こころの癒しブログ
ヒプノセラピストをやっているバツイチ母さんの日常。前世や霊、子育てや猫、なんでも書いてます。
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プロフィール
HN:
橋村 秀実
年齢:
55
HP:
心の癒し
性別:
女性
誕生日:
1969/07/25
職業:
ヒプノセラピスト
趣味:
猫を愛でる、アニメ鑑賞
自己紹介:
バツイチ母さんです。子供は三人。ネコは三匹。最近、彼氏のアパートで同棲中。
長男→かずま(21才)二年前 小説家を志し、東京に行く。ただ今、絶賛行方不明中!
長女→あやか(19才)今年一月末まで、チャネラーとして母を補佐。今はただの普通の女の子に戻りました!只今、自宅にて 一人暮らし。就職して、営業しています!
次男→すぐる(17才)只今 生意気盛りな高校ニ年生。昼はバイト、夜は夜間定時の高校と、頑張り中!三月より、父親と同居中。
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2008
11,22
20:33
15歳続き
CATEGORY[過去]
15歳の続きです。たいして面白くないでしょうが、お付き合いくださいね。
この頃になると学校内でのいじめは落ち着いたが、家庭内では相変わらずゴタゴタしていた。
とにかく両親の仲が悪い!
母親の、夫への愚痴 文句、死んだ父親への恨みなど、全てのうっぷんを私にぶつけるのだ。
私はオカンの愚痴の聞き役を 毎日毎日する羽目になる。
ある日、両親が喧嘩をし、オカンが「別れる!」と、言い出した。
毎日の愚痴にうんざりしていた私は、
「じゃあ、別れて。私は高校なんかいいから。働いてお母さんを助けるから。」
と、言ったのだ。
それであわよくば転校出来ればいいな と思ったし、最悪な父親からも離れられる とも思ったのだ。
ところが、人生はそう甘くない。
次の日、オカンが手のひらを急に返し、
「やっぱり別れるの、やめたでね。まあ、あんたは高校へ行きな。」
と、言った。何のことはない。怖くなったのだ。
そして自分の勇気がないのを「あんたらがいるから、我慢してやった」と、人に責任をなすりつけ、自分を正当化して、被害者でいるのだ。
それから 私の母親を見る目は一変した。
それまで母親にたいして、心から同情し かわいそうだと思っていたが、
「なんだ・・・この人、ずるいだけじゃん。」
と、一瞬で冷めてしまったのだ。
それからはオカンがどんな愚痴を言おうが、聞くのを一切止めてしまった。
そのお陰で、どう振る舞えば人をがっかりさせるか、よく分かった。
それで私は離婚出来たのだから、ホント オカンには感謝してもしきれないね。
こうしてうちのオカンのお陰で、私は自分らしい人生の一歩を踏めたのである。
ま、そんな経緯があって、私は早く家を出たくて出たくて・・・。
自立を意識し、家事をもっと積極的にやるようにしたのだ。
オカンは単純に、うちの子はいい子だって、喜んでいたけどね。はははー。
でも私は、内心画策していたのである。ほほほー。
やっぱり 居心地の悪い家は自立に最適だね! 笑
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2008
11,19
19:00
15歳
CATEGORY[過去]
かなり久しぶりなんだけど・・・私の過去 15歳の続きを書こうかなあ・・・。
15歳といえば、中3。 中3といえば 受験だねえ。
この頃の私は、それなりにまあまあ勉強していたが。それにしても成績はどんどん下降線をたどっていたのだ。
今まで外した事のないテストのヤマを外すし、凡ミスは連発するしで、結果は悲惨だった。
それまで学年では上位にいて、女子ではいつも一番だったのに・・・。もうずるずるなのだ。
これは当時の親の「念」の悪さが禍したらしく、「全部 外してたね!」と、あやかに言われっけ。
道理で・・・なんか空回りしてた訳だ。もちろん、私自身もどっちゃり 悪霊を憑けていたのもある。
そんな訳で、担任から「進学先はどうする?」と、言われ
「近い所で良い。私の成績で行ける所で。」
と、かなり適当に進路を決めた覚えがある。そこは近所の進学校だった。
で、家に帰り、母親に「先生とK高校に決めたから。」と、報告した。
そうしたら!母親は開口一番
「困る!進学校なんて行かれたら!大学に行かせてって言うに決まってるから。うちにはそんなお金、ないでね!」
と、非難めいた口調で言われた。
ええ~~~?って驚いたよ。そんな理由で?って感じ。
近所の公立校なんだから、親孝行だと褒めてもらいたいくらいなのに。
更に母親は言う。
「あんたは私の子なんだから、馬鹿に決まってる。隣のA高校(当時一番ランクの低い公立校)にしな。」
だって。アホか~~~!!!これだからバカな親は困るよ。
なんでわざわざ遠い高校に行って、それもレベルを下げて行かなきゃいけないんだ?
私は高校のランクには興味はなかったが、本当に自分と対等に話せる頭の回転の早い友達が欲しかったのだ。
本をたくさん読んでるような、知識と良識のある大人の友達が欲しかったのに。
当時の中学の同級生の子供っぽさに辟易していたのだ。
A高校に行きそうなメンバーなんて・・・大体想像が付くよ。ああ、いやだ。もう、うんざりだ!
私はk高校に行く為に・・・これだって本当は大して行きたくなかったのだ。ただ高校は行かないといけない、という思い込みだったに過ぎないのだ・・・それで高校の授業料だの、入学金だの、授業内容だの、進学率 就職率を調べ始めた。
それをもとに母親を説得にかかった。
「お母さん!お母さんが行かせたがっているA高校の授業料より、k高校の方が月額千円安いよ!しかもA高校に電車で行くと、交通費が掛かるけど、K高校は掛らない。」
「だってだって進学が・・・困る・・・。」
アホな母親はまだ抵抗する。
「それから進学校に行ったって、みんな進学する訳じゃないんだよ?就職するのもレベル高い方が有利なんだよ?」(これは当時だから。今は就職は自力で探さないとありません)
それでもアホなうちのオカンは「でも」だの「だって」だの口ごもる。
要は自分の「範疇」を超えていく娘が怖いだけなのだ。
しかし。 さすがの忍耐強い私の堪忍袋の緒が切れた。
だって、大して行きたくもない高校へ行く為に、母親にプレゼンしてんだよ?
なのに「だって」って、どう言う事だ?!そりゃ、私だって「プチン!」とキレる!!!
「もう!いい!!!そんなに言うなら、高校は行かん!勝手にしろ!!!」
そうしたらオロオロしながら、アホなオカンはこう言った。
「そんなあ・・・世間体が悪いで・・・高校は行って。」
だってさ。馬鹿じゃん。
「じゃあ、k高校しか行かん!」「分かったよ」
これで母親は折れたのだ。全く!こいつの抵抗している意味が分からん。
これだから頭の悪い親を持つと、子は苦労するのだ。
わざわざ子供が、近所の公立校にすると言ってるのに・・・。ありがたく思え、って感じ。
私はその後、高校卒業と同時に結婚したが、一番下の妹は同じ高校に行ったあと、大学に進学した。
とてもショックだった。
私には「大学にはやらないよ」と、言われていたのに・・・妹には「ポン!」と出すんだ。
本当に妹とはあからさまに差をつけられていたな。
でも今思うと、それでよかったと思う。
妹は広島大学に進学し、そっちでチヤホヤされ、留学を2回し、また海外でチヤホヤされ・・・
結婚もした事で、ますます天狗になった。
「私はお姉ちゃんみたいに、人生には「失敗」(離婚を言ってるのだと思います)してませんから!」
と、私を笑う。今でもその言葉は忘れない。
この仕事を始めた事を打ち明けた時にも
「お姉ちゃん!でたらめばかり言って、裁判沙汰にならないようにね!」
と、嘲り笑われた。本当に悔しかった。
でも、こんな人になっては行けなかったのだ。
だから私の人生は上手く行かない事だらけだった。
それがより深く悩み、考え、感じ、自分らしく生きれる私にしたんだと思う。
昔の私はたくさん「思い込み」があった。
一つ一つ殻を脱いで、ずいぶん楽に生きられるようになった。
やっぱり私の人生はこれでよかったと思う。
コメント[7]
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2008
09,22
23:05
15歳
CATEGORY[過去]
今日は何を書こうかなあ・・・。
久しぶりに自分の過去の事でも書きましょうか。
まあ・・・私の過去なんて、ねえ・・・知りたくもないでしょうが。笑
しかし、一番苦しかった時期の事でもあるので、やっぱり続きを書きたいですね。
と、言う訳で、「過去」の続き、15歳です。
15歳というと、中3になる訳だが。ある意味、辛かった時期のピークが過ぎつつあった。
登校拒否だった妹が学校に行き始め、勿論登校拒否の原因だったバスケ部も辞め、妹にとっても平穏を取り戻した時でもあるのだ。
それと共に、下級生の陰口も止まった。
私に対する無視は相変わらずだが、無視やからかいのターゲットが他の子に逸れた事もあって、ちょっとだけど沈静化しつつあった。とはいっても、みんなの冷たい態度は変わらないんだけど。
でも少しは和らいでいたかな。
私の中でも変化は起こっていた。
もう気にしない事にしたのだ。
私は正しいのだから、何も気にする事はない!毅然としていよう!
これが、みんなから「気取ってる」とか「優等生ぶってる」とか、言われたけどね。
だから何だと言うのだ! どうせ言う奴は、何をやっても言うのだ。
一度付けられた「嫌われ者」の洛印は、そう簡単に消せないのだ。
でも、そう思えたら、とても楽になった。
よく、お客様の悩みの中で「嫌われるのが怖い」と言っておられる方がいる。
そうして旦那や子供の顔色を伺い、媚び、結局馬鹿にされ、軽く扱われてしまうのだ。
「嫌われたくない」と思いつつ、嫌われる方向へ行ってしまう。何んとも虚しいね。
でも、嫌われる事を恐れている限り、人の目が気になり、自分の人生が行けない。
私は、きっと自分の人生を行かなくてはいけないから、「嫌われる恐れ」を手放させる為に、このような「無視」やら「いじめ」やら、呼んだんだろうね。
理解の無い両親も然り・・・。
「それでもお前は自分を信じていくのか?」
自らをそう問うかのように、自分自身がたくさんの試練を用意したんだろう。
負けてしまうのも自分。乗り越えていくのも自分なのだ。
こうして「負けず嫌い」の私が出来あがっていったんだよなあ。
良く出来てるよ、人生って・・・。うんうん・・・。
さあて・・・、明日の事を考えるとワクワクする。
仕事、猫、それから買い物に行って・・・。
人生、投げ出さないでよかったよ。明日も楽しくしよう!
コメント[2]
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2008
08,09
04:40
誕生日
CATEGORY[過去]
今日(日付的には昨日ですが)、2008年8月8日はオリンピックの開会式の日であり、母の66回目の誕生日でもある。何ともおめでたい事だ。
今日は母の誕生日にまつわる話を書きましょう。
まあ、つまらないとは思いますが 笑 心の広い方はお付き合いしてくださいませ。
母の本当の誕生日は、7月31日である。
当時は昭和17年、戦争中だった。
母は8人目の子として生まれたのだ。
一番上の兄は当時18歳。母が生まれて間もなく、徴兵され、戦死を遂げた。
母は生まれて一時間後に、生母を亡くした。
産後の出血が止まらなくて、気付いたらもう死んでいたらしい。
当時は戦時下で薬がなく、今だったら抗生物質一つで治るものだ。
戦争の悲しさである。
生母を亡くし、ミルクも手に入らなかった当時では、お腹が空いて泣いてる赤ん坊に重湯をあげるしかなく、栄養失調でみるみる痩せていったようだ。
赤ん坊を諦めかけたところに、生まれたという噂を聞いた夫婦が、その赤ん坊を引き取りに来たのだ。
それが私の祖父母なのだ。この二人ももう亡くなっている。
そしてその日が、今日の八月八日なのである。
実は、母の実の両親と義理の両親は、同じ漁師仲間で顔見知りだった。
子供が欲しくて仕方がないのに、とうとう子供に恵まれなかった義理の両親。
片や、ボコボコと子供が出来る夫婦。
ある日、義理の父親が港で網を繕っていた。
そこへ、母をお腹に宿していた生母が、大きなお腹で歩いていたら、その網につまづいて、転んでしまった。
妊娠八カ月ぐらいだそうだ。
慌てた義父は「おなかさん(生母の名前)大丈夫かい?」と、声を掛け、ついでのように
「おなかさんはいいな。子供がたくさんいて。」
と言う話になったようだ。おなかさんは
「あたしゃあ、もう八人目でうんざりだよ!よかったら、あんたにやろうか?」
「おお、おくれ。」
と、いう風に、まるで犬や猫をあげるように、簡単な口約束を交わしたらしい。
何と言うか・・・さすが昔の事だね!
その事を母は「まったく失礼しちゃうよね!私は犬や猫じゃないよ!」って、言うんだけど。
まあ、今ではもう「笑い話」になっている事だが。
ところが、その口約束が功を奏したのである。
もし、あの口約束がなかったら、母は誰にも引き取られずに、きっと栄養失調で死んでいただろう。
おなかさんは、本当に無意識に、自分の死を知ってか知らないでか、義父母に末っ子を託して亡くなったのだ。
勿論義父は本当に子どもを貰い受けるつもりでいたから、手に入りにくい、高価なミルクをどこからか、手に入れて来たのだろう。
こうして母は生きながらえる事が出来て、今の私も生まれる事が出来たのである。
母が生まれて、一ヶ月後(くらい・・・かな?)、当時18歳の長男が徴兵された時
「最後に妹を抱きたい」
と言ったので、義父母は駅まで、赤ん坊だった母を抱いて見送りに行ったのだ。
長男は母を抱くと、泣いて別れを惜しんでいたようだ。
まだ、18歳なのに。二度と帰って来なかったのだ。
今の18歳が、自分の死を覚悟する事が出来るだろうか。
もう帰って来られないと、覚悟を決められるのだろうか。
それが、自分の為ではなく、ただ「国」の為に。命を投げ出す事が出来るのか?
誰が逆らえるだろう。
私達は、幸せな「時代」を選んでいるのです。
何度もここに書きますが、私達は幸せなのです。
薬がある、物がある、コンビニに行けば何でもある、自由、平和、平等・・・。
でも恵まれ過ぎていて、見えていない事が多いのです。残念ですね。
先人達の供養に、お墓も仏壇もいらないと思いますが、先人達の歴史を知り、偉業を知る事で「供養」になると思います。
この平和な日本に生まれた事を、是非誇りに思えればいいですね。
コメント[4]
TB[]
2008
07,21
23:33
続き
CATEGORY[過去]
すいません。昨日の続きです。くどくど・・・くどいですか?笑
でも、もうちょっと付き合ってくださいな。
私なりに答えを出した頃、私に一つの転機が訪れた。
これが私にとって、「支え」になった事は間違いない。
ある日、テレビを見ていた。
内容は・・・宇宙飛行士が宇宙に出て行くと、宗教に目覚めて行く・・・と言う内容だった。
そこには真黒な宇宙に浮かぶ地球が。
それを見た瞬間。
私の中に何かが降りた!
「宇宙」と繋がった瞬間だ。
これを機に、私は「目覚めた」。二週間だけだったけど。
でも、物凄い感動だった。何もかも、「分かった」からだ。
自分の今の目覚めが「多分二週間もすれば、覚めるだろう」と言う事も含めて。
「全て自分が引き寄せてるんだ!何もかも!私のプライド。意地。不器用さ。態度の悪さ・・・。」
それから、私の両親の未熟さと、愚かさ・・・。
「お父さんは子供のままなんだ!お父さんは本当は寂しい人なんだ!満たされていない人!!!」
当時の父の憤りは、全て私に向けられていたが、それは母のフォローがまずい為に、歪んだ形で出ていたのだ。
すべてを理解した私は、その日から父への態度を一変させた。
反抗を止め、父に歩み寄る事にした。
父は私の変化に驚いていたが、でも喜んでいた。
「そうか。お父さんはこんな私でも、求めていたんだ。ただ私が思い通りにならないから、子供のように、妹に当てつけてるんだ!」
父も母も、未熟な若い魂だが、それを理解出来た事で、ちょっと楽になれた。
学校での事もだ。
私の「優越感」を感じ取るから、皆が反発するのだ。
だから「謙虚」な態度に変えた。「媚び」にならない程度に。
それから「自分」の為に行動し続けよう、と言う事も明確にした。
きっと将来、役に立つ!
それから少しずつ、状況が楽になったと思う。
「嫌われてもいいや。」というのも、楽にさせてくれたけどね。
この目覚めのお陰で、「自分」がある程度、確立されたのだ。
でも、まだ完全な目覚めではない事は分かっていた。
私の中のたくさんの「固定観念」や「思い込み」が邪魔している事も、何となく解っていたのだ。
でも、取り方が分からない。どうしたらこの膜のような私の固定観念が取れるのか・・・。
結局自分の固定観念に気付けたのは、それから20年経ってからだが。
それから間もなく、私は再び元の自分に戻った。閉ざされたのである。
でもあの新鮮な感動と驚き、様々な情報がいっぺんに降りてきた状況・・・
今でも忘れられない!
そしてあの体験が、その後あやかが目覚めた時に「理解」出来たのである。
あの擬似的な目覚めは、当時の私の救いにもなったが、娘あやかを理解する為にも貴重な体験だったのである。
これは誰にも言っていない。私の子供しか、知らない事だ。きっと誰も信じないと思うから。
あの目覚めから、目覚めは覚めてしまっても、私がいつでも自分の中に宿る「神」を感じると、それだけで支えられた。私は一人じゃないって。
神を感じると、胸の中が暖かくなってくる。
私は支えられている。それだけで十分だった。
あれは孤独な私を支えるために、神が救いの手を差し述べてくれたのだ。
私は本当にラッキーだったのである。
コメント[6]
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