こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
55
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2007
11,04
22:29
イタイ
CATEGORY[過去]
今日、お客様と「イタイ系」の女の人について、盛り上がっていた。
「最近、イタイ人多いよねえ~?」
「いる!いる!うちの職場にも居てさあ~。」
って言う感じ。
イタイ女・・・それは「勘違い」甚だしい女性の事である。
私はそんな「成れの果て」を見た事がある。
昔・・・かれこれ数年前。まだ深夜のファミレスでバイトをしていた時の事。
ホント、深夜のバイトはネタの宝庫だよ。いろんな人が来るからさ。
あるカップルが夜中の2時過ぎにやってきた。時々来るお客様だ。
そのカップル、明らかに老人だ。共に70前後だと思われる。
本当はもっと若いのかもしれない。でも肌の感じで、元化粧品屋の私にはそう見えた。
でもこの二人、夫婦でないのは一目瞭然。
愛人か・・・飲み屋のママと常連か・・・。
何故なら男は女に「**ちゃん」と呼んでいたからだ。
女の方はまんざらでもない感じで呼ばせていたし、男は惚れた弱みなのか、女に対して始終気を使い、褒めちぎっていた。
「**ちゃん、今日も綺麗だよぉ・・・。」
弱弱しく褒めていた辺り、かなりへタレなんだけど。
それを女は「フン!」という感じで、さも「当然よぉ!」と言わんばかりだ。
「よっぽど自信があるんだな。」と思い、見ていた私。
やおら女が「トイレ」と立ち上がり、行ってしまった。
トイレから帰ってきた女を見て、噴出しそうになったよ。
女は胸をはだけた体の線が出るようなタイトなワンピを着ていたが、歩く時「クネックネッ」と腰を振りながら、歩いているのだ。でも悪いけど、所詮70前後(推定)。体はぶよぶよで自慢の胸の谷間はシワシワだ。
顔はブルドッグのようで、お世辞にも美人とはいえない。
連れのおじいさんには悪いけど
「じいさん、あんたの目、大丈夫?その目は老眼か?白内障か?」
と聞きたくなるほどだ。
さて、この常連さん。女の方が物凄く厄介で、私がオーダーをとりに行くと物凄い目で睨まれ、あからさまにライバル意識を燃やしてくるのだ。
終いにはおじいさんが私に「ありがとう。」なんていった日には
「何よ!あんな子に色目なんか使っちゃってえ!!!」
と、凄い剣幕で怒鳴り、そうするとおじいさんが慌てて取り繕うように
「ち、違うよ!**ちゃん。**ちゃんの方が綺麗だから・・・。」
と、これまた弱弱しく言い訳しているのだ。哀れというか、何というか・・・。
じいさん、人生の最期くらい、もっとおだやかに過ごせよな・・・と、つい内心思ってしまったものだ。
しかし仕事なのだから、いくら面倒臭い客でも、オーダーを取りに行かねばなるまい。
それはそれで、その状況を楽しむのが私なのである。
私はその頃入ったばかりの新人細川君(仮名)にオーダーに行かせようと企んだ。
細川君は当時21歳、長身でかなりのハンサム君だ。
この男を使えば、面白いものを見れるんじゃないか、とほくそえんだのさ。
「細川君、あんたあそこへオーダー取って来てよ。」
「ええ~??!!マジッすかぁ?オレ嫌だなあ・・・。」
「いいじゃん!面白そうだから行って来い!喰われそうになったら助けてやるからさあ。」
「橋村さん・・・鬼だあ・・・。マジでヤバかったら助けてくださいよお~。」
細川君は情けない声を出して、渋々行ったのだ。
私ともう一人で、陰から事の成り行きを見守っていたら・・・。
私って、本当に意地悪だよねえ♪ でもこの手の悪戯はだ~い好きなんだもん!
思ったとおり、細川君は例の「色ババア」に尻を撫でられまくっていた。
悪いけど、私はかなり大ウケして、もう大爆笑!
でも声を出すわけにもいかず、涙を流しながら声を噛み殺して、大笑いをしていたのだ。
長い事掛かって、注文をとり終えた細川君が、顔面蒼白で戻ってきた。
涙を流しながらヒィヒィ言いつつ、「どうだった?」と聞くと。
「地獄だ・・・。」
と言う細川君。更に爆笑している私。でも可哀相だから
「後は私が行くよ。」
と言って、フォローしたんだけど。
細川君曰く。
「あのババア、客だと思って調子に乗りやがって!」
「なになに(笑)何された?」
「てゆうか、なんで橋村さん、楽しそうにしてるの!」
「いやあ~、人の不幸は面白いねえ!」
「マジで勘弁してください。あのババア、2度も3度もコロコロ注文変えやがって。しかも『あ~やっぱりぃ~こっちにするぅ~。』とか言って、気持ち悪い声出してるし!キモいんだよ!終いには、シワシワの谷間をギュッと寄せて『見たいくせに~』とか言って『ウフッ』とか笑ってるし。そんな気持ち悪いもん、オレに見せんな!しかも尻ばっかり触ってるし!マジでぜってえあのババア、殺す!」
間違いなく、私はまた笑い転げていた。もう腹筋痛くなるくらい、笑っていたよ。
ナイフもスプーンも用意しなきゃいけないのに。もうすぐ料理が出るというのに。
「あいつ、ぜってえオレんちの婆ちゃんより、年喰ってるつうの!孫のような若造に何盛ってるんだか!!!」
「ああ、もう止めて!笑えて仕事出来ない!」
私はずうっと笑っていたよ。ああ、楽しかった。
でも子供も産まず、現役の「女」だったら、そうなのかもしれない。
私は早くに子供を産んだせいか、若い男の子を見ると「息子」という感覚になるのだ。
以前の職場でも、若い子と一緒に働くと「あいつと付き合えば良いじゃん」と言われる事もあったが、正直そんな気になった事はない。
細川君、という子にしても、彼は21、当時の私は31歳。
こういうカップルも時々いるよね?現にお客様でもこういう人がいたし。
でも当時の私にはすでに12歳の息子がいるのだ。
彼は私より、息子の年齢の方が近いのだ。こんな現実が私から一切の恋愛感情を奪うのだ。
勿論細川君も私にとって可愛い後輩であり、息子のような存在だった。
今の私にも、若い男の子のお客様が来たり、泊まっていく子もいるが、彼らを「恋愛対象」としてみた事はない。
だから向こうも私を「女」ではなく、「お母さん」のように見ていると感じるのだ。
しかし、息子や孫のような若い男の子達にでさえ、色目を使い、女としての「価値」を錯覚している、哀れな女性達がこのごろ増えているような気がするが・・・。
それは私の気のせいだろうか。
勿論いつまでも美しくありたいし、若く在ろうと思うが、でも勘違いだけは、しちゃあいけませんね。
でも、何処にいっても私はこういう感じで楽しく仕事をしていました。
意外とあなたも観察されているかもしれませんよ?(笑)
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コメント[9]
TB[]
2007
10,18
22:58
工事
CATEGORY[過去]
今週は東名高速道路の集中工事の真っ只中でございますねえ。
私は、行きも帰りもはまってしまいました~。
なんか渋滞って疲れるよねえ・・・。
音楽を聴きながら気を紛らわせ、何とか一時間遅れで目的地に辿り着きました。
帰りは、さすがの私もちょっと学習したので、渋滞は避けて途中から下道で帰ったけどね。
伊勢湾岸道から東名への入り口はすでに渋滞で、長~いトラックの列は微塵も動いていないよ。
なので急遽、そのまま伊勢湾岸を走り、すぐ豊田東で降り、下道で岡崎目指して走ったのだ。
ちなみに私の車にはナビはついておらず、今日走ったのも初めての道で、ただ自分の勘を頼りに走ったのだ。
岡崎に行けば何とかなる、と思ったら、案の定スムーズに国道に合流でき、私は無事に帰途に着く事が出来たのである。
私は女性が苦手とされる、「地図を読む事」とか、「方向感覚」というのは得意だ。
学生時代もどっちかと言うと「理系」だったしね。
わざわざ選択科目に物理を選ぶくらい、数学や物理は得意だったよ。
だから私は自分でも「女らしさ」とは無縁の生き物だと思ってたくらいだ。
私はどちらかと言うと、車の運転も「乱暴」だろう。
最近、30過ぎてから、やっと落ち着いたというか、ちょっと安全運転を心掛ける様になったというか。
若かりし日の運転を思い出すにつけ、振り返れば自分でも「ゾッとする」ような運転だったなあ・・・。
私も子供もよく死ななかったもんだ。ははは~。
化粧品のセールスをしてた頃、エステもやっていた為、お客さんの送り迎えも自分の車でしていたのだ。
しかし私の乱暴な運転で懲りたのか、エステも2,3回目になると、お客さん自ら
「迎えに来なくてもいいよ!自分で行くから!いいよいいよ!大丈夫!!!」
と何故か必死に私の送り迎えを拒むのだ。
今思えば当然だろうねえ。お客さんだって、死にたくないのだ。
今は大丈夫ですよ!!!安全運転ですから。年も取ったんですし~。
当時かずまとあやかは小1,2年だったが、私の車に乗る時、学校で被っている通学用のヘルメットを被って乗ってきたよ!
「ちょっと!どういう意味よ?!」
私が不機嫌な声でそう聞くと、かずまが
「まあまあ、お母さん!気にしないで。どうぞ運転してください!」
と言った。
さすがに自分の運転を、反省したなあ~。
当時は時間に追われていて、毎日分刻みに「学童の送り迎え」「幼稚園の送り迎え」「塾の送り迎え」「商品のお届け」「買い物」「集金」と走っていたからね。
そりゃあ焦っていたのだ。今思うと、ホント心の余裕がなかったなあ。
そう思うと、今は忙しいと言え、自分のペースでやってるし、休みも十分取ってるので、随分のんびりしたものである。
私も随分落ち着いたし・・・。
しかしあの頃、いろんな道を毎日走っていたので、土地勘とか方向感覚は養われたな。
今も地図片手に走っているが、その方が頭に入るし、いざ走ると応用が利くので、私は今更ナビを入れる気はないね。私は自分の「野生の勘」を信じるよ!
結局私は「アナログ」人間なのだ。
未だにパソコンも使いこなせてないしね。
ブログ書くだけで精一杯さ。
それでも今日も無事に名古屋から帰ってこれて、よかった~!
コメント[4]
TB[]
2007
10,13
22:32
身長
CATEGORY[過去]
ほぼ半月ぶりに、あやかがこっち(浜松)に帰ってきた。
こちらで仕事が入っているからだ。
で、早速なんか揉めてるよ。
どっちが背が高いか・・・だって。ああ、そう。勝手にやってって感じ・・・。
でも「お母さん、どっちが背が高いか、見てよ~。」って言うから、見る。
おお!意外や意外。とっくにすぐるの方が抜いたと思ったら、あやかの方が高いじゃん!
「あやかの方が高いよ!」
「マジで~?!」
それでまた二人して、鏡の前で立ったり、洗面所で並んでみたり、また揉めてるのさ。
もう止まったと思ったが、まだあやかの身長は伸びていたのだ!
「そういえば、最近測ってないもんね。」
一番の成長期に学校へも行かず、身体測定もしないでいたのだから、そりゃあ分からないよね。
去年までは、私と良く献血に行ってたので、そこで身長を測っていたが、2月にアートメークをしてからは「入れ墨」と同じ扱いになる為、一年間は献血出来ないので、あやかも自然と献血ルームから遠のいてしまったのだ。
確か、去年そこで測った時は、158cmくらいだった。
「今はもっと伸びているかも!160cmになってるかなあ?」
あやかは嬉しそうだ。
すぐるはまだあやかより、2cmくらい低かった。
まだ160はないな。
ちなみに私は164cm、前夫は173cm。
夫婦共に、そんなに低い方じゃないと思うが、それにしてもうちの子達の成長は遅い方だと思う。
あやかなんて、中学に入学する時、138cmしかなかった。
そう思うと、随分大きくなったなあ。
かずまも170超えたのが、やっと最近だし。きっとすぐるもこれから伸びるな。
かずまもそうだったが、すぐるの足は今年でかなり大きくなった。
もうすでに、靴を2回、買い換えた。
今はかずまのお下がりの28,5のサイズを履いている。
すぐるは態度もデカイが、足もデカイのだ。
男の子の成長はホント、急だから買い換えるのも大変だあ。
ちなみに私が子供の頃は成長が早く、小学校を卒業する頃には157cmあった。
なのでランドセルが似合わない。てゆうか、小さい・・・。
まだランドセルを背負わないといけない、というのがどうにも恥ずかしかったのを覚えている。
なのでよく、片側の肩に引っ掛けて、帰ったものだ。
しかも私は昔から、老け顔。気苦労の多さからだろうか。
だから中学生の時から「おばさん」と言われてたし・・・。
中学生の時、街中を歩いていたら、前を歩く親子連れがハンカチを落とした。
気付いた私が、「ハンカチ落ちましたよ。」と言って、子供に手渡すと、その母親が子供に
「ホラ。おばちゃんに『ありがとう』は?」
と言った。私はかなりショックを受けたよ!勿論その時は、ポーカーフェイスでやり過ごしたけどね。
しかし、14の私にはきつかったなあ・・・。
しかもその後、公衆トイレに入ったら
「キャア!男の人が入ってきた!!!」
と叫ばれ・・・。
「これは、一体何の呪い?」と思ったものだ。
当時の私は、眼鏡を掛け、髪は短髪で、だから直毛で剛毛の私の毛は、まるでパイナップルのように立っていたからね。服も男だか女だか、分からん格好をしていたしね。
今見ても、本当・・・色気なしというか、性別すらよく分からんもんなあ。
よくもまあ、結婚出来たよね。
しかし、こんなショッキングな出来事が日常茶飯事にあったので、それがきっかけになって
「高校に入ったら、絶対イメチェンするぞ!」
と決めたのだ。だから入学してからすぐに、髪を伸ばし、コンタクトにしたのだ。
眼鏡を外した途端、一重で釣りあがっていた目は二重になり、今みたいなパッチリとした目になったのだ。
だから中学の頃の同級生が私を見ても、気づかない人が多く、たまに気づいた人から
「目、整形した?」
と聞かれる事がある。
あやかが今、一生懸命お洒落してるのも、コンプレックスがあるからだ。
コンプレックスがあるからこそ、努力するのだ。
だからコンプレックスは大事だ。何より自惚れなくて済むしね。
あやかも私も「汚いおばさんには、なりたくないね!」と誓い、そうならないようにしているつもりだ。
それにしても悔しい事に、前夫は私より随分若く見られ、私より八つも年上なのに、結婚当時一緒に歩いていると「いいねえ、若い旦那を貰って~。」と知らないおじさんに言われたりして!
かなり悔しい思いをしたな!
今もあいつは若く見える。たいして頭を使ってないからだろう、と思っているが。
私と来たら、変な貫禄ばっかりついちゃってさ・・・。
まあ、別にそれで死ぬ訳じゃあないからいいんだけどね。まあ、いっかあ~。
コメント[5]
TB[]
2007
10,11
19:34
7歳
CATEGORY[過去]
さてと。今日は特別書きたい事もないので、私の過去の事を書きましょう。
前回の続き、7歳の事を書きます。退屈だったらすいません~。
大好きなおじいさんが死んで、寂しかった・・・の続きです。
その頃の私は、今の私と違い、とにかく闇雲に大人しい子だった。
この頃も言いたい事もいえず、肝心な事も言えず・・・
そんな訳で、小学1年にもなるのに、学校で2回、オシッコを漏らしたのだ。
勿論、周りから馬鹿にされ、私自身も恥ずかしい思いで一杯だったが、どうしようもない。
漏らした事実は変えられないからね。
ここら辺、というか舞阪町の方言で、こういう大人しい子を「おすんばあ」と言うのだ。
面白い言葉でしょ?いつ聞いても笑えるよ。
私は母や祖母から、よく「おすんばあだねえ!」と馬鹿にされつつ、笑われたものだ。
しかしこんな子になるのに、理由がない訳がない。
放ったらかしにされていたから、という事もあるが、何より、この母や祖母がそうだったからだ。
だから母や祖母に馬鹿にされる度に
「あんたらだって、そうじゃん!あんたらには言われたくない!」
と、腹の中で思っていたものだ。
母はこの大人しい祖母に育てられたが、だからこの親子は同じ様に、人に心を開かず、友達もいないと言う点がよく似てる。
そして、まさに私もこの母の真似を知らず知らずのうちに、していたのである。
そして母達が唯一言えるのは身内だけで、それも年端も行かぬ子供相手にしか強気な発言が出来ないのだ。
母は最近までそうだった。
私もすぐ下の妹を随分いじめた時があった。
それは親の態度が不公平だったり、不満からしたのだ。
そして、他人様や親に言えない事を、自分より弱い妹に向けたのだ。
私にもこんな卑怯な時があったのだ。
だから家の中は、「やすらぎ」とか「安心」とは、無縁の場所だった。
気を抜けば、親や兄弟達に足元をすくわれかねないからだ。
それは今もそうなんだけど。
2年前の祭りの時。あやかは私の実家で、偶然にも立ち聞きをしてしまった。
台所で、私の母が一番下の妹に、私の悪口を言っているのを。
これは、妹に「あんたを一番可愛がっている」というアピールの為に、母が良くやる事なので、私はそういった事実を承知しているし、だから今更そんな事をされてもどうって事はない。
でも、あやかにはショックだったのだ。
今までの2度の同居で母の性格を散々知っていたが、
「でもばあばは、あんなにお母さんの世話になってるじゃん!あんなにしてもらってるのに、何で?!」
と言うのだ。まあ、普通ならそう思うよね?
母は自分の点数稼ぎの為なら何でもする。
そして主に使われるのは、「私」という存在なのだ。
それがまた、今までの父の「いじめ」に近いものを引き出したのだ。
子供の頃は、こんな事も日常茶飯事で、だから私にとって「家庭」とは、「食うか食われるか」の「弱肉強食」の世界だったのだ。
私にとって、「親」とは、「一番信用できない者」で「一番当てにならない人」だった。
でもこのお陰で、私は誰よりも「立ち回り」が上手くなった。
どうしたら、自分の要求を呑んでもらえるか、どうやったら自分を正当化できるか・・・。
結論として、コツコツと実績を積む事、証拠を残す事、何より自信を持って発言する事で対抗する・・・
など、沢山の事を私に教えてくれたのだ。
そして過去が一つも楽しくなかったからこそ、今が最高に楽しく、過去を振り返らず、前を向き続ける自分にしてくれたのだろう。
今が一番楽しい!自分の力でそれが出来て、何より嬉しいのだ。
コメント[5]
TB[]
2007
10,03
18:39
自然気胸?
CATEGORY[過去]
最近、すぐるがしきりに「胸が痛い」と言い、「これは自然気胸では?」と言い出した。
それで、今日は「お医者さんに行こう」と自ら言ってたのに
「今日は遅くなったから、まあいいや」
と言って、「また痛くなった行く」という事になった。
ていうか、歯医者へ先に行けよ!って感じだけど。
「私も昔、そういうのあったけど、死ぬ事はないから大丈夫だよ。」
と言うが、「でも心配だから行きたい」と言う。ああ、そうですか。どうぞ。
「お母さんは、胸が痛かった時、お医者さんに行かなかったの?」
と聞かれ、「うん。」と答えたら「何で?」と聞くので、理由を説明した。
私は小学校高学年から高校生くらいまで、激しい胸の痛みによく襲われた。
それは「きっと成長痛だ。」と母に言われていたので、真に受けていたが、それでもひどい時は一時間以上も苦痛が続き、動けない事もしばしばだった。
でも本来の私も我慢強かったので、母が「大丈夫かね?」と心配そうに聞いても、「大丈夫」と、つい答えてしまうのだった。
でも「大丈夫」と答えてしまう理由が、もう一つあったのだ。
母は判断力がない為、何かにつけアテにならない父にいちいち聞いていたが、こういう時も
「あの子を医者に連れて行ったほうがいいかねえ?」
と聞くと、決まって鼻で笑い
「あいつなんかに金を使うのが勿体無い。あんなのを医者に連れて行く金があったら、競艇で使った方がいい。」
と、これ見よがしに言われるのだ。
私だって人間だ。実の父親にそんな事を言われて、傷つかない訳がない。
だから自分がこれ以上傷つかないよう、自分の身を守る為にも「大丈夫」と言わざるを得ないのだ。
だが、それ以上に傷つくのは、母の態度だ。
「自分がこれ以上言われたくない。」
と言う思いから、私の「大丈夫」と言う言葉をこれまた真に受けて、
「大丈夫ならいいね。」
と知らん顔をするのだ。そして私が横で「う~ん、う~ん・・・」とうめいていても
「おとうさんがああだからねえ。」
と言って、父の悪口を言ってお終いだ。
「それはお前だろ?」と、内心思ったよ。
内緒で医者に連れて行く、という発想はないのだ。全部自分の夫の所為なのだ。
責任から逃れるのって、何て汚いんだろう。
「そんな訳で医者には行かなかったよ。」
そう言うと、すぐるは笑って聞いてる。
「あの人達なら、やりそうだね。」
「だろう?」
そう言って私達は笑っていたのだ。
さて、実はそういう胸の痛みは、今現在もある。
でも診察してもらった事はないが、生活に支障はないので未だに医者には行ってない。
でも今思えば、あの頃の私は大量に悪霊を憑けていた。
胸の痛みは、その為に引き起こされた、というのもあるだろう。
それにしても、歴史は繰り返される・・・。
「お前に金を使うのが勿体無い」と言う言葉。
かなり前にもここに書いたが、私は父だけでなく、前夫にまで言われていたのだ。
私ってなんて、蔑んだ扱いをされていた事だろう。
それは当時の私自身の価値の低さを表している。
今じゃあ、私の顔色を伺う父親。どうしたらこんなに変わるのか?
人間とは不思議な生き物なのである。
コメント[5]
TB[]
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