こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
55
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2007
12,22
22:29
おかえり 9歳
CATEGORY[過去]
朝8時、庭から「ニャーニャー」という声が聞こえる。
きっと、ライちゃんだ!
寝ていた私は飛び起きて、見に行く。やっぱりライちゃんだ!
ライちゃんは、ご丁寧にリードをくっ付けたまま、帰宅した。
思わず、「よかった~!」という声が出てしまう。
実に、一日半ぶりの帰宅だったよ。
おかえり、ライちゃん。無事でよかった。
後は、しのちゃんだけだな。
こいつは本当に帰ってくるのかな。懐いてないから、捕まえるのは不可能だし。
自主的に帰ってくるのを待つしかないな。
さて、猫の話題はここまでにして・・・違う事を書きましょう。
今日は私の過去、9歳の事を書きます。
9歳とは、ある意味、わたしの節目の年だった。
以前も書いたが、「転生輪廻」という本に出会ったからだ。
この事が書きたくて、過去の事を書いていた、と言っても過言ではない。
そして、この年を境に、父親との確執が決定的になったのだ。
この頃になると、本も読んでいた事だし、いろいろと自分なりに知恵をつけていた頃である。
だから自分の両親の事も、かなり冷めた目で見ていたのは、間違いない。
しかも母親は事ある毎に、私に父親の悪口や愚痴を吹き込んでいた。
例えば「あの人、馬鹿だから、漢字も読めん。」(本人も大した差はないが・・・)とかね。
それをまともに聞いていた私は、自分の父親をかなり馬鹿にしていた。
実際、父親は小さい頃からマージャンばかりしていたから、小3程度の「昼食」という漢字も「ひるしょく」と読むくらい、無知だったのだ。だからそれを聞いた私は、思いっきり馬鹿にしたし、勿論本人のプライドが思いっきり傷つくくらい、大笑いもしたのだ。
当然、父親は面白くない。
でも私は母親の肩を持ったつもりでいたのだ。当然母も笑ってくれると思ってた。
ところが、私は母に思いっきり叱られたのだ。
「お父さんに、そんな事言うんじゃない。私が怒られる!」
ってね。自分が私に吹き込んだ事は、棚に上げて。
今の私なら、勿論同じ事を言って、子供をたしなめただろう。
しかし、その元凶が本人だっていう自覚がないから困る!しかも自分の都合でね。
しかも母の汚いのは、父の面前ではそうやって怒るくせに、父がいなくなると、途端に態度が変わり
「ねえ、ひるしょくだって!(笑)馬鹿じゃん!」
と言って笑い、父が帰ってくるとまた態度を変え
「ねえ、ひでみは本当に口が悪い。」
と言って、告げ口を言う。私を人身御供に差し出すのだ。
私が母を「風見鶏」と呼ぶのも、こうした癖からだ。
これは今も健在の癖だ!
それで私も気を付ければいいのに、そこはまだ9歳の子供。「黙っている」、とか「腹に収めておく」、ということは出来なかったのだ。それが出来るようになったのは、営業をするようになってからかな。
それまではいつも真っ向勝負を挑み、両親相手にボロボロになっていたものだ。
これもまた「適当」とか、「聞き流す」とか、言う訓練をさせられていたのだ。
そして母がまいた種であっても、庇ってもらった覚えなど、一度もないのだ。
ある日、一番下の妹が(当時4歳)、これまた意地悪だったが、近所の嫌いな子(この子も意地悪!)が通ると、通れないように通せんぼをして邪魔をしていたようだ。
それを食卓で、母親に自分の武勇伝を語っていた。
「今日ねえ、**ちゃんを通せんぼして、意地悪してやった~!」
それを母親はニヤニヤしながら、例の魔女笑い発動。
「ヒッヒッヒ~。もっとやってやんな!」
だってさ。そこは、怒る所だろう!馬鹿な母親。
勿論、現在の妹は良い大人で、そんな事はしない。妹の名誉の為に言うが。
しかし、このような母親の態度は、明らかに私をガッカリさせたのだ。
今までの一連の行動にも憮然とした不満があったが、この時にはっきりと
「ああ・・・この人はダメな人なんだ・・・」
と思ったのを覚えている。
自分が親を抜いた、と自覚した瞬間だったからだ。
それはとても寂しい事だ。
でもそれは遅かれ早かれ、やって来るのだ。
私はたまたま、人より20年くらい早かっただけの事なのである。
勿論、私は知っていた。
私はまだ子供で、無力で、一人では生きていけない、だからこの人達に頼らざるを得ないのだ、と言う事を。
でも「大人」というのは、そういう事ではない、という事も知ってしまったのだ。
その後・・・である。「転生輪廻」に出会ったのは。
だから「自分で全て選んで来る」と知ってしまった時、どれだけ絶望したか、お分かりだろうか?
ホント・・・余程、前世で悪い事をしてたんだな・・・と思ったのだ。
しかし、周りの大人が取る矛盾の行動に、私は答えを求めるように、ますます読書にのめり込んでいったのだ。
しかし、このような母親の馬鹿な行動は、山のようにある。
というか、行動の全てがアホらしい!といっても過言ではないが。
今は、すこ~しまともになった・・・ような気がするけどね。
私は母から殴られた訳でもないし、蹴られた覚えもない。虐待された訳ではないが、しかし・・・。
きっと私は母に、本当の意味で「愛されたかった」のだと、思う。
公平に、冷静に、理知的になって欲しかったのだ。
でも私は、あの人を母に選んだ。それは「反面教師」という形で。
そして私は、「あんな人みたいになりたくない」という一心で、ここまで来た。
そうして母は私の為に、立派に「分からんチン」の役を、全うしているのだ。
全ては上手く回っている!
万歳!私の人生!
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2007
12,13
23:05
8歳
CATEGORY[過去]
今日も久しぶりに、昔の事を書きましょう。
今日は前回の続き、8歳です。
この頃の私は小学2年生。
私と年子の妹も、一年生になったのである。
そんな訳で私は妹を連れて、登校する事になる。
妹は私以上に、酒乱のおじいさんが暴れている所を目撃し、恐怖にさらされていた子である。
当時私は幼稚園に避難できたが、3歳の妹はモロに見ていたからね。
そんな事情から、妹は私以上にかなり気が小さく、特に「男の子が怖い」と言って泣いていた。
クラスでは、隣の席が男子だからね。
そして仲良くなった女の子がキツイ子で、妹はその子に良くつねられ、あざを作って帰って来た。
そのうち、妹が「学校に行きたくない」と駄々をこね、大泣きし、とにかく私を手こずらせるのだ。
もう、これには困った!
妹は毎朝近所の路上でバタバタを繰り返し
「い~や~だ~!行きたくな~い~!」
と大声で叫ぶ。
私は嫌がる妹を無理矢理引きずり、毎朝連れて行く。
一度、参った私は家に引き返し、母に「無理だ」と言うと、私が酷く叱られたのだ。
だから叱られたくない一心で引きずっていった。一度など、私がキレて
「じゃあ、もう休みな!私も行かない!」
と言うと、それはそれで妹はワアワア泣き
「ダメ~!それもやだ~!」
と言って泣く。一体、私はどうしたらいいのか・・・。もう、ホトホト参ってしまったのだ。
結局、妹はいじめが嫌で、行きたくなかったのだ。
ようやっと、行きたくない原因が分かると、今度は
「帰りも迎えに行って来な。」
と母から言われる。私は渋々、妹をクラスまで迎えに行く。
そうすると、妹は「Eちゃんと帰る。」と言うではないか!
そのEちゃんがいじめてる張本人なのに!馬鹿か!こいつは!
でもそれを真に受けてそのまま帰ったら、また私がこっ酷く叱られるだろう。
だから私は強引に妹を連れ帰ったのである。そうしたらまた妹は泣く。
「Eちゃんと帰りたかったのに!」とほざいているよ!むかつく!
結局、妹はいじめられていても、仲間外れにされたくなくて、一緒にくっついていたかったのだ。
それを相手に見透かされているから、またつねったり、叩いたり、調子に乗るのである。
こうして妹は、「自分」という物を持たない子だったのである。
私はとうとう怒りが爆発した。母に
「もういい加減にしてよ!私だってもう嫌だ!あんな子を押し付けないでよ!」
と、猛抗議したのである。
それで母は、ひるんだ。私はそれを見逃さなかった。
「なんだ、この人。ちょっと言ったらもう引くじゃん。」
だから私はそれ以来、母に反発したし、埋め合わせをするように媚びてきた母を、馬鹿にするようになったのだ。
母は家庭訪問や面談の度に、担任の先生に相談をし、問題のEちゃんから席を遠ざけてくれたり、目を配ってくれたようで、それから妹もやっと素直に喜んで学校に行くようになった。
実に一学期間、私は妹相手に格闘し続けたのである!よく頑張ったよ、自分・・・。
それにしても、さあ・・・。たった一年しか違わないのに、私は「お姉さんだから」と姉の立場を押し付けられ、妹は「妹だから」と、甘やかされる。
面倒を見てもらって、当然の立場なのだ。
私は幼いながらも漠然と「不公平だ!」と思ったものだ。
勿論私は母に不満があろうと、一度決めた事は守ろうと、お手伝いはやり続けた。
だって自分の為だものね。母がどうであろうと関係ないのだ。
そしてその妹は「自分」を持たないまま、高校生になり、流されるまま遊び・・・
やがて結婚した私を羨ましがり、真似て結婚するようになる。
そしてその後、15年に渡る「嫁姑戦争」に突入し、嫌でも「自我」を目覚めさせるべく、己を確立せざるを得ない事を起こしてきたのだ。
妹をいじめたEちゃんも結婚し、子供を生み、歯科助手として近所で働いている。
時々、母がそこへ診察に行くが、過去の罪悪感だろうか、Eちゃんは俯き、母と目を合わせられないでいるようだ。この子は小さい時、本当に根性が汚く、意地が悪い子だった。
でも、今は違う。さすがに大人になったもの。だからこそ、罪悪感があるんだろうね。
そしてEちゃんが意地悪だったのも、この子の母親もまた、意地が悪かったからだ。
妹と見張り役の為、私もついて行ってEちゃんちに行くと、このおばさんは自分の子だけにお菓子を渡し、私たちには一切くれなかった。それどころか、
「見せびらかしてやんな!」
と、言って、笑ってるような人だったのだ。だから子供が意地が悪い訳だ!
しかし、年月がこのおばさんも変えたのだ!
あれから頑固な姑さんが倒れ、この10年というもの、看護をしている。
それは未だに続けられ、それ故、苦労がそうさせてくれたのか「人のありがたさ」が分かるようになり、今じゃ人が変わったように、愛想が良い。
以前はうちの母の事を馬鹿にし、鼻で笑っていたのに、今では母とすれ違うと愚痴をこぼし
「聞いてくれて、ありがとうねえ。あんたも体に気を付けなよ。」
「あんたもねえ。無理をしないようにねえ。」
「うんうん。ありがとう。」
なんて、会話を交わしているらしい。凄いなあ~。時の流れって・・・。
だから「苦労」を呼んじゃう・・・というか。させてもらえた・・・というか。
やはり、この世には「必要」な事しかやって来ないのである。
でも私は、余分な苦労はしたくないね。
だから謙虚に自分を振り返り、感謝を忘れず生きていこう!と思ったよ。
コメント[2]
TB[]
2007
11,29
22:15
8歳
CATEGORY[過去]
さてと~。今日は久しぶりに私の8歳の頃の事を書きましょう。
前回7歳の続きです~。
まあ、人の過去なんかに興味ないよ・・・という方、飛ばしてください~(笑)
この頃になると、本を毎日、没頭するように読んでいた。
先日のブログ(8/4)でも書いたが、「湖上の城」という本に会ったのもこの頃だ。
それで静かに自分の中で、いろいろな決意をしたが、しかし具体的に何をしようか、と思った。
私は日頃から寂しい思いをしていたが、それと同時に「いつ親に捨てられるか」とか「いつまで置いてもらえるんだろう」という、漠然とした不安も抱えていたのである。
だから「役に立たなければ」という気持ちと、「いつでも困らないようにしておかないと」という気持ちが交錯していた。それほどまでに当時の私の家での居場所はなかったのだ。
とりあえず「料理が出来るようにならないとマズイのではないか」と思い、台所でちょろちょろするようになった。
母はそんな私をうるさがり、終いにはイライラすると八つ当たりをする。
でも、これはいつもの事だ。
しかし、私の目の前で母が「決定的」な事をやらかしてくれた。
母は鍋に水を入れ、切った野菜を放り込んでいる。味噌汁でも作るのだろう。
ところが、放り損なって落ちた野菜を拾ってつまむと、洗わずにそのまま鍋に放り込んだ!!!
私は内心
「えええ~!!!マジかよ~!!!勘弁してくれええ~!!!あんな得体の知れない物を、食べさせられていたのか!?じゃあ・・・じゃあ、今までの料理って一体・・・。」
と、か~な~り絶叫していた。しかし、口には出すまい。絶対。
何故なら、そんな事言おうものなら、八つ当たりは激しくなり、きっと怒りに任せて鍋をぶちまけ、もしかしたら私は家を追い出されるかもしれない。
あんな頼りにならない母でも、当時の私にとっては唯一の保護者だったのだから。
でもあんな料理を出されたら堪らない。何より、信用ならない。
ならば私が「見張ってなければ!」と思ったのだ。
そして「あの母親に料理をさせてはいけない。」と誓ったのだ。
それから毎日!私は台所に立った。母に疎まれても、なじられても。
埃まみれの料理を食べされられるより、マシだからね。
それで包丁を持たせてもらい、少しずつ教えてもらい、お陰様で小4にもなると、りんごやジャガイモの皮むきが上手くなった。毎日の訓練の賜物である。
ちなみに私の父は、退職してからほぼ毎日、台所に立つ。
好き、というのもあるが、しかし動機は私と一緒。
「あいつの料理は信用できん!」
ある意味、母は人を動かす天才かも!
母は今でも不精で、手もろくに洗わず、野菜など材料の洗い方も適当で、食器を洗うのも、もんのすごく雑!
だから私は自分の実家に行っても、自分で支度をし、片づけするのも「礼儀」ではなく「信用できない」からだ。
よく実家に居て、何の疑問も無く「甘えている」人を羨ましく思った事もある。
でも甘えていたら、今の私にならなかっただろう。
きっと自立もしなかっただろうし。
あの母親の不精さが、私の焦燥感が、いち早い自立を促してくれた。
だから突然の結婚にも困らなかった。
仕事と子育ての両立をこなせた。
あれから時々サボった時期はあったが、結局18で結婚して家を出るまで、自分の為に続けたのだ。
今の私は当たり前のように料理をするが、しかし未だに包丁を握る事は好きじゃない。
それは生きる手段であり、生活の術なのだ。出来て当たり前の事なのだ。
でも「毎日の習慣」というのは凄いと思うが、そんなに好きではない事でさえ、すでに自分の一部になっている、という事なのだ。
あやかも疲れていても、自分で料理をする。
安上がりだし、将来役に立つからね。
今日はあやか手作りのシチューをご馳走になってきた。
今は何でもコンビニで売ってるし、惣菜もあちこちで売っている。
でもそれを食べ続ける習慣は、肉体が下り坂を過ぎた頃に結果がやって来る。
私は一生現役を目指しているし、食事制限なんてされたくないから、最低限健康に気を使いたい。
一生涯、食べたい物を食べたいもの。
でも外食ばかりでは、やがて老いた時にツケが来る。
私はそうなりたくないから、家に居る時はなるべく手料理を作り続ける。
結局は自分の為だよね。だから好きじゃないが、料理が出来る自分でよかったと思うのだ。
そんな自分にしてくれたのも、やはりあの母のお陰なのである。
コメント[5]
TB[]
2007
11,20
20:33
ヘッセ
CATEGORY[過去]
すっかり寒くなりましたね。
こたつを出して「よかった」と、つくづく思う今日この頃。
何の脈絡もないですが、「カラオケ行きたくなっちゃった~!」と思いました。
しかし、行く相手が息子しかいないなんて・・・。
寂しすぎるぞ!私。かわいそうだ!・・・が、息子がいるだけでも、「良し」とするか。
さてと~。今日は何を書こうかな。
先日のコメントの中に「橋村さんが母親になると自覚した時の事を知りたい」というのがあったので、その事について書きましょうか。
しかし、妊娠した時よりさかのぼる事、一年前。
私は一冊の本に出会ったのだ。
ヘルマン・ヘッセの「夢の家」という本だ。
「車輪の下」で有名なヘッセの短編集である。
この本により、「自覚」というか「啓示」のようなものを与えられたように思う。
読んだのは、高校3年生の一学期だったと思う。
内容は・・・
若い女が魔法使いのおじいさんの所に行き、願い事をする所から始まる。
「私の子供が、皆から『愛される』ように」
やがて、美しい男の子が生まれ、家族は喜んで迎え入れる。
母親が願ったように、皆から愛され慈しまれて、男の子はすくすくと育つ。
男の子は美しく成長し、道行く人は振り返り、賛辞の声を投げ掛けられ、町中の評判となり、彼が目を合わせるだけで卒倒する女まで現れる始末。
学校を卒業し、彼を「支援したい」と続々と寄せられ、いつしか起業する事になる。
しかし、人々から賛辞ばかり浴びてきた彼の性格は、大きく捻じ曲がっていた。
何でも自分の思うとおりになると思い、それが当たり前になり、感謝どころか、人を、例え年長のものであってもアゴでこき使い、いつも命令口調でその癖、人を見下していた。
相手も、最初は美しい彼の容姿に惹かれ、恋人になりたい、広告塔として利用したい、自分に何らかの利益を生みたい・・・男も女も自分の欲で群がってきたが、いつしか彼の傲慢で利己的で横柄な態度に嫌気が差し、少しずつ人々が離れていくのだ。
やがて、彼にも老いが来た。
彼の我儘勝手から、会社は潰れ、彼に金を貸す者もいなくなり、借金に負われ・・・。
その苦労からか、彼はあっという間に老け込んでしまった。
髪は白髪、長く放浪した所為か、服もボロボロ、歯も抜け落ち、垢にまみれ・・・。
彼は何処から見ても「乞食」だった。
それまで羨望の眼差しを向けられていたのが一変してしまった。
「汚い」「臭い」「あっち行け」「お前には何もやらないぞ」と言われる毎日。
そんな中で時折触れる人間の温かさ。
ボロボロの彼を見て「かわいそうに」と言ってパンを与えてくれるもの。水をくれるもの。
そうしてようやっと、彼にも初めて「感謝」が沸いてきたのだ。
何て、素晴らしい感情!
そしてかれは気付いたのだ。
大切なのは「愛される事」ではない。「愛する事」なのだと!
悟った彼が辿りついたのは、あの魔法使いのおじいさんの家だった。
魔法使いに迎え入れられ、彼は暖かな暖炉の前でおじいさんに見守られ、息を引き取るのだった。
その顔は安らかで満足そうだった・・・という話。
何せ、20年も前に読んだ本なので、こんな内容だったと思うが。
しかしこの本が与えてくれた感動は凄くて、何度も何度も読んだ覚えがある。
これを読んだ半年後に妊娠し、一年後にかずまを産んだ訳だが、やはりこの時も
「人を愛せる子にしよう」
と、静かに決心した覚えがある。
かずまを産んだ時
「ああ、こうして産み落とした瞬間から、この子には私とは別の人生が始まるんだ!」
と思い、「一人の人間を育て上げる」という責任感とプレッシャーを感じたのを覚えている。
「この子の人生のヘリを私が握っている・・・。」
そう思うと、身が引き締まるのを感じたのである。
そして我が子に「~なって欲しい」とやたら願うような、愚かな母親にはなるまい、と思ったのだ。
全てはあの一冊のヘッセの本からだ。
あの本が私に重大なヒントを与えてくれた。
それと共に、人生とは何か、を教えてくれたのではないか。
やはり、私はいつも必要な物を引き寄せている、と思うのだ。
私の人生、上手く行っている!
という訳で、誰かカラオケに一緒に行こうよ~♪
コメント[5]
TB[]
2007
11,05
23:31
仕返し
CATEGORY[過去]
今日も特に書くの事がないので、昨日の続き、ファミレスの思い出話でも書きましょう!
いやあ~、面白いから書いてくれ、書いてくれ、って言われたからさあ・・・。
え?誰も言ってないですか?
内容が犯罪スレスレだったら、目を瞑っててくださいませ!
私は以前4年間、深夜~朝のファミレスでバイトをしていた。
その時、私より丁度10歳若いAちゃんと意気投合し、非常に仲が良かったのだ。
当時私は30歳、彼女は20歳。
彼女は小柄で華奢な体系をしており、目の大きな美人だ。
ちょっと前までクラブに勤めていたので、メークもどこか水っぽい。
深夜でのフロアで二人きりで仕事をする事が多く、帰りは私の車でAちゃんを自宅まで送ったりしていた。
私がAちゃんを可愛がっている事に、彼女自身も恩に感じていてくれたのだろう。
今時の子、という「軽さ」もある反面、ちゃんと「感謝」をしてくれる子だったから。
Aちゃんは暗い過去など物ともせず、非常に快活で面白い子だった。
私は彼女の逞しさと個性的な所が大好きだったのだ。
私はAちゃんを「Aちん」、彼女は私を「ハッシー」と呼んでいた。
私達はそれぞれの家庭の事情を抱え、それでも前向きに楽しくやっていた。
ある日、酔っ払いの客が数人の部下らしき若い男女を連れて、大意張りでやってきた。
「また面倒臭い客だあ~。」と内心思っていた。
しかし仕事だから仕方ない。涼しい顔をしてオーダーを取りにいく。
酔っ払いの中年男は偉そうに
「おい、おまえら、好きなもん頼め。おい!姉ちゃん!ビールだ!ビール!ビール持って来い!」
と言っていた。部下らしき女性は目で「すいません・・・」と言っているようだった。
内心「気持ち分かるよ!あんたらもお守りが大変だねえ。」と思いつつ、過去に前夫の為の尻拭いで、さんざん謝っていた自分の姿と重なるのだ。
しかし!気分が悪い!たまらず傍にいたAちゃんに
「聞いてよ。Aちん!あのジジイさあ、ムカつく~!」
と話すと、Aちゃんは
「なにい~?それは許せん!あたしのハッシーに!ちょっと待ってな。あたしが敵を討って来てやる!!!」
と意気込んでいる。私はニヤニヤしながら
「何すんの?」
と聞いたら。
「料理を運んだ時、ここぞとばかりにクッサイ屁をコイて来てやるよ!」
私は腹を抱えて大爆笑していた。えぐえぐ涙を流しながら、
「頼むよお!」
とエールを送っていた。
ホント言うと、彼女にこういう事を言ったら、何か「やってくれるな!」と淡い期待をしていたのだ。
そして、いつもこういう奇想天外な方法で、何かやってくれるのだ。
私はAちゃんの度胸の良さと、男っぷりが大好きだった。
料理を提供して、戻ってきた彼女に
「どうだった?」
と、守備を聞くと・・・。
「いつもの実力の半分も出んかった!」
と言って「ちっきしょう!」と、毒づいていた。
私はまた笑って聞いていたが、Aちゃんが
「今度は皿を下げに行くフリをしながら、残りのヤツを出してきてやる!スカ~ッとさ。スカシッ屁の方が絶対臭いよなあ?」
と真顔で相談しに来るのだ。
ホント、黙ってれば色っぽい美人なのに、気取らず毒づいている彼女のギャップがたまらなく可笑しくて、結局私はゲラゲラ笑っちゃうのだ。
結局その酔っ払いのオヤジ、最後の締めに
「コーヒー持って来い!」
と言いやがった!こいつ、ウェートレスを女中と間違えてるんじゃないか?
で、言われたとおりコーヒーを3つ持っていったら
「あ?何でコーヒーなんだ?!オレは紅茶が飲みたいって言ったんだ!」
と、ぬかす。この酔っ払いめ!
「あ、大丈夫です。私はコーヒーをいただきますから・・・。すいません。」
と部下の方達は、すまなさそうに私に会釈をする。
「では、一つは紅茶と交換して、お持ちいたしますね。申し訳ありませんでした。」
と、にこやかに言って、去る私。クッソー!!!
実はこのコーヒーは「ドリンク付き」というセット価格で打たなければいけないのだが、頭に来ていた私は「単品」価格で打っていたのだ。勿論「単品」の方が高いんだけど。
そこに更に「単品」の紅茶を追加して、コーヒーの訂正はしなかった。
私達はあの酔っ払いが「全額払うだろう」と読んでいたからね。
あれだけ威張っていて「割り勘」だったら、心底笑っちゃうけどね。
ま、これも「慰謝料」さあ~・・・。
いざ、お会計。
「うん?こんなに高かったかあ?」
間抜けな声で酔っ払いが言う。どうせ見栄を張って伝票の中身なんか、見てないくせに。
「申し訳ありません。この時間帯は深夜料金が発生しますので、25%の料金割り増しになります。」
私は澄まして、シレッと答える。内心舌を出して。ベェー!
結局あのオヤジは割高の料金で、飲んでもいないコーヒー代まで払わされたのである。
ウェイトレスを舐めんなよ!!!こっちは女中じゃねえんだよ!
客なら何してもいいって訳じゃ、ねえだろう?ああん?
おまえら、客なら客のマナーがあるだろうがあああー!
そう、内心叫んでいたのである。
しかし高いコーヒー代に、スカシッ屁・・・。
ついでにフライドポテトを出す時に、かなりつまみ食いをしてやった!
客だから・・・といい気になっていたら、仕返しをされているかもしれませんよ~?(笑)
コメント[4]
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