」「大した事ない奴だ」と、思い知った出来事だったが。 そして。追い打ちを掛けるように、父がまた私をあざ笑う。 「やっぱりお前はすごいなあ~。」 と、妹を褒めちぎり 「それに比べてお前は!ハン!」 と鼻で笑い 「ブスで取り柄がないじゃあ、どうしようもないな。」 と言う。ああ、そうですか・・・と、聞き流していたが。 もう、この頃になると、父親の暴言も慣れたもんだよね。 でもここで泣きそうな顔をしたり、悔しがると「それ見た事か」と、父を喜ばす事になるので、それでポーカーフェイスを身に着けるようになったんだよね。 これが私の身を守る、最大の武器にもなったのだ。 まあ、これが誤解を招きやすくなり、その後の中学時代のいじめを呼んだのは間違いない。 しかし、この頃からすでに私のプライドは山のように高かったのだ。 これは今も変わらないだろう。 ただ、セールスを通して、頭を下げたり甘えたり、出来るようになったが。 でも人の根本は変わらないんだよね。 それは身を持って、知っているのさ。 そして、プライドの高さや意地っ張りなところも、父が磨いてくれたのも間違いはない。 やはり、必要な事がやって来るのである。 |
|
2008 02,20 23:30 |
|
今日は久しぶりに私の過去を書きましょう。
あんまり面白くないかもしれませんが・・・。 前回の続き、9歳です。 9歳といえば・・・小学3年生だが。 何が思い出って・・・担任が強烈だった! だって、アル中だったからね!有り得ないよ!マジで~って感じ。 担任の先生は、原田先生といって、推定50前後の男性教師で、いつも鼻は赤く、髪はボサボサ、服はヨレヨレ、歩くとヨロヨロ・・・。こんなんで大丈夫かよって感じだよ。 さすがに教室に酒を持ち込む事はなかったが、「合間に飲んでる」とか「一晩中飲んでる」とか、よろしくない噂ばかり、流れてくる。 ところが、だれも面と向かって聞かない。 だって、この先生、物凄く怖かったからね。 年若い新任女性教師など、あからさまに怯えていたモンなあ・・・。 噂では、若い頃戦争を経験しており、軍隊上がりだった・・・らしいが。 あながち、嘘ではないのだと思う。 この先生、何が怖いって・・・いつも子供達を威嚇するのに「木琴のバチ」を持ち歩いていたのだ! そして、子供達が悪さをしたり、言う事聞かなかったり、宿題忘れたり・・・ とにかく事ある毎に、そのバチで思いっきり叩くのだ。 これって「虐待」だよね?今なら大問題だよ・・・。 当時だから、問題にならなかったかも知れないが、でもこれはちょっとやり過ぎだよ。 私は2回、このバチで叩かれたが、一週間は頭が痛かったよ。 しかし、効果は絶大だった! あのうるさい、お馬鹿全盛期の腕白坊主共は、一か月もすると懲りたのか、大人しくなり、言う事を聞き、宿題を真面目にやり・・・怒られたくない一心で、私もみんなも必至になったもの。 ていうか、あれは「委縮」してたんだなあ。 だって、休み時間でさえ、まるでお通夜にように静まり返っていたもの。 この原田先生が、家庭訪問にやって来た。 正確に言うと、「やって来る」時の事。母が 「予定より大分過ぎているのに、先生が来ない。」 と、言っていた。でも家庭訪問の予定時間がずれるのは、よくある事だ。 「そのうち来るんじゃない?」 と、話していたのだ。ところが母が 「さっきから変な人がウロウロしててさ・・・。気持ち悪いから警察に通報しようか?」 と言っている、どれどれ・・・と思って、外を覗いて見ると・・・。 「!先生!!!お母さん、あの人、担任の先生だよ!」 「ええ?!!!あたしゃ、てっきり空き巣か変質者だと思ったよ。」 そう言って、外へ駆け出し、先生を迎えに行ったのだった。 先生が帰った後、 「変な人だったねえ。迷ってるなら聞きに来ればいいのに。30分も前から煙草吸いながらウロウロしてるからさあ・・・。ホント、気持ち悪い人だ。」 と、母でさえ、言ってたよ。 こんなんだから、父兄の評判はすこぶる悪く、その後の参観会では更に先生の心証を悪くしたのだ。 呂律がはっきり回らず、何を言ってるか分かりにくく、父兄からの苦情が多かったらしい。 夏休みを過ぎると、遂に原田先生の姿は見なくなった。 どうやら、アル中治療の為、入院したらしい。 その代りにやって来たのは、若い新任の優男だった。 案の定、彼は児童に舐められっぱなしで、今までの憂さを晴らすかのように、クラスの男子は大暴れしていた。 その頃、すでに本ばかり読んでいた私は、一学期のあの静けさがちょっぴり懐かしいくらいだった。 きっとみんな、我慢してたんだねえ。 父兄たちもホッとしたのは言うまでもない。 しかし、あの原田先生のお陰で、私はどんなに宿題の量が多くても、こなす習慣がついたのである。 このお陰で、本当に学力があがったのだから、私は今でも感謝している。 しかし、皆にも深い傷も残していった。 「先生」と言うだけで、みんなビクついていたから(笑)。 後の、私を中学時代にいじめた男子は、一番バチで殴られていたな。 今思うと、ザマアミロ!って思うけどね。(笑) 私も結構、意地悪いな。ははは~! |
|
2008 01,19 22:42 |
|
新しいパソコンに変え、「使い易い~!」と大喜びの私。
で、古いパソコンはどうしたのかというと。 まだ、置いたままである。データを移し替えてないからね。 今は亡きチョロたんの写真とか、写真とか写真とか・・・写真しかないんだけどさ。(笑) でも貴重だよね。もう二度と撮れないものだもん。 だからデータの移行をせねば・・・と思って、古い方を起動させたのだよ。 ところが! 起動しない・・・。これって・・・ある意味セーフなの? もしかして古いパソの寿命が尽きた? 私って、超ラッキーだった? だよねえ~! もう一回起動チャレンジして、出来なかったら諦めるか。仕方ないし。 前の携帯にも入ってるから、まあいいや。 それにブログやホムペでアップしてあるから、それがせめてもの救いだよ。 それにしても、タイミングがよかったなあ。年末の車検もそうだったけど・・・。 私はそもそもタイミングが良い!強運と思っているくらいだから。 そのくらい自分に自信があるしね。 こういう時は大抵、上手く回ってるものだ。勿論、悪霊も憑いていない! では悪霊が憑いていた時は、どうなるか・・・というと。 まず思考が鈍くなる。(私の場合) そして不安だったり解決策が分かりにくかったり。(私の場合) それからタイミングを外す。(私の・・・) 誤解を招きやすかったり、空回りしやすかったり。(これも・・・) 私にとって、過去最高に空回りしていたピークは、中学時代だろう。 あれはキツかったなあ~。何をやっても外してたし。 褒められるような事をしても妬まれ、それこそ失敗をしたらここぞとばかりに笑われ、冷やかされ、無視をされ・・・。 悔しかったなあ。ま、それが今の私の原動力にもなったんだけどね。 ま、きっと私は生まれながら悪霊を憑けていたに違いないんだから。 悪霊から解放されたのは、ここ最近の数年だろう。 いやあ~、なんにも憑けてないって、何て肩が楽なんだ~! そのくらい小さな頃から、入れ替わり立ち替わり複数の悪霊を憑けていただろう。 だから、昔のどのアルバムを見ても、あやかが見れば「悪霊が写ってるよ」と言われる。 ああ、そうですか。やっぱりね。っていう感じ。 だから催眠で、自分が生まれる時の「思い」を見ると、「躊躇」しているのが分かる。 これから迎える「困難」に、恐れおののいているからだ。 母親の腹の中に入ったのは、生まれる直前くらいだろう。相当ビビっていたからなあ。間際だよ。 その腹の中でさえ、不安とストレスで一杯なんだから、窮屈な感じだ。 そしてこれからの「困難」と母親の不安を暗示していたのか、私は首にへその緒を巻きつけ、仮死状態で生まれてきたのだ。これは本当に、私自身の「抵抗」の現れである。 相当前のここにも書いたが、物心つく前から、すでに赤ん坊の頃からいつも漠然とした「不安」が付きまとっていたのだ。その時だって、悪霊に巻かれていたのだから、当たり前だ。 そして私が生まれる時もだ。母親に憑いていたからね。 そして生まれてからは、本当によく泣く子で、母は大変だったようだ。 これも悪霊がいる事で、不安定になり、夜泣きなど触発されるのだ。 本当に心から、安らいだ事はなかった。 やっと、大人になって、いろいろ経験して、本当に心から安らぎを得たのなんて最近の事だ。 だから今が最高に楽しいと思えるんだろうね。あ~、よかった、よかった! ついでに生まれた時の私は逆子で、本当に逆らってんだなって感じ。(笑) それから首には大きな斜頚が出来ており、医者から 「ちゃんと治さないと20歳くらいまでしか生きられないよ。」 と言われたそうだ。 ちなみに親戚の人もそういう人がいるが、彼は母親がきちんと直さなかった為、可哀そうに首が真横に傾いたままだ。あんな母でもきちんと直してくれたこそ、今の私があるのである。 こればかりは、感謝してもし足りないくらいだ。ありがとう!お母さん! ついでに言うと、これもやっぱ「カルマ」だなあ。 人の首を散々斬ってきたのだ。これくらいで済んでよかったよ。 しかしパソコンの話から、何で過去の話になってんだ? よく分からんな、自分。 まあ、今が楽しいって事で・・・。ははは~。 |
|
2008 01,13 20:49 |
|
さて最近パソコンの調子が悪く、ホムペも見れないとの指摘もあり、皆様に大変ご迷惑をお掛けしております!
大体画面の文字が微妙に二重に見えたり、メールが開かない・・・など物凄く不調なんです。 もう寿命ですよね? という訳で、先程新しいパソコンを買いました。 またローンだよおおおお~・・・。うう・・・頑張ります~! でも今はまだ古いパソの方で書いてます。後で箱を開けようっと! さあ、昨日の続きを書くぞ!今日こそ、入院の事を書きましょう! なんで入院の事を書きたがるのかと言えば。まあ、オチは後ほど。 産後は大部屋で過ごす事になる。 出産前は一日だけ入院しており、個室だからよかったんだけど、大部屋となるとそうはいかない。 まずカーテンで仕切られてるだけだから、プライバシーなんて無いに等しいし、病院食は不味いし、私には足りないし、産後は余り目を使わないように言われていたから本も読めないし・・・。 不自由な事だらけで、おならもうっかり出来ないよ! なのになのに。産前はあれほど体調不良で苦痛だったのに、現金なもので産んでしまったらスッキリ爽やか! しかもストレスの源である旦那から離れ、家事からも解放され、かずまと離れて寂しい以外は、至って気分爽快! しかもしかも、私はお産も軽かったので疲れも無く、会陰切開もしなかったので、元気を持て余していたのだ。 なんてったって、20だからさ~。 それで病院内をあちこち飛び回り、いろんな産婦に話し掛けまくり、友達を作りまくっていた。 で、あんまり走り回っていたから 「八木さん!!!(私の旧姓です。)走っちゃダメでしょ!!!」 と、毎日看護士さんから怒られていたのである。・・・私って馬鹿でしょ?ふふふ~。 でもこの入院で思い知らされた。 苦労していたとはいえ、やはり寝たい時に寝られ、食べたい時に食べられ、食べたい物を食べれるって・・・ 当たり前じゃないんだなって。幸せなんだって、思ったのだ。 でも病気をした事ない人、入院した事の無い元気な人には、それが分からない。 それがどんなに辛い事か、分からないから、慢心して病気を呼ぶ。 だから感謝って大事だと思うし、何より自分を労わって病気を予防する事はもっと大事だよね。 さて、あやかは未熟児だったが、私は良くお乳が出るし、あやかも良く飲んでくれて、すこぶる順調だった。 ただ、困った事に看護士さんによって、指示が違う。 「この子は小さいから、どんどんおっぱいを飲ませてね」と、言う人がいると思えば 「この子は小さすぎるから、まだ母乳は早い!糖水をあげて!」と、言う人もあり、良く飲む事にも注文つけられ 「そんなにあげちゃあ、ダメ!」と、言われてみたり・・・。 ホント、十人十色とはよく言ったもんだ。これには本当に参ってしまった。 でも私は二人目だったし、何だか知らないが「あやかは大丈夫!」という強い核心があった為、さしてうろたえはしなかった。 でも隣のベッドの産婦さんは、34歳で初産を向かえ、旦那は単身赴任中だし、ここでは色んな人に色んな事を言われるし、子供は思うようにおっぱいを飲んでくれないしで、すっかり不安だったのだろう。 夜中にシクシク泣き出したのだ。 「どうしたの?」 そっと声を掛けると 「誰の言葉を聞いていいのか、分からなくなっちゃった・・・。」 と言う。ああ、そうか、と思った。この人は私よりずっと年上だけど、初めての事で不安なんだな。 しかもあれだけ色んな事を言われれば、そりゃあ混乱するだろう。 「大丈夫だよ。自分の子供なんだから、誰に何と言われようと、自分の好きなように育てたらいいじゃん! 知ってる?子供が親を選んで来るんだよ!私なんて適当に聞き流してるよ!」 なんて、生意気にもそうアドバイスをした覚えがある。 「何で貴女はそんなに強いの?」 って、聞かれたけど、 「さあ?私はそんなに強くないよ。でも自分しか子供守れないよね?そう思ったら強くなるしかないよね。」 って、答えるしかなかった。みんな、そうやって母になる事で強くなるのだ。 「母は強し」やすしきよし・・・。ツイ余分な事を言いたくなる。てへっ! やすしきよしがオチじゃないが、要は言いたいのは、みんなそれぞれ好き勝手な事を言うが、肝心な事は 「自分で決めればいい」って事さ。自分を信じるしかないのだ。 自分で選択して、自分で決める。そして自分で責任を持つ。 これは過去にも「自立」に関して書いた内容とカブるが、結局お産だろうが子育てだろうが、結局そこに帰ってくるという事だ。 この泣いていた産婦さんの旦那さんはとても優しくて、私は羨ましい限りだった。 でも私の旦那様は、泣いていたって何にもしてくれない。 だからこそ、自分で考え自分で決断する、今の自分にしてくれたんだけどね。ホント、皮肉なものだ。 この産婦さんも、旦那さんが単身赴任だから、自分が頑張らざるを得ない。 結局、自分を鍛えてるんだねえ。ある意味、感心したね。上手く出来てるなあって。 さて私はかずまが心配で、先生に駄々をこねて人より2日早く退院し、未熟児のあやかだけ2週間入院していた。入院させるにあたって、「保険」を適用させないといけないので、「あやか」の保険証を作る為に、大急ぎで「名前」を考えなきゃいけない、という事になった。 それで大慌てで考えた名前が「彩加」になったのである。 当時は珍しいだろうと思って旦那が付けた名前だが、開けてビックリ! 「さやか」に続いて「あやか」は2番目に多い名前だった!ガビーン!!! という事で、彩加の誕生について、このくらいにしておきます。 さあ、明日は新しいパソで書くぞ! |
|
忍者ブログ [PR] |