こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
55
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2007
08,05
22:28
短気
CATEGORY[過去]
晩御飯の支度をしていたら、またタンゴが狙ってる。
豚肉を狙ってるのだ。
冷シャブサラダにしようと思って、肉を茹でたのだ。
で、冷まそうと思ってそこら辺に置いたのだが。
勿論、タンゴに肉をかっさらわれないように、肉の上には大きな皿を置き、重石代わりにして置いといたのだ。
その間、他の事をしようと、ちょっと目を離したら・・・。
「ガシャーン!!!」
何かが落ちる音が!
肉が皿ごと落ちたのだ。いや、タンゴに落とされたのだ。
プチン!私の中で何かが切れたよ!
「タンゴオオオオ!!!!貴様~!!!」
タンゴはすばしっこく逃げる。
でも私だって、今日は黙ってないぞ!!!許すもんか!
「タンゴ!バカ!こらっ!待てっ!!!」
そう言ったって、タンゴだって待ってないけどね。
タンゴは和室の押入れに逃げ込む。
私だって負けるもんか。押入れに手を突っ込んで、タンゴの首根っこを捕まえる。
そのまま無理矢理引きずり出して、台所に連れて行く。
タンゴは「フウ~ッ!!」って言って怒ってるけどさ。かまうもんか。
私の方がよっぽど怒ってるよ!
台所の床に散乱している肉に、タンゴの首根っこを力任せに押し付け
「ダメッ!コラッ!!!」
と数回繰り返す。これが効いてるか、どうかなんて、分かんないんだけどね。
でも怒らなきゃ、私の気が済まないよ。
いくらネコが好きったって、何でもかんでも許せるわけじゃあ、ないもんね。
私は結構、短気と言うか・・・。
うちの子供たちは、それを良く知っている。
私を怒らせると、ホント手が付けられない。
だから前夫にもよく「ヤクザより恐い」と言われたが。
こんなんで、ソウルメイトが来たら、ビビられるんじゃないか、と心配だ。
それでも最近は、私も丸くなったのか、あんまり怒らなくなったけどね。
昔、まだ子供達が小さかった頃・・・団地に住んでいた時があった。
その頃、かずまは小6、あやかは5年、すぐるは2年だった。
まだネコも飼っていなかったし、子供達は腕白で、まさにおバカ全盛期。
いくら「片付けなさい!!!」って言っても、聞きゃあしない。
「はあ」とか「ふうん」とか「あとで・・・」と言う生返事ばかり。
私はこういう返事が大嫌い。
だからそれを聞いて、「プチッ!!!」と切れた。
「うりゃあああ!!!お前らあああ!いい加減にしろよおおお!!!」
もう、私は大暴れ。
家中のタンス(と言っても3つくらいだけどね)の引き出しを全部放り出し、本棚の中身もぶちまけて、ついでにタンスも本棚もひっくり返してやった。
勿論、子供達はビックリして大泣きだ。
「私はこのまま仕事に行くからね。後の事なんか知るか!」
そう言い捨てて、すぐ仕事に行った。
当時のこの日はコンビニへ出勤。夜10時から1時までの3時間、働いていたのだ。
子供達は・・・特にあやかは
「お母さんはもう帰って来ないんじゃないか?」
と不安に思い、
「帰ってこなかったら、どうしよう・・・」
と、泣きながら必死に片付けていたようだ。
勿論息子二人もべそを掻きながら、同様に片付けていたみたいだし。
仕事を終え、帰宅すると、今まで見た事もないくらい、家の中は綺麗になっていた。
あやかだけが起きており、
「よかった~!お母さん、帰ってきてくれた!」
と、泣いて喜んでいた。私も思わず笑ってしまったよ。
「やれば出来るじゃん!」
その時の「お灸」が効いたのか、それ以来子供達は「片付けなさい」と言われると、そこそこ片付けるようになった。
寝不足の子供達は、寝ぼけ眼で学校へ行ったが、寝不足くらいなんだ!
「寝る」事より大事な事があるはずだ。
私みたいに極端にする事はないと思うが、でも「ビシッ!」と叱らないといけない時が絶対あると思う。
こうして叱られないで大人になってる人が多いから、平気で大人を舐めたり、仕事を舐めたりするんだな。
こうして怒られたり怒鳴られたり・・・こんな事も欲しくて、自分の親を選んでくるのだ。
是非、皆さんにも自信を持って「ビシッ!」と叱ってもらいたいなあ・・・。
しかし、タンゴはやっぱりおバカなので、ちっとも懲りていないようだ。
今はグーグー良く寝てるよ・・・。
まだまだ、いたちごっこは続くのね。はあ~・・・。
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コメント[5]
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2007
08,04
21:34
本
CATEGORY[過去]
さて、昨日の続きを書きます。しばしお付き合いを・・・。
今日は、私が今までに読んだ本の事を書きたいと思います。
母に促され、本を読むようになって、最初は読みやすい絵本から読み始めたのだ。
でもそのうち絵本を読み尽くし、字の大きな物語を読み、段々字の小さな子供向けの本を読むようになっていった。
小2の頃には、小学校中学年向けの本を読んでいた。
その頃・・・小3か小4の頃か・・・読んだ本で印象的だったのが、忘れもしない「湖上の城」という本だ。
やはり小学校中・高学年向けで、詳しい内容は忘れてしまったが、印象的なワンシーンがあったのだ。
舞台は中世のヨーロッパ、物語の中盤で主人公の男は鎧に身を固め、小隊を引き連れて、敵の湖上の城へと攻め込むのだ。
仲間と共に城へ飛び込み、大広間に突入すると、そこで戦いが繰り広げられる。
しかし、これは罠だったのだ。
やがて敵は退却し、扉が閉められる。主人公達は閉じ込められたのだ。
そして火が放たれ、彼らは城ごと蒸し焼き状態に・・・。
皆、のどの渇きを訴え、「もうダメだ・・・」と弱音を吐く部下達。
そこで主人公は大声で叫ぶ。
「血を飲め!血でのどを潤すのだ!」
そして敵の死体を切りつけ、そこから溢れる血を飲む主人公。
そうして生きながらえ、火が収まると、「もう死んだだろう」とタカをくくっていた敵をあっという間に皆殺しにし、逃げた・・・という話。
何故、印象的だったか。
間違いなく自分の前世とかぶるからだ。その時は分からなかったけどね。
勿論、血を飲んだ、という前世はないと思うが、こうして私の前世は、血生臭いものばかりだ。
そして、当時孤独だった私には、主人公の「背に腹は代えられない」という状況と「四面楚歌」という状況が、ぴったりはまったのだ。
その本を読んだ後の静かな感動が忘れられない。
「私も絶対、生き抜くんだ。寂しくても辛くても・・・。だから私も、一度決めた事は、絶対ひるがえさないんだ!」
それからたくさんの伝記も読んだ。
読んだ人なら分かるだろう。
どんな偉人だって、苦労も苦難もない人生なんて、一つもない。
どんな方でも、一つ挑戦すれば必ずそれ以上の試練が来る。
それは私だってそうだ。でもみんな簡単に諦めてしまうのだ。
テレビに映る良い所だけを見て、でもそれ以前の苦労や、水面下での努力を見ていないのだ。
子供向けの伝記でもいいから、機会があったら読んでみてください。
そんな本の中でも、必ず人生のヒントが見つけられます。
そして私に最も衝撃を与えた本・・・小3の時に読んだ「転生輪廻」という本だ。
人は自らの運命を自ら決めてくる事、人生は今世だけでなく前世がたくさんあり、死ねば来世にも行けるのだと書かれていた。
これは幼い私に大きな衝撃を与えた。
同時に、たくさんの馬の足音、というかヒヅメの音が自分の頭の中で鳴り響くのだ。
私は恐くなってしまって、途中で読むのを止めてしまった。
あれは間違いなく、山賊の時の記憶の蓋が開きかけたのだ。
だから馬のヒヅメが聞こえたように思えたのだ。
その本は、前世のカルマについても書いてあったが、罰的な要素が強く書かれており、今読めば
「ああ、書き手の判断や思い込みが入ってるのね。」
と冷静に判断できるが、当時の私には無理だった。
そして「親を、自分が選んでくる」という一文を見た時
「私がこんなに愛されないのは、よっぽど前世での行いが悪かったんだなあ・・・」
と思い、同時に、当時両親に対して恨みや怒りを抱いていたが
「でも選んだ私が悪いのだから、もう文句を言っちゃ、いけない。」
と、両親の所為にするのはよそう、と心に決めたのだ。
それが自分を「我慢」させる事になり、忍耐や根性がついたが、それにしても苦しかった~!!!
確かに自分で両親を選んでくるんだけどね、でも意味がちょっと違う。
でも当時の私にはそれが分からず、ただ罰的要素の意味で捉え、何でも「自分が悪い」と罪悪感の塊だった。
でもそれが解放された時、どんなに楽になった事か・・・。
それは同時にカルマが終わった、と言う事でもあるのだ。
しかし当時はよく我慢してたな。
今の私には絶対無理だけどね!ははは~!今じゃあ、楽チン楽チン・・・。
他にも赤毛のアンシリーズや江戸川乱歩の明智小五郎シリーズ、星新一、名作シリーズ・・・などなど。
特に「ああ、無情」や「小公女」は、物凄いお気に入りだった。
耐えて耐えて、でも後で必ず誤解が晴れたり、報われたり・・・。
耐えてる部分が当時の自分と重なり、でも「絶対成功する!」というのが、自分の将来に希望が持てて、それがとても好きだったのだ。
あの頃、愛に飢えていたからこそ、誰よりも「認められたい」と思い、「絶対何でも出来る自分にしておこう」と思い、それが毎日努力する自分を作り上げたのだ。
そして人生のヒントは全て本から得たのだ。
親も知らない、教えてくれなかった「知恵」は全て本からだ。
そして現実の体験と本の知恵、このバランスが今の私を作っている。
寂しかったから、友達がいないから、本に向かわざるを得なかったのだ。
なんて上手く出来てるんだろう!
改めて、あの愚かで不器用な母に感謝するのである。
コメント[7]
TB[]
2007
08,03
20:08
7歳
CATEGORY[過去]
今日は7歳の事を書きましょう。
この前の続きです。
アル中だったけど、大好きな祖父が逝ってしまってから、それはそれはもう寂しくて・・・。
母に分かって貰いたくて「おかあさん・・・」て行くと、うるさそうな顔で「何?」と言われ、「手を繋いで」とか「私にも抱っこ」と、勇気を振り絞って言ってみれば、
「なんだね、この子は。7歳にもなって恥ずかしい!」
と言われた。私はその言葉を真に受け
「そうか、甘えるのはもう恥ずかしい事なんだ・・・」
と思い、恥ずかしくなったのである。
それ以来、私は甘えるのは辞めた。
なのに、一番下の妹が小6になっても抱っこされてるのを見て、怒りが込み上げて来るのを感じた。
私がそれを母になじると
「なんで~?いいじゃん。この子が一番かわいいんだもん。」
と言い放ったのだ。
私は「あんた!私が7歳の時に言った言葉と随分違うんじゃない?」
と言って怒ると
「あんたは反抗期だから」
と、くくって終わりにしてしまうのだ。
私は心底、母を馬鹿にしたものだ。
だから私は、自分の子には平等に接し、言葉に嘘は無いようにしようと、静かに心に誓ったのである。
さて、寂しい私は毎晩布団に入ると、寂しさがこみ上げてきて、涙をよく流していた。
懐かしいのはおじいちゃんと遊んでもらった時の事ばかり・・・。
そのうち、おじいちゃんは死んでどうなっているんだろう、とか、じゃあ、死ぬってどういう事?、とか、
死んだ後はどうなるの?・・・という事が疑問に思えて仕方が無かった。
今思うと、それが精神世界への最初の入り口だったに違いない。
答えが来るのは、まだまだ先の事だが・・・。
その頃の私には、本当の自分の気持ちを汲み取ってくれる人が、一人もいなかった事が寂しく、悲しい事だった。
まあ・・・それが今、人の気持ちを理解するのに役立っているのだが。
それにしても、本当に孤独で・・・毎日「死にたい」「死んで苦しみから逃れたい」と思っていたのだ。
でも、アル中の父親が死んで「セイセイした」と思っている母には、私の事など理解できるはずもない。
まして愚鈍なのだ。
もうちょっと「想像力」というのがあったらよかった、と思うのだが。
ある意味、「思いやり」というのは、どれくらい「想像力」が働くか・・・という事だ。
でも本当の寂しさ、苦しさ、悲しみ・・・というモノを知らない人には、想像力も限界だろう。
さてそんな折、家庭訪問でも先生に叱られたし、私が「知恵遅れ」なんじゃないか、と心配もしていた母が、私に
「ねえ、お母さんの為に本を借りてきてよ」
と言うのだ。
「お母さんに頼まれた!」
こんな事が「自分が必要とされている」と感じ、嬉しくて言われた通り、学校の図書室で本を借りてきたのだ。
今思えば、あの愚かな母親なりに一生懸命考えたのだろう。
こればかりは今でも本当に感謝している。
私は最初、意図が分からず借りた本を母に渡していたが、2,3回も繰り返すと
「馬鹿だねえ。おまえが読むんだよ!そうして欲しいから、『借りてきて』って言っただけだよ!」
と種を明かされたのである。
それで母が喜ぶのなら・・・そんな感じで読み始めたのだ。
私は本当に親の愛に飢えていたのだ。
そして学校でも友達が出来ず、一人ぼっちだった私には、本が最大の友になったのである。
学校の休み時間に読み、昼休みに返してまた借りる。また読んで、家に持ち帰りまた読む。
次の日、朝早く返してまた借りる・・・。
こんな風に毎日繰り返していたら、一年も経った頃、気付いたら一日2冊ずつ本を読んでいる事に気付いた。
「じゃあ、卒業するまで『一日2冊』を貫こう!」
やはり心に静かに決めたのである。結局中学まで続けたけどね。
この決意は誰にも言ってなかったので、母でさえ、知らないのだ。
私は同じように自分を丈夫にする為、「6年間、半袖半ズボンで通そう」
と決め、これも6年間貫いた。
でも自分に自信はついた。「やってきた!」という自負が付くからね。
誰も知らないし、誰にも褒めてもらってないが、でも自分の積み上げてきたものはちゃんと自分に返ってきたのだ。
「意思の固さ」と「信念を貫く」、「忍耐」「根気」・・・
たくさんのものが返ってきたのだ。
そして、どのきっかけも母がくれたものである。
やはり私はあの母を選んでよかったのだ。
コメント[8]
TB[]
2007
07,23
19:19
変化
CATEGORY[過去]
今日は暑かったですね。
やっと夏らしくなって、よかった、よかった!
長男を勘当して、早一年。
思わず「勘当一周年!」と、かずまにメールで送っちゃった!
どこが勘当?って感じだけどね。
しかし一年なんて、あっという間だ。
この一年で、かずまが家を出て、あやかも出、ネコを7匹保護し、4匹里子に出した。
相変わらず、目まぐるしい変化だったのだ。
私にはどの年も印象深く、はっきりと覚えている。
一年たりとて、同じ状況の所は無かったからだ。いつも変化に富んでいた。
それぞれの年には、住む場所も働いていた場所も違うしね。
特に離婚後の数年は、状況がコロコロ変わった・・・というか、変えた、というか・・・。
私はいろんな仕事をしてきた。
結婚していた頃はセールスを8,9年していたが、離婚後の転職の数は凄いものがある。
離婚してすぐには、生活苦からスナックとかパブに勤めていた頃もあったのだ。
でもお酒が飲めない私は、シラフでお客の対応をするのが辛くて、結局2,3ヶ月しか勤まらなかった。
結果、一年半の間に6軒、勤めては辞め、を繰り返したのだ。
それからコンパニオン、居酒屋、ファミレス2軒、本屋、整骨院の受付、コンビニ、カタログ配布、ボーリング場受付、食品工場・・・など、色んな事を4年間の間に経験した。
すべて、喰っていく為である。
3人の子供達を食べさせる為に、必死になって働いてきたのだ。
だからどんな仕事であろうと、私は今までしてきた仕事を恥じた事はない。
どんな仕事だろうと、それは立派な仕事であり、社会にとって必要な仕事なのだ。
それにしても、貧乏だった。
本当に子供には何も買ってやれなくて、自分が情けないと思った事もしょっちゅうだった。
そんな中で年に一回は「子供をどこかに連れて行ってやろう」と思い、時間やお金を無理矢理やり繰りして、連れて行ったものだ。
先日も移動の車中であやかと話していた時、
「私はいつも居なかったのに、どうしてあんた達は反発しなかったんだろうね。」
と、聞いたら
「そうだね。本当にお母さんと団欒なんて、この仕事を始めてからだね。でも事ある毎に抱きしめてくれたり、ちゃんと話を聞いてくれたり、お金無いのに無理してでもディズニーランドに連れて行ってくれたり・・・。
だから愛されてるって分かってたよ。子供でも分かるよ。必死になって約束を守ろうとしてくれてたのは。そういう事を通して、お母さんを信頼してたし、その信頼関係が今のこの仕事にも繋がっているよね。」
そう、言われ、嬉しかったのだ。
私は仕事だけでなく、住む所も随分変えた。
その4年間に4回引越しをした。
以前は分譲マンションに住んでいたが、実家(一戸建て)、アパート、団地、今のテラスハウス・・・と転々とした。
で、色んな所に住んで、ある意味満足した。
その結果、今住んでる2間のテラスハウスが一番気に入ってるのだ。
なんでも経験すれば、気が済むものだ。
その所為か、うちの子供達に引越しや、知らない土地にいく、というのには全然抵抗が無い。
貧乏の経験が多すぎた所為か、「お金が無い」という恐怖心もあんまりないのだ。
無くてもどうにかなる、と経験済みだからだ。
「今300円しかないよ~。」
と平気で電車に乗ってくるあやか。
「あんた、大丈夫?」と聞くと
「大丈夫大丈夫!あと3日後には給料が入るから。冷蔵庫に食べ物が入ってるから、いいよ。」
と、ケロリとした顔をしている。
かずまも同じような感じだ。お金が無くても平気なのだ。
「伊達にお金ない生活をしてないよ。慣れてるし。でも絶対這い上がる!」
そうはっきり言う。
私のたった30数年の人生でも、ジェットコースターのような人生だった。
どんな人生にも上がったり下がったりはつきものだ。
ただ、一旦良い思いをすると、生活レベルをなかなか下げれないのだ。
でも這い上がれる人は、そのどん底をじっと耐えれる人だと思う。
みな、その「どん底」を味わいたくなくて、そこそこの妥協の人生を選ぶのだ。
しかし「どん底」を味あわなければ、「成功」や「幸せ」になんかならない・・・いや、分からないのだ。
何が「幸せ」で、何が「成功」か。
みんな、もっと欲深くなってもいいと思う。
貪欲に自分の人生を追求したらいいのに。
私も妥協せず、前向きに頑張ります!
コメント[5]
TB[]
2007
07,18
21:43
6歳
CATEGORY[過去]
今日もまた、久しぶりに自分の幼い頃の事を書きましょう。
まあ・・・人の子供の頃なんて「興味ない!」と、仰る方もいるでしょうが。
しばし、お付き合いくださいませ。
この前の続き、6歳の頃の事を書きましょう。
この頃、大好きだった祖父もアル中は静かになり、末期の肺がんの為、自宅療養していた頃だった。
そうすると、ビクビクおどおどしていた私も、祖父の暴れるのを見なくなった途端、落ち着きと明るさを取り戻しつつあった。
卒園間近になると、やっと園庭で遊べるようにもなり、泥団子作りに精を出していたり、特定の2,3人の友達も出来るようになった。
それでも、ほとんど喋る事無く、過ごしていたけどね。
この頃には、一番下の妹が一歳になっており、母乳も飲んでいた為、いつも母を取られているような寂しさを感じていた。
年子の妹もそうだったのだろう。
だからか、よく熱を出しては、幼稚園を休んでいた。
これは・・・今だから分かるが、妹が親の気を引きたくて熱を出したのだ。
今じゃ、私より丈夫だよ!
で、寂しかった私を慰めてくれるのは、決まって祖父だった。
寂しいと祖父の部屋に行ったものだ。
でも段々病状が重くなり、それでも私が祖父の寝室に行くと喜んでくれ、その笑顔を見ると
「私を受け入れてくれる人がまだいる!」
という喜びが湧いてきたのだ。
でもお転婆の妹は部屋に入るのを、祖父から禁じられていた。
それを母は、後々まで妹に
「あんたはおじいさんから嫌われていた。ひでみばっかり可愛がっていたよ。」
なんて、言わなくても良い事まで言うものだから、妹は最近まで
「私は誰にも可愛がられてない!」
と、ひがんでいたのだ。
全く!母の言動は考えなしで、それ故、人を傷つけるのだ。
そして、妹は人生の目的通り「被害者」として、日々被害者意識を募らせてきたのだ。
ホント、うまくいってるなあ~って、思うよ。
やがて私は小学校に入学したが、入学も早々に、祖父は4月末に他界したのだ。
「おじいちゃん、死んじゃったんだ・・・」
と思ったが、まだ寂しいという実感はなかった。
それよりも滅多に来客のない家なのに、葬式の為、たくさんの人が集まったのが、子供心にもとっても嬉しかったのだ。
火葬場で遺体が焼きあがるのを親戚の人達と待っていた時。
祖父が私を可愛がっていた事を知っていた親戚のおばさんは、私を慰めようと思ったのだろう。
「今度、おばちゃんがお菓子を買ってあげる。たくさん持ってきてあげる。」
と言ったのだ。それを真に受けて聞いていた私は、どんなに喜んだか!想像つくでしょう。
私はそれを何日も何日も、アテにして待っていたのだ。
しかし、お菓子が来なかったのは言うまでもない。
どんなにガッカリしたか・・・。
それ以来30年経ったが、あのおばさんと顔を合わせるたび、その事を思い出す。
嘘をつくつもりはないのは分かるが、でも子供は本気にするものです。
ぬか喜びをさせるのはやめましょう。
こういう出来事に、子供は大人への不信感を募らせるのです。
慰め方も「お菓子で釣る」んじゃなくて、抱きしめたり、優しい言葉で受け止めるだけでいいのにね。
お金、掛からないしさ。
さて。それから私の寂しい時代に突入していくのだ。
祖父が亡くなって一ヶ月も経つと、自分を振り返ってくれる人はもういない、関心を寄せてくれる人はいないんだ、と嫌でも実感するようになってきた。
母は妹に取られ、手も繋いでくれなかった。
祖母は働くのが趣味で家には居ない。
父もマージャンばかりで不在。
よく熱を出す真ん中の妹と乳飲み子の一番下の妹の世話で、不器用な母には精一杯だったのだ。
だから暇さえあれば指しゃぶりばかりしていて、長い間、その癖が直らなかったのを覚えている。
学校では一言も喋らず、家で会話をしていない私には授業で先生が話している内容がさっぱり分からない。
幼稚園の妹より本を読むのが遅く、母は私が「知恵遅れ」なんじゃないかと心配したほどである。
5月に入っての家庭訪問で、母の私への関わりについて、母が先生からこっ酷く叱られているのを覚えている。
あとで母から「あんたの所為で私が怒られた!」とヤツ当たられたけどね。
でも同じ母親として、あのしっかりとした年配の先生からは、うちの母が私に「無関心」だったのが分かるのだろう。
今の私だって、たくさんの人を見れば、やっぱ、すぐ分かるモンね。
「この人、私達の前だから良い人ぶって座ってるけど、家の中では天下とって威張ってるんだろうなあ。」とか「子供を型にはめてるな。」とかね。
先生の「お母さん、もっと子供に関心を持ってください。」と言う言葉が私の胸を熱くさせたのだ。
厳しかったが、良い先生と言うのは、本当に子供をちゃんと見てるんだな、と思った。
子供心にも信頼できる大人か、利口な人か、臭いで分かるものだ。
なんか長くなっちゃいましたね。
劣等性の私がどうして「本の虫」になったか、次はそんな事も書いてみたいです。
またお暇がありましたら、お付き合いくださいませ。
コメント[5]
TB[]
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