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2007 03,13 19:12 |
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今日は母を眼科に連れて行く。
白内障と緑内障の検査をする為である。 最近見難くなったようで、老眼鏡を作り直しに行ったら 「あんた、メガネじゃなくて、一回検査してもらったら?」 と眼鏡屋さんに言われたらしいのだ。 と言うことで、私が付き添いも兼ねて連れて行ったのである。 一時間ちょっと掛かっただろうか。 私は「らんま1/2」を読んで時間を潰していた。 3冊目を読んでいたら私も呼ばれた。 先生から 「お母さんは白内障の気がありますけど、大したことはありませんよ。緑内障も大丈夫です。」 と言われ、ホッとした。母もホッとしたようだ。 しかしなんだな。私も母の保護者として呼ばれる立場になったんだな。 時の流れって、はや~い! それにしても母はこういう検査が好きだ。 「怖い」だの「どうしよう」だの言うくせに、定期的に行く。 勿論健康に気を配ってくれる事は有り難いし、年齢的に見ても絶対必要な年だと思う。 しかし、母の検査に行く動機は、間違いなく「気を引きたい」「心配して欲しい」「注目を集めたい」という事だろう。 まあ、それだけ気を付けていてくれるから、すっごい健康なんだけどね。 今日の母の話題には、飛び出したきり帰って来ない「クロ」の事は余り触れていなかった。 寂しいんだろうね。相変わらず父は憎まれ口を叩いているようだが。 昨夜、両親の所に居候しているかずまに電話した。 「甘やかされているからって調子にのんなよ!」って釘を刺したかったからだ。 かずまからは笑い声で「大丈夫だよ」と言っていたけど。 それより、かずまは私の父と母の会話がどうにも嫌でたまらないようだ。 「だってさ、クロの悪口ばっかり言っててさ。じいじが『もう帰って来なくていい』とか『どうでもいい』とか言っててさ、それをばあばが機嫌取ろうとして『そうだよねえ』とか言ってるしさ。何なのあの人達?」 私は笑って 「真に受けたらいかんよ。だって猫用トイレ、まだ片付けてないでしょ?」 それが父の本心である。 クロが出て行って、一番傷ついているのは父である。 父はクロに「裏切られた」と感じているのだ。 でも決して本音を言わず、強がっている。 ただ、かずまも私も嫌なのは、そういう父に対して風見鶏のようになびき、父に媚を売る母なのだ。 「そうだよねえ」「お金掛かるもんねえ」 とか何とか言って、その場しのぎの事を言うのが「卑怯」と感じるのだ。 もっと自分の言いたい事を言えばいいのに。だからかずまは 「クロを飼ってたのだって、ネコが好きだというのもあるけど、ホントはお母さんの機嫌を取りたくて飼ったんだよ」 と言う。私もそう思う。でも私に恩を売りたい、という母を利用しているのも私だけどね。 でも母だって寂しいのだ。先日すぐるに本音をポロリと言った。 「煩くてもいい、オシッコをそこら中にしてもいいから、帰って来て欲しい・・・」 母もやっと「無条件の愛」を学んだのだろう。 だから、帰って来てもいいよ、クロベエ。 帰って来るといいな。 しかし憎まれ口を叩く父と、媚を売る母。 これがネコの話題だからいいけれど、私が子供の頃は決まって私の悪口が話題に上っていた。 まあ、影では今でも言われているけどね。 妹の機嫌を取ろうと、私の悪口を言い気を引こうとするのである。 いつでも私はこうして「当て馬」にされてきたのである。 或いは孫達が揃うと、決まって待遇に差を付ける。 こうして「お前を一番可愛がっている」というアピールをするのだ。 そしてその栄光の一番は、決まって「すぐる」だ。 それまで栄光の一番の座に座っていた一番下の妹は、明らかにすぐるに嫉妬してる。 でもこんな事されて、すぐるだって居心地が良い訳ない。 しかしうちの両親は、こうする事で恩を着せ、あやかろうとするのである。 私達は「無償の愛」をも学びに来てる。 しかしこれでは「取引」になる。 こうして両親は「愛」とは無縁の所に居た人達なのだ。 しかしクロが逃げた事で「ああ・・・居てくれさえすればよかったんだ」と無償の愛を学ばされたのである。 そして「何色でもいい。うるさくても良い・・・」と無条件の愛も学んだのだ。 うまく出来てるね。 でも・・・何でもいいからクロベエ!帰って来て! PR |
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2007 02,26 22:15 |
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今日は母を買い物に連れて行く。
母はまだ足が痛むらしく、今年は毎年行ってるはずのパート勤めにも行ってないので、「ボケられたら大変!」。 だから、たまには外に連れ出さないとね。 と言う訳で近くのジャスコにでも行こう。 しかし、なんだな・・・。 この人はいつも、入れ替わり立ち代り悪霊を憑けている。 なのでこの人の横にいると、肩は凝るし、頭は痛くなるし・・・。 しかもうちの両親が憑けているのは、いつでも強烈なのだ。 これは両親の性格に比例していると言うか、ナンと言うか。 勿論、家の中でも悪霊の数は凄い! 普通あれだけいたら、死んでもおかしくないのに。 しかし!何故か!両親は元気だ。 いや、むしろ悪霊のパワーを吸っているのか、ますます血色が良く、元気一杯なのだ。 何故だ???私達にも不思議だ。 きっと性格悪すぎて、悪霊と同調してるんだな。 これだけいつも悪霊がいると、私達も除霊するのをあきらめてしまった。 だって、やってもやってもキリがないんだもん。 その一つの理由は、根本が何一つ変わってないからだろう。 お客様みたいに、きちんと説明して、催眠で癒せば違ったかもしれない。 しかし、父や母に説明しても信じないし、きっと理解もしないだろう。 何せうちの両親は、私の為に、今世「分からんチン」をしに来ているからだ。 私達のセッションに来てくださるお客様は、本当に限られていると思う。 本当に「気付きたい」「幸せになりたい」「成功したい」「全てを手に入れたい」人しか来ないからだ。 そういう人しか、聞く耳を持たないし、理解もしない。 そして「来る」というチャンスすら作らない。 「縁」というのは、そういうものである。 逆にうちの両親のように、平凡に生き、「そういうもんだよね」「だって、みんなそうじゃん」と、ぼんやり生きている人は、私達の提案や考え、降ろした情報を「怖い」「面倒臭い」と捉える。 面白いほど、反応がはっきりと別れるのだ。 本当に、人間て面白いな、と思う。 ただ、誤解のないように申し上げておくが、私は平凡な人生を馬鹿にしたり、否定している訳ではない。 平凡でも小さくても、幸せだと実感し、楽しんでいればいいのだ。 しかし、うちの親も大抵の人も、ぞんざいで幸せを感じていない人が多い。 それが問題なのだ。 私の両親のように狭い世界に生き、まして母は行きたい所にも娘任せで、ジャスコに行く事が人生の中の「一大イベント」だったりする。 見ていて全然夢が湧かない。こんな老後は絶対!イヤだ! やっぱ、生涯現役でいたいなあ。 死んだ時、惜しまれる人になりたいと思う。 「いかに生きるか」は、「いかに死ぬか」だな・・・と、くだらない事を喋っている母のお喋りを聞きながら、思ったのだった。 |
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2007 02,25 19:09 |
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用事を済ませた後、すぐるを伴って、夕方実家へ顔を出す。
まだ帰って来ないクロの事が心配だったからだ。 母は大分寂しいのか、しきりにクロの話をしている。 私も気になるので、ちょっくらクロを探しに行こう。 「クロ~」「クロ~」 と呼ぶが、さっぱり返事はない。 今朝も昨日も、クロらしきネコが玄関で鳴いており、母が飛び出して見に行くと、黒猫はすっ飛んで逃げていったと言うのだ。 しかも、首輪もなく遠目だった為、クロかどうか判別出来なかったようだが。 それでもあきらめずに探そう。 ここで母に変化が。 実家の裏に住んでる近所の女性を目聡く見つけた母が、急いでその女性に近づき 「あんた、具合はよくなった?」 と、声を掛け、尚且つ 「あのさあ、うちで黒猫を飼ってたんだけど・・・」 と説明をし始め、さらに 「こういう訳だから、見掛けたら教えてよ。悪いわねえ」 と、協力を求めているではないか! あの内向的で、近所づきあいも消極的な母が、可愛い黒猫の為にはこうして頭まで下げれるんだ? 「へええ~・・・」 とすぐると顔を見合わせ、笑っていたのである。 母は本当に気が小さく卑怯なので、私が小さな子供の頃だって、孫が小さくたって、決して自分は矢面に立たなかったのだ。 先日も図書館(実家の向かいにある)のカードを失くしたので 「あやか、ついてって」 と言い、頼んでいた。 あやかは図書館のカウンターに行き、カードの再発行をお願いすると、受付のおばさんは横柄な態度(ホントにここのおばさんの態度はデカイ!何様なんだ!って言いたいくらい)で 「困りますね!」 と言い、あやかに向かってグチグチネチネチ言い始めたらしいのだ。 あやかは困ってしまって、母に助けを求めようと「ばあば・・・」と振り返ったら・・・ 「あたしゃ知らん・・・知らんでね・・・あたしゃ、関係ないよ」 と言って、遥か彼方まで後ずさりしているではないか! まあ、母らしいので私は笑って聞いてたが。憤慨するあやかに 「あれじゃあ、お母さんが小さい頃からしっかりするのも分かるけどね」 と納得された。私の母とはそういう人だ。 しかし、どうだ!孫の為に自分で対応出来なくても、ネコの為ならやれちゃうんだ! ふう~ん・・・そりゃあ私らもビックリしちゃうよ。 もしかして、クロが母を成長させてくれたのか。 或いは、成長させる為に起こした事なのか。 でも、何でもいい。クロが無事に戻ってきてくれれば。 早く帰って来てくれる事を願うのだった。 |
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2007 02,10 21:53 |
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今日の夕方、あやかと一緒に実家に寄った。
用事は大したことではないのだが、顔を見るなり母が 「ミシンの使い方がどうしても分からんから教えて」 と言うではないか。「はあ?」って言う感じ。 一昨日、あやかが教えたばかりじゃないか!?声に出して言わないけど。 あやかを見ると「もう、うんざり!」という顔をしている。 私の見ている前で、母はミシンを出してきた。 「だから!そうじゃないってば!」 「そこじゃなくて、こっちから糸を出すの!」 あやかはイライラしながら言っている。 「ばあば、ここに『上糸の掛け方が間違っています』って表示されてるでしょ」 あやかはかなりイライラしているようだ。 まあ、半年間こんな事を繰返していれば、イライラもするか。 私が「ばあばにまずやらせて、どこが悪いか言ってあげて」と提案。 まあ、それも何回もやってるんだけどね。 しかもミシンにも直接、説明が書いてあるのに、それをロクに見もせず「分からん」と言ってるのだ。 「もう、やんなっちゃうよ~」 あやかが小声でこぼす。 わたしは面白いのでずーっとニヤニヤしている。 ミシンの糸の掛け方なんて、足踏みミシンの頃からそんなに変わりはないと思うのに、何が分からんのだろう? しかも!この人、まだ64歳だ!そんなにヨボヨボのお婆ちゃんじゃないと思うのに。 こんなんで70超えたら、この先どうなっちゃうんだ? 「あやかが愛知県に行っちゃったらどうしよう」 とか言って、年端の行かない孫にまで頼り切ってるし。しかも! 「ねえ、あやか。あんた向こうに行ったら何の仕事をするか知らんけど、儲けたらばあばに何か買ってよ」 と、ねだりまくってるし。何だかやだなあ~。自分の母親ながら、聞いてて情けなるのだ。 まだ私達がこの仕事をする前。私達親子はこの実家で両親と同居していたのだ。 あやかは小6。たまには婆さんと一緒に風呂でも入ってやるか、と思い、二人で入った時の事。 どうやら将来の話になったらしい。で、あやかが 「頑張って高校に行かないとね」 と話していたら。(当時は行かないといけないと思い込んでいたからね) 「ええ~?困るやあ。(方言)あんたは高校なんか行かなくてもいいから、私の面倒をみてやあ。あんたは私の面倒だけみてればいいよ」 と言い放ったのだ。まあ、この人の言いそうな事だけど。 しかも冗談ではなく、至って真面目に。 だから風呂を出たあやかは、血相を変えて私の所に飛んで来ると 「お母さん!あやかは高校行っちゃダメなの?高校行かんくても仕事あるの?」 と半泣きで聞いてきたのだ。 私は内心「またあのババアに何か余計な事を言われたな」と思ったので 「大丈夫だよ。高校へ行けばいいし、高校だっていろいろあるんだから」 と言って安心させたのだ。 「よかったあ~」と、あやかはホッとしたようだ。 一人の老人の為に、人一人の人生を犠牲にするなんて、有り得ない! 依存の塊の母は、そんな酷い事でも平気で言う。 確かに高校なんて行かなくてもいいと思うし、実際あやかは中学もほとんど行かなかった。 でも本人が「行かない」と決めたのと、「行かせない」のは訳が違う。 ましてそれが本人の為ではなく、大人の都合の為だけだったら、そんな酷い話はないのである。 私の母は、昔からこうだ。 それ故、私も随分深く傷ついてきた。 考えが浅く、風見鶏で、自分が傷つきたくない一心で子供や小さな孫でさえ、突き出すような卑怯者だ。 この阿呆な母親に育てられたからこそ、世の中の事や人生について、愛について、さまざまな事を深く考えるようになったのだと思う。 そして母のようになりたくないと反面教師に出来たのだ。 この歪んだ人にもっと可愛がられていたら、逆に私も母のようになっていただろう。 だから可愛がられなくてよかったのだ。 手も繋いでもらった事はないが、それが返ってよかった、と思う。 だからまた、冷静に母という人を眺めていられたのだろうね。 母は私達に優しくされて喜んでいるが、でも誰も母の事を心から愛していない。 人に与えた分だけ、本人に返って来るのである。 これを「因果応報」と言うのだね。 私はこんな風に生きるのはイヤだなあ~。 やっぱり自分の責任で、自分らしく生きて行きたいね! |
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2007 02,08 21:59 |
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昼に起きて、あやかは私の実家に行った。
ばあさんのお守りをする為だ。 昨年の夏に買ったミシンの使い方が、未だに覚えないからだ。 それで「あやか~教えて~」と、頼まれていたのだ。 だが、こうしてあやかは今までも、何度も教えていたはずだ。 なのに相変わらず覚えないのである。 帰ってきたあやかは、やっぱり不機嫌だった。 「ばあばってさあ・・・、何であんなに馬鹿なんだ?あやかも馬鹿だし、物覚え悪いから人の事、言えんけど。それにしてもさあ、限度があるよね。それにさ、いちいち『あたしゃあ、覚えれんだよ。馬鹿だもんで。』って言い訳するし、そのくせ聞いてないし、言った先から忘れるし。ホント、疲れるよね。」 確かにそうだろう。あの人は疲れる人だ。 自分に自信がない為、人から「そんな事ないよ」って言われたくて、その為自分を貶める言い方をするし、でも「ホント、そうだね」なんて言えば、またイジケまくり、黒い念を放出しまくるし、だから「そんな事ないよ」と言って持ち上げてやらないといけないし・・・。 ホント、疲れる! 母自身も「私は本当に物覚えが悪くて、自分でもイヤになるよ。泣けてきた・・・」と電話で言っていたが。 その気持ちは察するが、生憎母にはミシンなど必要なかったのだろう。 覚えられない、という事は、そういう意味だ。 あやかも母の愚痴をずっと聞き続け、イヤになっただろう。 「なんで、あたしはここに居るんだ?」 そう思ってたみたいだから。 しかし、愚痴って疲れるよね。 前を向く為に愚痴を言って吐き出すのは必要だと思うが、ただ取り止めもなくグチグチ言ってるのを聞いてるのは疲れるものだ。 そんな愚痴を言ってる人に限って、行動していなかったりするし。 行動しないから余計な不安を感じるのだろうね。 人を当てにせず、動いていれば、自ずと迷いも晴れるものだ。 母は今も今までも人を当てにし、依存しまくって生きてきた。 「ミシンの使い方くらい、覚えたいよ」と言いつつ、「でもまた教えてもらえばいいや」という甘えがあり、それが更に「覚えない」という事に繋がっている。 そんな母を見ていると、「こんなおばあさんにはなりたくない」と決意させてくれる。 そういう意味では、ありがたい事だ。 あやかももうすぐ一人暮らしが始まる。 あやかだって、あんなおばあさんになりたくないからだ。 せいぜい、お互い楽しい人生にしましょう! |
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