2024 09,21 04:16 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2007 12,22 22:29 |
|
朝8時、庭から「ニャーニャー」という声が聞こえる。
きっと、ライちゃんだ! 寝ていた私は飛び起きて、見に行く。やっぱりライちゃんだ! ライちゃんは、ご丁寧にリードをくっ付けたまま、帰宅した。 思わず、「よかった~!」という声が出てしまう。 実に、一日半ぶりの帰宅だったよ。 おかえり、ライちゃん。無事でよかった。 後は、しのちゃんだけだな。 こいつは本当に帰ってくるのかな。懐いてないから、捕まえるのは不可能だし。 自主的に帰ってくるのを待つしかないな。 さて、猫の話題はここまでにして・・・違う事を書きましょう。 今日は私の過去、9歳の事を書きます。 9歳とは、ある意味、わたしの節目の年だった。 以前も書いたが、「転生輪廻」という本に出会ったからだ。 この事が書きたくて、過去の事を書いていた、と言っても過言ではない。 そして、この年を境に、父親との確執が決定的になったのだ。 この頃になると、本も読んでいた事だし、いろいろと自分なりに知恵をつけていた頃である。 だから自分の両親の事も、かなり冷めた目で見ていたのは、間違いない。 しかも母親は事ある毎に、私に父親の悪口や愚痴を吹き込んでいた。 例えば「あの人、馬鹿だから、漢字も読めん。」(本人も大した差はないが・・・)とかね。 それをまともに聞いていた私は、自分の父親をかなり馬鹿にしていた。 実際、父親は小さい頃からマージャンばかりしていたから、小3程度の「昼食」という漢字も「ひるしょく」と読むくらい、無知だったのだ。だからそれを聞いた私は、思いっきり馬鹿にしたし、勿論本人のプライドが思いっきり傷つくくらい、大笑いもしたのだ。 当然、父親は面白くない。 でも私は母親の肩を持ったつもりでいたのだ。当然母も笑ってくれると思ってた。 ところが、私は母に思いっきり叱られたのだ。 「お父さんに、そんな事言うんじゃない。私が怒られる!」 ってね。自分が私に吹き込んだ事は、棚に上げて。 今の私なら、勿論同じ事を言って、子供をたしなめただろう。 しかし、その元凶が本人だっていう自覚がないから困る!しかも自分の都合でね。 しかも母の汚いのは、父の面前ではそうやって怒るくせに、父がいなくなると、途端に態度が変わり 「ねえ、ひるしょくだって!(笑)馬鹿じゃん!」 と言って笑い、父が帰ってくるとまた態度を変え 「ねえ、ひでみは本当に口が悪い。」 と言って、告げ口を言う。私を人身御供に差し出すのだ。 私が母を「風見鶏」と呼ぶのも、こうした癖からだ。 これは今も健在の癖だ! それで私も気を付ければいいのに、そこはまだ9歳の子供。「黙っている」、とか「腹に収めておく」、ということは出来なかったのだ。それが出来るようになったのは、営業をするようになってからかな。 それまではいつも真っ向勝負を挑み、両親相手にボロボロになっていたものだ。 これもまた「適当」とか、「聞き流す」とか、言う訓練をさせられていたのだ。 そして母がまいた種であっても、庇ってもらった覚えなど、一度もないのだ。 ある日、一番下の妹が(当時4歳)、これまた意地悪だったが、近所の嫌いな子(この子も意地悪!)が通ると、通れないように通せんぼをして邪魔をしていたようだ。 それを食卓で、母親に自分の武勇伝を語っていた。 「今日ねえ、**ちゃんを通せんぼして、意地悪してやった~!」 それを母親はニヤニヤしながら、例の魔女笑い発動。 「ヒッヒッヒ~。もっとやってやんな!」 だってさ。そこは、怒る所だろう!馬鹿な母親。 勿論、現在の妹は良い大人で、そんな事はしない。妹の名誉の為に言うが。 しかし、このような母親の態度は、明らかに私をガッカリさせたのだ。 今までの一連の行動にも憮然とした不満があったが、この時にはっきりと 「ああ・・・この人はダメな人なんだ・・・」 と思ったのを覚えている。 自分が親を抜いた、と自覚した瞬間だったからだ。 それはとても寂しい事だ。 でもそれは遅かれ早かれ、やって来るのだ。 私はたまたま、人より20年くらい早かっただけの事なのである。 勿論、私は知っていた。 私はまだ子供で、無力で、一人では生きていけない、だからこの人達に頼らざるを得ないのだ、と言う事を。 でも「大人」というのは、そういう事ではない、という事も知ってしまったのだ。 その後・・・である。「転生輪廻」に出会ったのは。 だから「自分で全て選んで来る」と知ってしまった時、どれだけ絶望したか、お分かりだろうか? ホント・・・余程、前世で悪い事をしてたんだな・・・と思ったのだ。 しかし、周りの大人が取る矛盾の行動に、私は答えを求めるように、ますます読書にのめり込んでいったのだ。 しかし、このような母親の馬鹿な行動は、山のようにある。 というか、行動の全てがアホらしい!といっても過言ではないが。 今は、すこ~しまともになった・・・ような気がするけどね。 私は母から殴られた訳でもないし、蹴られた覚えもない。虐待された訳ではないが、しかし・・・。 きっと私は母に、本当の意味で「愛されたかった」のだと、思う。 公平に、冷静に、理知的になって欲しかったのだ。 でも私は、あの人を母に選んだ。それは「反面教師」という形で。 そして私は、「あんな人みたいになりたくない」という一心で、ここまで来た。 そうして母は私の為に、立派に「分からんチン」の役を、全うしているのだ。 全ては上手く回っている! 万歳!私の人生! PR |
|
2007 12,13 23:05 |
|
今日も久しぶりに、昔の事を書きましょう。
今日は前回の続き、8歳です。 この頃の私は小学2年生。 私と年子の妹も、一年生になったのである。 そんな訳で私は妹を連れて、登校する事になる。 妹は私以上に、酒乱のおじいさんが暴れている所を目撃し、恐怖にさらされていた子である。 当時私は幼稚園に避難できたが、3歳の妹はモロに見ていたからね。 そんな事情から、妹は私以上にかなり気が小さく、特に「男の子が怖い」と言って泣いていた。 クラスでは、隣の席が男子だからね。 そして仲良くなった女の子がキツイ子で、妹はその子に良くつねられ、あざを作って帰って来た。 そのうち、妹が「学校に行きたくない」と駄々をこね、大泣きし、とにかく私を手こずらせるのだ。 もう、これには困った! 妹は毎朝近所の路上でバタバタを繰り返し 「い~や~だ~!行きたくな~い~!」 と大声で叫ぶ。 私は嫌がる妹を無理矢理引きずり、毎朝連れて行く。 一度、参った私は家に引き返し、母に「無理だ」と言うと、私が酷く叱られたのだ。 だから叱られたくない一心で引きずっていった。一度など、私がキレて 「じゃあ、もう休みな!私も行かない!」 と言うと、それはそれで妹はワアワア泣き 「ダメ~!それもやだ~!」 と言って泣く。一体、私はどうしたらいいのか・・・。もう、ホトホト参ってしまったのだ。 結局、妹はいじめが嫌で、行きたくなかったのだ。 ようやっと、行きたくない原因が分かると、今度は 「帰りも迎えに行って来な。」 と母から言われる。私は渋々、妹をクラスまで迎えに行く。 そうすると、妹は「Eちゃんと帰る。」と言うではないか! そのEちゃんがいじめてる張本人なのに!馬鹿か!こいつは! でもそれを真に受けてそのまま帰ったら、また私がこっ酷く叱られるだろう。 だから私は強引に妹を連れ帰ったのである。そうしたらまた妹は泣く。 「Eちゃんと帰りたかったのに!」とほざいているよ!むかつく! 結局、妹はいじめられていても、仲間外れにされたくなくて、一緒にくっついていたかったのだ。 それを相手に見透かされているから、またつねったり、叩いたり、調子に乗るのである。 こうして妹は、「自分」という物を持たない子だったのである。 私はとうとう怒りが爆発した。母に 「もういい加減にしてよ!私だってもう嫌だ!あんな子を押し付けないでよ!」 と、猛抗議したのである。 それで母は、ひるんだ。私はそれを見逃さなかった。 「なんだ、この人。ちょっと言ったらもう引くじゃん。」 だから私はそれ以来、母に反発したし、埋め合わせをするように媚びてきた母を、馬鹿にするようになったのだ。 母は家庭訪問や面談の度に、担任の先生に相談をし、問題のEちゃんから席を遠ざけてくれたり、目を配ってくれたようで、それから妹もやっと素直に喜んで学校に行くようになった。 実に一学期間、私は妹相手に格闘し続けたのである!よく頑張ったよ、自分・・・。 それにしても、さあ・・・。たった一年しか違わないのに、私は「お姉さんだから」と姉の立場を押し付けられ、妹は「妹だから」と、甘やかされる。 面倒を見てもらって、当然の立場なのだ。 私は幼いながらも漠然と「不公平だ!」と思ったものだ。 勿論私は母に不満があろうと、一度決めた事は守ろうと、お手伝いはやり続けた。 だって自分の為だものね。母がどうであろうと関係ないのだ。 そしてその妹は「自分」を持たないまま、高校生になり、流されるまま遊び・・・ やがて結婚した私を羨ましがり、真似て結婚するようになる。 そしてその後、15年に渡る「嫁姑戦争」に突入し、嫌でも「自我」を目覚めさせるべく、己を確立せざるを得ない事を起こしてきたのだ。 妹をいじめたEちゃんも結婚し、子供を生み、歯科助手として近所で働いている。 時々、母がそこへ診察に行くが、過去の罪悪感だろうか、Eちゃんは俯き、母と目を合わせられないでいるようだ。この子は小さい時、本当に根性が汚く、意地が悪い子だった。 でも、今は違う。さすがに大人になったもの。だからこそ、罪悪感があるんだろうね。 そしてEちゃんが意地悪だったのも、この子の母親もまた、意地が悪かったからだ。 妹と見張り役の為、私もついて行ってEちゃんちに行くと、このおばさんは自分の子だけにお菓子を渡し、私たちには一切くれなかった。それどころか、 「見せびらかしてやんな!」 と、言って、笑ってるような人だったのだ。だから子供が意地が悪い訳だ! しかし、年月がこのおばさんも変えたのだ! あれから頑固な姑さんが倒れ、この10年というもの、看護をしている。 それは未だに続けられ、それ故、苦労がそうさせてくれたのか「人のありがたさ」が分かるようになり、今じゃ人が変わったように、愛想が良い。 以前はうちの母の事を馬鹿にし、鼻で笑っていたのに、今では母とすれ違うと愚痴をこぼし 「聞いてくれて、ありがとうねえ。あんたも体に気を付けなよ。」 「あんたもねえ。無理をしないようにねえ。」 「うんうん。ありがとう。」 なんて、会話を交わしているらしい。凄いなあ~。時の流れって・・・。 だから「苦労」を呼んじゃう・・・というか。させてもらえた・・・というか。 やはり、この世には「必要」な事しかやって来ないのである。 でも私は、余分な苦労はしたくないね。 だから謙虚に自分を振り返り、感謝を忘れず生きていこう!と思ったよ。 |
|
2007 11,29 22:15 |
|
さてと~。今日は久しぶりに私の8歳の頃の事を書きましょう。
前回7歳の続きです~。 まあ、人の過去なんかに興味ないよ・・・という方、飛ばしてください~(笑) この頃になると、本を毎日、没頭するように読んでいた。 先日のブログ(8/4)でも書いたが、「湖上の城」という本に会ったのもこの頃だ。 それで静かに自分の中で、いろいろな決意をしたが、しかし具体的に何をしようか、と思った。 私は日頃から寂しい思いをしていたが、それと同時に「いつ親に捨てられるか」とか「いつまで置いてもらえるんだろう」という、漠然とした不安も抱えていたのである。 だから「役に立たなければ」という気持ちと、「いつでも困らないようにしておかないと」という気持ちが交錯していた。それほどまでに当時の私の家での居場所はなかったのだ。 とりあえず「料理が出来るようにならないとマズイのではないか」と思い、台所でちょろちょろするようになった。 母はそんな私をうるさがり、終いにはイライラすると八つ当たりをする。 でも、これはいつもの事だ。 しかし、私の目の前で母が「決定的」な事をやらかしてくれた。 母は鍋に水を入れ、切った野菜を放り込んでいる。味噌汁でも作るのだろう。 ところが、放り損なって落ちた野菜を拾ってつまむと、洗わずにそのまま鍋に放り込んだ!!! 私は内心 「えええ~!!!マジかよ~!!!勘弁してくれええ~!!!あんな得体の知れない物を、食べさせられていたのか!?じゃあ・・・じゃあ、今までの料理って一体・・・。」 と、か~な~り絶叫していた。しかし、口には出すまい。絶対。 何故なら、そんな事言おうものなら、八つ当たりは激しくなり、きっと怒りに任せて鍋をぶちまけ、もしかしたら私は家を追い出されるかもしれない。 あんな頼りにならない母でも、当時の私にとっては唯一の保護者だったのだから。 でもあんな料理を出されたら堪らない。何より、信用ならない。 ならば私が「見張ってなければ!」と思ったのだ。 そして「あの母親に料理をさせてはいけない。」と誓ったのだ。 それから毎日!私は台所に立った。母に疎まれても、なじられても。 埃まみれの料理を食べされられるより、マシだからね。 それで包丁を持たせてもらい、少しずつ教えてもらい、お陰様で小4にもなると、りんごやジャガイモの皮むきが上手くなった。毎日の訓練の賜物である。 ちなみに私の父は、退職してからほぼ毎日、台所に立つ。 好き、というのもあるが、しかし動機は私と一緒。 「あいつの料理は信用できん!」 ある意味、母は人を動かす天才かも! 母は今でも不精で、手もろくに洗わず、野菜など材料の洗い方も適当で、食器を洗うのも、もんのすごく雑! だから私は自分の実家に行っても、自分で支度をし、片づけするのも「礼儀」ではなく「信用できない」からだ。 よく実家に居て、何の疑問も無く「甘えている」人を羨ましく思った事もある。 でも甘えていたら、今の私にならなかっただろう。 きっと自立もしなかっただろうし。 あの母親の不精さが、私の焦燥感が、いち早い自立を促してくれた。 だから突然の結婚にも困らなかった。 仕事と子育ての両立をこなせた。 あれから時々サボった時期はあったが、結局18で結婚して家を出るまで、自分の為に続けたのだ。 今の私は当たり前のように料理をするが、しかし未だに包丁を握る事は好きじゃない。 それは生きる手段であり、生活の術なのだ。出来て当たり前の事なのだ。 でも「毎日の習慣」というのは凄いと思うが、そんなに好きではない事でさえ、すでに自分の一部になっている、という事なのだ。 あやかも疲れていても、自分で料理をする。 安上がりだし、将来役に立つからね。 今日はあやか手作りのシチューをご馳走になってきた。 今は何でもコンビニで売ってるし、惣菜もあちこちで売っている。 でもそれを食べ続ける習慣は、肉体が下り坂を過ぎた頃に結果がやって来る。 私は一生現役を目指しているし、食事制限なんてされたくないから、最低限健康に気を使いたい。 一生涯、食べたい物を食べたいもの。 でも外食ばかりでは、やがて老いた時にツケが来る。 私はそうなりたくないから、家に居る時はなるべく手料理を作り続ける。 結局は自分の為だよね。だから好きじゃないが、料理が出来る自分でよかったと思うのだ。 そんな自分にしてくれたのも、やはりあの母のお陰なのである。 |
|
2007 11,20 20:33 |
|
すっかり寒くなりましたね。
こたつを出して「よかった」と、つくづく思う今日この頃。 何の脈絡もないですが、「カラオケ行きたくなっちゃった~!」と思いました。 しかし、行く相手が息子しかいないなんて・・・。 寂しすぎるぞ!私。かわいそうだ!・・・が、息子がいるだけでも、「良し」とするか。 さてと~。今日は何を書こうかな。 先日のコメントの中に「橋村さんが母親になると自覚した時の事を知りたい」というのがあったので、その事について書きましょうか。 しかし、妊娠した時よりさかのぼる事、一年前。 私は一冊の本に出会ったのだ。 ヘルマン・ヘッセの「夢の家」という本だ。 「車輪の下」で有名なヘッセの短編集である。 この本により、「自覚」というか「啓示」のようなものを与えられたように思う。 読んだのは、高校3年生の一学期だったと思う。 内容は・・・ 若い女が魔法使いのおじいさんの所に行き、願い事をする所から始まる。 「私の子供が、皆から『愛される』ように」 やがて、美しい男の子が生まれ、家族は喜んで迎え入れる。 母親が願ったように、皆から愛され慈しまれて、男の子はすくすくと育つ。 男の子は美しく成長し、道行く人は振り返り、賛辞の声を投げ掛けられ、町中の評判となり、彼が目を合わせるだけで卒倒する女まで現れる始末。 学校を卒業し、彼を「支援したい」と続々と寄せられ、いつしか起業する事になる。 しかし、人々から賛辞ばかり浴びてきた彼の性格は、大きく捻じ曲がっていた。 何でも自分の思うとおりになると思い、それが当たり前になり、感謝どころか、人を、例え年長のものであってもアゴでこき使い、いつも命令口調でその癖、人を見下していた。 相手も、最初は美しい彼の容姿に惹かれ、恋人になりたい、広告塔として利用したい、自分に何らかの利益を生みたい・・・男も女も自分の欲で群がってきたが、いつしか彼の傲慢で利己的で横柄な態度に嫌気が差し、少しずつ人々が離れていくのだ。 やがて、彼にも老いが来た。 彼の我儘勝手から、会社は潰れ、彼に金を貸す者もいなくなり、借金に負われ・・・。 その苦労からか、彼はあっという間に老け込んでしまった。 髪は白髪、長く放浪した所為か、服もボロボロ、歯も抜け落ち、垢にまみれ・・・。 彼は何処から見ても「乞食」だった。 それまで羨望の眼差しを向けられていたのが一変してしまった。 「汚い」「臭い」「あっち行け」「お前には何もやらないぞ」と言われる毎日。 そんな中で時折触れる人間の温かさ。 ボロボロの彼を見て「かわいそうに」と言ってパンを与えてくれるもの。水をくれるもの。 そうしてようやっと、彼にも初めて「感謝」が沸いてきたのだ。 何て、素晴らしい感情! そしてかれは気付いたのだ。 大切なのは「愛される事」ではない。「愛する事」なのだと! 悟った彼が辿りついたのは、あの魔法使いのおじいさんの家だった。 魔法使いに迎え入れられ、彼は暖かな暖炉の前でおじいさんに見守られ、息を引き取るのだった。 その顔は安らかで満足そうだった・・・という話。 何せ、20年も前に読んだ本なので、こんな内容だったと思うが。 しかしこの本が与えてくれた感動は凄くて、何度も何度も読んだ覚えがある。 これを読んだ半年後に妊娠し、一年後にかずまを産んだ訳だが、やはりこの時も 「人を愛せる子にしよう」 と、静かに決心した覚えがある。 かずまを産んだ時 「ああ、こうして産み落とした瞬間から、この子には私とは別の人生が始まるんだ!」 と思い、「一人の人間を育て上げる」という責任感とプレッシャーを感じたのを覚えている。 「この子の人生のヘリを私が握っている・・・。」 そう思うと、身が引き締まるのを感じたのである。 そして我が子に「~なって欲しい」とやたら願うような、愚かな母親にはなるまい、と思ったのだ。 全てはあの一冊のヘッセの本からだ。 あの本が私に重大なヒントを与えてくれた。 それと共に、人生とは何か、を教えてくれたのではないか。 やはり、私はいつも必要な物を引き寄せている、と思うのだ。 私の人生、上手く行っている! という訳で、誰かカラオケに一緒に行こうよ~♪ |
|
2007 11,05 23:31 |
|
今日も特に書くの事がないので、昨日の続き、ファミレスの思い出話でも書きましょう!
いやあ~、面白いから書いてくれ、書いてくれ、って言われたからさあ・・・。 え?誰も言ってないですか? 内容が犯罪スレスレだったら、目を瞑っててくださいませ! 私は以前4年間、深夜~朝のファミレスでバイトをしていた。 その時、私より丁度10歳若いAちゃんと意気投合し、非常に仲が良かったのだ。 当時私は30歳、彼女は20歳。 彼女は小柄で華奢な体系をしており、目の大きな美人だ。 ちょっと前までクラブに勤めていたので、メークもどこか水っぽい。 深夜でのフロアで二人きりで仕事をする事が多く、帰りは私の車でAちゃんを自宅まで送ったりしていた。 私がAちゃんを可愛がっている事に、彼女自身も恩に感じていてくれたのだろう。 今時の子、という「軽さ」もある反面、ちゃんと「感謝」をしてくれる子だったから。 Aちゃんは暗い過去など物ともせず、非常に快活で面白い子だった。 私は彼女の逞しさと個性的な所が大好きだったのだ。 私はAちゃんを「Aちん」、彼女は私を「ハッシー」と呼んでいた。 私達はそれぞれの家庭の事情を抱え、それでも前向きに楽しくやっていた。 ある日、酔っ払いの客が数人の部下らしき若い男女を連れて、大意張りでやってきた。 「また面倒臭い客だあ~。」と内心思っていた。 しかし仕事だから仕方ない。涼しい顔をしてオーダーを取りにいく。 酔っ払いの中年男は偉そうに 「おい、おまえら、好きなもん頼め。おい!姉ちゃん!ビールだ!ビール!ビール持って来い!」 と言っていた。部下らしき女性は目で「すいません・・・」と言っているようだった。 内心「気持ち分かるよ!あんたらもお守りが大変だねえ。」と思いつつ、過去に前夫の為の尻拭いで、さんざん謝っていた自分の姿と重なるのだ。 しかし!気分が悪い!たまらず傍にいたAちゃんに 「聞いてよ。Aちん!あのジジイさあ、ムカつく~!」 と話すと、Aちゃんは 「なにい~?それは許せん!あたしのハッシーに!ちょっと待ってな。あたしが敵を討って来てやる!!!」 と意気込んでいる。私はニヤニヤしながら 「何すんの?」 と聞いたら。 「料理を運んだ時、ここぞとばかりにクッサイ屁をコイて来てやるよ!」 私は腹を抱えて大爆笑していた。えぐえぐ涙を流しながら、 「頼むよお!」 とエールを送っていた。 ホント言うと、彼女にこういう事を言ったら、何か「やってくれるな!」と淡い期待をしていたのだ。 そして、いつもこういう奇想天外な方法で、何かやってくれるのだ。 私はAちゃんの度胸の良さと、男っぷりが大好きだった。 料理を提供して、戻ってきた彼女に 「どうだった?」 と、守備を聞くと・・・。 「いつもの実力の半分も出んかった!」 と言って「ちっきしょう!」と、毒づいていた。 私はまた笑って聞いていたが、Aちゃんが 「今度は皿を下げに行くフリをしながら、残りのヤツを出してきてやる!スカ~ッとさ。スカシッ屁の方が絶対臭いよなあ?」 と真顔で相談しに来るのだ。 ホント、黙ってれば色っぽい美人なのに、気取らず毒づいている彼女のギャップがたまらなく可笑しくて、結局私はゲラゲラ笑っちゃうのだ。 結局その酔っ払いのオヤジ、最後の締めに 「コーヒー持って来い!」 と言いやがった!こいつ、ウェートレスを女中と間違えてるんじゃないか? で、言われたとおりコーヒーを3つ持っていったら 「あ?何でコーヒーなんだ?!オレは紅茶が飲みたいって言ったんだ!」 と、ぬかす。この酔っ払いめ! 「あ、大丈夫です。私はコーヒーをいただきますから・・・。すいません。」 と部下の方達は、すまなさそうに私に会釈をする。 「では、一つは紅茶と交換して、お持ちいたしますね。申し訳ありませんでした。」 と、にこやかに言って、去る私。クッソー!!! 実はこのコーヒーは「ドリンク付き」というセット価格で打たなければいけないのだが、頭に来ていた私は「単品」価格で打っていたのだ。勿論「単品」の方が高いんだけど。 そこに更に「単品」の紅茶を追加して、コーヒーの訂正はしなかった。 私達はあの酔っ払いが「全額払うだろう」と読んでいたからね。 あれだけ威張っていて「割り勘」だったら、心底笑っちゃうけどね。 ま、これも「慰謝料」さあ~・・・。 いざ、お会計。 「うん?こんなに高かったかあ?」 間抜けな声で酔っ払いが言う。どうせ見栄を張って伝票の中身なんか、見てないくせに。 「申し訳ありません。この時間帯は深夜料金が発生しますので、25%の料金割り増しになります。」 私は澄まして、シレッと答える。内心舌を出して。ベェー! 結局あのオヤジは割高の料金で、飲んでもいないコーヒー代まで払わされたのである。 ウェイトレスを舐めんなよ!!!こっちは女中じゃねえんだよ! 客なら何してもいいって訳じゃ、ねえだろう?ああん? おまえら、客なら客のマナーがあるだろうがあああー! そう、内心叫んでいたのである。 しかし高いコーヒー代に、スカシッ屁・・・。 ついでにフライドポテトを出す時に、かなりつまみ食いをしてやった! 客だから・・・といい気になっていたら、仕返しをされているかもしれませんよ~?(笑) |
|
忍者ブログ [PR] |