こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
55
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2009
04,19
21:35
マザコン
CATEGORY[過去]
先日の続きを書きます。
高校時代の親友、kちゃんの離婚に至る 経緯を書きますね。
まあ、人の事なんて どうでもいいじゃん・・・と、お思いでしょうが。
面白い人だったんで、お暇な方はお付き合いくださいねえ。
私は もちろん彼女の結婚式にも呼ばれ、出席した。
それはそれは素敵なお式で、「kちゃん、よかった~・・・。」と、思っていたが。
後で聞いたら、その式の舞台裏では、壮絶な嫁姑バトルが 早速繰り広げられていたらしい!
「うるさい!くそババア!!!」
「なによ!馬鹿嫁!!!」 って言う感じの 罵り合いだったらしいよ。
kちゃんの旦那様は お母さんに溺愛され、結婚しても母子密着は変わらず、物凄いマザコンだったのだ!
結婚式とは・・・母にとって 「息子を取られた!」屈辱の日だったのである。
だから お式では上品そうな笑顔で来賓を迎えていた姑が 舞台裏に回った途端、花嫁をいびるいびる・・・。
こうして、同居ではないものの、彼女の嫁姑バトルは 幕を開けたのだ。
しかし。彼女も気が強い。ひるむような性格ではない。
やったらやり返す! 受けて立ったのだ!!! さすが。kちゃん。私の親友・・・。笑
そして。前述にあったように、旦那様は結婚した途端、態度を変え、セックスレスに・・・。
当然 彼女は不満がたまる。話し合っても、前述のおかしな理論で セックスは無し。
そこで。彼女は旦那様へ復讐に走る。
まず、家事を放棄した。 それも徹底的に・・・。
だから片付けない。掃除しない。物は溢れる。遂には 玄関まで物が溢れていた。
私は 彼女の家に行くと 物を踏みつけて お邪魔する事になる。
グニャ という柔らかい感触の物を踏みつけた時、「何だろう?」と思って、手に取ったら。
それは、ピザ○ラのレトルトパウチになったポテトサラダだった・・・。
勿論、中身が飛び出るものではないが、「何故ここにあるの?」という場所だったので、非常に驚いた記憶がある。
kちゃんは本来 料理好きなので、料理はするんだけど。
勿論、片付けない・・・。
彼女の家には、親子三人には大きすぎる 素敵なダイニングテーブルがあったが。
勿論、いつもテーブルの上は食べっ放しの食器で 埋め尽くされていた。
でも。それは彼女なりの区分があったみたいで。
「これは いつの食器?」と聞くと。
「一番端から、3日前の朝食。その横は3日前の昼食。その横は晩御飯。その向かい側は2日前の朝食。で、その横は同じ日の昼食で・・・。」と、一応順番に並べてあるのだ。
夏など、3日前のなんて 臭いし カビてるし、凄いのなんの・・・。
テーブルが皿でいっぱいになり、旦那様がそれに耐えきれなくなると、旦那様が片付けるのだ。
勿論、文句を言い、時には喧嘩し・・・と、いう具合。
それから。もう一つの彼女の復讐・・・と、いうか ストレス発散は。
クレジットを組んでの買い物だ。
だから 勿論 当時化粧品のセールスをしていた私にも 貢献してくれた訳だ。
「ひでみちゃん。化粧品売ってたよね?いいよ~。買うよ。今月 クレジットのワクが十万円分空くの。十万円分買うわよ~。適当に持って来て~。」
って、感じ。 お得意様でした。笑
そして、それは離婚の裁判の争点にもなりましたけどね。まあ、彼女が勝ちましたけど。わはは。
さて、そんな彼女がいよいよ離婚を 考えはじめたんです。
それは準備万端、虎視眈眈と言う感じで。
明日、続きを書きます。 またね~。
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2009
04,17
20:41
アルバム
CATEGORY[過去]
今日は あやかと一緒に 私の実家で晩御飯を食べました。
うなぎ うなぎ うなぎ~・・・浜名湖名産うなぎですよぉ~。
美味しかった!
で、あやかが「お母さんのアルバム見たい!」と言うので、一緒に見ました。
もう古いアルバムだからね。ボロい・・・。 写真なんて みんなセピア色だし。
そして。高校時代のアルバムを見て 懐かしい気持ちに浸っていました。
中学時代に比べれば、穏やかで良い時代だったからねえ。
その時の仲良しの 同級生のkちゃんは、卒業後も仲良くて・・・。
なんと!偶然にもkちゃんとは、買ったマンションが一緒で、ご近所さんだったのだ。
私が24の時、前夫と購入したマンションで、うちは一階、彼女は9階に住んでいた!
うちの次男と同い年の女の子が一人いて・・・その子も今頃 高校二年生かあ・・・。
どうしてるんだろうなあ~・・・。
kちゃんは本当に面白い子だった。
高校を卒業して、私は結婚 彼女は専門学校へと進学した。
その後、彼女は就職し 営業を始めたのだ。
それから20歳で 10歳年上の旦那様と結婚したのである。
kちゃんと 偶然マンション購入説明会の会場で再会を果たし、私達はまた仲良くなった。
高校時代とは違う 仲の良さだ。
お互い 早くに結婚し、旦那に不満を持ち、子供がいて・・・共通点がいくつもあったからだ。
それに。私はその頃セールスをしており、彼女も営業経験者だから 考え方も行動力も よく似ていた。
学生時代より 深い話が出来、共感し合え、本当に楽しかったなあ。
ちなみに。kちゃんも私より半年前に 離婚した♪ あはは~。
私達は 夫婦の在り方とか 夫婦生活の事とか、悩みを打ち明け合い、聞いてもらって 当時の私の心の支えだったな。
こういう友達がいると 本当に心強いのだ。
私は仕事が終わると、三人の子供を連れて すぐに彼女の部屋に向かった。
どうせ私の旦那は パチンコで夜中まで帰って来ない。
彼女の旦那も 大抵 午前様・・・。付き合いとか何とか言って、本当は出会い系にハマって遊んでたらしい。
彼女の悩みは 私以上に深刻だった。
彼女は 結婚当初から セックスレスだったのだ。
「なんで私とは してくれないの?」と聞く彼女に 旦那さんは答える。
「結婚したら、『奥さん』は『家族』だから『お母さん』と同じなんだ。お母さんとセックスしたら おかしいだろう?」
「・・・???」
「うちの旦那って おかしいよねえ?」
「・・・その理屈は おかしい・・・かも。」
その時 4歳だった彼女の娘は 旦那さんが酔っぱらったはずみで エッチした たった一回のチャンスで出来た子だったのだ! ある意味 すげえ~!
「私は 一体なんなの? 結婚した途端 これかよ?」
彼女の怒りは ごもっともだ。
結婚した途端、態度も変わり 気持ちも変わる男って いるよね。
自分の奥さんを 手中に収めたと思ったら コロリと態度を変える。
それにしても。 「女」として扱わないのは、とても失礼だよね。
この旦那様の根底にあるのは・・・「マザコン」だった。
彼女の 離婚への経緯がとても面白かったんです!
続きを書きたいので、また明日。
お暇な方、お付き合いして下さいねえ。
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2009
03,24
18:37
笑顔
CATEGORY[過去]
昨日の続きです。 笑顔についてです。
高校生の時、通信の心理学のようなものを学び、外見が与える印象が大きな影響を与える事も分かりました。
特に 笑顔は大事だと 私なりに感じたのです。
そこで。 私は学校で 実験してみました。
休み時間に 私は無表情で座っている事にしました。
すると 誰一人 私の席に来たり 話し掛けて来る人はいませんでした。
次の休み時間には、私は口角を上げていました。
口角を上げているだけです。 すると!
次々と 私の席に来るのです。
みんな 私の名前を呼び、笑顔で私の席に遊びに来てくれたのです!
正直、こんなに違うんだ!と、思い 驚きましたね。
で、一人の子に
「ねえ。なんで今 来たのに、さっきは来なかったの?私、暇だったのに。」
と、言ってみました。 そうしたら
「ああ・・・うん。さっきは ひでみちゃん 恐い顔してたから、機嫌悪いのかと思って、やめたんだ。悪いと思ってさ・・・。」
と、言うのです。それで「実はね、ちょっと実験してて・・・」と、打ち明けたのです。
「なあんだ。そうだったの!」
と、笑って聞いててくれたんですけどね。
私は 本当に口角を 上げていただけなんです。
なのに。 笑顔に見えるんですよ。不思議な事に。
私の顔は、目がつり上がっている方ですから、無表情にしていると きっと怒っているような 恐い顔に見えると思うんです。でも ほんの少し 口元を上げているだけなのに、ソフトに見えるんですから!
それから努めて 口角を上げるようにしました。
仕事上、工場や事務、或いはパソコンの画面ばかり見ている・・・等になると、どうしても表情が固まってしまい、意識的に笑顔を作らないと 無表情になりがちです。
無表情にしていると、無愛想に見え、取っつきにくくなります。
人から避けられる。話し掛けてもらえない。人との接点を持つきっかけが作れない・・・
こういう方は、とりあえず「笑顔」を作りましょう。
そうすれば、相手は話し掛けやすくなります。
ニヤニヤ ニタニタ 気持ち悪くならない程度にするといいでねえ。
私も、「どうしたら人に好かれるんだろう?」と、悩んだ時期がありました。
でも。自分は変えられます。
人を変えるのは大変だけど、自分は「気づいた」時に すぐに変えられるのですから。
笑顔は お金が掛かりません。 タダですよ。 笑
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TB[]
2009
03,23
20:00
17歳続き
CATEGORY[過去]
すいません。今日も17歳の続きを書きます。
今日は、この頃毎日やっていた 通信の心理学のようなものについて書きます。
私はもともと 自分を客観視をする事が出来た方だと思います。
本を読んでいたり、14の時に 擬似的に目覚めたりして・・・
だからすべて起こる事は自分の為だと言う事も 知っていました。
自分が嫌われていた事も 人の所為にしなくてすみましたね。
ただ、それを自分が悪いから引き寄せたと言う風に 「罰的要素」で物事を捉えていたので、とても苦しかったんです。
それに 本を読んで「知識」はあったけど、親の「躾」が足らなかったので、自分の何が悪くて このような事になっているのかが 分かりませんでした。
それが通信で勉強するようになって、少しずつ自分が分かって来たのです。
これは私にとって、本当に素晴らしい教材でした。
これは毎日一枚ずつ「3つの選択肢の中で 正しい態度を選びなさい」というやり方をするのです。
そして「人間」としての正しい態度と知識を教えてもらいました。
例えば・・・「道端で嫌いな人と出会いました。あなたはどのような態度を取りますか?」
「A・・・きちんと挨拶をする」
「B・・・無視をする」
「C・・・気分によって やったりやらなかったり」
答えは もちろんAです。 でも当時の私はCだったんです。
それで「これか!この気分屋のような態度で 相手は気分を悪くするんだ!」と分かったのです。
今なら「当然でしょ」と思いますよね。
でも 親からきちんと躾されないと 分からないものです。
当時、親はよく「近所の人にも挨拶しなさい」と言ってましたが、当の母親が家庭事情の悪さから、本人が ちょっと鬱っぽくなっていて、それこそ母親が取っていた近所の人への態度は、目も合わさず、頭を下げるだけで コソコソと隠れるように行動していましたっけ。
私はそれをそのまま学習する形で、まるで気分屋のような行動を取っていました。
そして本当に気分屋でした。
自分の機嫌が悪いと態度が悪くなってしまい、自分でも「ヤバいな~」と思うのですが、うまく制御が出来ません。
でもこの勉強を始めたら 感情のコントロールがうまくなり、一年もすると自分の気分に振り回される事はなくなり、随分楽になりましたね。
でも 今の私が親なら、昔の私に
「自分に忠実に動くのと、気分で動くのは違うのよ。」
「日や人によって 態度を変えるのは失礼よ!」
と、躾してあげたいくらいですよ。
これを知ってたら、もう少し少女時代の対人が楽だったかも~と、思います。
まあ、悩んでいたからこそ、今の私にもなったんですけどね。
それから。
勉強していて 気が付いた事は 「笑顔」が足らなかった と言う事が 分かったのです。
「笑顔」
とても大事です。
今思えば、子供の時から 私には笑顔はなく、いつも「仏頂面」でしたねえ。
まあ、楽しくなかったから 仏頂面にもなるんですけど。
でも これがきっと 多分・・・いじめられ 人に誤解され・・・自分を追い込む原因だった事でしょう。
明日は「笑顔」について 書きたいです。
もうしばらく お付き合いして下さいねえ。
コメント[0]
TB[]
2009
03,21
22:12
17歳
CATEGORY[過去]
さて。すいません。昨日の続きなんですけど。
当時、対人恐怖症で赤面症、しかも性格が悪くて中学時代に嫌われ者だった私でしたが、高校に入りそれを克服しようと 結構努力し・・・そして、今思うと よく行動力があったな と、自分でも思う。
例えば・・・。
私は漫画が好きだったので、漫画家の真似ごとをしたくて・・・。
でも、そういう同好会もなかったので 私は仲間を募り、「漫研」を作った。
当時のクラス担任に掛けあい「顧問になって!名前だけで良いから!」と、頼みこみ、同好会を作った。
それで仲間と一緒に 漫画らしきものを作り、一応 某出版社に作品を送り 応募した事もあったのだ。
勿論 下手くそすぎて 落選。
でも いいのだ。 仲間と一緒に作り上げる・・・とうのが 楽しいのだから。
それから 別の人とも 同人誌なんかも作ったりしてね。
なんか 楽しかったなあ~・・・。
二年の時に 私は「理系」に進んだが、社会は日本史しか選択肢がなくて。
でも 私は どうしても世界史を学びたかった。
「じゃあ、作らせよう」と思い、早速教科の先生の直談判!
「先生!理系にも 世界史を作ってください。どうしても勉強したいんです。授業料を払っているので、学ぶ権利があると思います!!!」
とか、何とか言って 先生に掛けあったのだ。
勿論 先生からは却下。
しかし次の日もしつこく言い、結果先生が折れ
「分かった。会議で提案するよ。」
と言ってくれ、次の日には皆にアンケートが配られた。
「世界史と日本史 どちらを勉強したいか?」という内容だと思う。
それである程度の人数が集まれば、世界史を勉強出来る訳だ。
で、次の日には「世界史」が科目に加わったのである。
私が無理やり押し掛けて、学校に教科を増やさせたのだから、これで世界史の成績が悪かったら、格好悪いよねえ。
それもあって 世界史だけは ちゃんと勉強したかな。笑
今思うと あんな無茶 よく先生が聞いてくれたと思うよ。
今思い出すだけで、昔の自分の行動にヒヤヒヤするね。笑
ちなみに。 すでに私は「捨てた」教科もあったのだ。
物理は好きなのに、「化学」は嫌いで、全然勉強しなかった。
物理は二番だが、化学は下から五番くらいだったし。
英語も捨ててしまった。これもいつも下から十番以内。
古文も!大嫌い! なんで千年前の日本語ならって どうすんの?! って、いつも思ってたし。
現国は上位なのに 古文はいつも最下位に近かった。
私には「中道」とか「まん中」はないのだよ!
好きな教科は 黒板を見ているだけで勝手に記憶されるが。
嫌いな教科になると 途端にダメ!!!
勝手に 脳みそがシャットダウンを始める。
何も覚えられない。聞こえない。何言ってるか わかんな~~~い!!!
それ日本語ですか? 私 最近 日本に来たばかり。よく わっからないですねえ~~~。
でも、私の親は 私の成績に無関心で 本当に助かった。
もし、「何で出来ないの?」と責められ、「もっと頑張れ!」なんて励まされても 迷惑だよ。
だってやる気ないも~ん。
その時ばかりは 「うちの両親が大らかで よかった~。」と、感謝したよ。
だから私も 自分の子供には 勉強や宿題の事は「やれ」と、あんまり「言わないようにしていた」って感じ。
それでうちの子達は 宿題をしていった事はありません! 笑
みなさん 真似しないようにねえ!
コメント[4]
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