2024 09,21 23:21 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2006 11,21 23:23 |
|
今日は久しぶりに体を休めに行く。
知人の女性が足裏マッサージの先生をしているので、一時間ゆっくりとやってもらう。 やってもらうのは一年ぶりくらいか。 この女性は50代前半のOさんという方だが、とても上手い。 しかし、どうも私は他人様に、それも年上の方にやっていただく、という事に非常にひけ目を感じるのだ。 以前、化粧品のセールスをしていた時もそうだが、エステや美顔をやるのには全然問題ないのだが、いざ新人さんの練習相手で、される側に回ると何だかやってもらうのが悪いような気がして、ついモジモジしてしまうのだ。 だから美容院に行くのも、あんまり好きじゃない。 きっと小さい頃、抱きしめてもらったり、手を繋いでもらったり、という思い出が一切無い、というのも原因なんだろう。 だから自分の子供とも、ベタベタするのは好きじゃない。 しかし、そうも言ってられなくなった。 肩こり、腰痛がひどくなったのだ。 合間をぬって自分の体を大事にするのも、仕事のうちだよね。 やってもらえば気持ち良くて、ニコニコしてしまう。 たっぷりとマッサージをやってもらって、体が楽になった。 やっぱりやってもらうと違うなあ。 以前、結婚していた時の10年間、私はほぼ毎晩、肉体労働をして疲れて帰ってくる旦那の為に、一時間ほど全身マッサージをしてあげていた。 毎日「疲れた」だの「いいなあ、お前は・・・」だの言われ、そんな言葉を聞きたくない一心からであった。 我流ではあったが、エステもやっていたのでツボは心得ていたし、下手ではないと思う。 しかし、これがヤツにも負担だったのかもしれない。 私は一生懸命何でもやっていたと思う。 私は一人で家事をし、3人の子供を育て、フルタイム以上に働き、ヤツは知らなかったがヤツ以上に稼ぎ、ヤツより出世していたからね。 その上、自治体や幼稚園など役員の仕事を4つ掛け持ち、マンションの騒音問題にも主体となって取り組んでいた。 これが私の20代である。 一方、ヤツは一生懸命働いていたが、パチンコ依存症でほとんど家庭を省みず、家に居れば何もせず、子供と遊んだ事はほとんどなかった。 そんな旦那にあてつける様に私はよく動いた。 今思えば、私の行動はイヤミのように感じたに違いない。 それにしても私はやりすぎた!何事も背負いすぎたのだ。 それでも一生懸命やってきた、と思える事に誇りを持てる。 そんな前夫が2度目の離婚をした時 「お前はよくマッサージをしてくれたよなあ。あれは本当に助かったんだ。次の日は体が楽でさあ。前の女房にはしてもらった事が無くて・・・。」 と言って貰ったっけ。正直、自分の事が報われたようで嬉しかった。 もう二度とヤツにはマッサージなどやってやりたくないが。 しかし、この結婚で一番勉強になったのは、「無理してはいけない」と言う事だろう。 私は様々な無理を重ねた。 これがスキルアップにもなったが、やはりしわ寄せが来た。 そして前夫には「惨めさ」を感じさせた事だろう。 「あんたは役立たずなのよ」と言わんばかりの私の行動力だったからね。 でも、「悔しかったら這い上がって来いよ」とも言いたいが。 結局目先の楽を取り、努力を惜しんだのもヤツの選択なのだ。 どれもこれも「運命」なのだ。終わった事だ。 Oさんも数年前に旦那さんを亡くし、波乱万丈の人生だ。 一人で生きていく女同士、今まで色んな事を分かち合って来た。 年齢は違えど、他の誰も当てにせず自立した生き方をしていく事に、お互い共感しあい、励ましあってきた。 お互い前向きに協力しあい、援助しあう関係は、やはり自営業同士だからだろう。 知り合ってから4年、ただの知り合いから時を経て、大切な友人になった。 素晴らしい事だ。 私はこうしてたくさんの友人、お客様、家族といつも囲まれてて幸せだ。 ついでに前夫とも良き友人として、お付き合いが出来るようになって、良かったと思っている。 PR |
|
2006 10,18 20:39 |
|
この前、ビデオデッキが壊れた。
いくら配線を見ても全然分からない。 で、忙しかったのもあって、ほったらかしてあった。 そうしたら、すぐるが「オレが見てやる」と言い、ちょこちょこと配線をいじっていたら、何事もなく直ってしまった。 「おお!!すごいじゃん!すぐる天才かも!」 と私から絶賛の嵐だ。 いよいよデッキも買い替えなのかなあ・・・と思っていたけど、余計な出費をせずに済んだ。ラッキー! そういえば先日、掃除機も調子が悪く、どうやらコンセントの接触が悪かったみたい。 私はもともとこの掃除機の機能が気に入らなくて、思い切って買い換えてしまったのだが、 すぐるが「勿体無い。直せば使えるよ」と言うので、直させてみたのだ。 そうしたら、細かい所まで分解していたので大丈夫かなあ、と思っていたがこれまた一時間ほどで直してしまった。 と言う訳で、うちには掃除機が二台あるのだ。 まあ、これはあやかが一人暮らしした時にでも持たせれば良いか。 しかし。すぐるがここまで器用だとは思わなかった。 今まですぐるにいくつ「直してやる」と言われ、壊された事か。 今までの苦労がやっと実ったのだ。 時計も覚えているだけでも10個近くは分解されたな。 それからビデオカメラ2台、扇風機、ラジカセ、CDプレイヤーなどなど・・・。 これだけ犠牲を払えば、器用にもなるか。 しかし、めでたくビデオは復帰し、一週間ぶりくらいにスカパーを見る事も出来た。 うちのスカパーはビデオに繋がっていたのだ。 よかった、よかった! このビデオデッキも思い出があるというか何と言うか。 今から8年前の12月、ちょうど離婚してから一年経とうとしていた頃。 突然前夫から電話があり、 「なんか欲しい物あるか?ボーナスが出たから何でも買ってやるぞ」 と言うのだ。何かあるのかなあ・・・再婚でもするのかなあと思っていた。 でも買ってくれるんなら何でもいいや、と思い「じゃあ、ビデオデッキ買って」とねだったのだ。 それが今使っているデッキなのである。 買って貰ってしばらく経つと、また前夫から電話が掛かってきて 「再婚するから」 と言うのだ。やっぱり!・・・と私は納得した。 前夫は不倫していた事を内緒にして離婚したのだから、その後ろめたさから、こういう行為に出たんだろうね。 でも当時の私は愛が冷めていたとはいえ、やっぱりショックだったのだ。 「お前なんか・・・」と女の価値なんてないんだ、と自分を否定されたかのように感じたからだ。 でも今思うと、あの女が出現してくれたお陰で私も別れる事が出来たのだろう。 でなければ、きっと今でも私は無駄に頑張っていただろうから。 「折角、縁があったのだから・・・」 「私さえ我慢すれば・・・」 「子供の為に・・・」 などと言って、様々な不毛な我慢を自分に強いただろう。 そして私の母のように、自分の勇気の無さを何かの所為にしていたかもしれない。 「子供がいるから」「お金が無い」「自信が無い」「だって旦那が・・・」 よく私の母は言ってたっけ。絶対私はあんな台詞を言うものか、と決意したものだ。 やはり、あの母の子でよかった。気づく事が出来たもの。 そして、前夫と出会い、様々な事を経験出来てよかった。 運命の流れに身を任せると言う事がよく分かった。 そして何より、「勿体無い」という言葉が自然に出てくる子供になってよかった!と思うのだ。 あれから数々の苦労を子供と共にしてきたが、それが子供達を感謝出来るよう育ててくれたのではないか。 そう思うと自然に感謝が沸いて来る。 あの時は分からなかったけれど、今なら分かる・・・そんな事が山ほどあるのだ。 何でも経験する事をお勧めします。 きっとそこから得るものがありますよ。 世の中、必要な事しか来ないもの。 自分を信じていきましょう~!! |
|
2006 10,07 00:09 |
|
とうとう長年愛用していた財布が壊れてしまった。
ちょうど離婚して半年経った頃、その財布を買ったのだ。 確か私の29歳の誕生日に、あやかが少ない小遣いの中から貯めた3000円を、私に誕生日プレゼントの変わりにお金をくれたのだ。 「お母さん、これで財布を買ってね」 と言ってくれた。幼いあやかを連れて一緒に財布を買いに行ったものだ。 当時、実家で両親と同居していたが上手く行かず、追い出されるようにして私達はアパートに住んだ。 勿論、私に貯金などあるはずもなく、借金を重ねての引越しだった。 それほど私も子供達も精神的に追い詰められていた。 今住んでいるテラスハウスの斜め向かいに住んでいたのである。 振り返る度、当時の生活は悲惨そのものだった。 七月下旬に引越しを終えて、生活用品や当分の食料を買い込むと、私の所持金はわずか2000円になった。 その2000円で次の給料日である2週間後まで、生活せねばならなかったのだ。 覚悟をして出たとは言え、とても苦しかった。 ちょうど子供達の夏休みと言う事もあって、毎日の食事は頭を悩ませたものである。 この頃、我が家の食卓によく上ったのは「もやし」だった。 それでも子供達は文句一つ言わなかった。 私の両親の八つ当たりや愚痴、イヤミを聞きながらの食事を思えば、もやしだけしかおかずが無いご飯でも、美味しいと思えたからだろう。 だから子供達はよく 「ゆっくり味わえて美味しいね」 と言ってくれた。それが何よりの救いだったのだ。 引越しも子供達からのお願いだった。 「お母さん、じいじのうちを出たいよ。でないとばあばに殺されちゃうよ! どんな貧乏でも寂しくても我慢するから。だからお願い!!」 「でも本当にご飯が食べられないかもしれないよ? きっとお母さんは朝から晩まで働いているから、寂しくてもいてあげられないよ。それでもいいの?」 そう聞くと「いいよ。何でもするから!お願い!」 そう言ったのだった。 私はセールスを辞めた時に、お付き合いで買った物、付き合いで入った保険、車、買取り商品の化粧品・・・などのローンが300万ほどあったのだ。 それに加え、引越しのために金融機関でさらに借金をしたのだから、その返済をする為に、私は4つの仕事を掛け持ちしていた。 だからほとんど家に居らず、子供達だけで過ごしていたのだ。 まだ子供達は小さく、かずまは小4、あやかは小3、すぐるは保育園児だったのに寂しさをぐっと我慢してくれていた。 それどころか「お母さん疲れた?」と気遣ってくれた。 そんな中で、引越しして数日経って私の誕生日を迎えたのだ。 あやかがくれた現金をよっぽど生活費に当てようかと思ったが、あやかは財布を買ってくれ、と言ったのだから、その思いを尊重する事にした。 だからこの財布は私にとって特別に思い入れのある物なのだ。 人様から見たらたかだか3000円の財布だが、私にとっては何よりも重い3000円なのだ。 それから半月して義母が亡くなり、私は本当に「泣きっ面に蜂」状態で、 「どうして私はこんなに苦しくて追い詰められるような事ばかり起こるのだろう・・・」 と悲嘆に暮れていた。でもゆっくり泣いている暇は無い。 私が働かねば子供達が飢えるからだ。 そうして夏休みが終わった頃には、私も子供達も2キロずつ、体重が落ちていた。 私の2キロはともかく、たった十数キロしかないすぐるにとって、2キロの減量は悲惨だ。 すぐるはすっかりガリガリにやせ細っていた。 私はそれが可哀相で、自分が情けなくて悔し泣きをした。 「将来絶対お金持ちになろう。美味しいものを食べようね」 子供達とそう、決意したのだ。 そうして私は働きに働き、2年ほどで借金のほとんどを返したのだ。 その2年間は一日も休みを取った事はなかった。 でもいつも心の中で「早く子供達とゆっくり団欒出来る日が来るといいな」と思っていた。 私の夢だったのだ。 その時が来た時は、私も子供達もどんなに喜んだ事かしれない。 本当に嬉しかったのだから。 あの頃の苦しさは、決して忘れられない。 でも確かな自信と自負が身に付いた。 働いてきた自信、借金を返済した自信、自分達だけで乗り越えた自信、 何でも感謝出来る子供達にしたという自信・・・。 挙げたらキリがないが、私達が強く逞しくなったという事は確かだ。 そしてあの頃の私達が想像もしていなかったような生活を、今させていただいている。 今も決してお金持ちではないし、精神的にも経済的にも苦しい時があるが、好きな事を自分の娘と共に「仕事」をしているのだ! こんな幸せがあろうか! そしてどの子供達も私の良き理解者であり、支えになってくれている。 私は地球で一番幸せな母親だと思っている。 当たり前の暮らしを当たり前に暮らせるって、素晴らしい・・・。 本当の幸せとは、案外そんなモノなのである。 さて、今日は財布を買ってきましたよ。 きっとあの財布の役目は終わったのだろう。 「ご苦労様でした」と声を掛けて、処分する。 これからは新しい財布とお付き合いするのだ。 お財布ちゃん!これからもよろしくね~! |
|
2006 10,01 21:53 |
|
夕方、あやかと買い物をした。
スーパーや薬局、電気屋など入っている複合ショッピングセンターにいた。 二人でスカートを見ていたら、何だか見た事ある人が・・・。 それは同級生の女性だった。 「おーい、誰かと思った~!」 彼女は気さくに声を掛けてきた。 彼女、M子は中学2年生の時よく隣になり、仲良くしてくれた子だ。 当時から変わらず明るく気さくな感じだ。 M子はどこにでもいるような、トイレへみんなで行きたがり、勉強が嫌いでオシャレとアイドルが大好きな子だった。 もちろん当時流行った「聖子ちゃんカット」をしており、いつもドライヤーでブローをしてきた。 制服は、上の丈を詰め、スカートはこれも勿論引きずるような長いものだった。 一方、私はめがねを掛けており、いつもブスッとしたような表情をしていた。 制服は買った時のそのままで着ていた。 髪はいつもショートカットで、剛毛の私はよく寝癖をつけて学校に行っていた。 はっきり言って「地味」な子である。 休み時間の度に本を読んでいて、たまにこのM子に 「ねえ、トイレ行こう」 と誘われると「私はいい」と言って断っていた。 何故みんな自分一人でオシッコが出来ないんだ?そんな感じである。 まあ、しかしそういう所は今でも変わらないかな。 いまだに私は団体行動が嫌いだ。 当時、私は変わらず嫌われ者で、特に男子は私をからかった。 外見が地味で不細工だと言うことが非常にからかい易かったのだろう。 女子の中にはそれに便乗してる子もいたが、M子はそんな私でも気にせず 話しかけてきた。 M子は可愛い顔をしていたが、勉強が出来ず、ちょっとトロイ所があって、そんな所が馬鹿にされていた。 しかし私にはない素直さや正直な所、優しい所があった。 ただ深く考えるタイプではないので、M子の浅はかな提案に乗るたび、私は大恥を何度か掻かされた。 人柄が非常にいい子だったが、いつしか私が避けるようになった。 私は一緒に人生や文学について語る相手が欲しかったのだ。 M子はいい子だが、好きな男の子の事やアイドルの話ばかりで退屈だったのである。 とにかく話題が合わない。 私は心から分かり合える友達が欲しいといつも思っていた。 そんなM子も今では2児の母である。 すっかりと落ち着いている。 小学生の息子を連れていた。 スカートを手にしたあやかを見て 「娘さん?大きくなったんだね」 と驚いていた。 私が同級生のなかで一番か二番目に早く結婚しただろう。 このM子とは一年に一回の割合で偶然会っていた。 その度お互いの近況報告をする。 最近旦那さんを亡くした同級生もいた。とりあえずそんな話題。 「お互い何があるか分からないから、気を付けないとね」 そんな世間話をする。しかし、5分も持たない。 私は噂話や世間話という類は好きじゃないからだ。 「それじゃあ・・・」 という感じで別れた。 あやかが「あのおばさん、誰?」と言うので「同級生だよ」と答える。 「ええ~?老けてるね」 その言葉に私の方がビックリする。 私には昔と変わらない可愛い顔をしたM子にしか見えなかったからだ。 私にはスタイルの良い小奇麗にしているように見えたM子でも、あやかから見れば垢抜けない人に見えるんだなあ。 同級生の人生も様々だ。 彼女のように結婚して穏やかで幸せな家庭を築いている人、旦那さんと死別した人、私のように離婚した人、親の家業を継いだ人、すでに亡くなっている人、独身の人・・・・。 本当に色々な人生があり、人の数だけ人生があるんだな、と思う。 彼女は昔と変わらず素直で明るく気さくだ。 そして良いお母さんだと言うのも子供を見れば分かる。 彼女同様、素直で明るくのびのびしているからだ。 こういうおっとりとしたタイプは、非常に良い母親になるのだ。 それにしても昔の私って人付き合いが下手だったなあ・・・と思う。 彼女のように手を差し伸べてくれてた人もいたのだ。 しかし妥協が出来ず、友達にかなりレベルの高いものを求めすぎていた。 今なら分かるけどね。 中学生に人生を考える奴なんてそうそういない。 かといって後悔もしてないが。 あの時、「分かり合える人が欲しい!」と心から欲したからこそ、今お客様との出会いを喜べるからだ。 そしてかつての私と同じ悩みや心配事を抱える方の気持ちが良く分かるのだ。 やはり、どれもこれも素晴らしい経験だったと思う。 そう思える人生で良かった!・・・そう思うのだ。 |
|
2006 09,07 20:49 |
|
最近、メッチャ食欲が出て困る。
何だか胃袋が広がって、大きくなってるような。 ご飯を食べだすと止まらないし。 間食も増えたなあ。 それでもご飯はお茶碗一杯までと決めてるけど、他のものをバクバク食べたらおんなじだよね。 育ち盛りのうちの子達より、私の方が食べてる量は絶対多いな! それでも、昔より食べなくなったんだよ! 私は小学校の高学年から猛烈に食べ始め、どんぶりで3,4杯はご飯を食べていたな。 終いにはどんぶりだとおかわりが面倒で、ラーメン丼で2杯飯を食べた。 でも、今より遥かに痩せていた! 18で結婚して家を出たら、実家の米の消費量が半分になって「助かった!」なんて、親に言われちゃったし。 勿論、結婚した時も食べていましたとも! 新婚当時2人きりにもかかわらず、15~20キロは米を喰っていた。 妊娠中は太りすぎないように気を付けていたが、出産して授乳となると腹が減るものだ。 当然、私は食べた。一日2時間置きに6回の丼飯を食べていた。 それでも一週間に2キロのペースで体重が落ち続け、最終的にはわずか2,3ヶ月で元の体重に戻った。 三人目を妊娠した時も20キロ太ったが、半年で戻ったっけ。 今思うと新陳代謝がよかったのか、それとも違う所で神経を使ってエネルギーを消費していたのか。 一説には、親の愛情不足だとそれを補うように食べる子がいるとか。 大抵そういう子は気の栓が抜けてて、だから食べても食べても太れないのだそうだ。 或いは、筋肉組織のエネルギー消費量は体全体の約18%に対し、脳は19%だそうだ。 だから神経質な人は太れないのだ。 前もここに書いたと思うが、子供の頃私は一日二冊の本を読んでいた。 これも相当脳のエネルギー消費に貢献したのではないか。 高校になると本は一冊に減ったが、マンガ本の読書量は増え、将来の進路に対しても真剣に悩むようになって来たのだ。 やはり、脳はフル活動だったに違いない。 結婚したら読書は一切しなくなったが、慢性の寝不足と、前夫に対しての悩みは尽きず、これもまた脳のエネルギーは消費しまくりだった事だろう。 今までで一番痩せていたのは、すぐるを産んだ後、別居する、しないで揉めてた時だ。 今より15キロは痩せてたなあ。 顔は疲れきっており、まだ23歳だというのに今より老けてるよ! それが今ではすっかり太ってしまった。 また最近ますます太ってきたような気がするし。 でも「今の顔の方が好きだ」と子供達に言われる。 私も、そう思う。絶対、今の方が幸せだからだ。それが顔に表れていると思う。 それにしても、食べても太らない方法ってないかなあ? 食べる事だけが楽しみなんだから、体重の事など気にせず食べたいよお。 あんまり過去に戻りたいと思う事がない私でも、これに関しては戻りたいと思う。 食費は物凄く掛かりそう・・・だけど、今より楽しく食べられるかな。 さて、今日は催眠で胃袋の収縮のイメージをしよう。 これをやると少しは食欲が抑えられるからね。 食欲の秋に負けるもんかあ~! |
|
忍者ブログ [PR] |